Formula
森の中に美女の死体が転がっていた。右半身に強い衝撃を受け、押し潰されたかのような死体だ。口と鼻からは血を垂れ流し、瞳孔が開ききった目は空を見上げている。元が人だった、と言われてもにわかには信じがたい損壊具合なのに、それでも美しさは損なわれていない。奇妙な死体だった。
不意に、死体が大きく跳ね上がった。ぐちゃぐちゃ、めきめき、とおぞましい音を立てながら、死体が人の形を取り戻していく。砕けた骨が、千切れた肉が、ひとりでに繋がっていく。流れ出ていた血が、逆再生するかのように体の中へ戻っていく。瞳が焦点を取り戻し、夜空に浮かぶ満月を直視する。
「ややわあ、ほんま」
呆れた声を出して、死体だった美女――瑠那は身を起こした。服こそ無惨になっているものの、その体にはかすり傷ひとつ残っていない。かつて口にした『不老不死の薬』の効能であった。
瑠那は状況を確認する。さっきまで自分がいた祭壇が、完全に破壊されていた。まるで砲弾を撃ち込まれたかのようだ。実際に撃ち込まれたのは丸太だが。
そんな事をしでかした重機は今、『橋姫』が乗る重機と格闘戦を繰り広げている。更にその周りには月人が展開し、マチェットの男を相手取っている。
「なんやこれ」
邪魔は入ると考えていた。だが、こんなパワー極振りの邪魔は予想できなかった。あまりの展開に瑠那は唖然として呟くしかなかった。
それでも、そうしていた時間は5秒程度だろう。瑠那はすぐに気を取り直し、周りの地面に目をやった。目当てのものは近くに転がっていた。古びた小さな壺。『不老不死の薬』。拾い上げる。壺は割れていない。無事だ。
「まあ、アレで解けても、なあ」
丸太の砲撃で封印が解けたら、何のために祭壇を組んで、橋姫に霊力を注ぎ込んでいたのかわからなくなる。
「せやけど祭壇は壊れてもうたし、橋姫はんも頭に血が上っとるし。やり直しかもしれへんなあ」
瑠那がそう呟いた時であった。
「瑠那……?」
後ろから声を掛けられた。瑠那が振り返ると、そこには白衣を着た女性が立っていた。
八雲楓。瑠那の幼馴染だ。
「おやぁ、楓ちゃん。どしたの、こないなとこで?」
「だって、瑠那が、危ないって」
楓は目に見えて動揺している。それは瑠那の服がボロボロになっているせいか、それとも『不老不死の薬』を持っているせいか。木々の向こうの乱闘を見て平然としているせいか。
いずれにしろ、今の瑠那にはどうでもいい。
「なあに、心配して駆けつけてくれたん? 嬉しいわあ、やっぱ楓ちゃんはウチの親友やね」
笑顔を浮かべて歩み寄る。瑠那としては最大限の行為を示したつもりだったが、楓は怯えた顔で一歩下がってしまった。
「嘘……嘘だ!」
「何が?」
「瑠那がそんな悪いことをするはずがない! 私たちを騙して、強盗を使って『不老不死の薬』を手に入れようとするなんて……!」
「ああ、それは違うで、楓ちゃん」
瑠那の言葉に楓はホッとした表情を浮かべる。だが、続く言葉で凍りついた。
「強盗はむしろウチの邪魔をしてたんや。期待させてしまって、堪忍え?」
酸素が足りない金魚のように、楓は口をぱくぱくさせる。普段は理知的な彼女のそんな表情を見るのは初めてで、瑠那はくすり、と笑ってしまった。もっと彼女の変わった様子が見たくて、ついつい喋らなくていいことも喋ってしまう。
「ついでに言うとな。騙したのは今日だけやないで。生まれた時から……ってのはちょっと違うか。4歳の時、楓ちゃんのお父さんがウチをUFOの側で拾った時から、ウチはずーっと皆のことを騙してたんや。
この島のどこかにある『不老不死の薬』を手に入れるためにな」
案の定、楓の顔色は真っ青になった。そのまま倒れてしまうかと思ったが、楓は気丈にも耐えて、言葉を紡ぐ。
「なら……私の、私たちの友情も嘘だったと言うのかい?」
「うーん、それはちゃうで」
誤解だ。瑠那は楓に何の感情も抱いていなかった訳ではない。
「むしろ、楓ちゃんだけは特別やと思ってたんやで?」
「特別?」
困惑する楓の足に、光の帯が巻き付いた。
「ッ!?」
帯は楓の足を厳しく固定し、その場から動けないようにする。楓はとっさに
「だってねえ。これが通じるの、この星じゃ楓ちゃんだけやもの」
「何だ、これは……隙間そのもの……!?」
「楓ちゃんはそう読んでるけどな。アンドロメダじゃあ
情報の状態を変動、確定させる非物質要素……この星の文明レベルでわかるように言うと、量子の状態を確定させる観測者、が近いかねえ。
楓ちゃんは隙間に潜る、なんて言い回しをしてたけど、それ、本当は楓ちゃんの情報を変動させて、量子テレポーテーションしてただけなんよ?」
楓は目を白黒させている。無理もない。この星ではまだ到達していない科学理論だ。理解できないだろう。
だが、楓は理論を知らずとも、その理論に基づいた行動を取っている。直感的にゆらぎを操っている。
「だから、特別なんよ」
動けない楓の前に、瑠那は手をかざす。そこに、ふわりとした無縫の布地が現れる。
それを見たほとんどの人間は、羽衣と思うだろう。神々しい輝きから、あるいは『竹取物語』から連想して『天の羽衣』と呼ぶ人間もいるだろう。
本質は、違う。
「これねえ、
数式。量子状態を定義する情報そのものである。それがいかなる手段か、物質のように振る舞い『天の羽衣』という形を取っている。
この星の人間なら、だからどうした、と思うだろう。だが、楓は特別だ。
「……ッ!? やだ、やだやだやだッ!」
気付いたようだ。この数式が導き出す解を。それこそが、瑠那が、いや、全ての月人を定義する
「そんなに嫌がることはないやろ。楓ちゃんもウチらと同じになるんやから。ああ、痛かったりはせえへんよ? 一瞬やさかい、目でも瞑っとりや」
楓は必死に逃げようとするが、存在を観測されていて身動きがとれない。
いよいよ羽衣が肩にかかろうか、という時になって、場違いに明るいメロディが辺りに鳴り響いた。プリセットの3番。瑠那のスマホの着信メロディだ。
「なんや、ケッタイな……」
無視しようと思った瑠那の脳裏に引っかかるものがあった。誰が電話をかけてきているのだろうか。もしも仕事の――あるいは、瑠那の力を頼る人間からの電話ならば、無碍にはできない。
スマホの画面を見ると、見覚えのない番号が出ていた。誰だ。電話に出る。
「もしもし?」
《もしもし、私メリーさん》
瑠那の背後に、突然気配が現れた。
「今、あなたの後ろにいるの」
振り返る間もなく、瑠那の頭にチェーンソーが突き刺さった。回転刃に掻き回された脳から血飛沫と脳漿が吹き出す。
力なく倒れた瑠那を見下ろすのは、他でもないメリーさんであった。
「メリー……さん……?」
「何、捕まったの? なっさけないわね!」
そう言って、メリーさんはチェーンソーを振るい、楓の足を封じていた光の帯を切り払った。自由を取り戻した楓は、ふらふらと足元がおぼつかない。
「何フラフラしてるのよ。早く逃げるわよ」
「え、でも、瑠那が……」
「あんたバカじゃないの? 敵なんだから、こんなの放っておいて……」
振り返ったメリーさんの口が止まった。頭を割られた瑠那の体が動いている。地面に手をついて起き上がろうとしている。
びっくりしたメリーさんは、反射的にチェーンソーを振り下ろした。瑠那の首が切断されて吹き飛ぶ。
「なんで動いてたの……あれで生きてたの!?」
「不老不死……!?」
「なんですって!?」
慌てて視線を戻せば、首を失った瑠那の胴体が立ち上がり、地面に落ちている壺を拾おうとしている。メリーさんは胴体にチェーンソーを突き込み、瑠那の胴体を横倒しにすると、『不老不死の薬』の壺を拾い上げた。
「はい!」
それをメリーさんは楓に投げ渡す。
「えっ、わっ!?」
楓は慌てながらもなんとか受け取った。
「逃げて! 私、それ持ったままだとワープできないから!」
「い、いや、私にもできない」
「嘘でしょ!?」
メリーさんと楓が顔を見合わせる。
「しつけがなっとらん子やねえ」
そこに瑠那の声が響く。二人が振り返ると、吹き飛んだ瑠那の首がひとりでに転がって、自分の体を目指していた。
「逃げるわよ!」
「どうやって!?」
「走るのよ!」
二人は駆け出した。メリーさんが振り返ると、瑠那の首は元通りになっていた。悠然と立ち上がった瑠那が、メリーさんに手をかざす。嫌な予感がしてメリーさんはその場を飛び退いた。直後、瑠那の手からビームが放たれ、地面を抉った。
「嘘でしょ!?」
手からビームを撃ってくる不死身の敵。最悪だ。幸い狙いは甘かった。走っていれば当たりそうにない。問題は逃げ切れるかどうかだ。ワープができるならともかく、『不老不死の薬』を抱えている現状、走って逃げるしかない。そしてメリーさんも楓も体力に自信はない。
一か八か、翡翠たちが暴れている戦場に飛び込むか。そうメリーさんが覚悟した時。
「みーつけたぁ」
上から声が降ってきた。
直後、何かが高速で地面に落ちてきて、砂煙が舞い上がった。メリーさんも楓も、瑠那も顔を覆う。
煙が晴れると、そこにはひとりの少女が立っていた。亜麻色の髪、金色の目、イチョウ色の着物。ただの少女ではない。獣耳と3本の尻尾を生やし、唇の隙間からは牙のような八重歯を覗かせている。メリーさんは彼女を知っていた。
「ヤコ!?」
「あれー、メリーさんじゃん? どうしたのこんな所で」
驚くメリーさんに対し、ヤコは手をひらひらと振ってみせる。
そこにビームが撃ち込まれた。顔面に光線を受け、ヤコの体がのけぞる。瑠那は手を緩めず次々とビームを放つ。ビームが次々とヤコの小さな体に叩きつけられる。
それだけだった。最初の一撃以外、ヤコの体は微動だにしなかった。腕を掲げることもしない。
不意に、ヤコが動いた。ビームを真正面から受けながら、それをものともせずに直進。瑠那の目の前に辿り着くと、大地を踏みしめ手刀を放った。揃った5本の指が瑠奈の体を貫いた。
「ちょっとさあ、話してる途中に割り込まないでほしいんだけど?」
「すまんなあ」
腹を貫かれながらも平然としている瑠那。その態度を訝しむ前に、瑠那の手がヤコの顔にかざされ、青白い光を放った。至近距離からの高出力ビームに、さしものヤコも後ろに二、三歩下がってしまった。
腹から腕が引き抜かれた瑠那は少しよろめくが、すぐに傷が塞がり立ち直る。一方、顔にビームを受けたヤコもさしてダメージを負っていない。
「ウチも立て込んどるさかい、野良犬の相手なぞしてられんから、どっか行ってくれへん?」
「やだねえ、犬だなんて。こんなに可愛い狐なのに」
人の形をしたバケモノ2匹の会話に、メリーさんと楓は戦々恐々とするばかりであった。
しばらく睨み合いを続けていた瑠那とヤコ。事態が動いたのは、木々の間を駆け抜けて武装した月人たちが駆けつけてきた時だった。月人たちはためらうことなく、槍を構えてヤコに殺到する。
ヤコは垂直に飛び上がって槍を避けた。空中のヤコへ向けて、瑠那がビームを放つ。ヤコは両手を振ってビームを弾いた。空中でくるりと一回転して、大きく口を開ける。
「丸かじりだよっ」
ヤコの顎が、瑠那と月人たちをまとめて噛み砕いたように見えた。メリーさんと楓が思わず目をこすると、そんな事はなく、地面に倒れた瑠那たちと、着地したヤコが普通にいた。
「えっえっ」
「何……今の……?」
戸惑う二人にヤコがニコニコ笑いながら近付いていき、手のひらを上に向けて突き出した。
「ねえ、メリーさん。その薬、ちょうだい?」
「や、やだ。これ、他人に渡しちゃいけないやつだもん」
メリーさんは怖気を覚えて壺を抱えこむ。
「大丈夫、大丈夫。ボクが使っても意味ないし。預かるだけだよ」
「怪しいからイヤ! 大体あなた、なんでここにいるのよ! あの教授はどうしてるの!?」
「明なら……えーと、どっかに……」
ヤコはキョロキョロと辺りを見回す。そして森の向こう、戦場の一角に目を留めた。
「ええ……」
困惑している。メリーさんも釣られてそっちを見る。
ショベルカー同士がぶつかり合って、スーパーロボット大戦を繰り広げていた。
「あれ?」
「あれぇ……?」
ちょっとよくわかんない状況に、ふたりして首を傾げるしかなかった。
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