チェーンソーのプロ

 大鋸翡翠が部屋に入ってから1時間。中から聞こえていたチェーンソーのエンジン音がようやく止んだ。

 静かになった部屋の前に、緑色のコートを着た男がやってきた。『オオオカタダタカ』。このマンション型の異界を作り出した張本人である。

 彼は『メリーさん』の被害者のひとりであった。ある日かかってきた電話に出たところ、後ろにメリーさんが現れ、チェーンソーで惨殺された。死体は弔われもせずに埋められ、部屋はメリーさんに乗っ取られた。資産運用で稼いだ金も銀行口座もメリーさんに奪われ、木こりの男と遊ぶために使われた。

 何故自分が死ななければいけないのか。殺したメリーさんが許せない。知らない男にカードを使われている。マンションにこびりついたオオオカタダタカの無念は、同名の怪談の形をとって実体化した。復讐のために。


 復讐心は他の怪異を引き寄せた。黒い三人組と棒の手紙。どちらもメリーさんと木こりの男に一度倒されている、彼らは共謀して、メリーさんと木こりの男を殺す計画を立てた。

 鍵となったのはマンションであった。オオオカタダタカは、現実のタワマンに重なり合っているマンションの異界を所持していた。

 ここに全国各地から様々な『マンションの怪談』を入居させた。一人ひとりは弱くとも、何十、何百と集まれば話は別だ。入居率が80%を超えたところで、メリーさんでも抜け出せない異界と化した。そこで満を持してメリーさんをマンションの異界に引きずり込んだのだ。

 メリーさんは外に出ようと足掻いていたが、やがて正気を失って狂い始めた。そして異界のマンションに迷い込んだ人間たちを次々と屠殺するようになった。なぜそんな事になったのかはわからなかったが、メリーさんが苦しむなら理屈はなんでも良かった。


 そしてオオオカタダタカは、木こりの男にも復讐しようとした。しかし撃退された。

 慌てて逃げ出したが、都合のいいことに男はこのタワーマンションに乗り込んできた。オオオカタダタカはほくそ笑んだ。向こうから来るなら、マンションの怪談たちに任せればいい。

 だが、男は止まらなかった。木を伐採するかのように、殺到する怪異たちをチェーンソーで薙ぎ倒していった。エレベーターの女も、棒の手紙も、三人組も皆殺しにされた。

 あまりの強さにオオオカタダタカは震えて隠れていたのだが、木こりの男は狂ったメリーさんの部屋に入っていった。それなら、まだ希望はある。あの2人が戦えばどちらも無事では済まない。残った方に止めを刺せばいい。


 そして、今に至る。部屋の中からは何も聞こえてこない。格闘の音も、剣戟の音も。どちらが倒れたか、それとも相討ちになったか。期待に胸を膨らませて、オオオカタダタカはドアを開けた。血塗れの廊下を進み、リビングへ。

 そこで見つけた。ベランダでタバコを吸う木こりの男を。

 人間のほうが生き残ったか、と思ったオオオカタダタカだったが、別のものを見つけて思わず目を剥いた。


 ソファで横になって眠っている、傷ひとつ無いメリーさんの姿だった。



――



 タバコを吸っていると、緑色のコートの男が入ってきた。オオオカタダタカだ。ソファで寝ているメリーさんを見て驚いている。

 俺はタバコを携帯灰皿に押し込むと、チェーンソーを持ってベランダからリビングへ上がった。


「よう」

「お、お前、なんで生きてるっ!?」


 オオオカタダタカは何やら驚いている。


「あ? 殺されなかったから生きてるんだよ。見ればわかるだろ」

「そんなはずがあるかっ! メリーさんとお前が戦っていたんだろう!? なら、どっちかが死んでなきゃいけないだろうがっ!」

「ああ、それな」


 メリーさんの寝顔を見る。


「遊び疲れて寝ちまったんだよ。子供って凄いよな。さっきまであんなにはしゃぎまわってたのに、あっという間に寝ちまうんだから」


 オオオカタダタカはあんぐりと口を開けた。


「そ、そんなばかな……なら、どうしてお前は無傷なんだ!?」

「全部防いだ」


 難しい話じゃない。今日のメリーさんの攻めは単調で単純だった。力任せにチェーンソー振り回してただけだ。瞬間移動もフェイントもなかった。それだったら、わかりやすい軌道の斬撃をひたすら防ぎ続ければいいだけだ。まあ、1時間近くも遊んでたのは予想外だったけど。子供の体力って本当に凄い。


「無茶苦茶な!?」


 オオオカタダタカは、まるで怪物を見たかのような顔をしていた。頭が痛い。怪物はそっちだろ。

 俺はチェーンソーのエンジンを掛けると、両手で構えた。ただ、すぐには斬りかからない。


「ひとつだけ聞きたいことがある」

「なんだ!?」

「……なんで、こんな回りくどいことをした。メリーさんを閉じ込めて狂わせるなんて」

「回りくどいこと、だと?」


 オオオカタダタカは初めて驚き以外の表情を見せた。歯を剥き出しにした、怒りの形相だ。


「回りくどいなど、あるか! これでも足りないくらいだ! 見ろ、この部屋を!」


 オオオカタダタカは両手を広げて部屋を示す。血でべっとりと汚れた部屋。そこら中に肉や骨や生首が転がる、散らかった部屋だ。


「全部、そこのバケモノがやったんだ! 俺もそいつに殺された! これは、その復讐だ! 殺された者たちの正当な権利だ!

 考えてみろ、こんな奴を野放しにしておいたら、これからどれだけの人間が殺されると思う!? 俺はそれを止めたんだ! これは正義の行いだぞ! それを回りくどいなどと言うのか貴様ァ!」


 はっきり言っておく。


「回りくどい。そこに暴力チェーンソーがあるだろう。文句があるならとっとと殺せ。

 それに、正義だと? 妖怪だの幽霊だの、法律をブッちぎるような奴に、正義も何もあるか。

 行儀の良いこと並べて子供をいたぶりやがって、クソ野郎が。身内を痛めつけた落とし前はキッチリ付けてもらうぞ」

「身内……身内だと!? こいつを、身内だって言うのか!?」

「ああ、一番の身内だ」


 メリーさんはこの世で一番放っておけない俺の身内だ。

 それだけのことしか言っていないのに、オオオカタダタカは酷く驚いていた。


「……なんなんだ貴様は!?」


 なんなんだ、って聞かれたら、こう答えるしかない。


「チェーンソーのプロだ」

「……なんだそれは? 木こりか?」

「それだけじゃない」


 素人にはわからないか。説明してやろう。


「確かに木こりも仕事の一つだけど、チェーンソーのプロはそれだけじゃない。仕事の依頼が入ったら、建物に居座ってる浮浪者とか、やりすぎた半グレとか、人を襲った大イノシシとか、爆弾を作ってた外国人とか、議員秘書の家族をチェーンソーでバラすんだ。

 死体は山に持って帰って処理する。そうそう、ちょうどこの部屋の死体みたいな感じだな。ここから肉を乾燥させて、骨と一緒に粉にして焼く。燃え残ったのを山に埋めるんだよ。

 そういうことをやるのがチェーンソーのプロだ。わかったか?」


 オオオカタダタカは何も言わなかった。ただ、ガクガクと膝を震わせていた。


「ひ……人殺し……!」


 ようやく振り絞った言葉がそれだった。情けない。幽霊のくせに、自分のことを棚に上げて人殺し呼ばわりか。

 まあ、メリーさんに手を出した奴とこれ以上話すつもりはない。ここからは暴力の時間だ。


「いくぞ。チェーンソーを押し付けてやる」


 一気に突っ込む。オオオカタダタカは慌ててチェーンソーをかざすが、遅い。両手首を一度に斬り落とす。


「ぎゃあああっ!?」


 悲鳴が響き渡る。構わずチェーンソーを振るう。次の狙いは両足先。そこからチェーンソーを振り上げ、股間を斬り裂く。よろめくオオオカタダタカの膝にチェーンソーを突き立て破壊。更に腹を真一文字に斬り裂く。血と脂と内蔵が飛び出す。刃を振りかざし胸に突き立てる。そこから力任せに押し上げて、唇を経由して目へ。そして、頭から刃が飛び出した。

 オオオカタダタカだったものは、ほんの10秒で原型を留めない肉片に変わり果てて、床に倒れ伏した。

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