1950 京都 金閣寺

 京都。千年の歴史を持つ、日本の古い都である。

 同時に、日本で最も古い異界を含有する空間でもある。平安の世から、この都の暗がりには鬼が潜み、路地には幽霊が遊び、夜空には式神が舞う。人知の及ばぬ世界があった。


 当然、それらの怪異から人々を守る仕組みも存在している。

 怪異に立ち向かえる力を持った者は検非違使けびいしを名乗り、異界の治安を守っている。

 都の周囲の山河は、それそのものが大きな異界となって、京都市街の異界が広がらないよう抑え込んでいる。

 そして何より、京都市内に乱立する寺社仏閣が、京都内外の怪異から表界の京都を守る結界の役割を果たしていた。

 その中でも金閣寺は、その黄金の偉容を以て、京都北西の結界の要となる重要な役割を果たしていた。


 1950年7月2日。

 金閣寺炎上。


 寺の見習い僧侶の放火によって、金閣寺は跡形もなく焼失してしまった。犯人は服毒の上、切腹。一命は取り留めたもののうわ言を繰り返すだけになってしまった。


 表界での事件は犯人逮捕という結末を迎えたものの、異界はそうはいかない。結界に大穴が空いたことを察知した怪異の軍勢が、京都市内に乱入した。

 怪異の総大将は藤原ふじわら千方ちかた。かつて朝廷に対して反乱を起こした大豪族である。彼は配下の四鬼と共に地下に封じられていたが、敗戦によって皇室の権威が落ちたことで復活したのだ。


 これに対し、京都検非違使は300人を動員。更に、日本各地の退魔組織に援軍を要請し、総勢500人で相国寺に陣を構えた。


 7月4日、藤原千方の怪異の軍勢と、検非違使たちが衝突した。かつては日本国を相手取り、互角の戦いを演じた大豪族である。検非違使たちは徐々に押され始めた。

 事態を重く見た検非違使は、大法『道成寺』を解禁。戦線に投入された怪異憑きは目覚ましい戦果を上げ、藤原千方は撤退に追い込まれた。検非違使の勝利である。


 だが、同時に検非違使は致命的な間違いを犯していた。

 まず、大法という強力すぎる怪異憑きを単体で運用してしまったこと。

 怪異憑きが表界の金閣寺放火犯と並々ならぬ関係にあったのを知らなかったこと。

 そして、当代の怪異憑きと『道成寺どうじょうじ』の相性が良すぎたこと。


 これらの要素が合わさった結果。

 異界京都全域が炎上した。



――



 京都に入った龍庵は目を丸くした。どこもかしこも燃えている。まるで空襲を受けたかのようだ。おまけに遠くの方では、炎の竜巻まで巻き起こっている。

 表界に影響が出ないとはいえ、ここまでの被害となれば、検非違使もただではすまないだろう。


「そんなにヤバいのか、京都に来てる怪異は」


 龍庵は全国より集められた援軍のうちの一人だった。他の退魔師プロより到着が遅かったのは、岸に連絡が行くのが遅かったからだ。

 自分と同じようなプロが大勢集まる京都をこんなにしたのは、一体どのような怪異なのか。興味と不安に龍庵の足は早まる。


 少し歩くだけで汗が吹き出してきた。空気が熱気を孕んでいる。

 あまりの暑さに、龍庵は水を飲みたくなった。近くの井戸の釣瓶を落とす。ガコン、と固い音が響いた。井戸が枯れている。


「冗談じゃないぞ」


 井戸を枯らすほどの熱気なのか。戦慄する龍庵は別の井戸を見つけた。そちらの釣瓶も落とす。ボチャン、と水音が響いた。

 釣瓶を引き上げてみると、冷たい水が並々と入っていた。口をつける。うまい。さっきのが運悪く涸れ井戸だっただけらしい。


 冷水で喉を潤していると、龍庵に向かって走ってくる影が見えた。丸眼鏡の若い男だ。黒い袈裟を着て、頭に黒い四角の帽子を被っている。茶人の格好だ。ただし、手にはチェーンソーを持っている。


「あっづ、あづぁ! 水ぅ!」


 暑がっているので、龍庵は釣瓶の残りの水をぶっかけた。


「つべたぁい!」


 茶人は冷水を浴びてもんどり打って倒れた。それからヨロヨロと立ち上がる。


「助かったわぁ……おおきに。あんさん、検非違使やないみたいやけど、外から来た人?」

「ああ。大鋸おおが龍庵りゅうあんだ」

「僕はチェン宗壁そうへき堺千家さかいチェンけの端くれや」


 近くの建物が音を立てて崩れた。炎に耐えきれなくなったらしい。気温はますます上がっている。


「一体どうなってるんだ、この状況は? 火を吹く龍でも出てきたっていうのか?」

「それならまだ良かったんやけどな……怪異憑きが暴走したんや。攻め込んできた怪異たちも、守ってた検非違使たちも皆焼けてもうた」


 そう言って、宗壁は遠くで立ち上っている炎の竜巻を指差した。


「今はご覧の有様や。誰も手が出せへん。生きとる退魔師は二条城に集まっておる。兄さんも、はよ逃げたほうがええで」

「……どういう怪異憑きなんだ?」

「『道成寺』っちゅー怪異や。炎を操って、お寺の鐘を鎖に繋いで振り回す子でな。焼けた鐘をぶつけられた奴は皆吹っ飛んでもうた」

「真面目に言ってるのか?」

「真面目も真面目、大真面目や」


 冗談を言っているようにしか思えない。しかし宗壁はあくまでも本気なようだ。

 どれだけ無茶苦茶なのだろうか。龍庵は興味が湧いた。炎の竜巻に足を向ける。


「どこいくねん!?」

「顔を見に行く」

「アカンて! 見える距離がもう間合いなんや! 顔見る前に死ぬで!?」

「だけどなあ。こっちに来てるぞ」

「え?」


 宗壁は気付いていなかったようだが、炎の竜巻は龍庵たちの方へ向かっていた。間の建物は次々と破壊され、粉微塵になって宙を舞っている。宗壁の説明が正しいかはともかく、破壊力は本物だ。


「アカンわこれ。僕はもう逃げるから! 兄さんもはよ逃げなさいよ!」


 龍庵は振り向かず、ただ手を上げて答えた。


 いよいよ竜巻が近付いてきた。竜巻の根本が見えたが、中心部にいるはずの怪異憑きは、炎と風に阻まれて見えない。

 だが、向こうからは見えているらしい。龍庵に向かって加速する。

 竜巻がほぼ目の前までやってきた。炎の風の向こうに、かろうじて人の影らしきものが見えた。

 龍庵は落ちていた鉄筋を左手に握った。


「顔だけ見る、って言ったからな」


 言った以上は、実行しなければならない。

 龍庵は大きく息を吸い込むと、竜巻の中に踏み込んだ。猛烈な熱風が肌を焼く。それよりも速く、中心部に向かって一直線に駆ける。

 風の中に、猛スピードで振り回される赤黒い影が見えた。目にしてもなお信じられなかったが、宗壁の説明通り、それは寺の鐘だった。


 龍庵は地面に這いつくばる。頭上を寺の鐘が通り過ぎる。熱が一層強まった。どうやら尋常ではない高温で熱されているらしい。

 鐘が一回転して帰ってくる前に、龍庵は前へ飛び出した。一気に間合いを詰める。鐘が近付いてきても、既に回転の内側だ。直撃を受けることはない。問題は、鐘と繋がっている鎖だ。これもまた熱されていて、龍庵を溶断する威力を帯びていた。


 そこで龍庵は拾った鉄筋を盾にした。鉄筋が当たった所を支点に、鎖が回転力に従って折り返す。先端の鐘が大きく軌道を変え、鎖はあっという間に鉄筋に巻き取られた。

 炎の竜巻が止まる。風が収まり、火の粉が舞い落ちてくる。


「――ああ」


 少女の声。


「止まってしまいました」


 火焔地獄の中心にいたのは、幼い少女だった。あれだけの熱の中心にいたのに、艷やかな黒い長髪も、藍染の着物も、焦げ目ひとつついていない。

 両手には鉄の鎖を握っている。鎖の先端は、先程まで振り回されていた寺の鐘に繋がっていた。

 この少女が『道成寺どうじょうじ』の怪異憑きらしい。


「ねえ、そこの貴方」


 『道成寺』が龍庵に呼びかけた。

 龍庵は意外に思った。暴走しているという話だったが、話ができるくらいには正気なのか。


「何だ?」

「――様を見ませんでした?」


 龍庵は眉根を寄せる。聞き取れなかった。声が小さかった訳ではない。音は聞こえたのに、頭の中で言葉と認識できなかった。


「すまない、誰だ?」

「この辺りで待ち合わせているのです。一緒に金閣寺を燃やそうと誓い合った仲なのです。燃やさなければいけないんですよ、あの禍々しい寺を。あれを寺と認めて良いのですか? 阿弥陀如来の威光を再現するとおっしゃっていましたが、己の力を見せびらかしたいだけなのでは? 嘘をつくのはよくありませんよね。あの人が嘘をつくはずありませんもの。もしここにいないのなら、偽物に決まっています。ねえ、そこの貴方、あの人をどこに連れて行ったのですか?」


 一気にまくしたてられたため、龍庵は疑問の声をあげることすらできなかった。


「夢と現の金閣寺を燃やし、私たちは今度こそ結ばれる!」


 突然、少女が手にした鎖を振るった。力が鎖を伝わり、先端の鐘を揺らす。真っ直ぐに飛んできた鐘を、龍庵は横に飛んで避けた。

 少女は鐘を振り回し、またしても火災旋風を起こそうとする。鎖を巻き取っていた鉄筋が溶断される。

 

 その前に龍庵は一気に間合いを詰めた。台風の目と同じだ。どれだけ速く回転しても、中心では風が凪ぐ。少女に肉薄してしまえば飛翔する鐘を気にする必要はない。

 鎖を飛び越えた龍庵は、少女をチェーンソーの間合いに捉えた。首を切り落とそうと振りかぶる。


 少女が手元の鎖を引いた。その動きが何を意味するか理解した龍庵は、すぐさま後ろを振り向いた。

 軌道を変えた鐘が、龍庵に向かってまっすぐ突っ込んでくる。避けられない。龍庵は足を踏ん張り、チェーンソーで防御した。足の踏み込みも使って、強引に鐘の軌道を捻じ曲げる。戦車の砲弾に比べたら遅いが、その分、鐘には重みがあった。

 鐘は間一髪のところで軌道を変えた。代償に、龍庵の手からチェーンソーが弾き飛ばされた。


 武器を失った龍庵は、それでもこの機を逃すまいと、少女に向かって殴りかかる。だが、少女は頬を膨らませると、口から炎を吐いた。


「ッ!?」


 大道芸のような緩やかな炎ではない。火炎放射器のような、殺意の乗った炎である。龍庵は拳を止め、一気に後ろへ下がった。

 少女が吐いた炎が風に乗り、火災旋風となって辺りを燃やし始める。鐘は既に最高速度に乗っている。チェーンソーを持たない龍庵は、それをひたすら避け続けるしかない。

 いっそ間合いの外に出るかとも考えたが、少女は龍庵に狙いを定めている。逃がすつもりはないようだ。


「兄さん!」


 後ろから声。鐘を避けつつ振り返ると、茶人の格好をした男――千宗壁がチェーンソーを振り被っていた。


「使えぇっ!」


 宗壁がチェーンソーを投げた。山なりの軌道を描いたチェーンソーを、龍庵の手はしっかりとキャッチした。スターターを引くと、軽快なエンジンの振動が腕に伝わってきた。少し軽いが、いいチェーンソーだ。


 赤熱した鐘を潜り抜け、前へ。今や少女は完全に龍庵に狙いを定め、赤熱した鐘を複雑な軌道で振り回している。

 龍庵はそれら全てを避ける、避ける、避ける。赤熱した鐘も、渦巻く炎も、風切る鎖も掠らせない。熱は感じているはずだが、眉一つ動かさない。


 再び、少女をチェーンソーの間合いに捉えた。少女はまたしても炎を吐き出した。それに対し龍庵はチェーンソーを振り上げた。

 一閃。巻き起こった火焔が両断され、霧散した。


「――ッ!?」


 実体を持たぬ現象の切断。想像の埒外の出来事に、少女は目を見開いた。

 龍庵が少女の頭にチェーンソーを振り下ろす。金属同士が衝突する鈍い音が響いた。


 鐘が落ちる。炎が消える。風が止む。

 少女はその場に力なく崩れ落ちた。


 龍庵は大きく息を吐き出した。額の汗を拭うと、袖がぐっしょりと濡れた。


「一人で片付けちまうなんて、ホントまあ……」


 宗壁が恐る恐るといった様子で近付いてきた。龍庵はチェーンソーのエンジンを止め、宗壁に差し出す。


「助かった、ありがとう。返す」

「えっ、あっ、うん」


 宗壁は心ここにあらず、といった様相だった。自分のチェーンソーよりも、倒れた少女の方が気になるようだ。だから、龍庵は言った。


「生きてるぞ」

「ひえっ」


 少女は生きている。縦に一刀両断するつもりだったが、寸前のところで両手の鎖を頭上に掲げ、回転刃を防いでいた。

 ただ、龍庵の腕力そのものには勝てなかった。押された鎖が少女の頭にぶつかり、結果的に鉄の鎖で殴られる形となった。なので、昏倒はしたが死んでいない。


「どないすねん」

「頼んだ。検非違使のところに連れて行くなり、なんか術をかけるなり、上手くやってくれ」


 そう言いながら龍庵はキョロキョロと辺りを見回す。


「どしたん?」

「俺のチェーンソーがどっか行った」



――



 京都地下、地獄。


「次の方どうぞー」


 地獄の法廷では今日も死者の裁判が行われている。長官の閻魔大王と、補佐の小野おののたかむらは、列をなしてやってくる霊魂を一つひとつ見定めている。

 次の死者はごく普通のおばあちゃんだ。解脱するには得が足りないが、大きな悪事を働いた訳でもない。人界に転生してもう少し徳を積んでもらう予定だ。


「父母を敬い、子らを慈しんだその生き方は、正しいものである。次の生では仏道にも励み……」


 判決を読み上げる閻魔大王の口が止まった。資料に不備があったのか。篁は固唾を呑む。閻魔大王は黙って天井を見上げている。

 突然、天井を突き破って何かが落ちてきた。閻魔大王は笏を取り出すと、落ちてきたものを弾いた。打ち返されたそれは、法廷の壁に突き刺さる。

 チェーンソーだった。


「何で!?」

「落とし物だな。記録して、遺失物保管庫にしまっておけ。

 さて、次の生では仏道にも励み……」


 混乱する篁を横目に、閻魔大王は冷静に判断を下すと、何事も無かったかのように判決の読み上げを再開した。

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