Moonshot
月人の残りを斬り殺していたら、急に空が明るくなった。見上げると、月食で見えなくなっていた月が復活していた。でも何か変だ。
「おっきくない?」
メリーさんの言う通り、月が大きい。いつもの大きさの2倍くらいある。というか、見ているうちにどんどん大きくなっているような気がする。
「ボサっとしてんじゃねえよ兄貴!」
月人を相手にしていた輝が叫ぶ。
「いや、でもよ。月が大きくなってんだよ」
「アァ!? ……ハァ!?」
輝も空の月を見上げてびっくりしている。そして叫んだ。
「月が落ちてきてる!」
えっ。
「くそっ、本部、本部! 月が落ちてきてる! 至急調べてくれ!」
輝は大真面目に叫んでいる。なんかこれ、本当にヤバいんじゃないのか。月が落ちてくるってことは、隕石が落ちてくるようなもんだ。全員死ぬとかそういうレベルじゃない。地球が滅びる。どうしてこんな事になってる。瑠那のせいか。アイツの姿を探す。いない。イーサンが相手してるかと思ったけど、そっちもいない。
爆発音。そっちを見ると、何かが空に向かって飛んでいくのが見えた。人影のようにも見える。速いし遠いし暗いからよくわからない。そう思っていると、天狗が叫んだ。
「『かぐや姫』だと!?」
あれ瑠那か。あのロボに乗ってたのか。いや、敵の大ボスじゃねえか。仕留めそこねたのか?
「アケミ! なんでアイツ逃がしてるんだ!」
さっきまでロボと戦ってたアケミに向かって叫ぶと、アケミは必死に首を横に振って答えた。
「だってイロモノばっかりだったんだもん!」
何だそれ。
いや、真面目にヤバい。天狗が何人か空を飛んで追いかけてるけど、瑠那には追いつけない。あっという間に見えないほどの高さに行ってしまった。
月がどんどん近付いてくる。ここまでくると、大きくなってるんじゃなくて落ちてきてるっていうのがハッキリわかる。
「どうするのよ、翡翠!」
「メリーさん、月までワープしてなんとかできないか?」
「電話が無いから無理!」
駄目らしい。どうしよう。
「なんかこう……核ミサイルを月に埋めて真っ二つにするとか、無いか輝!」
「ねーよ!」
「そしたら秘密兵器の巨大ロボで押すとか」
「ロボも無いし押せる大きさじゃない! 直径3500kmだぞ!?」
「なんか無いのかよ! 検非違使なんてファンタジー職業やってんだから、魔法で押し返して……お前のマジカルチェーンソーでぶった斬れないか?」
「マジカルチェーンソー?」
「さっきガマガエルを斬った、あの何かヤバそうな必殺技だよ」
「いくらなんでも月は無理だ! デカすぎる!」
「なんだよあんなカッコイイのに」
こういう時はカッコよくシメの必殺技でエンディングを迎えるものだろ。そのためのマジカルチェーンソーじゃないのか。
「カッコいいって……ゲームじゃねえんだからよ。それ言うなら兄貴はなんかないのか」
「いや無理だよ、常識的に考えて」
「自分でできないくせに愚痴るんじゃねえよ」
「できないから頼んでるんだろうが」
「何でもかんでも俺に押し付けやがって、自分でなんとかするって気はねーのか、オイ?」
「ああ?」
なんだこの野郎。
「月をぶった斬るなんて無理に決まってんだろうが。お前ならやれそうって思って聞いただけなのに」
「嘘つけ、無理かどうか考えたこともねーだろ。チェーンソーのプロの事だって、いきなり全部忘れたとか言って投げ出しやがって。しかも全部思い出して戻ってきてんじゃねーか」
「こっちだっていろいろあったんだよ」
「俺だっていろいろあんだよ! 自分だけ大変だと思うんじゃねえ!」
「んじゃお前八尺様と戦って……」
スネを蹴られた。
「あ゛っ!?」
「こんな時にケンカするな!」
メリーさんだった。本気で蹴られた。痛い。
顔を上げると輝は後頭部を抑えていた。げんこつを握った楓に怒られている。
「落ち着きたまえよ。できることを探さなければ」
いよいよ迫ってきた月を指差す楓。つられて見上げた輝だったが、すぐに視線を戻して叫んだ。
「ケンカぐらいしかできることねーだろ!」
現実逃避!?
――
「月と地球の距離、残り20万kmを切りました!」
二条城指令室は騒然としていた。月そのものが降ってくるという前代未聞の状況に対し、どうすればよいのか誰もわからなかった。
「軌道を変える方法を探れ! なんらかの術式で移動させているはずだ!」
八雲長官は一縷の望みをかけて叫んだ。二条城の、いや、検非違使の全戦力を集中させても、月の破壊などできるわけがない。そのため月を移動させている術式の解析に全力を注いでいる。
通常、異界で災害が起きても現世に影響はない。さっき破壊された京都タワーがいい例だ。異界の京都タワーは瓦礫になったが、表界の京都タワーは元通りに残っている。
だが今回は別だ。月が地球に落下する。あまりにも規模が大きすぎる。問答無用で、現世も異界も滅びるだろう。1999年に飛来した『恐怖の大王』と同じだ。何が何でも止めないといけない。
「高橋さんとは連絡はとれないのか!?」
「駄目です、息子さんが言うには、今日は山に籠もっているそうで……」
かつて『恐怖の大王』を打ち返した住職ならなんとかできるかもしれない、と連絡していたが、そちらもダメだった。どうしようもない。術式を必死で探っているが、手がかりすら掴めないまま、月は残り15万kmの所まで近付いてきてしまった。
通信が入ったのはその時だった。
《聞こえているか》
「誰だ!?」
《時間がない。よく聞け。お前たちができるあらゆる手段で、この異界を防御しろ》
「何だと!?」
《それと、これからこの地の霊脈を利用させてもらう。霊脈や結界がいろいろ壊れるだろうが、頑張って鎮めてくれ》
「待て、話を聞け! 誰だお前は! 何をするつもりだ!?」
声の主は1つ目の質問は無視し、2つ目に答えた。
《月を撃ち落とす》
――
上昇。上昇。上昇。
高度100kmに到達。大気は冷え切り、青空は消え、宇宙空間に突入する。月の位置を目視で確認。地上より15万kmの地点まで接近中。10分も経たずに地球へ落下する。
月の落下により地球は完全に破壊されるだろう。圧倒的な破壊は『不老不死の薬』も封印ごと消し飛ばすに違いない。
無論、
遠い昔、アンドロメダ銀河から弾き出されたディブラが月に漂着してから六千年。
三千年かけて月の内部に疑似ブラックホール膜と
二千年かけて月人を解析し、同化した。
千年かけて地球に隠された『不老不死の薬』を探し出した。
二十年かけて藤宮グループを乗っ取り、検非違使を無力化し、『宇治の宝蔵』へ王手をかけた。
それらを全て放棄し、破壊することになる。
それでもアルゼブラは月落としを止めるつもりはない。なぜなら、この星はアルゼブラに届き得るからだ。
「八雲楓」
吐く息も凍る宇宙空間で、瑠那の体を制御するアルゼブラは呟く。その声は無感動。落下制御に思考の大半を割いていて、人格をエミュレートしている余裕はない。アルゼブラの本質が剥き出しになった状態で、脳裏に浮かんだのはたった一体の炭素生命体のことだった。
アンドロメダ銀河において、アルゼブラは最後まで無敵であった。ディブラを使った反乱こそ失敗したものの、
だが、この星は違う。銀河はおろか、惑星1つから自由に出ることもできないこの辺境の星には、『怪異』と呼ばれる大勢の情報生命体がいた。アルゼブラのような完全無欠の情報生命には程遠い。だが近似値はいくつか存在していた。
その中でも最もアルゼブラに近かったのが、『隙間女』の情報と絡み合った炭素生命体、八雲楓だった。
初めて彼女を見た時に、アルゼブラは衝撃を受けた。そして歓喜した。彼女は今まで出会ってきた下等な物理生命体とは違う。量子効果を認識できない怪異たちとも違う。宇宙で初めて自分と同じ視座に立てる存在だった。
彼女が妙な影響を受けないように、幼い頃から見守ってきた。藤宮グループを乗っ取る傍ら、彼女に宇宙の真理である量子理論を刷り込んでいった。自分と同じ解を導き出せるように、
だが、
そしてそこから計画が崩れていく。
不老不死の薬の封印を解くはずだった橋姫は倒された。
月人ドローンのほぼ全てを投入したが、二条城を攻め落とせなかった。
更には得体の知れない術で月の異界を封鎖され、
隠し玉として用意した京都タワー羅漢砲は破壊され、ディブラ、ジャア・ルフグンも撃破された。
月人の個体で最も戦闘力が高かった桂男は、あろうことかただの炭素生命体に敗北してしまった。
度重なる敗北。その先に己の損傷、そして滅びがあると気付いた時、アルゼブラは選択を迫られた。
2つの可能性の中から、アルゼブラは後者を取った。
瑠那は地上を見下ろす。地球が、日本列島が、京都が見える。あと5分で消滅する光景だ。京都では怪異や物理生命体たちが右往左往している。何かしているようだが、滅びという解を変動させるには至らない。
私は探している。
アルゼブラが自分の行動を自覚したのは、 赤い弓を持つ男を見つけた時だった。イー。古代の亡霊。物理生命体の残骸情報。アルゼブラが現在操っている肉体の元の持ち主、
彼は他の個体のように動かず、崩壊した京都タワーの跡地に立って、アルゼブラを真っ直ぐに見つめていた。
見つめる? ありえない。アルゼブラがいるのは地上より100kmの宇宙空間。目視できるはずがない。イーはただ空を見上げているだけだ。それをアルゼブラが見つめていると解釈したにすぎない。
だが、なぜアルゼブラは彼を探した。体に残った記憶が、嫦娥という姿がそうさせたとでも言うのか。あり得ない。この不完全な情報生命体はDNAの一片に至るまで、完全に『代数』が掌握している。
戸惑うアルゼブラが見下ろす中、男は手にした弓を掲げた。矢を番え、大きく腕を引く。鏃はアルゼブラをピタリと定めている。射殺すつもりか。馬鹿げた話だ。宇宙に矢が届くはずがない。
違和感がある。他の月人たちが感じていた威圧感を、アルゼブラは感じていない。非論理的だが、矢を向けられているのに狙われていると感じられない。なら彼は何を狙っている。何を撃とうとしている。
瑠那は振り返って
――
『列子』天瑞編に曰く。
春秋の時代、
そこに通りかかった旅人が、彼にこう告げた。天は故あって落ちず、地も故あって崩れない、故にその心配は『杞憂』であると告げた。
今、『杞憂』が現実になっている。
月の落下まで残り8万km。見上げる夜空の大半は、近すぎる月に隠されている。それでいてなお月が迫ってくる様子は、文字通り天が落ちてくるに等しい。
地上にいる人々は何もできない。月を指差して叫んでいる者。解決策を必死に探している者。とにかく逃げようとする者。跪いて祈りを捧げる者。行動は様々であるが、落ちてくる月に対して無力という点では変わらない。
その中に一人、立つ男がいる。叫ばず、焦らず、怯えず、祈らず。両足で大地を踏みしめ、天と堂々と見つめる男がいる。男は左手に赤い弓を、右手に白い矢を持っている。
男の周りに風が渦巻く。自然のものではない。足元、京都タワーの霊脈から汲み上げられた霊力が
落ちてくる天を微動だにせず見ていた男は、やがて手に持つ弓に矢を番え、弦を引き絞った。
誰かが見たら笑っただろう。弓矢が天に届くはずがないと。
あるいは引き止めただろう。弓矢で天を砕けるわけがないと。
しかし男は迷いなく弓を引き絞る。一か八かではない。破れかぶれでもない。彼にとって、天に弓を引くのは二度目であった。
かつて、空の太陽は十個であった。
十個の太陽は代わる代わる空に昇り大地を照らしていたが、ある日十個同時に空に昇り、降りなくなってしまった。
地上は凄まじい熱に襲われた。海は枯れ、大地は燃え、人々は苦しみにのたうち回った。
天帝は一人の男を遣わせた。男は崑崙山に昇り、太陽たちに大人しくするよう呼びかけた。しかし太陽は耳を傾けなかった。
やむを得ず、男は威嚇の後、九つの太陽を撃ち墜とした。
残り一つの太陽だけが、恐れおののきながら今も天に輝いている。
男の名は
限界まで引き絞られた弓から矢が放たれた。矢は音を置き去りにし、天へと昇る。あまりの鋭さに、大気すら斬り裂かれたことに気付かない。
一瞬で大気圏を突破した矢は、宇宙空間でなおも加速する。その途上にいたアルゼブラが驚愕に目を見開いたのは、矢に貫かれて四散した後だった。
一筋の光となった矢は月に到達した。異界月の中心、月の都の政庁と、それを守る三十層の
矢は圧倒的エネルギーを保ちながら月の大地を穿つ。矢が行く先は、岩石であろうと、ガスであろうと、鉱脈であろうとすべて等しく粉砕される。
そして月面から約1,500km地点。
本来そこにあるはずの内核はくり抜かれ、代わりに『
だが、羿の矢は太陽を撃ち落とすためのものであった。渾身の一矢の前は疑似ブラックホールすら貫いた。内包された
かつて太陽を砕いた大破壊に月の都が耐えられるわけがない。四千年の間、埃ひとつ積もることなく、異界で壮麗な姿を見せ続けていた天人の楽園は、大地もろとも砕け、跡形もなく宇宙空間へ消え去った。ほんの数十秒の出来事であった。
地上から月を見上げていた人々は、呆然と夜空を見上げていた。そこに月はない。ついさっきまで全天を覆っていた月は、突如砕けて消えてしまった。今は夜空が顔を覗かせ、月の代わりに無数の星が輝いている。
それを成し遂げた男は、じっと夜空を見上げていたが、やがて視線と両手の弓矢を下ろした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます