Sunrise
「つらい」
月の落下と破壊から4時間後。昇る朝日を見ながら、八雲長官は悄然としていた。この4時間の間、状況把握と後始末に努めた結果、ろくでもない事になるとわかってしまったからだ。
まず、月人の侵略は完全に止まった。それだけは良い事だと言える。本拠地の月が消滅したことにより月人の不老不死は消え失せたが、月人たちの自我はとっくに消え失せていたため、文字通り全滅するまで攻撃を止めることはなかった。恐らく、あの月から来た月人は一人も残っていないだろう。
一方、検非違使の被害は100人中22人が死亡、46人が負傷という凄惨な状況だった。更に8人が行方不明になっている。人員の7割が倒れ、検非違使は機能不全に陥っている。勝ったとはいえ、これでは検非違使の面子は丸潰れである。
更に京都に張り巡らせた結界もダメになった。こちらの原因は月人ではない。イーの弓のせいだ。月を撃ち墜としたイーの一射だが、反動は恐ろしいものであった。京都タワーに集まっていた霊力を足場にしてもなお、霊脈と結界が纏めてズタズタになることを防げなかった。デタラメな威力である。
それもそのはず、今のイーは亡霊ではなく神だった。かつて9つの太陽を撃ち落としたとされる、伝説の弓神の力を取り戻していたのだ。どうやら『不老不死の薬』を飲んだ影響らしい。
この状態のイーの力は尋常ではなく、もしも京都タワーの霊力なしで弓を撃っていたら、大地に大穴が空くとのことだった。それなら太陽を撃ち落とした時はどうしたのだと聞いてみると、仙人たちが住む中国の崑崙山を足場にしたそうだ。それでも9発撃ったら地表は大惨事になり、山体にもヒビが入ったため、イーは出禁になったそうだ。
また、京都の水路を利用した結界も停止している。これらの結界は京都の水を守る会、すなわち藤宮グループが関わっているため、どんな細工を施されていたかわからない。安全が確認できるまでは再稼働できないだろう。
こんな状態を引き起こした藤宮グループだが、八雲長官からの問い合わせには沈黙を貫いている。月人に乗っ取られているわけではないのは確かだ。瑠那が人外のものであった以上、父親も利用されていたのかもしれない。あるいは、わかった上で利用していたのかもしれない。どちらにしろ、これ以上検非違使のスポンサーになってもらうのは無理だ。来月からの資金調達も考えないといけなくなった。
そして、検非違使が完全に沈黙したこの状況を、京都の怪異たちが黙って見ているはずがない。
「太秦映画村に落ち武者の怪異が出現!」
「御陵衛士を向かわせろ!」
「伏見稲荷でタヌキの怪異とキツネの怪異が揉めているらしいです」
「天狗に何とかしてもらえ!」
「鬼が通りで酒盛りをしているという情報あり!」
「まさか百鬼夜行か!? 裏
矢継早に怪異の出現報告が舞い込んでいる。やむを得ず、八雲長官は協力的な怪異に頭を下げ、更に輝の実家のチェーンソーのプロや、京都周辺の他の退魔組織などにも協力を仰ぐことにした。検非違使の負けを認める禁じ手ではあるが、どの道辞任待ったなしの八雲長官にとっては、事態を丸投げできるなら誰でも良かった。
ただ、どうしても自分で解決しておかなければならない事件が一つある。深々と溜息を吐いた後、八雲長官は立ち上がり、指令室を出ていった。
――
「おはよー」
「もう昼だぞ」
二条城応接室。ソファから這い出てきたファンに、イーはテレビを見ながら返事をした。
「いやあ、勘弁してくれよ。いくら俺が天才だからって、夜通し走り回って
「そんなに口が回るなら、意外と元気なんじゃないのか?」
「元気っていうか、ハイになってる」
「そんなに興奮することか?」
「まあねえ。いや聞きしに勝る伝統の街、京都っていうか。街のあちこちに術式を仕掛けてるのはいいんだけど、仕掛けられた年代がバラバラなんだわ。平安時代の凄腕が仕掛けた術もあれば、ほんの十数年前に慌てて張った術もある。
魔術の歴史博物館っていうか、無形文化財っていうか……世界遺産に登録したほうがいいんじゃないのか、こいつは?」
「もうなっているだろう」
「そうだった」
仙人ということで、ファンは検非違使に協力して京都防衛戦の後始末をやっていた。彼がいなければ京都の霊脈や結界はもっと酷いことになっていただろう。
「こんだけ頑張ったんだから、『雲隠』くれないかなあ。コピーだけでもいいから」
「それなら預かってるぞ」
「マジで!?」
イーが差し出した書物をもぎ取るファン。嬉しそうにしていた表情が、1ページめくった途端に曇った。
「何も書いてない」
本の中身は白紙だった。一文字も書かれていない。
「そういうものらしい」
「そりゃ世間に広めたカバーストーリーだろうが! 俺はなあ! っていうかウチの嫁はなあ! 本物が読みたいの! 紫式部が書いて、あまりの儚さに出家者が続出したっていう、怪異にまでなった源氏物語『雲隠』をよこせってんだよ!」
「いや……ワビサビというものではないのか?」
「侘び寂びは安土桃山文化! こいつはもののあわれで、国風文化だ!」
日本かぶれの妻に影響されて、すっかり日本通になっているファンであった。
「何をほざいておるか盗人が」
突然、応接室の扉が開いた。入ってきたのは平安装束の男。その後ろには検非違使長官の八雲暁久もいる。
突然の乱入にファンは驚いて固まってしまった。一方、イーはすぐに立ち上がり、マチェットを抜き放って構えた。それから問いかける。
「何者だ」
「関白、藤原頼通である」
「……誰?」
ファンのぼんやりした声に、平安装束の男が激怒しそうになるが、その前に暁久が説明した。
「『宇治の宝蔵』の龍神様だ! 知らんとは言わせんぞ!?」
「ああ、あの……龍じゃないじゃん!?」
「変化だよ、変化!」
言われてからファンは、平安装束の男から漏れ出ている神気に気付いた。確かに、あの蔵にいた龍神と同じものだ。
「あー、なるほどなるほど……。それで、一体何の用です?」
「用も何も一つしか無いだろう。宝を返せ」
そう言われて、イーとファンは顔を見合わせた。
「お前、まだ何か持ってるのか?」
「いや? 『雲隠』はもう取り上げられたし。イーさんの『不老不死の薬』じゃないか?」
「俺も残りは返したぞ」
ぼんやりした二人のやり取りに、頼通は舌打ちして割り込んだ。
「『雲隠』も『薬』ももう蔵に戻してあるわ。もうひとつだ」
「もうひとつ?」
「『宝剣』だ」
ファンの視線が虚空を彷徨う。イーは細く息を吸い込んで、口元に手を当てて考え込む。それから二人はもう一度顔を見合わせた。
「どうした、知らんとは言わせんぞ。貴様らが盗んでいったのだからな」
「いやその」
確かに、『宝剣』を盗んだのはファンたち強盗団だ。それは間違いない。問題は、それを持っている人物の所在だった。
「カマイタチの奴、そういやどこに行った?」
――
「こいつが注文の品だ。受け取ってくれ」
大阪、とある企業ビルの応接室にて。
カマイタチは袋をテーブルの上に置いた。向かいに座るのは、ストライプのスーツの男だ。
スーツの男はすぐには袋に手をかけず、しげしげと眺めている。
「なんか、京都の方で騒ぎがあったみたいやけど、大丈夫やったん?」
「それのお陰で何とか抜け出せた、といった所だな」
『宇治の宝蔵』から脱出した後、カマイタチは月人との戦いを無視して京都を脱出した。元々、蔵から『不老不死の薬』を盗もうとする九曜院一派の計画に便乗しただけである。目当てのものを手に入れた上で無駄な危険を冒すほど、カマイタチはおせっかいではなかった。
「そうかい。ほな、中身を確かめさせてもらうで」
男は袋を開き、中身を取り出した。出てきたのは、錆びついた、しかし神々しいチェーンソーであった。市販品とは違う。普通のチェーンソーならありえない、千年の時を超えたような重みがある。
「ホンマにチェーンソーやったんか……」
「俺も正直ビックリしてる」
カマイタチの目的は、このチェーンソーを『宇治の宝蔵』から奪取する事だった。正確には、頼まれた時点ではチェーンソーだと知らなかったのだが。
「壇ノ浦に沈んだ『宝剣』が、まさか『宇治の宝蔵』に収められてるなんてなあ」
三種の神器のひとつ『宝剣』。『天叢雲剣』、『草薙剣』などと同一視される、皇室最古の
カマイタチは草薙剣を盗む依頼を受けた。初めはひとりで盗みに入るつもりだったが、『宇治の宝蔵』を襲おうとする強盗団と縁があったので便乗することにした。そして首尾よく『草薙剣』を見つけたのだが、そこにあったのはチェーンソーだった。
「いや、ホンマになんでチェーンソー? 日本史どないなっとんねん」
「隠された歴史の真実、というやつかな」
「こんな真実暴きとうなかった」
「わかる」
一体古代に何がどうなって草薙チェーンソーが誕生したのか。気にはなるが、手掛かりはない。
「まあ、仕事はキッチリこなしてくれたんや。これが報酬やで。受け取ってな」
依頼主はアタッシュケースをテーブルの上に置いた。カマイタチは中身を改める。現金が一千万と、四千万の預金が預けられた通帳、そして口座の暗証番号。
金額を確認したカマイタチは周囲を確かめた。部屋の中にも、外にも、何かが潜んでいる気配はない。
「どした?」
「たまにいるからな、報酬を渋って殺そうとする奴が」
「そんな事せえへんて。こういう仕事やからこそ、信用が大事なんやで? 法律が通用しない世界なのに、金の受け渡しでモメたら、誰も仕事に乗ってくれなくなるやろ」
「まったくだ」
アタッシュケースを閉じ、カマイタチは立ち上がった。
「では、これで失礼する」
「お疲れさん。ええ仕事やったで。縁があったらまたよろしく」
依頼主の言葉に、カマイタチは軽く手を上げて応じる。そして、そのまま部屋を出ていった。
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