Retrospective Kyoto

 閃光が煌めく。マチェットを振るう。ビームが弾かれ、近くの瓦礫に穴を開けた。


「本気で撃ってるはずなんやけど」


 嫦娥チャンウー、否、嫦娥の姿をした何かが訝しげな声を上げた。既に十数発のビームを撃っているが、彼はことごとく弾いている。偶然とは考えられない。光速で飛来し、コンクリートにも穴を開ける光線を見切って防いでいる。


「俺も今は本気だからな」


 更にマチェットを振るい、2連続で放たれたビームを叩き落とす。今の彼に遠距離攻撃は通用しない。それでも彼は攻め込まない。嫦娥と一定の距離を保っている。妻の姿にためらっているわけではない。

 ビームを避けながら彼は手頃なコンクリート片を拾い、嫦娥に向かって投げつけた。瓦礫はまっすぐ嫦娥の顔面へ飛んでいったが、その30cm手前で見えない壁に弾かれた。


「なるほど」


 障壁バリアだ。彼は驚かない。気付いていた。嫦娥はからかうように攻撃するばかりで、身を守る素振りを見せなかった。不死身のはずの月人が次々と倒れているのを目の当たりにしても、だ。何か身を守る手段があると考えていた。


「だが、守ってばかりでは埒が明かんぞ」

「せやねえ」


 嫦娥が手を掲げる。ビームを撃つと見た彼はマチェットを構えた。一瞬後、閃光が迸る。だが、放たれたのはビームではない。散弾だ。無数の光の弾が彼に殺到する。


「ッ!」


 彼は飛び退いて光弾を避け、避けきれなかったものはマチェットで切り払う。弾幕と向かい合っても被弾はしない。しかし、直前よりも動きが大きくなった。


「ほら、ほら、どした? 逃げ回ってばかりじゃ埒が明かんで?」


 嫦娥の口元が歪む。彼は光の雨を避けながら呟いた。


「嫦娥はそういう笑い方はしなかったな」

「へえ?」

「あいつは楽しい時はもっとゲラゲラ笑う」

「それは、品が無いんとちゃう?」

「そうかもしれん」


 思い返す。まだ二人とも生きて大地に住んでいた頃を。天帝の仲介で初めて見合いをした時、彼女は緊張していた。村に芸人がやってきた時、彼女は面白さにゲラゲラ笑っていた。魔物を討ち取って血塗れで帰ってきた時、彼女はドン引きしていた。彼の父が老衰で亡くなった時、彼女は大泣きした。

 およそ、品性とは縁遠い人だったとは思う。しかしその感情に偽りはなかった。目の前にいる、妻の顔をした何かとは真逆だ。上品に振る舞って、その実、心の中では何一つ感銘を受けていない。


「やはりお前は嫦娥ではない」

「最初からそう言うとるやないか」


 光弾の量が増す。彼を物量で押し潰そうと、嫦娥が力を込める。だが、嫦娥は不意に振り返り、後ろへ手を突き出した。


「おっとお? 気付かれてしまったなあ!」

「パシャパシャ」


 嫦娥に向かって飛んでいくのは、薙刀を持った女天狗と、カメラを持ったてんぐるみだ。ばら撒かれた光線を掻い潜り、女天狗が薙刀を突き出す。しかし、嫦娥に突き刺さる寸前で見えない壁に阻まれ弾き返された。


「んなあっ!?」


 薙刀の天狗はすぐさま後ろに下がる。直後、光の弾幕が襲いかかった。女天狗は詰めた間合いを捨てて下がるしかなかった。


「パシャパシャ、パシャパシャパシャ」

「なんやこれ」


 一方、カメラを持ったてんぐるみは間合いを保ちつつ、弾幕をチョン避けしている。カメラに特殊な効果はなく、フラッシュで嫦娥をおちょくるだけだ。嫦娥は微かに困惑の表情を浮かべるが、得体の知れない敵が目の前にいる以上、対応せざるをえない。そのため、彼への攻撃が僅かに緩んだ。


「おい、無事か」


 嫦娥の注意が逸れたのを見て、上空から天狗の僧正坊が彼の側に降りてくる。


「傷は無い」

「そうか。しかしどうする、あの女。高間坊の薙刀を防ぐとは、生半可な障壁ではないぞ」

「やりようはある」

「作戦が?」

「いや。


 ホウイーの言葉に、僧正坊は息を呑んだ。


「それは……大丈夫なのか?」

「加減する。それが難しい。少しでいいから、奴の攻撃を引き付けてくれ」

「なるほど、承知した」


 僧正坊は得心がいったようで、腰の刀を抜いて瑠那へ向き直った。

 その頃、光弾を避け続けていたてんぐるみがとうとう被弾した。増え続ける弾の数に動きが追いつかなくなり、一か八か弾の間をすり抜けようとして失敗したようだ。


「ピチューン」


 珍妙な音を立てて吹っ飛ぶてんぐるみ。


「なんやったん?」


 最後まで嫦娥は理解できなかったようだ。首を傾げいている。

 それを隙と見た僧正坊が、刀を構えて突進する。脇の下を狙った最速の突きを放つが、見えない壁に阻まれた。


「いけずやわ、天狗はん?」


 背筋の凍る笑みを浮かべる嫦娥。障壁の反発が強まり、僧正坊は吹き飛ばされた。嫦娥は僧正坊に手を向ける。僧正坊は素早く後ろに下がり、光弾を避けた。そのまま止まることなく駆け、嫦娥の照準を逸らし続ける。

 障壁に攻撃を阻まれた僧正坊は、ひとつ悟るものがあった。この壁は『硬い』『脆い』という概念で語れるものではない。『通り抜ける』という可能性を極限まで排除した結界、つまりは概念的なものだ。突破するなら確率を覆すほどの力が必要になるが、そうすれば余波でこの辺り一体が吹き飛ぶだろう。

 検非違使たちが周りで戦っている以上、力押しはできない。ならば、活かすべきは速さだ。


「いつまで逃げられるかねえ」


 嫦娥の攻撃が激化する。光弾に加えて、蛇のようにうねる光線も混じっている。僧正坊はいずれも避け、避けきれなかったものだけを剣で弾いていく。

 僅かに緩んだ弾幕の隙間に体を潜らせ、僧正坊は刀を構える。


「京八流、五之型――」


 僧正坊の姿が消える。次の瞬間、瑠那の左右と背後に僧正坊が現れた。


寂光じゃっこう


 超スピードによって分身した僧正坊が同時に突きを繰り出した。避けられるはずがない、認識すら難しい同時攻撃。だが、嫦娥の障壁は全てを受け止めた。真上に現れた4人目の僧正坊の攻撃も。


「あらまあ。大道芸がお得意なんどす?」


 障壁に自らを守らせたまま、嫦娥はせせら笑う。僧正坊は何も言わずに刀を捩じ込もうとする。しかし障壁の圧力で吹き飛ばされた。分身が消え、僧正坊が一人に戻る。そこへ向かって嫦娥は右手を掲げた。


「判断が遅い」


 光弾が放たれる前に、僧正坊は虚空へ斬撃を放った。衝撃波が剣閃となり、嫦娥に向かって飛ぶ。瑠那は腕を引いた。直後、斬撃が障壁に弾かれる。


「……判断が早い」


 『寂光』を防いだ時は、嫦娥は呑気に僧正坊に話しかけ、光弾を撃ってこなかった。だが今、剣閃を防いだ時は弾幕を中断した。その判断速度の違いの原因は。


「なるほど」


 敵の防御のカラクリが見えた。恐らく彼も見切っているだろう。そして彼は既に倒す算段をつけている。

 僧正坊は飛翔し、上空から嫦娥を伺う。嫦娥は腕を掲げて頭上に光弾の花を咲かせる。見た目は派手だが、地上から空中への攻撃だ。適切な距離を保てば避けられないものではない。

 弾幕を凌いでいた僧正坊は、地上に目を向ける。そして再び刀を構え、『寂光』を放った。4方向からの同時攻撃を、嫦娥の障壁が受け止める。


「また同じの? 芸が無いんとちゃいます?」

「見えておらぬな」


 瑠那の煽りを遮る僧正坊。瑠那の笑顔が僅かに強張った。

 恐らく嫦娥は僧正坊の攻撃が、それどころか今までの戦いのほとんどが見えていない。それでも彼女が無傷なのは、自分を常時展開している障壁で覆っているからだ。

 だが、自らをバリアで包んでいれば、外部に向かって攻撃はできない。そこで腕だけをバリアの外に出し、そこから攻撃していたのだ。

 最初に『寂光』を受けた時に反撃しなかったのは、バリアの外の腕が斬られるのを防ぐため。剣閃に対して攻撃を中断したのは、飛んできた斬撃が腕に当たるのを嫌ったためだ。


「臆病者め」

「せやったら、どうします?」

「押し通る」


 僧正坊の背中に、嫦娥の視界を覆うほどの巨大な翼が現れた。黒いカラスの翼だ。翼を羽ばたかせ、僧正坊は渾身の力で剣を突き出す。


「ざぁんねん」


 嫦娥が嗤う。僧正坊は力及ばず、障壁に吹き飛ばされる。追い討ちをかけようと、嫦娥は右腕を掲げた。

 その時、僧正坊の翼が羽ばたいた。黒い羽根を撒き散らし、僧正坊の体が垂直に飛翔する。瑠那はその先を追おうとして。


「――ッ!?」


 凍りつく。僧正坊がいた空間の先、延長線上に男が立っていた。今の今まで、天狗の体と翼によって隠されていたものだ。

 彼はさっきまでビームを弾いていたマチェットを腰に提げ、代わりに弓矢を手にしている。引き絞られた弓は、既に瑠那に狙いを定めていた。

 嫦娥は腕を障壁の内側に引き戻そうとした。だが、遅かった。男の弓から矢が消える。空中にばら撒かれていたカラスの羽根が、ふわり、と舞い上がる。そして嫦娥の腕に矢が突き刺さった。矢は勢いを失わず、唯一障壁を通り抜ける嫦娥の腕を貫いた。当然、その先にある瑠那の体にも被害が及ぶ。至高の一矢は剣となって、瑠那の体を真っ二つに斬り裂いた。


 それから、ひょう、と弦が鳴った。


 嫦娥の体が地面に落ちる。起き上がってこない。男は弓を手にしたまま、嫦娥の遺体の側に近寄る。何も言わずに、体にも触れず、ただ見下ろしている。

 その横に僧正坊が降り立った。男は何も言わない。僧正坊も声をかけあぐねている。中身は別物だとしても、妻を射殺したのだ。天狗といえども心中を察するに余りある。しかし、このまま黙っているわけにはいかない。指揮官の嫦娥を倒したとはいえ、まだ月人は残っている。

 意を決した僧正坊が声をかけようとした時、男が先に口を開いた。


「誰だ」

「何?」


 言葉の意味が分からず、僧正坊は問い返した。


「こいつは誰だ」


 彼が見下ろす遺体。それは、月光を凝縮したような妖艶な美女、嫦娥のものではなく。

 とりたてて特徴のない、見知らぬ女の顔になっていた。

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