子どもたちが屠殺ごっこをした話

 部屋の中は赤一色だった。木目調のフローリングの床も、白かったはずの壁も、真っ赤に塗りたくられている。

 ペンキの赤じゃない。絵の具の赤でもない。血の赤だ。人ひとりじゃ到底足りない量の血がぶちまけられている。臭いも酷い。人間の構成物が腐敗した臭いだ。


 しばらく言葉を失っていたが、この中にメリーさんがいるかもしれないことを思い出して、部屋の中に踏み込んだ。途端に、柔らかいものを踏んだ。思わず飛び退る。

 踏みつけたのは人間の腕だった。二の腕の辺りで斬り裂かれている。まさかと思ったが、ゴツゴツした男の腕だった。良かった、メリーさんの腕じゃない。


 部屋の赤さに気を取られていたが、廊下のあちこちに肉片が散らばっていた。完全に死体だ。動いて襲いかかってくるような様子はない。踏まないように気を付けて先に進む。


 靴箱には切り取られた足が並んでいる。壁に掛かっているのは人間から剥がした皮。玄関に一番近い部屋の中を覗くと、無数の内臓が放り捨てられていた。臭いが一段とキツい。そっとドアを閉じる。

 浴室には解体途中の女の死体があった。切り口はチェーンソーで切ったかのようにズタズタになっている。排水口は血と脂で詰まっている。どれだけの数を処理したんだ。

 更に先へ進む。この先はリビングだ。廊下から見える部分には、首が山積みになっている。その中にメリーさんが混じってるんじゃないかと一瞬思ったが、どれも黒髪の日本人でホッとした。


 リビングに上がる。何度か上がりこんでダラダラした部屋は、見るも無残な状態になっていた。腹を掻っ捌かれてバラバラにされた死体が幾つも並んでいる。

その上、あるものは塩漬けに、あるものは焼かれ、腸詰めソーセージにされているものもある。

 まるで食肉処理場だ。これが本物の人間かどうかはわからないが……いや、慣れ親しんだリアルさがある。多分本物だろう。そして、これをやったのは。


「とん、とん、とん。とん、とん、とん」


 リビングはキッチンと一緒になっている。そのキッチンで、まな板に向かって金髪の少女が包丁を振るっている。まな板の上に乗っているのは、ニンジン、ジャガイモ、そして血の滴る指。


「シチューを作ろ、シチューを作ろ。ニンジン、ジャガイモ、タマネギ、お肉。お鍋で炒めて、お水を入れて、ルウを入れたらじっくり煮込む。隠し味にはブラッドバス!」


 具材をまとめて鍋に放り込んだメリーさんは、俺に気付いて顔を上げた。


「翡翠!」


 ぱあっと笑顔になった。いつもは見せない、眩しいぐらいの笑顔だった。顔の半分以上は返り血で汚れていた。


「いらっしゃい! お久しぶりね、今までどこに行っていたの? 今ねえ、お料理作ってたの! できあがったら食べましょう?」


 ……おかしい。


「メリーさん」

「なあに、なあに?」

「ちょっと落ち着け」


 それなりに長い付き合いになったからわかる。このメリーさんはテンションが高すぎる。普段はもうちょっと落ち着いていて、背伸びして振る舞っている様子がある。少なくとも、自分の願望をこんなにペラペラ喋る子じゃなかった。何かがおかしい。


「落ち着く? 落ち着いてなんていられないわ! あなたがやってきたのだもの! ねえ、翡翠。遊びましょう! 遊びましょう!」

「いや遊ぶって、お前料理は……」


 言い終わる前に、メリーさんが手にした包丁を投げつけてきた。


「ッ!?」


 身を屈めて刃を避ける。包丁はすぐ後ろの壁に突き刺さった。

 視線を戻すと、メリーさんはキッチンを飛び越えてこっちに来るところだった。手にはどこから取り出したのか、チェーンソーを握っていた。


「始めましょう! 屠殺ごっこNachahmung des Schlachtens!」


 チェーンソーが振り下ろされる。俺も自分のチェーンソーを掲げて防いだ。回転刃が噛み合う音が、血に濡れたリビングに響き渡った。


「遊ぼっ!」


 メリーさんはめちゃくちゃにチェーンソーを振り回して、こっちに向かって斬りつけてくる。俺はチェーンソーで斬撃を防ぎ続ける。


「さっきから何言ってんだ! どうした!?」

「遊ぼっ! 遊ぼっ! 遊ぼっ!」


 目玉が飛び出すんじゃないかって思うくらい目を見開いて、メリーさんはチェーンソーを振り回す。いつもの冷静さがまったくない。それに攻撃も単調だ。

 手加減してるわけじゃない。メリーさんは全力だ。ただ、焦りすぎて複雑な攻撃が頭から抜け落ちている。やっぱりおかしい。


「しっかりしろ、メリーさん! 何があったんだ!?」

「遊びたいの! 遊び足りないの! 遊ばせて!」


 頭を狙って力任せにチェーンソーを叩きつけてくる。防いで、押し返す。メリーさんの腕力だから大した威力じゃない。

 何かあったのは間違いない。一旦話がしたい。しかしメリーさんは止まらない。このまま話すしかないか。


「メリーさん! 何があった!? 怒らないから話してみろ!」

「全然楽しくないの! いくら遊んでも遊んでも、遊び足りない!」


 メリーさんはチェーンソーを振り回しながら喋る。まったく息切れしていない。


「ブタさんも! トリさんも! ウサギさんも! ウシさんも! ヒツジさんも! どれだけ屠殺ごっこをしても、すぐに退屈になっちゃう!

 だから、ねえ、翡翠! 私を楽しませて! 私を子供でいさせて! 私を『子どもたちが屠殺ごっこをした話Wie Kinder Schlachtens miteinander gespielt haben』に戻して!」


 そこまで言われて気付いた。単にハイになってるだけじゃない。


 メリーさんは怖がっていた。

 前にメリーさんが言ってたことを思い出した。クソデカきさらぎ駅が死んだ時の話だ。自分が自分じゃいられなくなるのが怖い。メリーさんみたいな妖怪にとっては、それは死ぬより怖いことだって語ってた。

 そして、メリーさんは今なんて言った? なんか外国語だったけど、少なくとも『メリーさん』じゃないのは間違いない。それに戻してってことは、つまり、メリーさんは最初は『メリーさん』じゃなかったってことだ。

 それを思い出したメリーさんは、遊び殺しまくって元の話に戻ろうとしている。自分が変わってしまうのが怖いから。


「……ああ、クソッ」


 いつからだ。いつからそんな風になった? 最後に会った時はいつも通りだった。それからその後、七不思議に出くわして、吉田の仕事に付き合って……それなりに時間が経ってる。その間、メリーさんから連絡はなかった。

 そういう気分の時もあるかと思ってたけど、もし、その時に『オオオカタダタカ』に捕まって、おかしくされたとしたら?

 せめて、こっちから連絡を入れるべきだった。そうすれば、メリーさんが返事できない状況になってるってすぐにわかった。


 何が身内だ。何が一番だ。頭が痛い。それくらい気を配れってんだ、俺。


「翡翠ッ! ねえ、何がいい? ハム? ソーセージ? ハンバーグ? あなただったら、どれだけ手の込んだお料理でも作ってあげるわ!」

「……わかった。気が済むまで付き合ってやる」


 チェーンソーのエンジンを掛ける。慣れ親しんだエンジンの振動が、手から体に伝わってくる。


「遊んでやるよ、メリーさん」

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