雁金の退院

 雁金が退院するので、迎えに行くことにした。


「えっ。いえ、その……困ります」


 開口一番こう言われた。なんでだ。


「だって……その、これ以上先輩に迷惑を掛けるわけにはいきませんし」

「怪我人をほっとけるか」


 手荷物をバッグに詰め込む。雁金はまだオロオロしている。


「あの……いいですから。本当にいいですから」

「遠慮するな」

「しますよ! だって私……先輩のこと、殺そうとしてたんですよ?」


 辺りを見回す。人影はない。


「気にするな。俺は死んでない」

「いえ、私です! 私が悪いんです! 私があの怪異を怖がって、忘れようとして、大鋸さんを先輩に仕立て上げたから……」


 一旦荷物を置いて、雁金の肩をがっしりと掴んだ。雁金の顔を真正面から見つめる。雁金は、ぽかんと口を開けて、俺の顔を見つめている。


「迷惑かけたのはあの神様くずれで、そいつはもうチェーンソーでぶった斬った。俺はそれで十分だ」

「……よくないです。私、先輩以外にも沢山の人を殺してるんですよ……?」

「……警察にはバレてないか?」

「え? ええ……多分」

「ならいいだろ」

「何が!? だって、人殺しですよ!?」


 そんなに騒がなくても。


「そりゃ、まあ法律違反だけど……バレてないなら捕まらないし、それでいいだろ?」

「そんなわけないでしょ!? もっとこう、人命とか……道徳とか……殺した人たちに悪いとか思わないんですか!?」

「いや別に」


 ごく普通に返事をしたのに、雁金は世界の終わりみたいな顔をした。


「先輩って、ひょっとして」

「うん?」

「人殺しが楽しい人ですか?」

「いや、なんとも思わないだけだ」


 よく勘違いされるんだけど、別に殺しを楽しんでるわけじゃない。人殺しは辛くも楽しくもない。チェーンソーで斬って動かなくなったら、ああ、死んだなあ、と思うだけだ。

 そりゃまあ、殺したあとの片付けが面倒くさいとか、手間の割に安いくらいは思うことはあるけど、それくらいだ。アニメみたいに懺悔するとか、幻覚を見るとか、そういうのは一切ない。


「うわ……」

「そんなドン引きしなくても」

「しますよ普通。そんなこと言ったら」

「やっぱり……? 親とか爺ちゃんには、身内以外には絶対話すなって言われたから、普段は黙ってるんだよ」

「うわあ……」


 ドン引きをやめない雁金だが、ふと、顔を強張らせた。


「あれ、それじゃあ」


 おそるおそる、聞いてくる。


「あの時、私のことも殺そうとしてました?」


 言葉に詰まる。どうしようかと逡巡して、黙って頷いた。雁金が悲しそうな顔をする。だから、なんとか言葉を絞り出す。


「だけど、殺したくないとも思った」


 雁金は目を丸くした。


「殺すしかないはずだったんだ。どう見てもおかしかったし、山の中だから目撃者も居ないし、処理はどうにでもできるし、銃持ってたし。

 だけど……お前が死ぬのが嫌だった。身内にいなくなってほしくないって思った。だから、あの時、殺せなかった」


 ……なんだか口に出してみたら、急に恥ずかしくなってきたぞ。

 こっちを見つめてくる雁金の視線は無視して、荷物をどんどん鞄に詰め込む。荷物はすぐに纏まった。


「よし行くぞ。すぐ行くぞ。車でアパートまで送ってやる」

「ま、待ってください」

「なんだ、忘れ物か?」

「違います。これから親が来るんです」

「……え?」


 親? 雁金の?


「なんで親が来るんだ?」

「退院の手伝いですよ!」


 自分の格好を確かめる。スウェットにスラックス、スニーカー。ラフな格好だ。

 やっべ……。


「わかった。すまん、帰る。すぐ帰る」


 荷物を置いて部屋を出ようとしたら、ドアが開いた。入ってきたのはごく普通の中年夫婦だ。ふたりは雁金が身を起こしているのを見ると、ほっとした顔をした。まっすぐに雁金のベットに近付いていく。俺は邪魔にならないように後ろに下がった。


「おはよう、朱音あかね

「お、おはよう、お母さん」


 あっ、こちらがご両親……。


「調子はどう?」

「うん。大分良くなった」

「そう。良かったわあ、本当に。最初に入院したって聞いた時はびっくりして、どうなるかと思ったけど……」


 それから雁金の母親はとりとめもない話を始めた。

 雁金は時々、俺の方をチラッと見てくる。うん、言いたいことはわかる。早く部屋を出ていけって意味だよな。でもベッドと壁の間が狭くて、部屋を出ようとするとどうしてもご両親の前を突っ切っていかなきゃならないんだよ。逃げる方向ミスった。

 うまいこと会話の切れ目を狙って動きたいけど、雁金の母親はずーっと喋ってる。いやほんとどれだけ喋るんだよ。弟のバイト先の話とか、今されても困るだろ。

 一方、父親の方は黙って立っている。だけどチラチラ俺の方を気にしている。誰だこの人、って思ってるのが丸わかりだ。すいません、すぐ出ていきますんで……。


「あら? 朱音、この人は?」


 うわーっ、母親に気付かれた!


「ええと、この人は……」

「俺は……」

「ああ、ひょっとして先輩さん? どうもどうも、いつもウチの朱音がお世話になっています」


 雁金が説明するよりも、俺が名乗るよりも早く、雁金のお母さんが察した。疾い。先手を取られた。


「いつも朱音から話は聞いてますよ。お休みの日にいろいろ付き合ってくれちゃってるみたいで、もう!

 東京でひとり暮らしをするっていう時は心配でしたけど、先輩さんみたいな方がお側にいるみたいで本当に安心です」

「は、はあ。どうも」


 あっ、お父さんが会釈してきた。どうも。でもこっちはこっちでちょっとタイミング遅くないか?


「今回入院した時も、何も聞いてなかったから本当にびっくりして……山で怪我をしたって聞いたけど、先輩さんが病院まで連れてきてくれたんですよね。

 先生に聞きましたけど、応急処置がしっかりしていたから酷くならなかったっておっしゃってました。本当にありがとうございます!」

「いや、それほどでも……」

「ご迷惑をおかけして本当にすみませんでした。朱音から聞きましたけど、お仕事の見学のために山に入ったら、ウチの子が変な所に入り込んで倒れてしまったみたいじゃないですか。

 昔からこう、思い込むと突進しちゃう所がありまして。私もそうなんですけど、本当にすみません」


 親譲りなのか……。


「ところで山で働いていたって事は、きこりの仕事は続けられているんですか?」

「はい? ええ、まあ」

「あらー、それは良かった! 朱音からたまにお話を聞く度にお仕事が変わってたから、ちょっと心配だったんですよ。

 大学を卒業してからIT会社の営業になって、その後はプログラマー、それから書店の店長、あとなんでしたっけ? まあ、でも、今の木こりのお仕事が長く続いているみたいで良かったわー」


 ちょっと待った。俺は大学出てからずっと木こりと暴力稼業しかやってない。副業で運転系の仕事はやったことあるけど、営業とかプログラマーは畑違いだ。一体誰の話を……。

 あー、まさか前の『先輩』か?

 横目で雁金を見る。真っ青なんだか真っ赤なんだかわからない状態でぶるぶる震えている。予想通りらしい。……この話は今度じっくり聞く事にしよう。


「じゃあ、俺はこの辺でそろそろ……」

「あら、そうだったの。ごめんなさいね。ほら、朱音。ちゃんと挨拶して」

「は、はい……あの、いろいろありがとうございました」

「娘をよろしくお願いします」

「ええ……」


 両親に頭を下げられながら俺は病室を出た。ウチの両親とはいろいろ違うけど、世間じゃあれが普通の両親なんだろうなあ。

 さて、雁金にはまだまだ聞きたいことがあるから、後で飲み会の予定をLINEしておくか。来週は流石にしんどいだろうから、再来週で。

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