リアル(5)

 記憶が戻ってわかったことがふたつある。

 ひとつ。記憶を失っていた俺は未熟者だったということ。

 ひとつ。記憶があった頃の俺も未熟者だったということ。


 リアルに向かって突進する。チェーンソーを脳天に振り下ろす。リアルは無様に飛び退って避けた。ボロボロの着物の裾が、回転刃に巻き込まれて粉々になる。その様子を見たリアルは、戸惑った様子を見せた。

 奴はまだ状況を理解できていないらしい。斬られた経験が無いんだろう。安全圏から人間をいたぶって楽しむ怪異にはありがちな事だ。

 首に向かってチェーンソーを突き出す。リアルは刃を掻い潜った。そして俺の腕を両手で掴んで、チェーンソーを抑えようとしてくる。腕が押される。枯れ木みたいな体をしてるくせに、とんでもない馬鹿力だ。耐えられない。


 体を支える足を意識する。全身の体重の掛け方と関節の捻り具合を調整する。足から腕までが一本のまっすぐな棒になるよう意識する。その状態で地面を強く踏み込む。するとどうなる?


「ドウッ!?」


 リアルの体が吹き飛んだ。地面を踏み締めた足の力がそのまま腕に伝わり、瞬間的に腕力を増幅させて吹き飛ばした。これはそういう技だ。

 チェーンソー発勁。爺ちゃんから教わった、チェーンソー柳生の技のひとつだ。理論は教わってたけど、記憶を失う前の俺には使えなかった。記憶を失い、10年実戦経験を積んで、記憶が戻ってきてようやく使えるようになった。

 これでようやく、俺も一端のチェーンソーのプロだ。……今までプロだって威張り散らしてた自分が恥ずかしい。


「グイッ……ギッ!」


 吹っ飛ばされたリアルは上半身を起こすと、俺に向かって手を突き出した。触れられてもいないのに、首に圧力が掛かる。見えない何かに首を絞められている。


「がっ、ぐ……!」


 さっきまでの俺だったら、何がなんだかわからず絞め落とされていただろう。だが、今なら。

 チェーンソーを構える。俺とリアルの間にある、力の繋がりを感じ取る。太い綱のようなものが、首に巻き付いているイメージが思い浮かぶ。それを断ち切るようにチェーンソーを振るう。

 首の圧迫感が消えた。リアルが弾かれたように腕を引っ込める。リアルが仕掛けてきた術を斬った。反閇へんばいで場を整えれば、見えないものでも、触れられないものでも物理チェーンソーで対処できる。これも爺ちゃんが言っていた通りだ。


 驚くリアルに対して間合いを詰め、チェーンソーで首を狙う。リアルは這いつくばって避けた。すばしっこい。

 リアルは四つん這いで地面を駆け、すれ違いざまに俺の足を撫でた。骨を削られたかのような激痛。思わず膝をつく。

 ……物理チェーンソーは効くようになったけど、相手の不可思議な術を封じられるわけじゃない。魂を削ってくるリアルは、相変わらず厄介だ。


 俺が怯んでいる間に、リアルは桜の木の下に移動した。何をするつもりだ、と訝しんでいると、リアルは桜の木を両手で抱え込んだ。ミシミシと桜が揺れる。地響きとともに、桜の木が根っこごと引き抜かれる。


「おいおい……」


 陰湿な怪異だと思っていたが、豪快なところもあるらしい。全長10mはありそうな桜の木を、そのまま棍棒にしやがった。


「チルシッテ」


 不明瞭な叫びを上げ、リアルは桜の木を横薙ぎに振るおうとした。その前に俺は前に出て、チェーンソーを桜の木へ押し付けた。甲高い音と共に、チェーンソーが桜の木を抑え込む。

 そのまま振るわれていたら、桜の木に殴りつけられて俺は吹っ飛ばされていただろう。大木の棍棒はいくらチェーンソー発勁でも防げない。

 だけど、運動エネルギーっていうのは、重さとスピードの掛け算だ。スピードがゼロなら、どれだけ重くてもエネルギーはゼロのまま。つまり、動き出す前の桜の木を抑えつけるだけなら、問題はない。


「……馬鹿が」


 そしてリアルは大きな間違いを犯した。


「チェーンソーが、木に負けるわけ、ないだろうがっ!」


 大木をチェーンソーで抑え込む。つまり、チェーンソーを木に押し付けるということ。そしたら当然、木は切れる。

 手にした木が切断され、リアルはバランスを崩した。そのチャンスを逃さず、俺はリアルの肩口目掛けてチェーンソーを振り下ろす。

 刃が体を捉えた。回転刃がリアルの体を袈裟懸けに切り裂いた。だが、手応えが軽い。浅い!

 リアルは手にした桜の木の残りを投げつけてきた。サッカーボールを投げるかのように無造作な動作だけど、それで飛んでくるのが重量100kgオーバーの丸太だからたまらない。チェーンソーで受け止めようとしたら思いっきり吹っ飛ばされた。


「おわぁっ!?」


 すぐに立ち上がる。辺りには桜の花びらが嵐のように舞い散っている。視界が悪い。リアルの野郎、どこにいる。いた。ヤマノケのチェーンソーを拾っていた。

 ここまでやりたい放題しておいて、チェーンソーを使いたいのか。最後に頼るのがそれか。


「……ヘッ」


 鼻で笑ってやる。


「現実だとか、恐怖だとか、偉そうなこと言っておいて……てめえも最後に頼るのは暴力じゃねえか」


 それなら負けない。追い詰められて暴力に縋り付いた奴と、最初から暴力を振るってる俺。暴力の女神が微笑むのがどっちかなんて、わかりきってる。


「行くぞオラァァァッ!」


 突進。間合いに踏み込む最後の一歩はチェーンソー発勁。勢いを乗せてチェーンソーを振り抜く。リアルはチェーンソーで俺の斬撃を防いだ。だが、横薙ぎの一撃は、そのままリアルを吹っ飛ばした。

 宙を舞う桜の花びらを掻き乱しつつ、リアルは地面を転がる。俺は大股で駆け寄る。リアルが地面を這いつくばるように回転、俺の足首をチェーンソーを狙ってくる。ジャンプして回避。俺の足は地面ではなく、リアルの胴体を踏みにじった。


「ギイッ!?」


 リアルが悲鳴を上げた。普通の人間なら悲鳴じゃなくて血を吐いてる。だが妖怪には効果が薄いか。

 枯れ枝のような手が俺の足首を掴んだ。体が、浮く。


「お――」


 そして、信じられない力で投げ飛ばされた。


「っとお!?」


 ゴロゴロと、桜の花びらが敷き詰められた地面を転がる。立ち上がろうとしたら膝が軋んだ。遠心力が変に掛かったか。

 痛みに気を取られた一瞬で、リアルが詰め寄ってきた。今度はチェーンソーを突き出される。屈んで避け、足首をチェーンソーで狙う。

 リアルが跳んで斬撃を避けた。逃げ遅れた白装束の裾がチェーンソーに巻き込まれたが、リアルは気にせず俺の頭にチェーンソーを振り下ろす。膝立ちでチェーンソーを掲げて防ぐ。押し込まれそうになる刃を、重心を横にずらして避ける。


 俺は足を踏みしめ、思いっきり立ち上がる。その先にはリアルの頭。

 脳天直撃。立ち上がった俺の頭が、リアルの顎に突き刺さった。

 リアルがのけぞり、体が後ろに傾いた。大きく怯んだリアルの顔面に、更に頭を叩きつける。鈍い音が響き、リアルの顔が変形する。額に鋭い痛み。血が流れ出す。歯でも刺さったか? どうでもいい!


「ドォッシテッ……!?」


 危機を察したらしいリアルが下がろうとする。その動きが止まった。足だ。立ち上がった時に踏み込んだ俺の足が、リアルの足を押さえつけている。


現実リアルが逃げんじゃねえよ」


 そして、肩口にチェーンソーを振り下ろした。鋭い音を立てて、リアルの肩が裂け、鎖骨が砕け、刃がズブズブと体へ沈み込んでいく。リアルはメチャクチャに暴れて俺を引き剥がそうとする。殴られる度にその手が体に沈み込む。魂に直接干渉されている。痛い。めっちゃ痛い。


「うおおおおっ!」


 痛みをごまかすように叫ぶ。こうなったら我慢比べだ。どっちが先に音を上げるか。


「ガアアアアッ!」


 リアルが絶叫する。なおもチェーンソーの刃が進む。肋骨を上から順番に砕き、心臓へ。まだリアルの動きは止まらない。怪異だ。それくらいの根性を見せてもおかしくはない。

 更にチェーンソーを押し込む。背骨を削り取る感触があった。後半分。そこで、リアルが両手を大きく広げて、俺の頭に掴みかかった。視界が暗転する。頭の中心で針の山が爆発したかのような激痛。魂を握り潰されている。


 知ったこっちゃない。

 雁金に散々つきまとって、俺の山で好き放題して、こんな痛い目にあわされて、こっちはとっくにブチ切れてるんだ。この程度の痛みで止まってられるか!

 吼える。腹の底から声を出す。言葉にならない。ならなくていい。身内に手を出されて心底ブチ切れてるって事がわかればそれでいい。後はひたすら力を込める。


 不意に、手にかかる抵抗が消えた。同時に頭の痛みも吹き飛んだ。リアルの体が崩れ落ちる。上半身と下半身が真っ二つになっていた。


 落ちるリアルの指先が、微かに動いた。


 即座にリアルの顔面にチェーンソーを振り下ろす。死んだふりをしていたリアルが両手で防ぐが、もう遅い。


「いい加減にしやがれぇぇぇっ!」


 全体重とありったけの力を込めると、両手を貫いたチェーンソーの刃がリアルの顔面に突き刺さった。更に押し込み、頭を真っ二つにする。リアルの体が大きく飛び跳ね、それっきり動かなくなった。

 更に一発、もう一発、チェーンソーを振り下ろす。トドメを刺したくらいじゃ怒りが収まらなかった。リアルだったものがズタズタの肉片になったのを見て、ようやく手が止まった。


 しばらく、ぜえぜえと荒い息をしながら残骸を見下ろしていたけど、不意に膝から力が抜けた。


「ぐうっ……!」


 踏みとどまる。倒れるにはまだ早い。というか、場所が悪い。目眩がする。毒ガスを吸いすぎた。口元を袖で覆う。

 雁金が倒れている。息はある。担ぎ上げる。車まで戻って、こっから病院だ。

 満開だった桜はいつの間にか散っていた。

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