アケミちゃん(4)

 八尺様が来る。


 母さんの電話を受けてから、その予感はひしひしと感じていた。そして今日、予感は確信に変わった。もう、すぐそこまで来ている。

 準備はしてある。迎え撃つ場所も決めている。防刃作業服を着込み、手袋を嵌め、チェーンソーを手にする。怪我の具合も十分に回復した。万全だ。

 スマホが震えた。画面を見る。メリーさんからだ。そのままポケットにしまう。出るつもりはない。

 そろそろ出発しよう、と思った時、インターフォンが鳴った。タイミングが悪い。溜息をついて、玄関に向かい、ドアを開ける。


「えへへっ、久しぶり」


 ちょっと大人しそうな見た目の、セミロングの黒髪の少女が立っていた。少女ははにかんだ笑顔を俺に見せている。

 知っている。誰なのかはよく知っているし、覚えている。


「……アケミか」


 『アケミちゃん』。過去に何度かストーカーしてきて、その度に撃退した妖怪だ。寺生まれの高橋さんに封じてもらったのだが、また出てきたのか。

 ……そういえば、ミサンガに巻き付けてた紐がダメになってたっけ。


 間合いの中だが、お互いに武器は持っていない。拳を握る。

 チェーンソーを取り出すつもりなら、それに合わせて動くだけだ。具体的には顔面を殴り飛ばす。それで距離を取って、部屋に引き返して自分のチェーンソーを手にする。

 しかしアケミは両手を広げ、敵意がないことを示した。


「そんなに怯えなくても大丈夫だよ。私は大鋸くんを守りに来たんだから」

「守りに?」

「そう、『八尺様』から」

「……どこで聞いた?」

「この前、病院で自称後輩の子と話してたでしょ」

「見てたのか?」

「言ったでしょ? ずーっと一緒だって」


 アケミが俺の左手首を指差した。そこにはアケミが巻きつけたミサンガがある。そんな効果もあったのか。


「ね、いいでしょ、大鋸くん? 中に入れてほしいなー」


 アケミは家に上げるよう図々しく要求してくる。何度もつきまとっておいて、聞くと思ってるのか、と言いたいが……。


「……しょうがない。入れ」


 あいにく、通す理由があった。話しておきたいことがあったからだ。


「おじゃましまーす」


 アケミはドアをくぐり、玄関で靴を脱いだ。


「大鋸くんの部屋に来るの、2回目だねー」


 前は押し入ってきたんだろうが。

 アケミはリビングに上がり、こたつの側に座る。その間に俺は、麦茶をコップに注いで、アケミに差し出す。


「飲め」

「ありがと」


 俺もコップに麦茶を注いで、アケミの向かいに座った。


「それで」

「うん?」

「守るってのは、どういうことだ? お前、八尺様に勝てるとでも思ってるのか?」


 八尺様は強い。アケミもチェーンソーを使う怪異だが、格が違う。戦えば3分と保たないだろう。

 俺の指摘に、アケミはニンマリ笑った。


「ナマイキなこと言うんだねえ、大鋸君。私に勝ったことあったっけ?」

「今なら勝てるぞ」

「強がっちゃって」

「ならお前、『リアル』に勝てるか?」


 アケミの笑顔が僅かにひきつった。ミサンガが斬られて封印が解けたのなら、リアルの強さも目の当たりにしているだろう。

 そして俺の見立てだと、アケミはリアルに勝てない。チェーンソー二刀流である程度は渡り合えるが、地力が違う。

 それはアケミもわかっていたようで、深々と溜息をついた。


「うん、そうだね。確かに勝てないな。

 びっくりしたよ。目が覚めたら大鋸くんがあの神様と戦ってて、しかも勝っちゃうんだもの。今の大鋸くんには、私じゃ太刀打ちできない」


 だが、アケミは言葉を続ける。


「それでも――大鋸くんは、八尺様に勝てるとは思ってないんじゃない?」


 ……痛いところを突かれた。


「図星でしょ」

「ああ」


 八尺様はリアルよりも更に強い。万全の態勢で迎え撃っても勝てる気がしない。頭の中で何度も戦ってみたが、あの八尺チェーンソーを掻い潜ることすら10回に7回は失敗している。


「だからさ、大鋸くん」


 アケミは俺に向かって微笑んだ。


「逃げちゃおう? 敵わない相手だったら、戦わなくて良いんだよ。私なら八尺様の手の届かない所に連れて行ってあげられる。だから、ね、逃げちゃおう?」


 確かにそれは、道理には適っている。勝てない相手なら逃げればいい。生きるためなら、その方が正しい選択だろう。


「……ダメだ」


 だけど、ちょっとそれは受け入れられない。


「どうして? 八尺様に殺されちゃうんだよ?」

「……八尺様に襲われた時、俺は何もできなかった。周りに言われるがまま逃げて、記憶を消して、俺のために死んた人たちのことを忘れちまった。

 それを思い出した時はな、本当に悔しかったんだよ。何をのんきに暮らしてたんだ、って。

 だから、ケジメをつける。あの時八尺様から逃げた俺が、今度は正面から相手をする。それからは逃げられないし、逃げたくないんだ」


 病院のベッドの上でずっと考えていたことだ。八尺様から逃げている限り、俺の心の靄は晴れない。それを見ないふりして生きていけるほど、図々しい性格じゃない。

 しかしアケミはまだ納得してくれない。


「いいんじゃないの? 何もかも忘れて逃げたって。命あっての物種って言うでしょう?」

「お前のことも忘れるぞ」

「大丈夫だよ。今度は私がずーっと側にいるから。何度忘れちゃっても、すぐに私のことを教えてあげる」

「なら、『保科ほしな明美あけみ』のことも忘れていいっていうのか?」


 アケミが口をつぐんだ。その反応、やっぱりか。


「……だよな。今なら思い出せる。高校の修学旅行で一緒の班になった、保科明美だろう、お前」

「覚えててくれたの?」

「ミサンガで思い出した」


 アケミが俺の腕につけたミサンガ。その前は家の鍵のキーホルダーにしていたが、どこで買ったかずっと思い出せなかった。当然だ。八尺様から逃げるために失った記憶のひとつなのだから。

 このミサンガは、高校の修学旅行で同じ班になった女の子に選んでもらったものだ。その子の名前は、保科明美。セミロングの黒髪で、大人しそうな女の子だった。

 正直言って、同じ班になった時はドキドキしたし、気になっている女子だったけど、修学旅行の少し後から学校に来なくなってしまった。


「入院したって噂を聞いたけど、本当だったのか?」

「うん。2年ぐらい頑張ったけど、段々歩けなくなって、体中にチューブを繋がれて、目を覚まさなくなって……それで、保科明美は死んじゃった」

「それで怪異になったのか」


 アケミは頷く。


「どうしても。どうしてもね、大鋸くんに会って伝えたかったの。あなたのことが好きだって。人として死んで、魂だけになってもそれだけは変わらなかった。ううん、むしろそれだけになった。

 それで『アケミちゃん』っていう噂の殻を借りて、怪異になって、体を造って。ワクワクして会いに行ったのに、大鋸くん、私のこと忘れてるんだもん。あの時は本当に怒ったんだから」

「……すまん」


 深々と頭を下げる。テーブルに鼻がつくぐらい。

 でも、それで怒ったなら俺の気持ちはわかってほしい。こういう思いを二度とさせたくないから戦うんだと。

 そう伝えようとしたが、膝に手を乗せられて、ハッとして顔を上げた。アケミがいつの間にかテーブルを回り込んで、俺の側に来ていた。


「許してあげる。だから、一緒に行こう? もう乱暴なことはしないから」


 濡れた黒い瞳が俺を見上げている。高校の頃と全然顔が変わってない。うん、首の辺りがたまにカチカチいうことを除けば、結構可愛い。


「私と一緒に来てくれれば、なんだってしてあげる。なんでも言うこと聞いてあげる。……ねえ、どう?」


 甘い声で囁いてくる。ヤバい。色仕掛けだ。ちょっと前の俺だったら何ともなかったんだが、今はちょっと揺れる。

 なんか知らないけど、最近やたら女性に心惹かれてしまう。この前、雁金の見舞いに行った時も、こいつこんなに可愛かったっけ、と内心ビックリしていた。

 好みのタイプは自分より背の高い人、と思っていたんだが、低くても全然良いかなと思うようになってしまった。

 なんでだろう。記憶が戻ってからずっとこの調子だ。記憶が戻ると好みのタイプも変わるのか? リアルに性癖でもいじられたか? それとも……八尺様が?


「ご飯だって毎日作ってあげるし、好きなものもなんでも買ってあげる。それに……手を繋いだっていいよ?」


 物思いに耽ってる間に、アケミはなおも色仕掛けを続け……うん? 色仕掛け?


「ねえ、どう? 私みたいな女の子を好きにできるの、ドキドキしない? 手を繋ぐのが物足りなかったら、膝枕だってしてあげるし、それに……その、だ、抱きしめるのだってオッケーだよ?」


 ……それは、色仕掛けというにはヌルいんじゃなかろうか。

 流石にちょっと呆れて、冷静になった。少し悪戯心が芽生える。


「好きにしていいんだな?」

「え?」


 返事は待たずに、俺はアケミの頭の後ろに手を回した。そして頭を引き寄せて、半開きになっているアケミの口を自分の唇で塞いだ。

 2,3秒のキスの後、顔を離す。アケミはぽかんと、口を半開きにして固まっていた。


「え、大鋸くん、私、キスして……?」


 アケミの左肩を押して、右肩を引き倒す。案の定、アケミは呆然としていて反応できなかった。ぐるりと回転、俺とアケミの上下が入れ替わる。

 アケミを押し倒す形になった。アケミは動かない。両手を胸の前でぎゅっと組んで、目を丸くして俺の顔を見つめている。


「あのなあ」


 溜息交じりに言ってやる。


「キスされたくらいで真っ赤になるんだったら、色仕掛けなんてするんじゃねえよ」


 アケミの顔は、それはもう真っ赤になっていた。チェーンソーを振り回し、執拗にストーキングしてくる迫力ははどこへやら、俺の下でギュッと縮こまるだけの少女に成り果てていた。

 向こうは高校生のままでも、こっちは10年以上経ってるわけで。こういう風にいろいろと差はできる。


「だ、だってえ……」


 しどろもどろになっているアケミの上から降りて、玄関に向かう。


「あっ、お、大鋸くん!」


 我に返ったアケミが叫んだので、振り返って言ってやった。


「なんでもするって言ったよな?」

「えっ、う、うん」

「じゃあ晩飯作っておいてくれ。旨い卵焼きを頼む。他は和食で、メニューは任せる。金が足りなかったら引き出しの中に財布があるから、それ使ってくれ」

「それって……」


 アケミが言い終わる前に、俺はチェーンソーを手にして玄関を出た。階段を降りて車に向かう。


 アケミは俺が死のうとしていると思っているんだろう。それは大きな勘違いだ。

 八尺様と戦ったら、勝ち目は薄い。それは確かだ。

 だが――勝ち目は薄くても、負けるつもりは全く無い。

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