八尺チェーンソー様(1)
車に乗って、いつもの道を通って、仕事場の山に着いた。迎え撃つ場所はここだって決めていた。
山の前には屋敷がある。メリーさんが住んでいる屋敷だ。顔を出していこうかと思ったけど、やめた。またスマホが震えている。直接会ったら、チェーンソーを突きつけてでも止められるだろう。悪いが、それだけは受けれられない。
もう少し車を走らせると、山の入口についた。車を降り、トランクからチェーンソーを持ち出す。そして山に入ろうとしたが、その前にあるものに気付いた。
入り口にある小さな祠が壊されていた。山の神様を祀った祠だ。こんな事をすれば普通は『ヤマノケ』にバラバラにされるだろう。
だが、犯人らしき死体は目に見える範囲には無い。血の臭いもしない。
山の奥へ歩いていくと、何が起こったのか理解することができた。
『ヤマノケ』がバラバラの死体になって転がっていた。
切り口からしてチェーンソーによるものだ。『ヤマノケ』を圧倒できる腕前となれば、思いつくのはひとりしかいない。
『八尺様』が近くにいる。
八尺様を探して、山の奥へと進む。木々が密になり、下草や藪が増え、視界が悪くなる。どこに八尺様が潜んでいるかわからない。慎重に進む。時折、高くそびえる木が八尺様に見えて、身を竦ませてしまう。
「……よくねえな」
少し開けた所で、俺は手近な岩に腰を下ろした。懐からタバコを取り出し、火を付ける。慣れ親しんだ煙の味が、ささくれだった神経を落ち着かせてくれる。
タバコは魔除けになると聞いたことがある。実際に効くかどうかは知らない。多分、チェーンソーで斬った方が早い。ただ、日常的な動作をすることで心を落ち着かせ、疑心暗鬼を取り除く効果はあると思う。
実際、1本吸い終わる頃には昂ぶった神経が静まっていた。燃え尽きたタバコを携帯灰皿に入れ、立ち上がる。
「よし」
立ち上がり、再び歩き始めた。
進んでいくと、妙なことに気付いた。山の奥に進んでいるのに、視界が段々開けてくる。木がまばらになり、藪が少なくなっている。不思議に思っていると、不意に辺りが明るくなった。
ひまわり畑に立っていた。
空は抜けるような快晴。カラッとした暑さの中を、爽やかな風が吹き抜ける。道の両側には無数のひまわりが咲き、風に揺れている。
振り返る。今しがた通り抜けてきたはずの山は跡形もない。ひまわり畑の中のあぜ道がどこまでも続いている。
ああ、そうか。
『八尺様』はここにいたんだ。
あぜ道を進む。道の両側にあるひまわりの壁は延々と続いている。どのひまわりも俺より背が高い。びっしり生えたひまわりの向こう側は見通せない。
静かな場所だ。虫の声も鳥の声も聞こえない。聞こえるのは、ひまわりたちが風に揺れて擦れる音だけだ。
切り取られたかのような夏の風景。絵の中に入り込んでしまったかのように錯覚してしまう。いつかの時と同じような不安が心に忍び寄る。
自分より大きいものに囲まれて、見知らぬ光景の中に迷い込んで。そんな時に、助けてくれる人を求めたんだ。
「ぽぽ……ぽぽぽ……」
音が聞こえた。足を止め、振り返り、見上げる。
抜けるような青い空。
壁のように立ち並ぶひまわり。
その中の異物。
白いつば広帽を被り、俺を見下ろす女性。
目には眼球が無く、黒い穴が空いているだけ。唇は抉られ、剥き出しになった歯茎が不可逆な笑顔を浮かべている。
八尺様がそこにいた。
「よお」
チェーンソーのエンジンを掛ける。慣れ親しんだ重低音と共に、刃が回転を始める。
「久しぶりだな」
ひまわりが揺れた。黄色い花と緑色の茎が、ガサガサと音を立てて飛び散る。次の瞬間、ひまわり畑の壁の中から、巨大なチェーンソーが俺に向かって迫ってきた。
「ッ!」
自分のチェーンソーを掲げて、刃を受け止める。凄まじい衝撃。トラックに轢かれた時と同等、いや、それ以上か!?
足を踏みしめ、その力を自分のチェーンソーに伝える。チェーンソー発勁。新たな力を加えたチェーンソーが、八尺様のチェーンソーを食い止めた。
「ぽぽぽ……」
八尺様は相変わらず、ひまわりの向こうから俺を見下ろしている。そこまで近いとは思えない。だが、八尺様はこの距離からチェーンソーを当ててきている。
チェーンソーを弾き返すと、俺は八尺様から間合いをとった。
すると、八尺様はひまわり畑から出てきて、俺と同じあぜ道に立った。
ようやく八尺様の全体像が見えた。見上げるほど大きい女。真っ白なワンピースを着て、足元には白い革のサンダルを履いている。体つきは痩せているわけでもなく、筋肉質なわけでもない。ただ、とにかくデカいから目測を誤ってるかもしれない。
「ぽぽっ、ぽぽっぽ……」
そして八尺様が手にしているチェーンソーからは、あの独特のエンジン音が響いていた。
デカいチェーンソーだ。刃渡り八尺(約240cm)はある。あれに対して俺のチェーンソーは刃渡り二尺(約60cm)足らず。子供の玩具みたいなものだ。
例えるなら剣と槍の戦いだ。いや、八尺チェーンソーは斬るものだから、薙刀に近いか。
考えるのはそこそこにして、俺は歩み出す。走るのではなく、大地を踏みしめ、ゆっくりと。そして前傾姿勢になる。下段を固める。
間合いに踏み込んだ瞬間、八尺様が動いた。
「ぽっ」
腰を狙った横薙ぎのチェーンソーが振るわれる。
「くっ……」
構えていたチェーンソーで受け止める。重いが、止まる。
「せえいッ!」
そして上方へ受け流す。チェーンソーの刃が頭上を通過する。その間に前へ進む。走らない。どっしり構えて歩く。
八尺チェーンソーが戻ってくる。もう一度止める。重い。いつもは相手に押し付けている体格差が、俺に襲いかかってきている。こいつは、しんどい。それでも、防御を固めれば止められないわけじゃない。再び受け流す。
「ぽっ」
今度はチェーンソーを突き出してきた。身を捩って避ける。脇腹の辺りを掠めた。
「ッ!?」
体が強張る。苦痛。脇腹。思わず手をやる。赤い血がべっとりとついた。
戦慄する。冗談じゃない。防刃作業着が斬られた? チェーンソーを防ぐための特殊繊維が編み込まれているのに?
八尺様が再び突きを放つ。今度はチェーンソーで弾いて、そのまま間合いの外に逃れた。チェーンソーを手堅く構えて、防御態勢を取る。
それから考える。なんで防刃作業着が通用しないのか。この服の特殊繊維は、チェーンソーに斬られるとそのまま刃に引っかかって、エンジン部に絡みつく。それによって刃が生地の下の肉に達する前に回転が止まる。いくらバカでかくてもチェーンソーである事には変わらないから、繊維が絡みつくはずだが……。
いや、違う。"バカでかい"八尺チェーンソーだ。エンジンパワーも段違いだ。多分、特殊繊維を引きちぎっている。となると、こっちは普段着で戦ってるようなものだ。一撃たりとも受けられない。
八尺様はチェーンソーを振り上げた。今度は横薙ぎじゃない。重さも加えて叩き潰すつもりか。
チェーンソーが振り下ろされた。ギロチンの如く、俺の頭にチェーンソーが迫る。横薙ぎでもギリギリだった。これを受ければペシャンコに潰されるだろう。
だから、避ける。サイドステップでチェーンソーを避け、満を持して走り出す。渾身の一撃の後には隙ができる。一気に八尺様との距離を詰める。
だが、走りながら俺は戦慄していた。
全体重を乗せて振り下ろされた八尺チェーンソーは、地面に突き刺さると思っていた。しかし現実には、チェーンソーは地面スレスレで止まり、走る俺めがけて3度目の横薙ぎを放とうとしている!
あの、食らったら潰れそうな一撃が、フェイントだったのかよ!?
驚きながらも足は止めない。ここで退いたら、命がけで詰めた間合いが無駄になる。自分のチェーンソーで八尺チェーンソーを抑え込む。ギャリギャリと、耳障りな音が響く。
「ぽぽ……?」
八尺様がチェーンソーを振り上げようとする。腕力で抑える。かかる力が大きくなる。そろそろ限界。だけど、間合いに、入った!
「オラァッ!」
八尺様の手首めがけてチェーンソーを振り上げる。八尺様は素早く腕を引いて避けようとしたが、刃が八尺様の左手小指に当たった。小指はあっけなく切り飛ばされた。
そして、八尺様がチェーンソーを振り抜いた。体が宙に浮く。チェーンソーで投げ飛ばされたような格好だ。
空中で一回転、足から着地し追撃に備える。
追撃は無かった。八尺様は後ろに下がり、小指を切り落とされた自分の手をまじまじと見つめていた。
ひとつわかった事がある。八尺様は斬れる。
正直、ビックリした。いや、親父も辰砂さんも傷を与えてたから無敵じゃないとはわかってたけど、それでも実際に斬れたのは驚いた。
そしてもうひとつわかったこと。八尺様は怪異らしい特殊能力を持っていない。
メリーさんの瞬間移動や、アケミの腕の増設、リアルのすり抜けといった絡め手は一切使っていない。
つまり、スケールこそ八尺でデカいものの、それ以外は人間と変わらない。どっちのチェーンソーが先に相手を捉えるか。実にシンプルな勝負だ。
「いいじゃねえか」
変な話だが、ちょっとだけ嬉しくなった。親父も爺ちゃんも親戚の人たちも敵わなかった無敵の存在、八尺様。その無敵の理由は、単純にチェーンソーが強いから。それだけ。
怪しげな術に惑わされて勝ちを逃す、という悔しい思いをすることはない。シンプルに、どっちが強いかハッキリさせればいい。
俺は、改めてチェーンソーを構えた。
「遊ぼうぜ、八尺様」
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