リアル(6)

 リアルとの戦いから一週間が経った。

 俺も雁金も入院していた。そりゃそうだ。毒ガスとチェンソー、どっちも下手すりゃ死んでる。その上俺は、ショットガンで撃たれている。

 ただ、先に退院したのは俺の方だった。雁金は毒ガスを吸いすぎていたらしい。あと、『ヤマノケ』に取り憑かれていたのもマズかったかもしれない。

 退院した俺は一度家に戻って、身支度を整えてからもう一度病院に行った。雁金に会うために。


「よお」


 病室に着くと、雁金は驚いた顔で俺を見た。まさか、会いに来るとは思っていなかった。そんな様子だった。


「大丈夫だったか?」

「え? え、あ、はい……いや、そちらこそ大丈夫ですか?」

「ああ。深手は貰ったが、死にはしない。全然大丈夫だ」


 そう言うと、雁金は溜息をついて黙り込んでしまった。


「どうした?」

「すみません、怖いんです」

「……あの野郎、まだいるのか」


 バラバラでも足りないのか。だったらウッドチッパーに放り込んで粉々にしてやる、と立ち上がりかけたが、雁金が遮った。


「違うんです。そうじゃなくて。あの幽霊はあれっきり出てきてません。でも、あなたがあれを倒したから」

「だからなんだ」

「あんなに怖くて、どうしようもないものをチェーンソーでバラバラにしたあなたが、本当の恐怖リアルなんじゃないかって思うと、怖くて」


 部屋の空気が冷え込む。鳥肌が立つ。

 雁金は俺を思い込みで"先輩"にした。なら、思い込みで"リアル"にすることもできるんじゃないのか。

 恐怖リアルを斬ったというのなら、確かに俺は恐怖リアルを名乗るのがふさわしいかもしれない。

 だけどそれは成り立たない。


「あのな、雁金」

「はい」

「俺があの悪霊だったらな。怖がる必要はないぞ」

「どうして!? だってリアルは……」

「お前が余裕で俺に勝てるからだ」

「……はい?」


 心底意外そうな表情だった。


「あのなあ、この前の戦いで、俺が一番ヤバかったのはなんだと思う?」

「えっと……あの悪霊のチェーンソーですか?」

「違う。チェーンソーは食らってない」

「じゃあ、手で体の中を抉られたことですか?」

「いや、痛いのは痛いが……傷にはなってない」

「毒ガス……」

「お前よりはマシだよ」


 雁金は黙り込んでしまった。自覚が無いのか。それとも目を逸らしてるだけなのか。しょうがないので言ってやった。


「ショットガンだ」

「はい?」

「ショットガンが一番やばかった。骨にヒビ入ってたぞ」

「……嘘でしょう?」

「マジだよ」


 自覚なかったのかお前は。


「っていうかなあ、俺は人間だぞ? 銃で撃たれて平気だと思うか? あの作業服を着てたから無事だったんだぞ。そもそも最初の一発が顔に飛んできてたら、普通に死んでたからな?

 ハッキリ言って、あの悪霊なんかより、お前の銃のほうがよっぽどおっかないぞ!」


 自分の火力がそこまで高いとは思っていなかったのだろう。雁金はぽかんと口を開けて固まっていた。


「わかったら、あんな幽霊なんて気にするな。次に出てきたら頭に単発弾スラッグショット叩き込んでやれ」

「アッハイ……」


 気の抜けた返事をすると、雁金は黙り込んでしまった。いつもの快活さが全く無い。これが素か? いや、そんな気はしない。心ここにあらずって感じだ。

 駄目だな、どうにもほっとけない。

 溜息とともに、ベッドサイドのパイプ椅子に座った。


「なあ。あの幽霊、一体いつから取り憑いてたんだ?」

「……高校の時からです。それからずっと、ずうっと見られてました」

「マジかよ。そんなに……ってことは、俺と飲み屋に行ってた時も、実は側にいたりとか?」

「いえ、先輩がいる時は……あ」


 言いかけて、雁金は口を噤んだ。


「どうした?」

「……ごめんなさい。あなた、先輩じゃないんですよね。大鋸さん」


 ……うーん。


「いや、先輩でいい」

「へ?」

「名字だと何か他人行儀でムズムズする」

「……翡翠さん?」

「それも何か違う」

「じゃあ……あなた」

「それはそれで、別の意味でヤバい。先輩で頼む」

「気持ち悪くないんですか?」

「慣れちまったんだよ! 責任取れ!」

「じゃあ……先輩」


 頷く。やっぱりこれが一番しっくりくる。


「……えっと、なんの話でしたっけ」

幽霊リアルの話だ。俺がいる時は出ないって?」

「はい。先輩がいる時は怖くありませんでしたから」

「怖くなきゃ出てこないのか、あいつは? どういうことだ?」

「その、そもそも先生が言ってたことなんですけどね……」



――



「そういう事だったのか……」


 雁金から一通りの話を聞いて、ようやく全ての事が腑に落ちた。

 雁金は、恐怖リアルを忘れるために、虚構の"先輩"にすがり続けていたのか。それで赤の他人の俺を"先輩"にして正気を保っていた。

 ところが、この前の『七不思議』の件で、俺が先輩かどうか自信が持てなくなったんだろう。すると恐怖リアルが戻ってくる。それを振り払うには新しい、もっと信頼できる"先輩"が必要だ。だから俺を始末しようとした。


 ……うん。頭おかしい。だけど、それを面と向かって非難する気にはなれない。何しろあの幽霊に高校の頃から取り憑かれている。10年以上か。頭がおかしくなっててもしょうがないと思う。

 そして、更にとんでもない話だけど、こいつは死なずに恐怖リアルに耐えきった。誰にも助けてもらえない状況で、今の今まで生き延びた。その方法が褒められたものじゃなかったとしても、こいつは耐えきった。


「凄いな、お前は」

「そんな事ないです。他人を勝手に先輩にして何とか耐えてましたから……他の人を犠牲にして、生き延びたようなものです」


 そうは言うが、俺にはとても真似できない。雁金の手を握りしめる。


「……よく頑張った。よく、今まで耐えた」


 誰かが言ってやらなきゃ、雁金が報われない。だから、言った。


「もう大丈夫だ」


 雁金の目から涙が溢れた。呻き声が口から溢れて、それを押し隠すように、俺の膝に顔をうずめた。

 わあわあと、まるで子供のように泣く。いや、子供なんだろう。あの悪霊に取り憑かれてからずっと自分の心を締め付けていて、育つ余地なんてなかった。

 俺とは真逆だ。

 落ち着くまで背中を撫でてやった。悲鳴のような泣き声は、やがて小さく、か細くなり、鼻をすする音へと変わっていった。それでも、雁金は俺の膝から離れるまでは時間がかかった。


「……落ち着いたか?」


 ようやく顔を上げた雁金に声をかける。雁金は鼻をすすって、何度も頷いた。


「すみません、ご迷惑をおかけして……」

「どうってことはない。身内だからな。それに泣いてる女を放っておくのも落ち着かない」


 身内と聞いて、雁金は少し頬を赤らめた。


「駄目ですよ先輩、私なんかにそんな事言っちゃ……自称後輩の変な女ですよ?」

「そうだな。思い出したよ、まったく」


 その言葉で、雁金はようやく気付いたようだ。雁金が後輩を名乗るには、1つ問題があることに。


「そういえば先輩。どうして私を、後輩だって認めてくれたんですか? やっぱり、元先輩たちみたいに、何か下心とかあったんですか?」


 元先輩たちって凄い言葉パワーワードをさらっと出すんじゃない。本当に正気に戻ってるのかお前は。


「いや、下心じゃなくてな。高校の頃の事が本当に思い出せなかった」

「そういうぼんやりしてた人もいましたけど……」

「ぼんやりとかじゃなくてな。真面目に、高校より前の記憶が無かったんだ」


 雁金の顔が真剣になった。ようやく、俺が真面目に言っていることに気付いたようだ。


「そうなんですか?」

「ああ。大学に入る直前まで、綺麗さっぱり。だけど、リアルに頭をいじられて、全部思い出した」

「事故とか、病気とか……?」

「いや、違う。ちゃんとした理由があった。ある意味、お前と同じだ。忘れなきゃならない縁があったんだ」


 そして、それを真剣に聞いてくれるのは、雁金ぐらいだろう。こいつは俺の怪談話を楽しんでいたが、頭から疑うことは決してしなかった。

 だから話す。俺がケジメをつけなくちゃならない、あの春のことを。


「死ぬ程洒落にならない怖い話だが……聞いてくれるか?」


 雁金が頷いたのを確かめて、俺は語り出した。


 高校を卒業した年に出会った怪異『八尺様』の事を。

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