肉人

「怪異の観測……?」


 妙なことを言い出した物理学者に対して、紫苑は困惑しながら聞き返した。


「この世の怪奇現象の9割……いや、99%は既存の物理法則で説明できるものだ。『ネッシーが流木の見間違いだった』、『ブロッケンの妖怪が霧に投影された影だった』、というようにな。

 だが、見間違いでも、作り話でもないにもかかわらず、既存の物理法則では説明……否、観測すらできない事物が存在する。それが怪異だ。私はこれを観測し、証明しようとしている」

「証明って……そんな事が可能ですの?」

「そこが難点だ。怪異を観測する際、共通認識を持つ人間には観測も干渉も可能だが、共通認識を持たない人間には観測できないし作用もしない。

 平易な言葉で表すと『怪談を知っている人間は幽霊が見えるし襲われる』が『怪談を知らない人間は幽霊が見えないし襲われない』という事になる。

 この性質について私は作用する対象が所持している情報の有無によって振る舞いを変える未知の素粒子が存在すると仮説を立てている。この素粒子を私は便宜上マクスウェル素粒子と呼んでいるが……」

「あ、あの、すみません。一般人にもわかりやすく……」


 頭から煙を出している紫苑が頼むと、九曜院は一旦口を閉じた。少し考えてから、まるでボールを持つように手のひらを上に向けた。


「例えばここに、ボールの怪異があるとする」

「何もありませんが?」

「そういうことだ」

「はい?」

「私はこの『ボールの怪異』という情報を持っているから、ボールが視えている。だが、『ボールの怪異』という情報を持たない君たちにはボールが視えない。これと同じことが原子レベルで起きている、というのが私の仮説だ」

「つまり……幽霊はそれを知っている人間にしか視えない細胞でできている、と?」

「細胞レベルか素粒子レベルか、それは観測が確立しないとわからないがな。私はこれを科学的に証明したいんだ」


 わかったような、わからないような。難しい話をまくし立てられて、紫苑はオーバーヒートしている。


「……おかしいでしょう」


 一方、沙也加は何か引っかかったようだ。


「准教授、あなたの仮説では、怪異を知っている人間しか怪異を見られない、と言っていますよね?」

「そうだ」

「なら、やはりおかしいでしょう。それ、


 九曜院は何も言わずに目を細める。沙也加は更に言葉を続ける。


「准教授。あなたは怪異を見たことがあるんですね。だから怪異の研究なんてやってるし、私たちが『のっぺらぼう』を見たという話も信じた」

「そうなんですの!?」


 沙也加の指摘に紫苑がすっとんきょうな声を上げる。

 指摘された九曜院は曖昧に首を振った。


「見た、と言うのは少し違うな」


 そして、紫苑と沙也加の向かい側、誰も座っていないソファに目を向ける。


「今も見えている」


 九曜院につられて、紫苑と沙也加は向かいのソファに目を向けた。


「やっほー」


 一瞬前まで誰も居なかったはずのソファに、子供があぐらをかいて座っていた。イチョウ色の着物を着て、狐耳と尻尾を生やしている。どう見ても、普通の人間ではなかった。


「ひゃああああ!?」

「えええええっ!?」


 紫苑と沙也加は驚きのあまり身を反らせる。その勢いでソファがひっくり返った。


「オ゛ア゛ーッ!?」

「そんなに驚くか?」


 九曜院が呟く。すると、研究室のドアが開いた。


「何事ですかっ」


 隣の部屋の女助教だった。彼女はひっくり返っている紫苑と沙也加を見て困惑する。


「……何事ですか……?」

「いえ、あの、びっくりしてしまって……」


 ひっくり返ったまま紫苑が答える。教授は部屋を見渡し、首を傾げた。


「一体何が……?」


 そしてドアを締めて自分の部屋に戻っていった。

 その様子に、ひっくりかえったままの紫苑は不可解なものを覚えた。間違いなく驚くものが、すぐそこにあったはずだ。


「もしや……あの子が見えていませんの?」

「かもしれないわね」


 ひっくりかえったままの沙也加も頷く。助教はソファに座っている狐っ娘が見えていなかったようだ。


「君達、とりあえず起きたらどうかね?」


 九曜院に言われて我に返った紫苑たちは、立ち上がってソファを元に戻し、座り直した。その様子を、向かいのソファに座っていた狐耳の少女はニヤニヤ笑いながら見つめている。


「あの、教授。この子は?」

「ヤコだよ、よろしくー」

「『管狐』の怪異だ。もうわかっているとは思うが、隣の助教はヤコが見えない。だが我々には見ることができる。マクスウェル素粒子の振る舞いのわかりやすいモデルだ」

「いえ、あの……さっきまで見えていなかったのですが……?」


 紫苑の指摘に、九曜院は微かに微笑みを浮かべる。


「かもしれない。しかし、なんとなくそのソファに座りづらかったのではないかね?」

「え、ええ……?」

「それとも君達は、普段から同じソファに座るほど仲が良いのか?」


 言われて気付いた。ソファがふたつあるのに、沙也加は紫苑の隣に座ってきた。まるで、向かいのソファに先客がいたかのように。


「えっ、いや、ちがっ、そのっ、あのっ……」


 指摘された沙也加は盛大にどもっている。こんなに動揺するのは珍しい。


「言うねえ、明」

「何がだ?」


 九曜院の問いかけには答えず、ヤコはによによと笑うだけだ。


「落ち着きなさい、沙也加。つまり教授。私たちは見えていなかったけど、なんとなくこの子の存在を感じ取っていたと。そういう訳ですね」

「その通りだ。本当に、全く見えてなければ、そのままヤコの上に座っていただろう」

「……そうなったらどうなりますの? 潰れる?」

「すり抜ける」

「すり抜ける」

「こんな風にねー」


 ヤコがおもむろに腕をソファに突き入れた。なんの反発もなく腕がすり抜ける。まるで妖怪のようだ。実際、妖怪なのだが。


「マクスウェル素粒子の振る舞いは0か1かではない。共通認識の多寡によってグラデーションを見せる。

 君たちが『管狐』という怪異そのものを知らなくても、別の怪異に遭遇して『怪異は存在する』という認識を持てば、今のようになんらかの作用が発生する。俗に言えば、霊感があってなんとなく幽霊の気配がわかる、というものだな。

 ……逆に言えば、ヤコに気付いた君たちが出会ったという『ぬっぺふほふ』は、見間違いでもフェイクでもない、本物だということだ」

「そこに話が繋がってくるのですね……」


 難しい話を長々と聞かされていたのですっかり忘れていたが、そもそも紫苑たちは『のっぺらぼう』について話を聞きに来たのだった。


「では、教授。その、ぬっぺっぽーが本物だとして」

「ぬっぺふほふ」

「ぬぺ……それは一体どのような怪物なのでしょうか? 物凄い怪力なのですか? 目からビームを撃つのですか? それともチェーンソーを持ち出したりするのですか?」

「何故にチェーンソー?」


 微妙な表情をしながらも、九曜院はキーボードを叩く。


「まあ、安心したまえ。厄介ではあるが危険な怪物じゃない。おかしな見た目で人を驚かせる、ただそれだけだ」

「そうですか。それなら一安心ですわね」

「変質者が徘徊している、と考えるとあまり一安心ではないがな」

「あー」


 そう考えると『危ない』と言うよりは『嫌』だ。


「なんとかして捕まえられませんか。あるいは、追い出したりとか」


 沙也加の問いかけに対して、九曜院は答える。


「……そうした記録、いや、逸話が残っているな。江戸時代、『ぬっぺふほふ』に似た怪物が、徳川家康の城に現れたそうだ」

「家康って……あの、江戸幕府の!?」


 急に歴史上の大物が出てきて、紫苑は驚いた。


「家康もびっくりさせられたんですの?」

「いや、そうではない。『ぬっぺふほふ』……この話では『異人』あるいは『肉人』と言われているが、それが家康の城の中に現れたそうだ。

 当然、城には兵士や使用人がいるから、この怪しげな妖怪を懲らしめようと追いかけ回した。しかし肉人は逃げ足が早く捕まらない。すると家康は、捕まらないなら追い立てればいいと言ったので、その通りに近くの山へ追い出したそうだ」


 本当に、危害のない怪しい話であった。


「それなら……放っておくのが一番かも知れませんわね。徳川家康が捕まえるのを諦めるくらいですもの」

「街の人たちには悪いけど、それが一番かもね」


 紫苑も沙也加も、気疲れこそしたもののなんとなくホッとしていた。


「どうもありがとうございました、教授。わざわざ質問に答えていただいて」


 だが、もうひとりは張り詰めたままだ。


「どーしたのー、明ー?」


 ヤコが呼びかけるが、九曜院は反応せず、モニタに向かったまま考え込んでいる。


「あの、どうしました?」

「……無害ではないかもしれない」

「え」


 九曜院は紫苑たちには見向きもせず、パソコンで何かを調べる。紫苑たちは訳がわからず、その様子を見守るしかない。

 やがて九曜院は手を止め、パソコンのモニタを紫苑たちに向けた。


「見てくれ。Youtuberが現地に乗り込んでいる」


 ブラウザが表示するのは、Youtubeのライブ画面。タイトルは『21世紀ののっぺらぼう!? 蒔田に現れた謎の妖怪を追う!』となっていた。


現凸げんとつ!?」

「うっわ、早速モメてるじゃない……!」


 画面には、通りかかった老人たちと言い合いになっている放送主が映っている。かなり殺伐としている。


《ですからねえ! のっぺらぼうについてお話を伺いたいんですよ!》

《うるさい! 帰れ! ヨソモノにのっぺらぼうが見つかるか! アレはワシらが見つけるんじゃ!》


 その老人たちの態度に、紫苑は違和感を覚えた。


「のっぺらぼうを他人に渡したくないのかしら?」

「まるでお宝扱いね」

「お宝だよ」


 九曜院が立ち上がった。


「君たちは帰りなさい。私はこれから出かけなければ」

「どこに……いえ、何をするんですの?」


 どこに行くかは紫苑でも察することができた。恐らく九曜院は、蒔田に向かおうとしている。だが、何故。


「ヤコ、来るか?」

「明が望むなら、喜んで。っていうか、画面越しでも欲がビンビンに伝わってくるからね。バイキングだよ」

「ですから、何をするんですの!?」


 再度尋ねた紫苑に対し、九曜院は渋々答えた。


「肉人を解体する」

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