メリーさん

「……ん」


 オオオカタダタカの死体をベランダから投げ捨て、タバコを吸っていると、メリーさんが目を覚ました。

 半分くらい残っているタバコを携帯灰皿に放り込む。メリーさんはタバコが嫌いだ。それに、さっきオオオカタダタカが来た時に中断した分を足すと、ちょうど1本分くらいだ。惜しくはない。


「目が覚めたか?」


 メリーさんに声をかける。メリーさんは寝ぼけ眼できょろきょろ辺りを見回す。そして、状況を理解すると真っ青になった。


「ひす、ひ、わ、わたし……」


 正気には戻ったみたいだけど、落ち着け。


「大丈夫だ。クソ幽霊どもは皆殺しにした」


 メリーさんは不安げにキョロキョロしている。


「どうしよう、私、『メリーさん』じゃない! なんなの!? 私ってなんなの!?」

「わかってる、わかってるから。落ち着け」


 立ち上がりかけたメリーさんの手を握る。少しでも落ち着いてくれるように。


「私は私なの! 私がいいの! 童話なんかじゃくて、楽しく遊ぶメリーさんがいいの!」

「わかってる、わかってるから」


 物理的に抑えたところで、瞬間移動されたらおしまいなんだけど、メリーさんはそんなことも思いつかないくらい混乱していた。

 とにかく何も言わずに、じっと見つめる。そうすると、支離滅裂なことを言っていたメリーさんは徐々に落ち着いてきた。

 落ち着いたタイミングを見計らって、メリーさんに声をかける。


「いいか、喋っても?」

「……うん」

「……すまなかった」


 深々と頭を下げる。


「えっ、えっ、なんで?」

「一番だとか言っておいて、放っておいたことだ。俺が悪い。本当にごめん」


 手を出したのはオオオカタダタカだが、気付かなかったのは俺の責任だ。もっとこまめに連絡をとっておくべきだった。


「ちょっと、やめてよ。助けに来てくれたのに……翡翠は悪くないじゃない!」

「いや。肝心な時にいなかった俺が悪い。すまなかった」

「でも……助けてくれた。だからいいの。お願いだから顔を上げて」


 頭を持ち上げられそうになる。そこまでされたら仕方ない。顔を上げた。


「うわっ」

「えっ」


 顔見たらドン引きされた。なんでだ。


「血がついてる」

「ああ、確かに」


 血まみれの床に頭をつけてたからなあ。


「ねえ……一旦ここから出ない? ここ、気持ち悪い」

「そうだな。そうしよう」


 俺は気にならないが、メリーさんが嫌なら出よう。

 立ち上がろうとしたが、メリーさんに手を押さえられた。


「待って」

「うん?」

「私、メリーさん。今、あなたのお家にいるの」


 一瞬、視界が真っ暗になった。次の瞬間には明るくなり、見慣れたアパートの一室に切り替わった。


「うおっ!?」


 メリーさんの瞬間移動だ。でも。


「お前、他の人も瞬間移動させれたのか……?」

「その……特別よ、特別。今ならできそうだと思ったから」

「今まではできなかったのか?」

「でき……ううん、やろうと思えばできたかもしれない」


 なんだか曖昧な言い方だ。


「でも、やりたくなかった。変わりたくなかったの」

「なんだそれ」

「だって、今までできなかったことができるようになったってことは、『成長』したってことでしょう?」

「……ああ、なるほど。自分が変わる、ってことか」


 メリーさんは頷いた。子供が成長するのは当たり前のことなんだけど、そこまで自分の変化を受け入れられなかったのか。


「だったら、なんで今はやろうと思ったんだ?」


 俺の問いかけに、メリーさんは少し躊躇ってから、答えた。


「あなたのためなら、いいと思った」

「……そうか」


 そのまま、ふたりとも沈黙する。物凄い静かだ。考えてみたら時刻は深夜、車すら走っていない。静かなのも当然だ。

 お茶でも出そうか、と言おうとしたら、メリーさんが口を開いた。


「ねえ、翡翠。話を聞いてくれる?」


 その顔は真剣だった。俺は居住まいを正すと、黙って頷いた。それを受けてメリーさんは、意を決したように話しだした。


「私、『メリーさん』じゃなかったの」

「うん?」

「私はね……私の元になったお話はね。『子どもたちが屠殺ごっこをした話Wie Kinder Schlachtens miteinander gespielt haben』」

「……すまん、日本語で頼む」

「『子どもたちが屠殺ごっこをした話』」


 その、タイトルからして物騒な話を、メリーさんは語る。


「あるところに3人兄妹の家族がいました。ある日、上の子2人が屠殺ごっこをしました。お肉屋さん役のお姉さんが豚役の弟をナイフで刺すと、弟は死んでしまいました。

 すると、末っ子の赤ん坊をお風呂に入れていたお母さんが驚いて、お姉さんを締め殺してしまいました。その間に末っ子はお風呂で溺れ死んでしまって、お母さんはショックで首を吊ってしまいました。仕事から帰ってきたお父さんは、家族が全員死んでいるのを見てショックで倒れて、そのまま死んでしまいました。

 そういうお話よ」

「物騒な話だな……どこの国のホラーだよ」

「グリム童話よ」

「……童話?」


 あの、子供が読む話の? え、子供にこんな話を聞かせるの? ヤバくね?


「もちろん、今は残ってないわ。別の話に差し替えられてる」

「そっかあ……良かったあ……」

「でも、『私』が生まれた」


 メリーさんが話を続ける。


「すぐに差し替えられたけど、グリム童話を通じて私の話はたくさんの人に広まった。そうして噂話が力を持って、私が生まれたの。

 生まれたばかりの私はドイツ中の家を回って、童話通りに沢山の人を殺したわ。そういうお話だったから」


 子供のいる家にやってきて、子供を屠殺し大人を狂死させるメリーさん。それは……やっぱりホラーなんじゃないかな……。


「でも、いつまでもは続かなかった。私の後を追ってきたグリム兄弟と戦って、負けて、怪異としての私は一度四散した」

「……グリム兄弟ってそんなに強かったのか?」

疾風怒濤Sturm und Drangは初見殺しよ。兄弟合わせて32連打、為す術もなかったわ」


 すげえ……。


「それから長い眠りについた。私は死んでたようなものだけど、遊びたいって気持ちだけはずっと残ってた。

 それで、この日本で『メリーさん』として目覚めたの。『屠殺ごっこ』の頃の記憶は封じられてたのか、思い出せなかったけど、やることはあんまり変わらなかった」

「それでオオオカタダタカを殺して、それから俺と会った、ってわけか」


 小さく頷く。


「まあ……昔の記憶が戻ったなら、それでいいんじゃないのか?」

「よくない!」


 メリーさんが叫んだ。


「だって……私が私じゃなかったのよ!? あんなに変わりたくないって思ってたのに! ずっと遊んでたいって思ってたのに!

 最初から全部間違ってた! それじゃあ私はなんなの!? 今、あなたと一緒にいられて楽しい私は偽物ってことじゃない!」

「それは無いだろ」


 思い詰めてるようだから、この際はっきり言っておこう。


「昔のメリーさんも今のメリーさんに繋がってる。覚えてなくても、だ。昔が本物で今が偽物なんて話は無い。

 俺にとっては、今も昔もメリーさんだ」

「違う……違うの。だって、今の私は、楽しいことがいっぱいあるの……」


 青い瞳から涙が溢れる。


「デパートに買い物に行った。遊園地に遊びに行った。海に泳ぎに行った。一緒にケーキを食べた。レストランで美味しい料理を食べた。サンタさんにぬいぐるみを貰った。

 全部、全部、『屠殺ごっこ』の私は気にも留めないものだった。本当の私にとってはつまらないものだった。偽物の、『メリーさん』の私は、楽しく思っていたのに」

「なら本物にすればいいだろ」


 俺の言葉に、メリーさんは涙を流したままきょとんとした。


「本物だって言い張れ。昔は殺ししか楽しめなかったけど、今はいろいろ楽しめるように『成長』したってことにしろ。

 むずかしい話はわからないけど、メリーさんみたいな妖怪は、言ったもん勝ちなんだろ? だったら言っちまえ」

「でも」


 上目遣いでメリーさんは俺を見上げてくる。


「あなたは『私』を知ってる」

「大丈夫だろ。俺はお前が『メリーさん』だって思ってるから」

「でも、人殺しよ?」

「俺はチェーンソーのプロだぞ。気にするか、そんなもの」

「……私の味方になってくれるの?」

「当たり前だ。身内だぞ?」

「……そんなこと言うと本気にするわよ」

「ああ、本気で頼れ」 


 メリーさんは少しためらってから、俺の胸に飛び込んできた。両手をメリーさんの背中に回して、しっかり受け止める。


「ありがと、翡翠」


 くぐもった声が、はっきりと耳に届いた。

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