雁金朱音

雁金朱音(1)

 本当に、本当に怖いものっていうのは、パッと解決したり、終わったって一目でわかるようなものじゃないんです。

 終わったと思っても実は残っていて、長い時間をかけてゆっくりゆっくり蝕んでいくものなんです。


 はじめの、本当にはじめは、高校の時でした。

 学校の噂で、『鏡の前でお辞儀をしたまま右を見ると幽霊が見える』って話がありました。やった人もいたとか、幽霊に殺された人もいるとか、そういう、有名だけど誰も本気で信じていない学校の怪談でした。

 その話で友達と盛り上がって、じゃあやってみようってことになって、トイレの鏡でやってみたんです。来るわけない、って思いながら。


 右を向いたら、トイレの個室の前にそれがいました。

 ドロドロに汚れた白装束を着た人でした。髪はボサボサで腰まであって、顔が隠れていました。髪の間から見える顔には何枚もお札が貼ってあって、どんな表情かわかりませんでした。

 だらんとぶらさがった両腕は枯れ木のように細くて、右手には唸り声をあげるチェーンソーを持っていました。


 それを見て私は……何もできませんでした。悲鳴も上げられなかったし、逃げ出すことも、目を瞑ることもできませんでした。怖すぎて、頭が真っ白になってたんです。

 そうしたら、その人影が自分の顔のお札に手を掛けて、剥がそうとしたんです。

 直感的に、見ちゃいけないってわかりました。わかったけど、相変わらず体は固まってて、どうにもできませんでした。


 気がついたら病院のベッドでした。

 私、トイレで気絶しちゃったみたいで。大騒ぎになって救急車で運ばれたみたいです。特にケガとかはしてませんでしたから、次の日には普通に学校に戻りましたけどね。

 最初は夢だったのかなー、って思ってたんですけど、すぐに違うってわかりました。私が運ばれた後、例のトイレに物凄く臭い泥がそこら中にへばりついていたらしいんです。

 もちろん、私が鏡を見てた時は、そんなものはありませんでしたよ?


 それから、幽霊が何度も出てくるようになったんです。視界の端にチラチラっと。それで、びっくりしてそっちを見るといなくなるんです。はっきりとは見えなかったけど、あの幽霊だっていうのはわかりました。

 でもそれより、もっと大変なことがありました。友達グループとケンカになっちゃったんです。幽霊の話をしたら、そんなもの見てない、の一点張りで。同じトイレにいたのに、あの子たちには幽霊が見えてなかったんですよ。

 それに、私がたまに幽霊を見て怯えるのを、本気で嫌がっちゃったみたいなんですよ。それで孤立しちゃって。そしたら学校のろくでもない連中に絡まれて。大変でしたねえ。

 学校に行くのが嫌になりましたけど、家にひとりでいても幽霊は見えるから、気を紛らわせるために通ってました。それが、却ってろくでもない連中の癇に障ったみたいです。


 放課後、人気のない倉庫裏に連れ込まれて、ナイフで服を切り裂かれて、スマホで動画も撮られてて。もうダメかな、って思ってたら、私の後ろの倉庫から、先輩が出てきたんです。

 先輩は授業をサボってて邪魔するつもりはなかったらしいんですけど、不良たちはそう思わなかったみたいですね。いきり立って襲いかかりました。

 ですから、ええ、正当防衛ですよ? 3人まとめて返り討ちにして、しかもそのうちの1人が自分のナイフが刺さって死んでも、先輩は悪くありません。逃げた女のスマホに動画が残ってたし、ちゃんと警察に証言もしたんですから。

 それでろくでもない連中は全員捕まって、私は先輩にお礼を言って……とっても素敵な方だったので、付き合うことになったんです。

 ちょっと乱暴だったり、不器用だったりするところもありましたけど、私を助けてくれた人でしたから、全然平気でしたよ。


 でも、幽霊はその間もずっと側にいました。

 いろんなお寺や神社に行ったんですけど、気のせいって言われたり、霊の気配は感じられないって言われるだけで、誰も解決してくれませんでした。

 そうしたら、先輩が私の相談に乗ってくれたんですよね。正直に話したら、流石にびっくりしてましたけど、知り合いに聞いてみるって言ってくれました。

 ちょっと気が楽になって、お家に帰りました。そうしたら、お母さんが私の顔を見るなり、こう言ったんです。


「ちょっと朱音!? 首、どうしたの!?」


 鏡を見たら、私の首の周りに、チェーンソーで削り取られたような赤黒いアザができていたんです。びっくりしていると、鏡の向こうの廊下を、あの幽霊がすっと横切っていきました。

 そしたらお母さんが、あの先輩に酷いことをされたのかって言い始めたんですよ。そんな訳ないでしょう? 先輩は私を助けてくれるのに。

 でもお父さんにも知らされて、警察に通報するって言い始めたんです。流石にもう隠せなくって、両親に幽霊のことを話しました。半信半疑だったけど、首のアザが証拠になりました。

 そうしたら、お婆ちゃんがお世話になってる、S先生っていう尼僧さんに相談したらいいって話になったんです。お母さんがお婆ちゃんに電話をして、話をつけてくれることになりました。


 それから2日間、急に熱が出て寝込みました。あの幽霊のせいなのか、それとも精神的に参ってたかはわかりませんけど、とにかく起き上がれないくらい苦しかったです。

 それに、首の周り、アザのところが痒くって。引っ掻いちゃいけないってわかってたんですけど、寝てる間に引っ掻いていて、その痛みで目が覚める、なんてことが何度もありました。

 汗も酷くて、気持ち悪くて、顔を洗おうと思って洗面所に行って、ゾッとしました。

 鏡を見たら、首のアザが広がってたんです。いえ、アザっていうか、もう膿になっていました。自分で引っ掻いた傷も無数についていて、それが半分腐ってたみたいで……。

 その場で吐きました。単純に気持ち悪かったのと、自分の体にそんな事が起きてるって事が信じられなくて。口を濯いで、フラフラになって布団に戻りました。


 布団に倒れ込んで、でも気持ち悪さで眠れないでいると、電話が鳴ったんです。先輩からでした。すっごい嬉しかったですよ。


「もしもし!?」

《おう。えっと……大丈夫か?》

「あはは……あんまり大丈夫じゃないです」

《そうか……あのー、この前の、幽霊の話なんだけどさ。友達の知り合いに、そういうのに強い人がいるみたいなんだ》

「っ、本当ですか!?」


 流石先輩、ってその時は思いましたね。


《ああ。紹介できるけど、どうする?》

「……えっと、お金とかは……」


 タダじゃないってのはわかってました。もしかしたらお父さんに相談することになるかもって。

 でも、先輩の言葉を聞いてびっくりしました。


《金? あー……。いや、気にするな》

「でも……」

《ちょっとだから。俺が払う》

「……ッ!? ダメです、良くないですそんなの!」

《気にすんな。大した額じゃないし。後で返してくれれば、それでいい》


 いやもう、本当に最高の先輩でしたよ。私のために、お金まで用意してくれるなんて。すっごく、すっごく素敵で嬉しかったです。

 で、その後何度か電話して、次の日曜日に車で迎えに来てくれるって話になりました。

 それと、S先生にも連絡がついて、急な話だけど2週間後には会ってくれるって聞きました。先に先輩が紹介してくれた人に会って、それでもダメならS先生、って事ですね。

 どっちかがなんとかしてくれるかもしれない。そう思いながら、私はその日を待ちました。

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