リアル(4)
ぽぽ、ぽぽぽぽぽ。
遠い何処かで聞いた、独特のエンジン音。
目を覚ました。うつ伏せだった。体が痺れる。吐き気が酷い。全身が痛い。特に、頭が。なんで生きてるのか不思議でしょうがない。
顔を上げる。黒いものが俺を見下ろしていた。
人間じゃない。神。あるいは怪異。自然の道理を外れて、己の道理で生きる、顕現した力。
なんだって?
リアルは自分の右手を不思議そうに見下ろしている。手が真っ二つに避けていた。黒い手から黒い血がダラダラと流れている。まるで、チェーンソーで斬られたかのような切り口だ。
断ち斬られた縁に手を伸ばした結果だ。奴は魂を貪ろうとして手傷を負った。
なんで俺は、そんな事を知っている?
頭が痛い。さっき、リアルに魂を掴まれた時の痛みとは違う。作り変えられる痛みだ。違う。作り変えるんじゃない。直ってる。まさか、これは。まさか、まさか、まさか――!
体が震える。吐き気がする。情報処理が追いつかない。脳と魂の全てが、作り直される俺を把握することに振り向けられている。マズい。そいつはマズい! リアルがとどめを刺そうと、俺の心臓に向かって手を伸ばしてるっていうのに、動けないのはマズすぎる!
だけど、俺に触れる直前で、リアルの腕はピタリと止まった。そしてリアルは振り返る。
雁金がいた。チェーンソーを手にして立っていた。上半身をふらふらと揺らしながら、こっちに向かって歩いてきていた。
バカ。逃げろ、雁金。銃があるならまだしも、チェーンソーでお前が敵う相手じゃない。叫ぼうとしたが声が出ない。いじくられた頭に体が追いついてない。
リアルは雁金を見据えると、両手を猛禽のように開いて雁金に飛びかかった。俺と同じように、魂を握り潰すつもりだ。ヤバい。あいつには耐えられない。痛みに魂が弾け飛んで、死ぬ。やめろ。
「チェーン……ソウ……メツ……」
雁金の口から、そんな声が聞こえた。
雁金はリアルの横に回り込んで攻撃を避けた。それだけでなく、チェーンソーを片手で振り回し、リアルの胴を浅く切り裂いた。
リアルは飛び退って距離を取った。顔は見えないが、やや驚いたように見えた。そりゃそうだ。俺だってビックリしてる。あいつがあんなチェーンソー捌きを身に付けているなんて、聞いたことがない。
雁金はチェーンソーを構えてニヤニヤ笑っていた。いつもの快活さは微塵もない、気持ち悪い笑顔だった。
見覚えがある笑顔だった。いや、そもそもさっきの言葉。あれを、俺は知っている。
考えてみれば当然だった。女が山に入って、罠や銃でそこら中を荒らし回り、挙句の果てに得体のしれない廃神を連れてきた。
「はいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれた」
『ヤマノケ』がブチ切れない訳がなかった。
雁金の体を乗っ取ったヤマノケは、上半身がブレるあの独特の動きをしながらリアルとの間合いを詰める。リアルは間合いを見誤った。下がろうと考えた時には、すでにヤマノケは間合いの中にいる。
ヤマノケがチェーンソーを振り上げた。リアルは飛び退って避けるが、白装束が浅く切り裂かれた。物理が通用している。流石は山の神様だ。
リアルは右手をヤマノケの頭めがけて突き出す。ヤマノケは上半身をぐにゃりと曲げて避ける。
ヤマノケが攻める。変幻自在の斬撃に、リアルは翻弄されている。あの独特のステップ、初見じゃ見切れない。それでもリアルは冷静に防御に努めている。
そのうちに、リアルが反撃を始めた。徐々に、徐々に、手刀がヤマノケの、いや、雁金の体を捉え始める。リアルの手が触れる度に、雁金の顔が苦痛に歪む。
まずい。今の俺にはわかる。ヤマノケより
それに、もうひとつ。
「はいれたはいれたはいれたはいれ……えぶっ!?」
ヤマノケが、いや、雁金が嘔吐した。動きが大きく乱れる。そこにリアルが襲いかかる。ヤマノケはチェーンソーで腕を防いだが、大きくよろめいた。
やっぱりだ。ヤマノケが取り憑いているとはいえ、雁金の体は毒に蝕まれてたままだ。これ以上戦ったら危険だ。ヤマノケでも動かせなくなる。
止めなくちゃならない。やるのは誰だ?
俺だ。大鋸晴斗だ。
意識が澄み渡った。体の中で荒れ狂っていた吐き気がピタリと止んだ。立ち上がり、体を確かめる。
全身が痺れている。頭を掻き回された後遺症だ。そいつは慣れればどうにかなる。
呼吸する度にアバラが痛い。さっき雁金に撃たれたところだ。アバラにヒビでも入ったか。折れてはいない。折れたらこんなもんじゃ済まない。
左手首に違和感。ミサンガに巻き付いていたお守り紐が焼け落ちていた。すまない、高橋さん。役に立った。
魂を掻き回された吐き気とは別に、気分が悪い。目眩がする。埋めた死体の毒が回ってる。雁金より頑丈だけど、俺だって人間だからな。
総括すると、満身創痍。万全には程遠いが、それでも、やるしかない。
チェーンソーを拾い上げる。深く息を吸い、吐き出す。心身を整える。ゆっくりと、両足の感触を確かめるように歩き出す。
リアルとヤマノケに視線を向ける。どっちも得体のしれない術を使い、人間離れした身体能力を発揮している。だけど、今の俺から見れば、どっちもどうってことない。
鍔迫り合いの後、リアルとヤマノケが大きく間合いをとった。決着をつけるつもりだったんだろう。
その間に、無造作に入り込んだ。
どっちも驚いていた。しかし、ヤマノケが先に動いた。
「チェーン、ソウ、メツ!」
踏み込んできたヤマノケに合わせて踏み込む。一歩速く間合いが詰まる。ヤマノケは上半身をブレさせるが、動きは全部見えている。
「出ろ」
左手でジャブを放った。拳が顎を捕らえ、脳を揺らす。雁金の体ごと、ヤマノケはその場に崩れ落ちた。……出ろって言ったのに一緒に気絶すんな。
ただ、その前に、殺せるようにしなきゃいらない。
両足は地面をしっかりと踏みしめる。意識は天の彼方へ向ける。そして、両手で握ったチェーンソーを眼前で構える。
地と、天と、チェーンソー。三つの気を、俺とリアルが存在する"場"を意識する。
「鉄輪の神の末裔。
チェーンソー柳生。
四つの縁を以て命ず」
左足をすり足で前に出す。続いて右足をすり足で前に。最後に左足と右足を平行に揃え、咆哮と共に力強く地を踏みしめる。
「
俺とリアルがいる空間――"場"に、天地チェーンソーの気が放たれた。互いの存在にピントが定まる。リアルの体がくっきり見える。視覚的な問題じゃない。存在の波長が天地チェーンソーの気によって合わさった。
リアルが飛びかかってきた。枯れ木のように捻じくれた右手で殴りかかってくる。防御なんて考えてない動きだ。チェーンソーが当たるわけがない、と思っているのだろう。
だが、俺はチェーンソーを振りかざす。迷いなく、高々と。その様子に違和感を覚えたのか、リアルは突進を止めようとした。だが、遅い。そこはもう間合いの中だ。
チェーンソーを振り下ろす。リアルは後ろに飛び退って、直撃を避けた。だが、逃げ遅れた髪の数束がバッサリと斬り落とされた。さっきまでのように、刃がすり抜けることはなかった。
リアルは斬られた自分の髪を、不思議そうに指で撫でている。
「床屋は初めてか?」
恐らく、斬られることも初めてだろう。この手の怪異は位相をずらして、自分だけ安全圏から人を苦しめることを好むと、爺ちゃんが言っていた。だが、そういう連中に触れるようにするための儀式が、この世にはいくつも存在する。
記憶は戻った。
練気は済ませた。
「さあ、
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