Moon altar
夜より暗いと言われる貴船の森は、真夜中になれば一寸先も見えない常闇と化す。だが、瑠那が立っている場所だけは、月明かりに煌々と照らされていた。
「月を見上げてこないに胸が高鳴る日が来るなんて」
素敵やわあ、と瑠那――否、『かぐや姫』は笑う。
彼女の周りの森は切り開かれ、即席の祭壇が作られていた。周りの森から切り出した材木で作った即席の祭壇は、無数の篝火で煌々と照らされている。
神域の森を切り開く行為は、神の怒りに触れることだ。ましてや貴船の
祭壇には古めかしい壺が置かれていた。『不老不死の薬』。千年前、かぐや姫がこの地上に持ち去り、隠していた月の秘宝だ。これを失ったせいで、月人は数を増やすことができなくなった。だが、それも今日で終わる。
周囲では月人たちが粛々と儀式を進めている。邪魔者が入ることも勘定に入れて、多めに連れてきている。一様に、ぴたりと整列して、無駄口は一切叩かない。
「うぐぐ……」
その中に不愉快なうめき声が混じる。瑠那の後ろにいる橋姫のものだ。彼女の左手首はすっぱりと斬り落とされていた。止血は施しているが、痛みは抑えられない。
薬を持ってきた橋姫がこうなっていたのに、瑠那は少々驚いた。話を聞いてみると、薬を横取りして逃げると途中、チェーンソーのプロに斬られたらしい。
無様やわあ、とかぐや姫は内心で考えているが、口にはしなかった。彼女にはまだ使い道がある。
「あのチェーンソーのプロめ……よくも、よくも私の腕を……!」
橋姫の呻きは痛みによるものではない。怒りによるものだった。左手を斬り落とされた事に対する復讐の念に取り憑かれ、緑色の瞳を爛々と輝かせている。
『橋姫』はそういう怪異だ。ひとたび心に火がつけば、怒りで周りが見えなくなる。
かつて平安京を恐怖に陥れた時も、嫉妬にかられて恋敵の女を殺し、想い人の男を殺し、ふたりの親族を鏖殺し、その果てに人間ならば誰彼構わず殺す鬼になった。当時の検非違使と陰陽師が橋姫を封じたものの、その狂った心まで封じることはできなかった。
千年の時を経て怒りは熟成され、今は京都市となった平安京を焼き尽くそうと望むほどになった。
愚かだが、瑠那にとっては動かしやすい手駒だ。チェーンソーのプロに手傷を負わされたのは予想外だったが、これはこれで怪我の功名。復讐に心を奪われている。
「さっきは運ぶものがあったから不覚を取ったけど、次は容赦しない。全力の丑の刻参りでぶっ殺してやる……!」
「粋がるのはええけど、大事な仕事は忘れんといてね? せっかくここまでお膳立てしたんやから」
瑠那たちの第一の目的は、『不老不死の薬』の封印を解くことである。
「……あなたじゃ開けられないの? 自分でかけた封印でしょう?」
「それがね。ウチじゃ開かないのよ。だからこじ開けておくれやす」
当初は『かぐや姫』が開けようとしたが、封印は反応しなかった。そこで次善の策、貴船神社の力を奪った橋姫が、神威を以て封印を叩き割るという方法に切り替えた。
祭壇には神域の霊力が蓄えられており、儀式が終われば橋姫の『道具』に注ぎ込まれるようになっている。
「わかったわよ。機材を持ってくるから、待ってなさい」
そう言うと、橋姫は森の奥に引っ込んでいった。その後姿を見ながら、瑠那はあることを考えていた。
このまま行けば、順当に勝利できる。薬の解放は目前だ。残る不確定要素は銀行強盗たちが直接ここに攻め込んでくるかどうかだけ。だが、そうしても相手の勝ち目は薄い。この場の守りは不老不死の月人たちで固めている。たかだか怪異数体で突破できるはずがない。
何事もなく、当然のように勝つ。不確定要素が最大の乱数を弾き出したとしても、それを飲み込んで勝利する。戦略とはそういうものだ。何の邪魔もなく儀式が完成するという結果は、最初から決まっていたことだ。しかし。
「つまらんなあ」
盛り上がりに欠ける。長きに渡る陰謀の果てはこんな順当な結末だったかと、瑠那は退屈していた。
「そんなに面白くしたいのか、
答える声があった。
瑠那と月人たちは一斉に目を向ける。切り開かれた森の端、奥宮に通じる小道に、一人の男が立っていた。黒いジャケットを羽織り、手には大ぶりのマチェットを携えた、黒い髪の男だ。
「昔のお前は面倒事を避けていたのだがな。月で暮らすうちに性格が変わったか?」
まるで瑠那を知っているような口振りだ。しかし、瑠那はその顔に覚えがない。よく観察すると、同じ背格好の人物が思い浮かんだ。
「ああ、誰かと思えば強盗の。兎のマスクがなかったからわからんかったわ」
瑠那に対抗して『宇治の宝蔵』を襲った銀行強盗の一人。兎マスクの怪異だった。もっとも、今は兎マスクを被っていない。獲物を狙う鷹のように、黒く鋭い瞳が顕になっている。
「あんさんがたが宝蔵の白龍を食い止めてくれたおかげで、望みのものが手に入ったわ。おおきに」
「なぜこんな事をする、チャン」
「なぜって、ねえ?」
瑠那はあざ笑う。
「月が滅ぶって時に、なりふりなんて構ってられへんやろ?」
「そのために、異国とはいえかつて過ごした地上を侵略するのか?」
「せやで」
男は深い溜息を吐き出し、マチェットを構えた。
「お前は言っても聞かないからな。わかってた。力ずくで止めさせてもらう」
「そ。なら、ウチらも力ずくで止めさせてもらいましょ」
瑠那は両手を打ち合わせる。その音に応じて、潜んでいた20人の月人射手が、男に向かって矢を放った。前後左右から矢が迫る。避けられるはずがない。
男は前へ踏み込んだ。そして眼前に迫りくる矢をマチェットで切り払った。弾かれた矢が宙を舞う。その時既に、男は前方の月人の群れの中に飛び込み、マチェットを振るっていた。間近にいた3体の月人が体を両断されて倒れる。
瑠那の口から、くす、と笑いが漏れた。月人は不死身だ。刃物で斬られたくらいどうという事はない。傷がすぐに再生して、立ち上がる。
だが、その時既に男は瑠那へ向かって前進していた。速い。月人射手が二度目の矢を番える暇もない。瑠那との間に立つ月人たちが、剣や槍を構えて立ち塞がる。男は足を緩めることなく、槍衾の中へ飛び込む。研ぎ澄まされた槍の穂先を月人の腕ごと切り捨てる。無防備になった月人を殺しながら、男は駆け抜ける。
遂に男は防壁を突破した。守るものがいなくなった瑠那の頭を狙って、マチェットを振り上げる。それに対して瑠那は薄笑いを浮かべると、右手を掲げた。
男の瞳が訝しげに細められ、続いて見開かれる。そして男は攻撃を中断して、真横に跳んだ。瑠那の手から青白い光線が放たれ、後ろに生えていた木を焼いたのはほぼ同時だった。
「これ避けるんか」
瑠那は驚いた。挑発ではない。本心からだ。今放ったのは紛れもなく光線、飛翔速度は光と同等である。見てから避けられるものではない。この男は、瑠那の動作から攻撃を推測して、撃たれる前に動いたようだ。
だが、避けたことで男は攻撃の機会を失った。復活した月人たちが、素早く瑠那と男の間に割って入り、防御陣形を作り上げる。男はマチェットを振るって突破しようとするが、死を取り除いた月人たちの防壁は分厚く、容易くは破れない。
「これは、埒が明かんな」
「どうする? ぶぶ漬けなんて気の利いたもんは用意してへんよ?」
「食事ならさっき済ませた。必要ない」
「いけずやねえ。まだまだ元気そうで何よりやわ」
「何、そこまで気張る必要はない。俺はお前の企みが止まるなら、それでいいんだ」
不意に、辺りにエンジン音が響き渡った。工具ではない。もっと重い。パワー溢れるディーゼルエンジンの駆動音だ。
「俺以外の誰かが止めたとしても、な」
次の瞬間、森の奥から飛んできた巨大な丸太が祭壇に突っ込んだ。
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