カリガネさま
鬼沢高校。母校でもなんでもないこの学校に、もう一度来ることになるとは思わなかった。
今日は俺だけじゃない。アカツキセキュリティの吉田と陶、それに九段下さんがついてきていた。『カリガネさま』について調べるためだ。
「か、『カリガネさま』という名前は初めて聞きますけど、質問に答えてくれる『降霊術』ならいろんな種類があります」
廊下を歩きながら、九段下さんが解説してくれる。
「『コックリさん』『ウィジャボード』『エンジェルさま』『怪人アンサー』『さとるくん』、詳細は違いますが、どれも質問に答えてくれる怪異です。『カリガネさま』も多分同じような怪異だと思います」
「さっき、おじさん先生に聞いてきたよ。確かにそういう話があったみたい」
九段下さんの話を、吉田が引き継ぐ。
「2階の女子トイレの鏡の前でお辞儀をしながら質問をすると、チェーンソーを持った幽霊が現れて答えてくれる。そんな噂があったんだって。
で、ある時それをやった女子生徒がおかしくなって倒れちゃったの。それで学校は禁止令を出して、トイレの鏡も外したんだって。
だから幽霊は二度と現れなかったんだけど、噂だけは残った。そして幽霊には唯一出会った女の子の名前がついちゃった。だから『カリガネさま』って呼ばれてるのよ」
「なるほど。こっち側の事件は確かにあったわけか。じゃあ、次は向こうの意見だな」
時計を見る。4時44分。怪談にはふさわしい時間だ。辺りを見回すと、曲がり角からこっちを覗いている女子高生の姿が見えた。警戒している。
「聞きたいことがある。ちょっといいか?」
女子高生はしばし訝しんでいたが、やがて溜息をつくと曲がり角から姿を現した。
女子高生には下半身がなかった。腰から下がスッパリと斬られている。両手で器用にこっちに這い進んでくる。
「うわァ……なんだコイツ……」
陶が呻いた。
「『てけてけ』だよ」
「そうじゃねんだよ……上だけ人間ってなんだよ……」
「そういうものだから、しょうがないでしょ。上半身だけでも愉しめるものよ?」
吉田が何か言ってるけど、無視だ無視。
近付いてきた『てけてけ』は、床に這いつくばった状態から、忌々しげに俺を見上げて言った。
「それで、なんの用?」
「『カリガネさま』はどこにいる?」
「……何するつもり?」
「調べる。でもって切り刻む」
てけてけは驚いたような、あるいは呆れたような顔をした。それから、フン、と鼻を鳴らした。
「できるわけないでしょ、そんな事」
「ナメてんのか? 今度は縦に真っ二つにしてやろうか?」
「やめてよ……いや、そうじゃなくて。そもそも『カリガネさま』はここにはいないのよ」
今度はこっちが驚く羽目になった。
「いない?」
「ええ。私と花子さん以外の七不思議を殺したら、どっか行っちゃったのよ。ってゆーか、そうじゃないと私たちだってこの学校にいられないわよ」
言われてみればそうだ。しかしそれだと、『カリガネさま』を九段下さんに視てもらえない。
「……どうしよう」
困っていると、吉田が言った。
「じゃあ、呼び出しちゃえば?」
――
2階の女子トイレには確かに鏡がなかった。でも取り付ける金具は残っていたから、隣の男子トイレから鏡を持ってきて一時的に復活させた。
これで『カリガネさま』を呼び出す準備は整った。整ったんだが……。
「なんで俺が……」
俺が儀式をやる羽目になった。
「雁金ちゃんと縁があるアンタの方が、呼びやすいと思うのよ。がんばれー」
吉田が呑気に手を振っている。しょうがない。意を決して俺は女子トイレの鏡の前に立った。
お辞儀をして、右を向く。トイレの個室が見える。他には何もない。
顔を上げて、陶たちの方へ向き直った。
「でないぞ」
「あれー?」
吉田が首を傾げる。すると、陶が聞いてきた。
「おい、大鋸ァ。今、質問したか?」
「あっ」
忘れてた。
「おい」
「ごめん、もう一回」
慌ててお辞儀をする。それから質問……質問……えーと。
とっさに思いついた質問を、そのまま口に出した。
「どうして雁金は俺を先輩って呼ぶんだ?」
右を向く。やっぱり誰もいない。
左を向く。トイレの入口にスーツ姿の男女が3匹。怪異が2匹。
「おい……」
「……そうきたか。九段下ちゃんたち、下がってなさい」
スーツの2匹が杖を構えて、他が後ろに下がる。まずは邪魔な方から片付けよう。
チェーンソーを抜き放つ。エンジン音と共に刃が回転を始める。
「来るよ!」
駆動音が最高潮になった瞬間、前へ踏み出した。スーツの女に対してチェーンソーを振り下ろす。女は警杖を掲げ、刃を受け流した。
胴に警杖を振り下ろされる。衝撃。踏みとどまる。チェーンソーを引き戻し、女の顔面へ突き出す。
「おっとお!」
女は身を捩って刃を避けた。更に追撃しようとしたが、男が警杖を振り上げ迫ってきた。そちらに対処する。
振り下ろされ、薙ぎ払われ、突き出される警杖を、すべてチェーンソーで弾いていく。警杖は金属製らしく、チェーンソーでは切断できなかった。
「カスがァ! さっさと大鋸から離れろやァッ!」
男は悪態をつき、俺の肩へ警杖を突き出した。それを避け、逆に警杖を掴んで引っ張り寄せる。
「チィッ!」
男は警杖を手放した。引っ張られるならチェーンソーの餌食にするつもりだったが、それならそれで素手の相手を追い詰めるだけだ。
ところが、横からさっきの女が割り込んできた。
「余所見はよくないねえ!」
女は警杖を振り回して、薙ぎを中心にして攻め込んでくる。さっきの男よりも動きが速い。奪い取った警杖とチェーンソーで辛うじて防ぐ。
顎を狙った薙ぎ払いを避け、左手の警杖を投げつける。回転する金属棒を避けるために、女の動きが止まった。その一瞬を狙って、踏み込む。
足を払われた。警杖を奪った男だった。バランスを崩す。辛うじて踏みとどまる。だが、女の前に首を投げ出す格好になった。すかさず女が足を振り上げる。
打撃音と共に、視界が真っ暗になった。意識を失う直前、何かが顔から剥がれ落ちたような気がした。
――
湿布がくさい。
「なんか……他の無いのか?」
「保健室だからね。病院じゃないの」
俺の顎に包帯を巻き終えたてけてけは、そそくさと離れていった。
「そんなにビビらなくても」
「さっきあれだけ暴れておいて言う?」
「すいません」
見事にやられた。自覚はまったくなかったけど、『カリガネさま』に取り憑かれた。陶たちが言うには、俺の顔は得体の知れないお札で覆われていて、一目で憑かれているとわかったようだ。
一緒にいたのが陶や吉田じゃなかったら、今頃大変なことになってただろう。
「こうなるなら先に言ってほしかったんですけど」
「いやあ、ごめんごめん。まさかこんなことになるなんて思ってなかったからさー」
吉田はあっけらかんと言いやがった。それでもプロかよ。
「でもこれで『カリガネさま』は実在したってのがわかったわけよ。
どーう、九段下さん? 視た感想は?」
机に向かっている九段下に、吉田は問いかける。九段下は、机の上に広げていた古い本から顔を上げた。
「あ……ある程度は、ですけど」
その顔は真っ青だった。
「……何かヤバいことでも?」
吉田の問いかけに九段下が頷く。
「神です」
陶と吉田が息を呑む気配が伝わってきた。
「さっき倒したのは分霊です。本体は別にいます。……恐らく、雁金さんに取り憑いています」
「あれで分霊って……冗談だろ、思いっきり実体があったじゃねえか」
「荒御霊じゃなくて廃神なのね? となると、うかつに手を出せないなあ」
「ちょ、ま、ちょっと待った!」
なんか話し合い始めたメンバーに割って入る。
「むずかしい。わかるように説明してくれ」
「私も!」
「うん、うん」
俺の言葉にてけてけと花子さんが続く。同じ妖怪にも理解できない、専門家の話だ。一般人の俺には難しすぎる。
「え、えっと……どこから解説します、か?」
九段下さんが解説してくれるようなので、質問する。
「神から」
「神様知らないんですか!?」
「いや知ってるけど……神社のアレだろ? アレがなんで俺たちに襲いかかってくるんだ」
「か、神様も広義の怪異だから、です」
「マジで!?」
なんてこった。神様も妖怪だったのか……!
と思ったけど。
「あれ、でもさっき俺に取り憑いてた奴は仕留めたんだよな。じゃあ、もう倒したのか?」
「いえ。あれは分霊、です」
「分霊?」
「本体のコピーみたいなもんだよ。あるだろ、ゲームで。強い敵を倒したけど分身で、本体は別の所にいるってやつ」
「なるほど」
陶の解説がわかりやすい。さっき俺に取り憑いてたのは神様の分身なんだろう。
「じゃあ本体を倒さないとな。どうする、神社を放火するのか? それとも神主を皆殺しにするのか?」
「ノータイムで凶悪犯罪を計画しないでくださいよ!?
それに……こ、この神には神社も神主もありません。廃神ですから」
「廃神?」
「忘れられ、祀られなくなった古の神です。こういうものは独り歩きして、人々を襲います。全国各地で強盗殺人を繰り返す凶悪犯罪者みたいなもの、です」
「なら気兼ねなく殺せるな」
ところが陶が苦々しげな表情を浮かべた。
「そうもいかねェんだよ」
「なんでだ?」
「そこらの怪異ならともかく、相手は曲がりなりにも神様だ。普通の怪異が野良犬なら、廃神はヒグマみたいなもんだ。迂闊に手ェ出せねえよ」
ヒグマ。ヒグマかぁ……。
「廃神案件となると、私らの独断じゃどうにもならないわね。課長に頼んで会社の仕事として取り掛からないと。
だから、ごめん、大鋸クン。雁金ちゃんの事は、一旦私たちに預けてくれない?」
吉田に頼まれ、しぶしぶ頷く。プロがそう言うなら、首を縦に振るしかない。だけど、いつまで待てるかはわからなかった。
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