八尺様

八尺様(1)

 俺が長野に住んでたころの話だ。俺が住んでいた家から少し離れた所に、爺ちゃんの家があった。俺の家よりも広くて、山にも近くて、なんだか気に入っていた。遊びに行くと爺ちゃんと婆ちゃんも「よく来たねえ」って喜んでくれたし、稽古もつけてくれた。

 ……こんな事も忘れてたんだよ。本当に。今ならハッキリ思い出せるから、自分でも信じられない。


 最後に爺ちゃんの家に行ったのは高校を卒業した後の春休みだった。卒業の報告も兼ねて遊びに行ったんだ。家についた時、爺ちゃんは仕事でいなくて、婆ちゃんが出迎えてくれた。

 まだ少し寒かったけど、縁側は陽が当たって気持ちよかったから、そこでしばらくくつろいでいた。静かな日でな。うとうとしてたら変な音が聞こえてきた。


「ぽぽ、ぽぽっぽ、ぽ、ぽっ……」


 機械の音にも、人の声のようにも聞こえた。それに、"ぽ"にも"ぼ"にも、どっちにも取れるような感じだった。

 なんだろうと思って音のする方を見ると、庭の生垣の上に白い帽子があるのを見つけた。生垣の上に置いてあったわけじゃないぞ。帽子はそのまま横に移動して、垣根の切れ目まで来た。すると、白っぽいワンピースを着た女の人が見えた。まあ要するに、その女の人が白い帽子を被って歩いていた、ってだけのことだ。

 なーんだ、って思ってから気付いたんだ。爺ちゃんの家の生垣は2メートル以上ある。そこから頭が出るって、どれだけ背の高い女なんだよ、って。

 驚いていると、女は生垣の向こうを歩いてどこかへ行ってしまった。それに、例の「ぽぽぽ」って音も聞こえなくなっていた。

 一体なんだったんだろう。背の高い女が超厚底のブーツを履いてたのか、それとも生垣の向こうがちょっと高くなってて、そこを歩いてたのか。あれこれ考えてたけど、その時は結局答えが出なかった。


 しばらくすると爺ちゃんが帰ってきた。爺ちゃんは大鋸おおが金蔵きんぞうって言うんだ。玄関に行くと、血塗れのチェーンソーと作業服を婆ちゃんに預けている爺ちゃんと出会った。


「おお、晴斗か。いらっしゃい」

「こんにちは。お邪魔してます。仕事はどうでしたか?」

「議員くずれと護衛を4人。鉱山送りだ。大した奴らじゃなかった」


 鉱山ってのは、今、俺が管理してる山のことだ。要するに、バラして山に埋めてきたってこと。爺ちゃんもチェーンソーのプロだったんだよ。

 ……あ、そうだな。そこも解説しなくちゃならないよな。そうそう、この前、リアルと戦ってた時に、ゾンビが湧いてきただろ? あれと関係してる。

 あんまり大きな声じゃ言えないから、秘密にしといてくれよ。


 ウチは代々、偉い人に仕えてる家系でな。武田信玄とか、徳川家康とか、明治政府とか。そういう人たちを陰ながら助けきたそうだ。隠し金山を掘ったり、重要な土地の代官をやったり、政治家の裏金を扱うロビー企業を経営したり……まあ色々手広くやってる。

 で、その中に殺し……ま、要するに暗殺だな。偉い人にとって都合が悪い人間、あるいは猛獣とか、怪異をバラす仕事があった。爺ちゃんはそれをやってたんだ。

 殺した人間のうち、殺されたってわかるとマズい人間は、ウチで引き取って山に埋めてた。それがあの『桜の木の下に埋まってた死体』たちだよ。

 何? 忍者? なんで? ……はー、なるほど。忍者かあ。言われてみればそうかもしれない。でも忍び込んでスパイ、とかそういうのはやって……あー、どうだろ。他の家がやってるかもしれない。

 まあ、忍者かどうかはおいといて、話を先に進めるぞ。


 帰ってきた爺ちゃんに、高校を卒業したこと、大学に入学することを伝えた。爺ちゃんは満足そうに頷いてたし、婆ちゃんはちょっと涙ぐんでた。

 で、その後、庭でチェーンソーの稽古をつけてもらった。


 何? チェーンソーの稽古ってなんだって?

 そのままだよ、チェーンソーの使い方を教えてもらったんだ。握りとか、型とか……まあ、あの頃はもう、型稽古から乱取りやって、その後ダメ出ししてもらうとか、そういう段階だったけどな。

 あー、剣道とか柔道みたいなもんだ。門外不出の秘伝の戦闘術だけど、めちゃめちゃ昔からあったそうだ。チェーンソー柳生っていうんだ。柳生家の隠し子がウチの村に流れ着いたとかいう伝説もあるぞ。

 そんな昔からチェーンソーがあったのかって? ああ、それは後で説明する。とりあえず、話を進めさせてくれ。


 稽古を終えるとシャワーを浴びて、それから居間で冷たいお茶を飲みながらふたりと話した。大学4年間はキッチリ勉強すること。無理に家の仕事を継がなくてもいいこと。仕事が見つからなくてもツテはいろいろあるから相談すること。ふたりとも俺の将来をいろいろ考えてくれてたな。

 まあ、そういう真面目な話はすぐに終わって、どうでもいい世間話になったよ。それで、その中でさっき庭で見た女の話になったんだ。


「そういや爺ちゃん、さっき女の人を見たよ」

「ほう? 誰かね、トメさんが野菜でも運んでたのかい?」

「いや。もっと若い人だったと思う。ちょっとしか見えなかったけど。最近越してきた人?」

「いやあ? 引っ越ししてきた人なんてここ数年はおらんぞ?」

「そっかあ。そこの垣根から帽子が見える、めっちゃ背が高い人だったんだけど。『ぽぽぽ』とか、変な声出してたし」


 そう言った途端、爺ちゃんと婆ちゃんの動きが止まった。


「……垣根より高かったって?」

「ああ」

「いつ見た」


 いつもの爺ちゃんの顔じゃなかった。怒ったような、真剣な表情で、そんな顔見たことなかったからビビった。


「爺ちゃんが帰ってくるちょっと前だよ」

「どこで見た」

「そこの、縁側で」

「垣根より高いって、どれくらいだった?」

「ええと、垣根から頭の帽子が見えて……でも顔は見えない。それぐらいの高さだった」


 気迫に押されながらも爺ちゃんからの質問に答えると、爺ちゃんは急に黙り込んだ。それから廊下に出ていって、誰かに電話を掛けた。ドアが閉まってたから、誰と何を話しているかはよくわからなかった。


「なあ、婆ちゃん。俺、何か悪いことしたか……?」


 爺ちゃんのあんな顔初めてだったから、そう聞いちまった。だけど婆ちゃんは青い顔をして震えながらこう言った。


「八尺様に魅入られてしまったんだよ。でも、金蔵さんが何とかしてくれるからね。なんにも心配しなくていいから、金蔵さんの言う通りにするんだよ」


 八尺様、なんて聞いたことがなかった。

 しばらくすると、爺ちゃんが電話から戻ってきた。


晴斗はると。今日は泊まってけ。いや、今日は帰すわけにはいかなくなった」


 晴斗っていうのは俺の名前だ。翡翠じゃないのかって? その時はそういう名前だったんだよ。


佳子よしこ、後は頼む。俺は木島さんを迎えに行って来る」


 爺ちゃんは婆ちゃんにそう言うと、ワゴン車ででどこかに出かけて行った。

 訳がわからないまま家に取り残された。何がどうなってんだ、って思ってると、婆ちゃんがぽつりぽつりと話し始めた。


 この辺りには『八尺様』っていう厄介なモノがいる。人間じゃない。怪異の類だ。

 八尺様は名前の通り、身長八尺、つまり約2m40cmの大きな女の姿をしている。出てくる度に服装や見た目は変わるらしい。喪服を着た若い女だったり、留袖の長い老婆だったり、野良着姿の年増だったり、もんぺに防災頭巾の女性だったり、赤い洗面器を頭に乗せたインド人美女だったり、いろいろあるそうだ。

 共通点は、女性で異常に背が高いことと、頭に何か乗せていること、それに『ぽぽぽぽ』と独特のエンジン音を響かせるチェーンソーを持っていることだそうだ。

 八尺様は滅多に姿を現さない。最後に出たのは50年くらい前だ。だけど村じゃ有名だった。なんでかって? 八尺様に魅入られた人間は数日以内に死ぬからだ。

 つまり今回は、俺が八尺様のターゲットにされたって訳だ。


 そこまで聞いた俺は、婆ちゃんに聞いてみた。


「そんな奴、チェーンソーで退治すればいいんじゃないのか?」


 ウチはそういうのの退治もやってたからな。そもそもあの村、山からいろいろ降りてくるんだよ。爺ちゃんは『七人ミサキ』もバラしたとか言ってたし。だから、八尺様っていうのも倒せばいいと思ってたんだ。

 だけど婆ちゃんは首を横に振った。


「そうもいかんのよ」

「なんでだ? 殺すと都合が悪いとか?」

「強い」

「強い」


 戦後間もない頃に出た八尺様の犠牲者は、間違いなく一族最強のチェーンソー使いだった。戦前は満州でソ連軍や大陸の悪鬼とかを相手にして、戦後は日本の武装勢力や妖怪を殺しまくってたらしい。国会議事堂で総理大臣を狙った怨霊と一騎打ちをやったこともあったらしい。多分、いくらか盛ってるんだろうけど、とにかくそれくらい強い人だった。

 八尺様に魅入られた彼は、見晴らしのいい野原で八尺様を迎え撃った。戦いの音は一晩中鳴り響いていたそうだが、朝になって村人たちが見に行くと、腹を裂かれて死んでいる彼が見つかった。最強のチェーンソーのプロでもダメだったんだ。


 なんで八尺様がそんなに強いのかっていうと、八尺様はウチの村ができる前からあの場所に住んでいる、"神様だったもの"だかららしい。

 昔話だからホントかどうかは知らないけど、昔はいい神様で、村を作るのを手伝ってくれたり、チェーンソーを作ってプレゼントしてくれたそうだ。だけど、段々おかしくなっていって、遂には人を襲うようになったらしい。で、倒したくても強すぎて倒せないから、爺ちゃんたちが住んでた地域にお地蔵さんで封印して、定期的に女性だけで儀式を開いて鎮めていたそうだ。それでも出る時は出るらしいけどな。実際出たし。


 そこまで聞いたら、流石に大変なことになったって実感が湧いてきたよ。4月から大学だってのに、まだ死にたくねえし。

 そしたら爺ちゃんが知らないお婆さんを連れて帰ってきた。木島さんって人で、八尺様を鎮める儀式のリーダーらしい。


「エラいこっちゃねえ。今はこれを持ってなさい。家から出たらいかんよ」


 そう言うと、木島さんは紙のお札をくれた。文字が書いてあったけど、なんて書いてあるかは読めなかった。

 それから木島さんは、爺ちゃんと一緒に2階に上がって何かの準備を始めた。俺は婆ちゃんと一緒に居間にいて、大人しく待っていた。

 その時は大変なことになったとは思ってたけど、まだ深刻には考えてなかった。何しろ爺ちゃんが対処法を知ってたからな。言う通りにしとけば大丈夫だろうって思ったんだ。だからその後、あんな事になるなんて、思いもしなかった。

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