視肉
「また渋滞か……」
東京の道路は絶望的に混んでいる。ずらりと並んだ赤いテールランプに出くわした九曜院は、溜息をついてハンドルから手を離した。
「確認するが、本当に帰る気はないんだな?」
「当然ですわ」
「紫苑が心配ですから」
後部座席には紫苑と沙也加が乗り込んでいる。九曜院が蒔田に向かうと聞いた彼女たちは、強引に車に乗り込んだ。九曜院は本気で嫌がったが、置いていくなら電車で蒔田に行くと言うと、渋々彼女たちを車に乗せた。
「言っておくが、鉄火場になるぞ。まともな人間は蒔田に居ないと思え。全員狂っていると言っても良い」
「先程も聞きましたが……一体何が起こっているんですか?」
不穏なことを口走る九曜院に、沙也加が問いかけた。
「さっきの話を覚えているか? 家康の城に肉人が出たという話だ」
「はい。追い出しておしまい、だったんですよね?」
「その後、『肉人』の話を聞いたある人間がこう言ったそうだ。
それは『封』という生き物で、食べれば多力を得る。ものを知らないから勿体ないことをした、と」
「食べるんですの!? あれを!?」
紫苑はのっぺらぼうの風体を思い出す。ぶよぶよに太った人間らしきものだ。とても食べられるものとは思えない。煮るとか焼くとか、そういう問題でもない。
「ああ。『本草綱目』という、古い薬の本にも載っている。いわゆる漢方……というか、伝説の薬みたいなもので……食べると力が増したり、不老長寿が得られると書かれている。かの始皇帝も追い求めたそうだ」
「不老長寿……」
沙也加が神妙に呟く。
「漢方屋が話題にでも出したのか、物の本でも読んだのか、ネットで見つけたのか……とにかく何かがきっかけで蒔田に『肉人』の噂が流れて、怪異がカタチを得てしまったのだろう。
そんなものが現れたら、老人たちが血眼になって探すのも当然だ。おまけに噂を聞きつけて、街の外からも人が集まっている。この渋滞の中にも、肉人ほしさに蒔田に向かっている車があるかもしれない。
だから、騒動で被害が出る前に肉人を解体する」
車の列が少し動いた。九曜院がハンドルを握り、また離す。
「いくらなんでも、不老長寿になりたいからといってアレを食べるのは……」
ぶよぶよののっぺらぼうの姿を思い浮かべて、紫苑が疑問の声を上げる。ゲテモノ食いは許容範囲外だ。しかし九曜院は言ってのける。
「君たちはまだ若いからわからないだろうが、老人の若さへの渇望というものは恐ろしいぞ? 得体の知れない薬を試すし、そのためなら他人だって平気で蹴落とすからな。私だって、若い頃の体力が戻るならちょっと『肉人』が欲しいくらいだ」
「教授だって大した年齢では……」
「今年で43歳だ。お陰で『何でそんなに若作りなんですか?』とよく言われるよ」
「……ハッ!」
先程、自分が言った言葉を思い出した紫苑であった。多分、九曜院の見た目は、同世代や年上にとって嫉妬の対象なのだろう。
「しかし……納得がいきません」
次は沙也加が訊いた。
「私たちならともかく、あの地域の方々が、のっぺらぼうとか不老不死なんておとぎ話を信じるとは思えないのですが。いい大人……というか老人でしょう?」
「確かにそうだな。だが、現に『ぬっぺふほふ』を探してうろついている人が多数いる。ひょっとしたら、もう食べた人間がいるんじゃないのか?」
その時、紫苑の脳裏によぎったのは、俳句が趣味のおばあちゃんだった。何を食べたらそんなに若くなるのか質問攻めで困っている、と言っていた覚えがある。
「あー……ひょっとして、あの人が……!」
「心当たりはあるようだな。現実に若々しい人間がいるなら、他の老人たちが『のっぺらぼう』を信じて躍起になるには十分だろう」
サイレンの音が車外から聞こえてきた。先の交差点をパトカーが走っているようだ。
「それともうひとつ。肉人を放っておけない理由がある」
「まだあるんですか」
「ああ。さっきの家康の話に戻るのだが、あの話にはひとつだけ不可解な点がある」
「不可解な点?」
「家康の城の人間が、誰も『封』を知らなかったということだ」
「……いや、妖怪なら誰も知らなくても仕方ないのでは?」
いくら江戸時代でも、妖怪の知識が義務教育、ということはないはずだ。
「妖怪ならな。だが、『封』を薬として考えた場合、知らないはずがない人間がいる」
「……誰ですの?」
「徳川家康」
車がゆっくりと動き出す。
「彼は薬学の知識に詳しく、自分の体調を自分の薬で治したり、孫の病気を自家製の薬で治したという記録がある。
そんな人間が、漢方にも使われる『封』を知らないということがあるか?」
「その頃はまだ、日本に知識が伝わっていなかったのでは? 江戸時代ですもの。鎖国してたりとか、あるじゃありませんか」
「残念だが、さっき話した『本草綱目』。あれは家康に献上されたものだ。読んでない訳がない。下手をしたら『肉人』に会った時に読んでいた可能性もある。
これはあくまでも推測だが……家康は肉人が不老長寿の薬になることを知っていた上で見逃したのかもしれない」
「あえて、という訳ですか。その理由も予想がついているのですよね?」
紫苑が確認すると、やはり九曜院は頷いた。
「本草綱目いわく。その不可思議な肉の塊は様々な名前があった。『封』、『視肉』、そして『太歳』」
「『太歳』……なんですの、それ?」
「風水の概念のひとつだ。土の中に埋まっている凶神で、これを掘り起こすことはとにかく不吉で縁起が悪い。『太歳』を掘り起こした一家が全滅したという話もあるそうだ」
「うわあ……」
とても無害とは言えない。大凶そのものだ。
「多分、家康は『肉人』が『太歳』だということに気付いて、追い出すように命じたのだろう。近くにいたら大変なことになるからな。
……しかし蒔田の太歳は野放しだ。このまま放っておけば、ろくでもないことが起こるだろう。例えば、太歳を探す人間たちが争って暴動になる、とかな」
そして車が止まった。
「さて……ここからが蒔田だ。降りるなら今のうちだが、どうする?」
振り返った九曜院に、紫苑は決然と言い放った。
「火熊家の者として、目についた災難を見過ごすわけには参りません。教授、案内してくださいな」
「……紫苑が行くなら、私もついていきます」
沙也加も降りる気は無いらしい。九曜院は深々と溜息をつくと、助手席に座っているヤコに声をかけた。
「ヤコ。先に行って、好きなように食べてきなさい」
「え、いいの? ボクが太歳を食べるんじゃないの?」
「退治の仕方は知っている。ヤコは何かしでかしそうな人間を頼む」
「はーい」
元気よく返事をすると、ヤコは車を出ていった。
「大丈夫なんですの?」
「グルメだからな。手当たり次第に人を襲う、ということはしない。それにただの人間相手なら、100人相手でも負けはしない」
「バケモノですか?」
「バケモノだぞ?」
そんなバケモノと仲がいいのは何故なのか、と紫苑は聞こうとしたが、その前に沙也加が口を開いた。
「教授。退治の仕方をご存知とおっしゃいましたが、本当ですか?」
「ああ。『のっぺらぼう』ならともかく、『太歳』ならいくつか退治の仕方がある」
「なんですの!? お手伝いいたしますわ!」
「……一応訊いておくが、無人の山は持っているか?」
「山?」
紫苑と沙也加は顔を見合わせる。もちろん、ただの女子大生であるふたりがそんなものを持っているはずがない。そもそもなぜ、この状況で山なのかわからない。
「持ってないか。太歳退治の一番確実な方法は、人気のない山に埋めることなんだが」
「いろんな意味で無理では?」
「見た目が思いっきり犯罪ですよね」
ちょうどそのタイミングで、3人が乗る車の横をパトカーがすれ違っていった。
「……では、他の方法は? あるんですよね? 退散の呪文ですの? お供え物で帰ってもらうんですの? 五芒星の中心に誘き出して迎撃するんですの?」
「最後は映画か何かか? まあ、そんなに難しいことじゃない」
「では、何をするんですの?」
「
「
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