メリーさんの羊
「羊が見たい!」
メリーさんが急になんか言い出した。
「どうした急に」
「羊が見たい! 動物園に連れてって!」
「なんかテレビでも見たの?」
「うん! この前テレビでやってたんだけどね、かわいくて、白くてモコモコで、メエメエ鳴いてる羊がいたの! それに、『メリーさんの羊』って歌があるんでしょう? だったら私も羊に会って見て触ってみたい!」
『メリーさんの羊』って歌は確かにあるけど、あのメリーさんとこっちのメリーさんは違うと思うんだよなあ。
でもまあ、メリーさんが遊びに行きたいっていうのなら付き合うか。
「よーし、わかった。来週行こうか。準備しとけよ」
「絶対! 約束よ?」
「大丈夫、自営業だ。……ところで」
「なあに?」
「羊が見れる動物園ってどこにあるんだ?」
横で聞いていたアケミが、カクンッとずっこけた。
「知らないで約束したの?」
「いや、まあそんなに珍しい訳じゃないし、どっかにいるだろとは思ってたんだけど……」
「調べればいいじゃん」
それもそうか。スマホを取り出して検索してみる。『動物園 羊』。すると、一番上にサメやシャチがいる水族館がヒットした。なんで?
気を取り直して画面をスワイプ。埼玉県に羊がいる動物園が見つかった。『ぼんぼりファーム』というらしい。たくさんの羊と触れ合えるコーナーがあるそうだ。これはいい。
「メリーさん、ここなんかどうだ?」
画面を見せる。
「ここがいい!」
即決。ここなら車で1時間くらいかな。
「アケミはどうする?」
「え?」
「来るか? バイトがあるなら別にいいけど」
「いや、行く行く、行きます! 行くからもちろん!」
慌てて日本語が変になってる。落ち着け。
――
そんな訳で埼玉県の『ぼんぼりファーム』にやってきた。それほど有名なところではないけれど、地元では人気らしい。確かに、駐車場には所沢ナンバーが多い。
「ひつじ! ひつじ!」
「まあまあ落ち着け」
まだ入り口なのに、メリーさんはすっかり精神年齢が5歳になっている。俺より前を歩いて、早く来いと言うようにその場でくるくる駆け回っている。
「そうだよ、メリーさん。他のお客さんの迷惑になっちゃうよー?」
そう言うアケミは俺の隣にピッタリとくっついている。一定のスピードで歩いているわけでもないのに、完璧に間隔を保っている。怖い。
入園料を払って、いざ、動物園の中へ。ゲートをくぐって最初に現れたのは……キリンだ!
「おおー」
誰が上げた声かはわからない。キリンを見上げたら誰でも同じ反応になるから、それでいいと思う。
キリンの首は長い。ながーい。そういうものを下から見ると、人間、誰でも畏敬の念を抱いてしまう。八尺様もそうだったなあ。自分より縦にデカい生き物っていうのは、なんだかそういう効果がある、
一方、見上げられているキリンは、視線に構うこともなく遠くをぼんやりと見つめている。あの高さだとどんな光景が見えるんだろうか。想像もつかない。
「ねえ、そろそろ次に行かない?」
「ん、そうだな」
しばらくキリンを見ていた俺たちだったけど、メリーさんに促されて先に進むことにした。ヒツジのふれあいコーナーに向かうには、ここから森の動物コーナーを抜けるのが一番早い。
森の動物コーナーには金網の檻がいくつも並んでいて、それぞれ違う動物が入っていた。一番最初に出会ったのはサルだ。でも普通のサルじゃない。背中の毛は黒いけど、腹の毛は白い。尻尾は白黒のシマシマだ。そして顔はサルとは思えなくらいとんがった印象がする。
「あれ何?」
「なんだろう」
案内板を覗き込んだアケミが答えた。
「ワオキツネザル、だって」
「わお」
「わお」
アケミが不審げな顔で振り向く。いや、狙ってやったんじゃないんですよ。でもそんな名前聞いたら、こんな反応になるのはしょうがないと思うんだ。
次に目についたのは、茶色いタヌキみたいな奴だ。ただ、顔にはタヌキより愛嬌がある。顔の周りの毛は白いけど、目の下に線を描いたように、茶色い毛が生えている。こいつの尻尾もシマシマだ。
これはなんだろう。案内板を見てみる。見覚えのある名前が書いてあった。
「レッサーパンダだ」
「おー」
「本物見るの初めてかも」
先へ進む。キツネと目が合った。ただのキツネならスルーしてたんだけど、物凄い虚無の視線を向けてきたもんだから、思わず立ち止まってしまった。
「どうしたの?」
「あれ」
指差した先のキツネを見たメリーさんが、同じ虚無顔になった。わかる。案内板を見たメリーさんが呟いた。
「チベットスナギツネ」
「チベットスナギツネ……」
それを最後に森の動物コーナーを抜けた。……今の、森の動物だったか? アルマジロとか、ジャッカルとか、サバンナの動物もいたような気がするけど。
「ひつじ! ひつじ!」
メリーさんの声で気を取り直す。ここからはいよいよメインイベント、羊のふれあいコーナーだ。このコーナーでは1日2回、羊の柵の中に入って自分の手でエサを食べさせることができる。
エサは有料なので、受付に並んで3人分のエサを買うことにした。並んでた人たちの中には、ガタイの良い人たちが妙に多い。なんなんだろう。
「いらっしゃいませー」
「すいません、3人分ください」
「はい、600円です」
お金を払ってエサをもらう。なんの変哲もない干し草だ。
「のせられなければキャッシュバックなので、頑張ってください」
うん、なんて? 聞き直そうかと思ったけど、後ろで並んで待っている人たちがいる。やめておこう。
待っていたメリーさんとアケミにエサを渡して、羊のふれあいコーナーに入った。他の客もぞろぞろいる。30人くらいか。
「よしっ、やるぞーっ!」
「おーっ!」
一部の客がスクラムを組んで気合いを入れている。
「……なあ、アケミ」
「何かな、大鋸くん」
「なんか嫌な予感がしてきた」
「予感?」
「なんかこう、ロクでもない奴らが襲ってくるんじゃないか、って」
数え切れないほどの怪異に襲われてわかったことがひとつある。違和感を抱くような出来事が起きると、大体その後にチェーンソーを持った怪異が襲いかかってくる。今も、なんだか普通の動物園じゃ見ないことが起きている。
「……気をつけとく?」
「頼む」
メリーさんは羊を待ちかねてるし、俺はチェーンソーを持ってない。この状況だとアケミが頼りだ。
「みなさまー! おまたせいたしました! これより羊のふれあいコーナーを始めまーす!」
係の人が声を張り上げた。いよいよ羊がやってくる。
ゲートが開いた。そこから羊がトコトコ歩いてやってくる。なんの変哲もない四本脚の、チェーンソーとかも特に背負っていない普通の羊だ。そんな羊が1匹、羊が2匹、羊が……。
「待って」
普通の羊だ。それは間違いない。だけど多い。10とか20とかじゃない。ふれあいコーナーの芝生を埋め尽くすレベルの羊が群れて押し寄せてくる。その数は、羊が歩いているだけなのに土煙が上がって、軽く地響きが起きるほどだ。
「ヤバいヤバいヤバいなんだあの数!?」
「多くない!?」
「こ゛ん゛な゛に゛い゛ら゛な゛い゛!!」
ここまで数が揃うとかわいさよりも迫力の方が先立ってくる。っていうかシンプルに怖いよ! メリーさんも泣いてんじゃねえか!
「メエー」
「メエー」
「メエー」
羊たちはまっすぐこっちに歩いてくる。そして参加者グループの一番外側にいた家族を取り囲んだ。
「うわー! かわいい!」
「モフモフだー!」
「メエー」
羊に囲まれた3人家族は、手にしたエサをあっという間に食べられてしまった。それでも次から次へと羊がやってくるものだから、とうとう足を取られて羊の上に倒れ込んでしまった。
「メエー」
「メエー」
隙間なく敷き詰められた羊の背中は、ベッドのように家族を乗せてしまった。親子揃って羊の上でころころ転がっている。よほどモフモフなのか、幸せそうな笑顔を浮かべている。いや、危なくない?
「来るぞーっ! ふんばれーっ!」
誰かの叫び声で我に返った。羊の群れがすぐそこまで迫ってきている。
「アケミ、メリーさん! 離れるんじゃないぞ!」
「いや、メリーさんはもうダメ!」
アケミの声で振り向くと、既にメリーさんは羊の群れに胴上げされていた。軽い体がぽやんぽやんと跳ねている。
「メエー」
「メエー」
羊が突っ込んできた。俺が持ってるエサを奪い取ろうと、足元にすり寄ってくる。地面をしっかり踏み締めて、羊に足を取られないようにする。
羊が足にぶつかる度に、なんとも言えないモフモフ感がズボン越しに伝わってくる。うーん、これはヤバい。思わず目の前の羊の絨毯に倒れ込みたくなりそうになるフカフカさだ。実際、我慢できずに自分から倒れ込んでいく客もちらほらいる。
だけどこれくらいの圧力なら耐えられる、そう思った時だった。
「第2波、来るぞーっ!」
「メエー」
「メエー」
「メエー」
追いついた後方集団の羊が突っ込んできた。足元の羊の密度が増す。アケミが耐えられなくなって、羊の上に寝転んだ。
「うわーっ! フカフカーっ!」
「メエー」
「メエー」
俺は倒れない、倒れないぞ! こうなったら意地だ!
と思ってたけど、羊の群れ、ヤバい。前から突っ込んでくるだけじゃなくて、前後左右からメエメエ押し込んでくる。しかもたくさんの羊が自由気ままに動くもんだから、どういう動きが来るのか予想がつかない。
「メエー」
「メエー」
「メエー」
「うわーっ!?」
後ろから押される。なんとか踏ん張る。そこに横から別の羊がぶつかってきて、とうとう俺も倒れてしまった。ふっかふかの羊の背中に顔から倒れ込む。
……うわっ、凄いモフモフだ。起き上がる気がしない。ゆらゆら揺れるのがまた気持ちいい。
顔をあげると、スクラムを組んでいた人たちも羊に突き崩されて次々と倒れていった。
「メエー」「グワーッ!」「メエー」「グワーッ!」「メエー」「グワーッ!」「メエー」「グワーッ!」「メエー」「グワーッ!」
立っている人は一人もいない。全滅だ。でもふかふかしてるし、それでいいやって思った。
後から聞いた話だと、ふれあいコーナーが終わるまで立ち続けていられれば、エサ代がキャッシュバックされ、ついでに記念メダルも貰えたらしい。いや、無理じゃない?
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