天狗(2)

 京都上空、比叡山より次々と飛び立つ黒い影があった。人に近いが人ではない。背中の黒い翼を羽ばたかせ、京都の空に次々と集結する。

 天狗である。赤ら顔の鼻高天狗も入れば、黒いクチバシの烏天狗もいる。鞍馬山に住む天狗50体。その全てが出撃していた。

 彼らを率いるのは天狗面を被った大天狗。鞍馬山僧正坊。九曜院に協力して『宇治の宝蔵』を襲撃した天狗である。

 初めは遊び半分であった。一介の人間が神仙や亡霊を率いて、龍が守る宝蔵を攻略するという筋書きが痛快で、手を貸してやろうという程度の気持ちであった。

 今は違う。本気である。月人ごときに己の住処を荒らさせはしないという、強い反骨心があった。


 遠方では京都タワーから閃光が放たれ、京都の街を灼いていた。


「風情も何もあったものではないな」


 都ができる前からこの地に住んでいる天狗である。このような無粋な振る舞いは見過ごせない。

 刀を抜いて眷属の天狗たちに号令を掛けようとした時、四方から接近する気配を感じた。月人ではない。風に乗って法力通信が僧正坊の耳に届く。


《待たせたなあ、僧正坊よ!》


 東方より飛んできたのは、赤い鎧の女天狗。葛城山高間坊。


《紳士淑女がこんなに集まるとは、壮観だな》


 南方からやってきたのは、錫杖を携えた高鼻天狗。比叡山法性坊。


《ヌハハハハ! 今宵は我慢ナシにで暴れさせてもらうぞ!》


 空飛ぶバイクに乗ってショットガンを担いでいるのは、愛宕山太郎坊。


《月人は棒を振り上げ鴨川を打った。鴨川の水は赤く濁り、魚は住めなくなった》


 二丁拳銃を手にしているのは、白峰山相模坊。


《パシャパシャパシャ》


 カメラで辺りを撮りまくっているのは、売れ残りのてんぐるみの遠隔操作で参加した飯綱三郎。

 これら各山の天狗が、京都の空に一堂に会していた。


《変なのがおらんか?》

《三郎はリモート参加だとよ、行くぞ!》


 天狗たちはそれぞれの得物を手に京都タワーへ向けて突進する。

 タワー上空には、戦車に乗った月人たちが待ち構えていた。彼らは接近する天狗たちに気付き、矢やビームを撃ってくる。天狗たちは散開し、それらを避ける。


《太郎坊、エンゲージ!》

《高間坊、エンゲージ!》

《豊前坊、エンゲージ!》


 一部の天狗が武器を構え、月人と相対する。僧正坊も腰の刀を抜いて戦車に肉薄した。すれ違いざまに一閃。馬の足と御者の胴が一度に切られ、地上へ落下していく。僧正坊は止まらない。戦車を蹴って勢いをつけ、次の戦車に飛び乗り、乗り手の首を刎ねる。更に次の戦車へ跳ぶ。しかし戦車は方向転換し、僧正坊の足は空を切った。


「おっと」


 敵は動くものだ。そう連続して同じことができるわけがない。


「牛若め、本当に八連続もやったのだろうな」


 気を取り直して京都タワーへ向かう。


《行くぞ! 京都タワーまで一直線だ!》


 先行している天狗が叫ぶ。その時、法力による通信が天狗たちの耳を打った。


《散開しろ! タワーから狙われているぞ!》


 素早く散らばる天狗たち。そこにタワーからビームが放たれた。だが、一本ではない。降り注ぐ雨のように、無数のビームが天狗たちを狙う。


《くそっ、空が狭い》

《豊前坊、イジェクト!》


 避けきれなかった天狗たちが墜落していく。致命傷には至らないが、戦闘を続けられないほどの重傷だ。それが一度にあれほどの数で。僧正坊は戦慄する。


《僧正坊、FOX2!》


 振り返る。月人の戦車が槍を構えて突進してきていた。避けられない。やむを得ず、刀で受け流す姿勢をとる。


《ザッケンナコラー!》


 横合いから降り注いだ銃弾が戦車を破壊した。相模坊の二挺拳銃だ。


「感謝する!」

《聖戦には資金が必要だ。後ほど寄付を》

《おう、これが天狗の通信か! 僧正坊さんはいるかい!?》


 法力通信に人間の声が割り込んできた。僧正坊は知っている。強盗仲間の仙人、ファンの声だ。


《ファン、どうした一体!?》

《タワーに近付くなら気を付けろ! そいつは京都の霊脈を吸い上げて兵器転用してる! 最大出力だと山一つ消し飛ぶぞ!》

《なんだと!?》


 想像以上の凶悪兵器だ。まともに受けるわけにはいかない。


《弱点とかないのかい!?》

《連射ができない!》

《撃たれる前に撃てってことかよ! クソッ!》


 悪態をつきながらも天狗たちは戦い続ける。だが、月人は不死身だ。何度殺しても機械的に天狗たちの前に立ちはだかり、タワーに寄せ付けない。そうしている間に、地上の戦線が押されていく。


《三条駅、防衛線を突破された! 駅構内で交戦中! 救援を!》


 遂に三条駅が悲鳴を上げた。



――



「シャッター降ろせ! ホームまで下がれ!」


 負傷者を担いで走りながら、検非違使指揮官が指示を出す。無事な一人がレバーを動かし、防火シャッターが落ちる。そこへ月人が殺到する。間一髪、シャッターが間に合った。月人はシャッターを破壊しようと手持ちの武器で攻撃を始める。


「三条駅、最終防衛ラインを突破された! 駅構内で交戦中! 救援を!」


 通信機に向かって叫ぶ。返事はすぐだった。


《こちら二条城、状況は?》

「月人100体を埋めたものの、こちらは半分以上が戦闘続行不可能! 改札口を突破され、ホームに立てこもっている!」

《……予備戦力を送る! それまで持ちこたえてくれ!》

「いつだ!? 敵はもう目の前だぞ!」

《必ず送る!》


 通信が切れた。


「隊長、増援はいつ来ますか」

「……30分! 30分はなんとかして保たせろ! 動ける人間は全員武器を持て! 強化術を使えるなら、防火シャッターに術をかけ続けろ! シャッターが破られたら直ちに修復! だめなら隙間に術式を叩き込め!」


 矢継ぎ早に指示を出す。部下に考える時間は与えない。指揮官自身も考えたくはなかった。

 ビームが放たれ、シャッターに穴が空く。すぐに反撃が飛び、修復術によって穴が塞がる。それが幾度も繰り返される。検非違使たちは防戦しながら悲鳴を上げる。


「賦活の護符持ってる奴、貸してくれ!」

「ねえよ根性見せろ!」

「向こうから悲鳴が聞こえません!?」

「諦めろ、助からん!」

「嘘だろ撃たれながら突っ込んでくる!」

「噛みつかれたぁ!」

「ゾンビじゃないんだから」

「竹林大明神」

「それくらいで騒ぐな!」

「誰だ今の」


 指揮官が振り向くと、場違いな狩衣装束の平安貴族がいた。


「誰ぇ!?」

「竹林大明神、冥界参議・小野おののたかむら! 地獄から出向して参った!」

「地獄ゥ!?」


 うろたえる指揮官をよそに、竹林大明神は破られつつあるシャッターを指し示す。


「説明は後にしよう。作業開始!」


 すると、ホームの暗闇から巨大な影が現れ、シャッターに向かっていった。その姿が蛍光灯に照らされ、指揮官は目を見張る。

 鬼だ。金棒や蛮刀、斧槍を手にした鬼たちが、ゾロゾロと歩いている。彼らはシャッターを力任せにこじ開けると、向こう側にいた月人たちに武器を振り下ろした。たちまち、廊下が血の海になる。


「久しぶりの娑婆じゃあああ!」

「荒事だ、荒事だ!」

「やっぱ罪人じゃなくて生が一番だなあ!」


 鬼たちは文字通り鬼の形相で月人を叩き潰していく。それを見た検非違使たちは真っ青になるが、彼らは襲われない。分別がある。


「これは……一体……?」

「鬼です」

「それは見ればわかる。どうして鬼が地上に」

「いやあ、死後の世界を司る者としては、不老不死なんてものを野放しにはできないんだよ。

 しかも電話で詳しい話を聞いてみたら、月人が悪意を持って地上に攻め込んでいると来た。お上は大騒ぎになって、閻魔様に鎮圧するよう命じられた。それで私が地獄の現地指揮官としてやってきたわけ」

「は、はあ……?」


 検非違使たちが困惑している間に、鬼たちはどんどん月人を叩き潰していく。月人たちも抵抗しているが、地力が違う。槍を突き立てようにも硬い表皮に弾かれ、金棒を受け止めようにも桁違いの腕力で武器ごと叩き潰される。圧倒的な暴力に手も足も出ない。

 だが、月人は不死身だ。叩き潰されようと、粉微塵にされようと再生して立ち上がる。


「うわっ、地獄でもないのに再生するぞこいつら」

「気持ち悪い」


 流石の鬼たちもこれにはうろたえるらしい。僅かな動揺が広がる。

 その時、女の鬼が金槌を担いで飛び出した。手近な月人を金槌で叩き潰す。人体がありえない潰れ方をする。更に女の鬼は金槌を振り上げる。


「オラァッ!」


 渾身の力でもって振り下ろされた金槌は、床をクモの巣状に破壊するほどであった。その中心にいた月人だったものは、無惨な肉塊になって瓦礫の隙間に押し込まれている。再生しようと蠢いているが、馬鹿力で地面に埋め込まれていて全く動けない。


「再生するなら動けないようにしちまえばいいんだよ! ビビんな!」

「さっすが課長!」

「頭いい!」


 暴力的解決法を目の当たりにした鬼たちは、真似して実践し始める。三条駅の構内が次々と破壊され、その度に月人が瓦礫と一緒くたにされる。

 こうなるともう鬼は止まらない。シャッターを乗り越え、階段を昇り、次々と月人たちを戦闘不能にしていく。

 呆然としていた検非違使だったが、後ろから歩いてきた鬼にぶつかられて我に返った。今はやるべきことをやらなければならない。


「救護班は今のうちに負傷者の手当を! 他に動ける奴はついてこい!」

「何をするんです?」

「鬼を助けるんだよォーッ!」


 僅か5人だが、生き残りの検非違使たちも鬼の戦列に加わって、月人を封じる手助けを始めた。反撃のペースが上がり、遂に改札口まで押し返した。

 改札口とその外には、月人が充満している。200体は超えている。流石の鬼たちも若干面倒そうな顔をするほどだ。


「これが全部不死身ときたか。一体どんなからくりなんだ?」


 竹林大明神の問いかけに、検非違使指揮官が答える。


「詳しいことは難しいんですが、どうも月から操っているようで……」

「月かあ……」


 竹林大明神は頭上を見上げる。ガラスが嵌め込まれた天井を通して月が見える。


「なあ」

「なんだ」

「月が操っているのなら、?」

「え?」


 その言葉に、指揮官もつられて見上げる。

 夜空に浮かぶ満月が、闇に蝕まれていた。

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