八尺様(2)

 木島さんが来てからしばらくすると、2階の部屋に上がらされた。その部屋は窓が全部新聞紙で覆われ、隙間もガムテープで塞がれていた。その上からお札が貼られていて、部屋の四隅には盛り塩が置かれていた。

 それと小さいテーブルがあって、その上に木の枝が入った花瓶やろうそく、仏像が並べられて小さな祭壇になっていた。

 あと、布団におにぎりやお茶、お菓子なんかが揃ってた。それに非常用トイレまで用意されていた。


「もうすぐ日が暮れる。いいか、明日の朝までここを出るな。それに、誰に呼ばれても返事をするな。俺も佳子も、お前を呼ぶこともなければ、話しかけることもない。

 テレビは見てもいい。ただ、声は出すな。携帯電話は俺が預かる。家には俺の方から、今日は泊まると電話しておく。

 明日朝の七時になったら、自分でここから出てこい。そうしたら、家まで送っていく」


 今まで見たことのない、爺ちゃんの切迫した姿だった。俺は黙って頷くしかなかった。


「今、言われたことは良く守りなさい。お札も肌身離さず持ってるんじゃよ。何かあったら仏様にお願いしなさい。絶対に、外に出ていっちゃあかんよ」


 木島さんもそう言っていた。

 そして、爺ちゃんと婆ちゃんと木島さんが部屋を出ていって、夜が始まった。


 テレビを見て気を紛らわせようとしたけど、状況が状況だし、内容が全然頭に入ってこなかった。食べ物や飲み物もあったけど、全然手を付ける気になれなかった。頭から布団を被って、ガクガク震えてた。

 何しろ、死ぬんじゃないかってずーっと考えてたからな。正直かなりビビってた。爺ちゃんや婆ちゃんと一緒にいる時はそんなでもなかったんだけど、ひとりになると他に考えることがなくなって、八尺様のことで頭がいっぱいになっちまったんだ。


 そんな状態でも、案外寝られるんだよな人間って……。目が覚めたらテレビは何かの深夜番組をやってて、時計を見たら午前1時過ぎだった。

 嫌な時間に起きちまったな、なんて思ってると、コツ、コツ、って音がしているのに気付いた。

 音は新聞紙で覆われた窓ガラスからしていた。風で何かがぶつかってるのか、と思ったけど、リズムが一定でそんな感じじゃなかった。

 まさか、八尺様か。そう考えるとゾワッとした。八尺様が手を伸ばして、あるいは2階の窓にしがみついて、指で窓ガラスを叩いてるんじゃないか。

 そう思った途端、窓ガラスの向こう側に八尺様がいるというイメージが頭から離れなくなった。窓一枚隔てた向こうに、化け物がいる。震えたよ。チェーンソーを使われたら、一発でぶち破られるし。

 見つからないように、枕を顔に押し付けて息を潜めた。さっさと諦めてどこかに行ってくれ。ずっとそう思ってた。


 そうして、しばらく経っただろうか。不意に爺ちゃんの声が聞こえた。


「おーい、大丈夫か? 怖かったら無理しなくていいぞ」


 ドアの向こうからだった。いつもの爺ちゃんの声だった。

 思わずドアに近づいたが、爺ちゃんの言葉をすぐに思い出した。『夜が明けるまでは絶対に声をかけない』って言葉を。


「どうした、こっちに来てもいいぞ?」


 部屋に閉じ込められる前の爺ちゃんの様子を思い出してた。あんなマジになった爺ちゃんは初めて見た。並じゃない覚悟があった。それを、こんなあっさりと覆すとは思えない。

 爺ちゃんの偽物が俺を部屋から出そうとしている。ゾッとして、ドアから飛び退いた。それっきり、爺ちゃんの声は聞こえなくなった。それでまた、部屋の窓をトントンと叩く音が聞こえてきた。


 間違いない。八尺様がすぐそこにいて、俺に気付いてる。めちゃめちゃ怖かった。怖かったんだが……何というか、あれだ。逆に落ち着いた。

 こう、怖すぎて冷静になったって奴だな。部屋に入った時からずっとビビってたから、怖がるのに疲れたのかもしれない。


 それで思ったんだ。見つかってるのに部屋に入ってこないって事は、入ってこれないんじゃないのかって。

 だって身長2m40cmだぞ? しかもチェーンソーを持ってる。俺がここにいるってわかってるなら、窓なり壁なりをチェーンソーでぶち抜いてくればいいはずだ。

 そうしないって事は、できないんだ。木島さんがバリア的な何かを張って、八尺様が手を出せなくなってるんだ。


 それがわかったら怖さが薄れた。いや、怖いのは変わりないし、すぐそこに八尺様もいるんだけど、今は安全だって理解できたんだ。

 恐怖が薄れたら、腹が減った。夕飯食べてなかったからな。婆ちゃんが準備してくれたおにぎりとお茶を、黙々と食べた。その間も窓から音がしてたから、窓を睨みつけながら食べてたよ。

 そのうち、窓を叩く音だけじゃなくて、声も聞こえてきた。


「ぽぽっ、ぽぽぽ、ぽぽ……」


 昼に庭で聞いたあの声だった。窓ガラスはますます強く叩かれたけど、破られる様子はなくて、そのうち音も声もなくなった。


 飯食って、布団に寝転がりながらテレビ見て。気がついたら朝のニュースが流れてた。時間は7時半ごろだったかな。いつの間にか眠っていたらしい。

 慎重にドアを開けて、誰もいないのを確認すると、心配そうな顔をした婆ちゃんと木島さんがいた。婆ちゃんは俺の顔を見るなり、手をギュッと握ってきた。


「良かったねえ……本当に良かった……!」


 涙を流して、俺が生きていることを喜んでくれた。


「母さん、まだだ」


 ところが、別の声をそれを否定した。

 振り返ると、玄関口に親父が立ってた。


よう!」

「親父!?」


 ようってのは親父の名前だ。大鋸おおがよう。こっちに来てるとは思わなかったから驚いたよ。


「無事だったか、晴斗はると

「どうしてこっちに!?」

「八尺様に魅入られたと聞いて駆けつけた」


 そう言うと、親父は愛用の長刀身チェーンソーを掲げた。戦闘態勢バッチリだったよ。


「おい、早く車に乗れ」


 爺ちゃんが外から顔を出した。言われた通り、玄関から出てみると、ワンボックスのバンが1台停まっていた。

 そしてその前には、親戚のチェーンソー使いたちが揃っていた。


「久しぶりぃ、晴斗くん。おっきくなったねえ。撫でたいから屈んでもらっていい?」


 大鋸おおがスズ。こっちは婆ちゃんの兄の孫娘だ。


「姉様、今はそれどころではありません」


 大鋸おおがリン。スズさんの妹で、2人組で相手を倒すチェーンソー姉妹だ。


「八尺様、実在してたとはな」


 大鋸おおが玄武げんぶ。もうちょい離れた親戚。今の俺より体がでかかった。


「私の予想では八尺様とは別の怪異と考えていますが……」


 大鋸おおが石英せきえい。眼鏡を掛けた細身の男だけど、チェーンソー捌きの正確さは随一だった。


「いずれにせよ、怪異、断つべし」


 大鋸おおが辰砂しんしゃ。黒い覆面をしたお爺さん。小型チェーンソーを2本持っている。


「Yah-mam, そうイキリたつなよ。ハルトをここから逃げせばOKなんだろう?」


 ジャモン・オーガ。明治にブラジルへ移住した日系3世の大鋸家の人だ。


「皆さん……どうしてここに!?」


 これだけのチェーンソー使いが揃うなんて滅多にないことだから、俺は目を丸くしていた。


「八尺様の目を誤魔化すのよ」


 木島さんが答えた。


「血の繋がりがある人間なら、八尺様も見分けがつきにくいはずだからね。叔父さんや従兄弟なんかの、血縁や年齢が近い人の方がもっと良いんだけど……急がないといけないから、すぐに集まれる人たちに来てもらったわ」

「え、それじゃあジャモンさんは? ブラジルからわざわざ?」

「今度結婚するから、その報告でたまたまこっちに来てたんだ。やれやれ、とんだMarriageになりそうだぜ」

「すみません、なんか……」


 俺ひとりのためにこれだけの身内が集まってくれたのかと思うと、何だか非常に申し訳ない気分になった。


 俺たちは9人乗りのワンボックスカーに乗り込んだ。

 俺は中列の真ん中に座らされ、両側に玄武さんと石英さんがついた。後列にはスズさん、リンさん、ジャモンさんが乗った。助手席に木島さん、運転席の隣に辰砂さんがいて、親父が車を運転した。

 爺ちゃんは自分のワゴン車に乗って、俺たちを先導していた。あれも囮だったらしい。


「晴斗。気になるかもしれないが、これからは目を閉じて下を向いていろ。八尺様を見たら感づかれてしまうからな。

 俺がいいと言うまで、我慢して目を開けるなよ。地区の境のお地蔵様を越えるまでの辛抱だ」


 親父がそう言ったから、俺は頷いて言う通りにした。そして車が出発した。爺ちゃんのワゴンが先導して、その後ろを俺が乗ってるワンボックスがついていく、って感じだった。

 目を閉じてたからはっきりとはわからないけど、車はかなりゆっくり進んでたと思う。20キロも出てなかったんじゃないかな。移動中は木島さんがずっと念仏みたいなのを唱えてた。

 しばらくすると、車の中の雰囲気がぴんと張り詰めた。そして、あの声が聞こえてきた。


「ぽっぽぽ、ぽぽぽ、ぽぽぽぽぽ……」


 間違いない。八尺様が近くにいる。前の方から聞こえてきてた。ひょっとしたら、爺ちゃんの車の側にいるのかもしれない。


「姉様……」

「静かに、リン。刺激しないで」


 親戚たちにも見えているようだった。隣の玄武さんが、チェーンソーに手をかける気配が伝わってきた。念仏を唱える声に、ますます力がこもった。


 コツ、コツ。


 また、あの窓ガラスを叩く音が聞こえてきた。八尺様がすぐそばにいる。俺を探している。頼む、マジで勘弁してくれ。諦めて帰ってくれ。呼吸もできないぐらい緊張していて、体はガッチガチに固まっていた。

 周りの親戚たちも同じようで、誰ひとりとして声を上げず、息を潜めているようだった。聞こえるのは車のエンジン音と、八尺様が窓をコツコツ叩く音だけだった。


 そうして、どれくらいの時間が経っただろうか。

 車が停まった。


「もういいぞ」


 親父の声だ。終わったんだ。逃げ切った。俺は心底安心して、盛大に息を吐き出しながら目を開けた。


 八尺様と目が合った。

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