げに恐ろしきは女の怨念 後編

 チップソーカッターはあっという間に警備室のドアを破壊した。そして、それをもった誰かがドアの残骸を蹴破って中に入ってきた。

 これは間違いなく殺しに来てるって思ったから、俺もチェーンソーのエンジンを掛けて迎え撃った。


「なんだコラァッ!」


 振り上げたチェーンソーが、振り下ろされたチップソーと鍔迫り合いになって火花を散らした。そこで初めて相手の顔を見た。まあ、予想通り小高さんだったんだけど、見た目がさっきまでと全然違った。頭から血を流してるし、折れた手足から骨が飛び出してる。まるでゾンビだった。


「うお、お……!?」


 それなのに力だけは異常に強い。こっちが受付の窓にまで押し込まれる程だった。かかとが窓の側の椅子に当たった時はヤバいと思ったよ。

 だけど俺だって一端のチェーンソーのプロだ。足を踏み締めて、その力をチェーンソーに伝えた。チェーンソー発剄だ。大砲のような衝撃を受けて、小高の体が吹っ飛んだ。


 そのままたたっ斬ろうとしたけど、体が動かなかった。腰のあたりを何かに掴まれていた。振り向くと、いつの間にか受付の窓が開いていて、そこから伸びた手が俺の腰のベルトを掴んでいた。

 窓の向こう側に血まみれの女が立っていた。両目がおかしな方向を向いてたな。カッと見開いて……っていうか、眼球が飛び出してたかもしれない。

 反射的に肘打ちを放ってた。窓ガラスが割れて、女の顔に肘とガラスが突き刺さった。怯んだ女はベルトから手を放した。


 その時に、さっきの小高の話を思い出した。不倫で揉めて殺された女の幽霊。それがコイツなんじゃないかって。どういう訳だか知らないけど、小高を襲ってゾンビにした上に俺も殺そうとしてるらしい。手当たり次第か。いや確かに手当たり次第だったな。社員の奥さんも会社も襲われてるらしいし。大迷惑だ。


 チップソーの音が近付いてきた。正面に向き直ると、立ち上がった小高が斬りかかってくるところだった。さっきの鍔迫り合いでパワーはわかってた。正面から受けたらヤバい。だからチップソーにチェーンソーの刃を当てて受け流した。そして、すれ違いざまに小高の腹に膝蹴りを叩き込んだ。普通の人間なら悶え苦しむところなんだけど、小高はまったく怯まない。すぐに立ち上がって襲いかかってくる。これで人間じゃないと確信できた。だから遠慮なく殺すことにしたんだ。

 横に振るわれたチップソーを下がって避け、同時にチェーンソーを振り上げる。チップソーを持った小高の手首が吹っ飛んだ。返す刃で小高の首を斬る。血まみれの小高の頭はあっさり首から離れた。パワーはあったけど、バカみたいに突っ込んでくるだけだったからな。動きがわかりやすかったよ。


 だけどもう一人いた。小高を殺したすぐ後に、受付の窓に体をねじ込んで、血まみれの女が部屋の中に入ってきた。こっちもチップソーを持ってた。

 振り下ろされたチップソーを避けると、そこにあった机が真っ二つにされた。俺は横に回り込んで、女の脇腹へチェーンソーを突き出した。当たったんだけど血が流れない。こいつも真っ二つにするしかないな、って思ったよ。

 女はチップソーを棒切れみたいにめちゃくちゃに振り回してた。動きは素人だから当たるわけないけど、狭いところでやるもんだから危なくてしょうがない。

 そこで俺は、置いてあった椅子を蹴っ飛ばした。キャスター付きの椅子が女の足に当たった。それでバランスを崩した女の動きが一瞬止まった。

 その隙を逃さず、俺はチェーンソーで女を頭から一刀両断にした。ただ、怨念ってのは凄いもんでな、頭を真っ二つにされたのに、俺に向かって手を伸ばしてきたんだ。

 それほど不倫相手に裏切られたのが憎かったんだろうな。だけど、そんなの俺に訴えられても困る。


「家裁に行け!」


 そう言って、俺は女の首を切り飛ばした。それで女はようやく動かなくなったよ。

 だけど面倒くさいのはこっからだった。まず、暴れまわったせいで警備室の中がメチャクチャだ。窓もドアも壊れてるし、椅子も机もロッカーも斬られてる。おまけに死体がふたつ。俺が犯人だと疑われても仕方ない。実際、正当防衛とはいえやったのは俺だし。

 ただ、そこで気付いた。死体が無い。小高のも事務員のも無くなってる。幽霊だから消えたのか? でも小高はさっきまで生きてたよな? いろいろ考えてみたけど、もう訳がわからないからバイト先の上司と警察を呼ぶことにした。


 警察がすぐに来て、それから少しして上司の宮下さんがやってきた。宮下さんは警察に事情聴取されてる俺を見つけて駆け寄ってきた。


「おいっ! 大丈夫か!? どうした!? 何があった!?」

「いえ、大丈夫です。なんか襲われて……」

「外部の人間が押し入ったそうです。今、監視カメラを確認しています」


 それで、警察の人が宮下さんに詳しく事情を説明してくれた。

 説明を聞き終わると中村さんが訊いてきた。


「小高はどこにいる? どこに行った?」

「いやそれが、なんかもうよくわからなくて……」

「モニターには映ってないのか? モニター見ればいいだろ?」

「今、部下が画面を繋ぎ直しています」


 警部が答えた。さっきの戦いでモニターがいくつかぶっ壊れたんだよ。

 それでモニターが映るようになったから、俺たちは映像を確認した。小高が部屋に押し入ってきた時は真っ黒になってたはずなんだけど、跡形もなくきれいになってた。

 録画した映像を逆再生してると、宮沢さんが声を上げた。


「止めろ! ……おい……これ……小高じゃないか!」


 ドアが叩かれてる時間。そこにいたのは確かに小高さんだった。


「大鋸さん、小高さんをどうして部屋に入れなかったのですか?」

「なんか足音がおかしくて……それに、ドア越しに小高さんか訊いても、返事が無かったんですよ」

「でもどうして小高は鍵を開けないんだ? 自分で持ってるだろ?」


 3人揃って疑問に思っていると、小高は本格的にドアを殴り始めた。みるみるうちに金属製のドアがへこんでいく。


「なんだよこれ……」


 宮下さんは絶句している。それと、警部が気付いた。


「怪我してませんか、この人」


 確かに。よく見れば手足が変な方向に折れ曲がってた。あれじゃ歩くのも無理なはずだ。それがむりやり体を動かしてた。

 どういうことだ、と俺たちが混乱してると、小高はどこからともなくチップソーを取り出して、扉をぶち破った。それから、ドアの向こうに、乱闘してる俺と小高の姿がたまに見切れるようになった。やっべ、証拠残っちゃってる。


「おい! これなんだ!?」

「せ、正当防衛……」

「違う! こっちだ!」


 宮下さんが言ってたのは別のモニターだった。受付前を映してるカメラだ。そこに、ビルの裏の方からチップソーを持った女がカクンカクンと近付いてきた。そいつは大事故に遭ったみたいに、体がぐちゃぐちゃになっていた。それを見て俺は叫んだ。


「こいつだ! こいつが受付から入ってきた女だ!」


 俺が言った通り、女は受付の窓をぶち破って中へ入っていった。


「おい! なんだよこれ!? どうすんだよ!? 警察呼ぶか!?」

「もういます!」


 パニクる宮下さんに対して警部さんが呼びかけるけど、こっちもちょっとビビってるみたいだった。

 ただ、俺は俺で気になってることがあった。


「すいません! モニターを1時まで戻してください!」


 小高と女が乱入してきたことは、身を以て知ってる。俺が知りたいのは、最初に小高がいなくなった時のことだ。

 モニターには1時の各階の映像が出ていた。ちょうど、見回りを終えて警備室に戻る俺が映ってた。しばらくすると警備室から小高が出てきて、エレベーターで4階に行った。

 真っ黒だったはずの4階のモニターには普通に映像が映ってた。エレベーターが開くと、小高が降りてきた。その後ろにあの女がいた。


「ひっ」

「うわ……」


 小高は監視カメラを覗き込んで、異変がないか確認してた。背中に張り付いてる女に気付かずに。カメラが近すぎて目玉が飛び出した女の顔がハッキリ映ってた。

 確認を終えた小高は、女を背負ったままエレベーターに乗った。

 次に現れたのは7階だ。エレベーターに乗る前と違って、小高は明らかに様子がおかしかった。女を背負いながらフラフラと歩いて、非常階段のドアから外へ出ていった。

 ちょうどその時は、俺が警備室から出て4階に行ったところだった。強盗が入ったんじゃないかって思って、小高を探しに行った時だな。4階で小高を探してるけど、見つかるわけがない。

 そしたらどういうわけか、小高が1階の非常階段の方からやってきた。そして警備室に入っていった。


「階段を降りてきたのか?」

「鍵掛けてんでしょ」


 俺の指摘に宮下さんは口をつぐんだ。

 何がなんだかわからないでいると、警官のひとりがやってきて、俺たちとモニターを見ていた刑事に話しかけた。


「警部! もうひとりの警備員が見つかりました!」

「どこにいた?」


 すると警官は、警備室の天井の隅を指差した。


「そこの非常階段脇の張り出しで倒れていました。階段から転落したようです。おそらくもう……」


 警部はモニターを見た時点で覚悟してたんだろう。唇を噛みしめるだけだった。ビビったのは俺らの方だ。その張り出しって、例の事務員が落ちて死んだ場所なんだから。


「お、同じだ……」

「同じって、やっぱあの事務員の?」

「なっ、君も知ってたのか!?」

「はい。さっき、小高さんから聞きました」


 それでさっき小高から聞いた話を宮下さんにもしたんだ。どういう訳か、俺が話し出すと宮下さんは怪訝な顔になった。それからだんだん顔が強張っていって、俺が話を終えた頃には真っ青になっていた。


「どうしたんです?」


 様子がおかしいから聞いてみると、宮下さんは青い顔で答えた。


「……その不倫してた社員って、小高のことだよ」

「は?」

「俺と小高は前の会社も同じだったんだ。このビルに入ってて、倒産した会社だよ。あの人が自殺する前、小高と喧嘩してたのを見た覚えがある。凄い剣幕で怒ってて、小高に聞いてもはぐらかされるばっかりだけど……そうか、不倫してたのかあいつ……」


 宮下さんは呆然としてたけど、不意に我に返って質問してきた。


「待て。でも、どうして小高はそんな事言ったんだ? あいつが犯人だったら、キミにそんな事を喋るわけがないだろう? 社員に殺されたなんて噂の話はしないで、飛び降り自殺をしたって話にするはずだ」

「わからないですけど……」


 ひとつ、思い当たる可能性があった。


「俺が話を聞いたのは、小高さんじゃなかったのかもしれません」

「なんだと?」

「その話を聞いたの、小高さんが7階の非常ドアを出ていった後なんですよ」


 多分だけど。7階で女を背負った小高は、そのまま非常階段を出て飛び降りて死んだ。その後に警備室に戻ってきて、俺に前の会社の噂話をしたのは、怪異だったんだろう。あの女が小高の姿を借りて話してきたのか、それとも怪異になった小高が俺に話しておきたかったのか。

 どっちにしろチェーンソーでバラバラにするしかなかったんだけどな。襲いかかってくるほうが悪い。


 俺の事情聴取が終わった後は、警察が現場検証をやった。そしたら、非常階段の手すりから小高の指紋と靴の跡が出た。警察は、小高が自分で乗り越えたって事で、処理しようとしていた。

 怪異の事を馬鹿正直に報告するわけがない。だから、自殺で済ませることには納得してたけど、一応警部に聞いておいた。


「この女が突き落としたって考えないんですか?」

「いやあ……まあそうなんでしょうけど、これを報告書に書いたら出世終わるし……」

「ですよね……」

「それにこれ以上被害者は出ないでしょう。バラバラにされたんだし……あと、詳しく書くとなると、貴方がチェーンソーを持って暴れてたことも供述書に書かないといけなくなりますけど」

「自殺でお願いします」


 完全にカメラに残っちゃってたからな。正当防衛で相手が人間じゃないってことで大目に見てくれたけど、本当に危なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る