座敷わらし

「帰りたくない」


 ひとまず落ち着いたメリーさんに、家に帰るように促したら、そんな事を言い始めた。


「どうした?」

「あの部屋に帰りたくない」

「なんでだ」

「だって、汚れちゃったもの」


 あー……なるほど、確かに。掃除でどうにかなる汚れじゃない。床や壁をビニールで覆っておけばまだなんとかなったかもしれないけど、手遅れだ。


「じゃあどうするんだ?」


 だからといって、家無しでメリーさんが暮らしていけるとは思えない。何か考えはあるのか聞いてみると、メリーさんは辺りを見回して言った。


「ここに住む」

「えっ」


 えっ。


「ここに住む。いいでしょ?」

「ダメだ」

「どうして? 私は一番じゃないの?」

「一番は一番だけど、それとこれとは話が違う。具体的に言うと俺が捕まる」


 メリーさんが部屋を出たところを見られた時点で通報される。ヤバい。

 いや、そう考えるとこの状況は本当にヤバい。朝までにメリーさんの住む場所を見つけないと。それは難しいか? せめてメリーさんをこの部屋から出さないと社会的に死ぬ。


「どこか、他に空いてるアパートとか知らないか?」

「知らないし、そんな所に住みたくない」

「一旦、ホテルに行くとかはどうだ?」

「わかった。私ひとりだと追い出されるから、一緒に来て」

「やめよう」


 それはそれで捕まる。

 ええい、クソ、住める所、隠れられる所……。


「あっ」

「何?」

「屋敷があった」



――



 俺が住んでいるアパートから車で20分の所に、仕事場の山がある。ここで木を切ったり、運んできた死体を処理して埋めたりしている。

 この山の歴史は古い。最初に使い始めたのは江戸時代になるんだとか。それから何百年もの間、様々な人がこの山を管理してきた。

 そうした管理人が住むための屋敷が、山の麓にあった。


「着いたぞ」


 車から降りると、空が明るくなっていた。人目がちょっと気になったけど、この辺りに住人はほとんどいない。メリーさんが見つかって通報される心配はないだろう。

 車から降りたメリーさんは目の前の屋敷を見上げていた。

 明治に建てられた二階建ての日本家屋。先代の管理人がリフォームしたから、見た目よりも住みやすい。屋敷の隣には大きな車庫があって、そこには山で切った木を運ぶフォワーダと、俺が趣味で買った4WDがある。

 この屋敷には水道、電気、ガスが通っているし、一通りの家具も揃っている。山の持ち主が、訳アリな人を匿うためだ。

 俺が住んでもいいと言われていたが、駅から遠いから、俺は別のアパートを借りていた。


 さて、この物件をメリーさんは気に入ってくれるだろうか。横目で見た感じだと、まずまずの感触だ。


「中も見てみるか? 寒いだろ」

「そうね」


 冬の夜明けだ。寒いことこの上ない。俺は玄関の鍵を開けて、メリーさんを屋敷の中に招き入れた。玄関で靴を脱いで、廊下に上がる。


「……埃っぽくない?」

「そうか? いつもよりはスッキリしてるんだが……」


 普段使ってない家の中だ。空気が淀んでるのも当然か。しかし、メリーさんに言われるまで気が付かなかった。なんでだろう、と考えてみるとすぐにわかった。普段より埃っぽさが薄れていたからだ。どうしてだろう。どこか小窓が空いてたのかもしれない。

 考えても仕方ない。廊下を進んでリビングへ。ここはリフォームされて洋風になっている。更にシステムキッチンと一体化している。前の管理人の家族がやったものだ。俺にはちょっと広すぎる。


「おおー……」


 メリーさんは感心した声を上げている。見た目が日本家屋だったから、畳の部屋を想像してたんだろう。ギャップが好印象を与えている。

 ポタ、と音がした。見ると、キッチンの蛇口から水滴が落ちていた。しまった、ちゃんと止まってなかったか。慌てて栓を締める。もったいない。っていうか、光熱費を払っている山の持ち主に怒られかねない。


「テレビは映るの?」

「映る」

「ネットは?」

「……パソコンが無いな。スマホの電波は入るけど」

「むー。Wi-Fi」

「わかった。業者を呼ぶから、しばらくの間は我慢しててくれ」


 持ち主と相談する必要はあるけど、まあ大丈夫だろ。

 リビングを出て、1階の別の部屋を案内する。こっちは畳の部屋だ。昔はここに仏壇が置いてあったそうだが、今は何も残っていない。前の管理人が引き払う時に持っていった。

 ところが、メリーさんは部屋をきょろきょろ見回すと、とんでもない事を言った。


「誰かいる?」

「おいおい……」


 身構える。念のため、押し入れの中を調べるけど、誰もいない。


「何もないぞ」

「でも、誰かいる感じがするのよね」

「古い家だからな。座敷わらしでもいるんじゃないのか?」

「ざしきわらし?」


 メリーさんが、きょとん、と小首を傾げた。知らないのか。


「えーっと、古い家に住んでる子供の幽霊だな。気配はするけど見えないんだとか」


 雁金みたいに詳しくはないけど、それくらいなら知ってる。


「勝手に人の家に住んでるなんて……捕まらないのかしら」

「幽霊だからな」


 というかお前が言うな。


 それから畳の部屋を出て、1階の他の部屋を案内した。元がやたら大きい屋敷なだけあって、客間や物置、書斎なんかもある。

 特にメリーさんが気に入ったのは、裏手のサンルームだった。全面ガラス張りになっていて、冬でも温かい。


「ねえ、ここにクッションいっぱい持ってきてお昼寝したい!」

「掃除したらな」


 くすんだガラスを見上げながら俺は答えた。

 その後は2階だ。洋室がふたつ、和室がひとつ。いい感じのバルコニーもあるけど、今は寒いから窓から見るだけにする。と思ったけど。


「おっと……あれはマズいな」

「どうしたの?」

「裏の門が空いてる」


 庭の裏にある門が空いていた。風に吹かれてキイキイ音を立てている。建物の戸締まりはちゃんとしているけど、庭に入られるだけでも結構困る。


「ちょっと待っててくれ。すぐに閉めてくる」


 メリーさんを置いて、急な階段を降りる。玄関から出ようとしたけど、寒いのを思い出した。少しでも長く家の中にいるために、裏口から出よう。廊下を曲がる。


 目の前に知らないオッサンがいた。


「うわーっ!?」

「うわーっ!?」


 お互いに叫ぶ。座敷のオッサン、という言葉が思い浮かんだ頃には、既に俺はオッサンの顔面を殴りつけていた。



――



 座敷のオッサンじゃなくてただのオッサンだった。


「じゃあよろしくお願いします」

「はい。お疲れ様でした」


 駆けつけたおまわりさんによって、殴り倒されたオッサンはパトカーで連行されていった。住居侵入罪の現行犯だ。

 しかもあのオッサン、見たことがあるかと思ったら、前に俺のアパートに入り込んでたオッサンだった。

 あの後、刑期を終えたオッサンは行く宛もなく、この辺りをウロウロしていた。そしたら人目につかない空き家を見つけたので、そこをねぐらにすることにした。それがこの山の屋敷だったらしい。

 鍵はしっかり閉めていたはずなんだけど、オッサンはそれを外して入った。一か所古いタイプの鍵があって、ちょっとした道具があれば簡単に外せるんだとか。

 俺は時々掃除に来ていたんだけど、その時は仏間の押し入れの天井裏に隠れてやり過ごしていたらしい。確かにそこは見ないからなあ。メリーさんの勘は当たってたわけだ。

 しかし、裏の門を閉め忘れたのが運の尽きだった。2階に上がった俺が、門が開いていることに気付いて階段を駆け下りた。そして、家から脱出しようとしたオッサンに鉢合わせした、という訳だ。

 なんかもう、運が悪いというか、お疲れ様というか……とにかく二度とこの街に近寄らないよう言い含めた上で、警察に突き出すことにした。山に埋めようかとも思ったけど、警察に通報した後だったからやめておいた。


 おまわりさんたちを見送った俺は屋敷に戻った。2階に上がり、部屋のひとつに入って、タンスをノックする。


「メリーさん、開けていいか?」

「いいわよ」


 タンスを開けるとメリーさんがいた。おまわりさんに見つかると面倒だから、隠れてもらっていた。


「すまない、なんか急に変なことになって」

「まあ、不審者ならしょうがないわね」


 鍵取り替えよう、本当に。

 それはともかく、肝心なことを聞く。


「それで、メリーさん。この家はどうだ?」

「うーん……あのおじさんがいたのはちょっと気になるけど……」

「オッサンはついてこないから安心しろ」

「そうじゃなくて……まあいいわ。翡翠のおすすめだし、許してあげる」


 こうして、メリーさんはタワマンから山の麓の一軒家に引っ越すことになった。ご成約ありがとうございます。

 ……なんで不動産屋みたいなことやってるんだ、俺は?



――



 メリーさんに屋敷に関するいくつかの注意点を伝えた俺は、アパートに戻った。スマホの画面を見ると、通知があった。

 すぐに折り返そうとして、指を止める。一度スマホを置いて、タバコを一本吸ってから、改めて電話をかけた。


《もしもし? 先輩ですか?》


 雁金の声だった。電話越しでもわかる。本物の、なんの変わりもない、あいつの声だ。

 なのに不安で、落ち着かない。


「……よう、雁金」

《どうしたんですか? 急に電話して》

「ん? いや、お前から電話があったから、折り返したんだが」


 返事に少し間があった。


《あっ、そうでした! すみません》

「……それで、なんの用だ?」

《いえ、用はないんですけど。なんとなく先輩の声を聞きたくなっちゃって。

 ほら、先輩、昨日はお休みなのにLINEをひとつもくれなかったじゃないですか。だから忙しいのかなーって思ったんですよ》

「まあ、ちょっとゴタついててな。お前の方はヒマだったのか?」

《いえ。実は吉田さんとお話をしてまして》

「……アカツキセキュリティの、か? 何された?」

《何って……普通にお話を聞いただけですが。後、今まで会ったことのある怪異についてとか、ですね》


 良かった。吉田と聞いて嫌な予感がしたけど、いきなり殺しにいったり、変なことをした訳じゃなさそうだ。


《ああ、そうだ。不思議なことを聞かれましたよ》

「なんだ?」

《私たちの高校の話です。トイレの鏡でおまじない……? とか、言ってましたけど。聞いたことありませんよね、先輩?》


 やっぱり、嘘をついている。深呼吸して、心を落ち着かせてから呼びかける。


「雁金」

《はい?》

「俺たちの高校じゃない。俺は、あの高校に行ったことがない」

《……何言ってるんですか?》

「雁金。今更だけど、正直に言う。俺の生まれはは長野だ。埼玉の高校なんて通ったことがない。だから、俺がお前の先輩ってことはありえないんだ。

 なのに、どうしてお前は俺のことを先輩って呼ぶんだ?」


 言った。言ってしまった。もう後戻りはできない。

 今更になって怖くなる。雁金がどんな反応をするのか。怒るのか。謝るのか。泣き出すのか。どうなった時にどうすればいい。全然わからない。昔の記憶がちゃんとあるのなら、どうすればいいのかもわかるんだろうか。


《……は》


 そして、雁金は。


《あはははは! 何言ってるんですか先輩! もー、急に冗談言わないでくださいよー!》


 笑った。

 真面目に聞いてない、と思った。


「いや、冗談じゃなくてな?」

《先輩が先輩じゃないわけないじゃないですか。だったらここで話してるあなたは一体誰なんですか? あなたが先輩じゃなかったら、私の先輩はどこにいるんですか?

 先輩は初めて会った時からずーっと私の心の支えだったんです。そんな人が私の知らない所にいるわけないじゃないですか。

 ねえ、誰なんですか、あなた? 私の先輩はどこにいるんですか? 教えてくださいよ。隠さないでくださいよ。怖がらせないでくださいよ。ねえ、ねえ、ねえ?》


 真面目に聞いてないんじゃない。最初から――ひょっとしたら、初めて会った時から――雁金は俺の話を聞いていなかった。


「待て、落ち着け、話を聞け!」


 思わず声を張り上げると、雁金は急に静かになった。何も言わない。さっきとは真逆の沈黙。逆に怖い。


「いや、急に落ち着かれても……」

《そうですか》


 そう言い残して、雁金は電話を切った。


「おい……おい!?」


 何度呼びかけても、電話が切れた時のあの音は返事を返さなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る