九死霊門

「ここですか」


 俺の前にあるのは鬱蒼とした森だ。『森の巨人たち100選』と書かれた看板があって、その先にはささやかな林道が続いている。


「ここだねえ」


 俺の隣にいるのは、水色のフード付きジャケットと紺色のボトムスを履いた女性。長い黒髪をポニーテールに仕立て上げた、モデル体型の美人だ。

 吉田千菊。警備会社アカツキセキュリティの妖怪対策部門『四課四班』の班長。そして友人のすえの上司でもある。


「じゃ、行きましょうか」

「あいよー。先導よろしく」


 俺はチェーンソーを、吉田さんは合金製の警杖を携えて森に入った。


 ここは長野県と岐阜県の県境にある山だ。とはいっても本当に山奥なわけではない。道路は通っているし、近くに温泉宿やスキー場もある。現に、今俺たちが入ってきた森の入口は、アスファルトで舗装された駐車場になっている。要するに、マイナーな観光地だ。

 この観光地に今度、大企業の社長一家が旅行に来るらしい。そして、旅行中の警備をアカツキセキュリティが引き受けた。

 ところが旅行先を調べてみると、怪異案件が見つかった。これはマズいということで、『四課四班』が先行して怪異を無力化することになった。


 そして、なぜ社員でもない俺が吉田さんの仕事に同行しているのかというと、吉田さんに頼みたいことがあったからだ。陶を通して話を持ちかけると、引き受ける代わりに化物退治を手伝って欲しいと言われた。

 もちろんタダじゃない。日給10万、交通費・宿泊費・治療費込み、出来高次第でボーナス有り。チェーンソーのプロを雇うには十分な条件だ。そういうことで、俺は吉田さんとふたりで化物退治をやることになった。


 俺と吉田さんは順調に山の中を進んでいる。妖怪はもちろんのこと、人も、動物も出てくる様子はない。時刻は夕方ちょっと前。人が山に入るには遅い時間帯かもしれない。


「ねえねえ、大鋸クン」


 歩いていると、吉田さんが話しかけてきた。


「なんですか?」

「雁金ちゃんを彼女にして何年なの?」


 いきなりブッ込んできた。


「今します? その話」

「だって気になってしょうがないんだもん」

「……別に彼女ってわけじゃありませんよ。高校の後輩ですけど」

「やることやってんのに?」

「ほぁ!?」


 変な声が出た。


「……え、アイツに聞いたんですか?」

「ううん? この前、事務所に来た時、雁金ちゃんの歩き方が」

「それ以上は! 勘弁してください……」


 すると吉田さんは、ニンマリと笑いながらも黙ってくれた。

 理屈はわかるけどなんでそれだけでわかるんだよ、ヤベえよこの人……。


「で、付き合ってどのくらい?」

「……再会してから、って意味なら、2年くらいです」

「ほうほう、なるほど。結構長いんだねえ。ちゃんと告白して付き合おうとか思わなかったんだ?」

「ええ、はい、まあ。付き合うなら、俺より背の高い人がいいんで」

「それは諦めた方がいいんじゃないの?」

「夢ぐらい見させてくださいよ」


 身長186cm以上の美人と出会えるワケがない事くらいわかってる。でもなあ……もしもがあるかもしれないだろ。

 それに。


「なんか、違うんですよね」

「うん?」


 ちゃんと付き合おうって話になったら、雁音は頷くだろう。それくらいの好意を寄せられていることはわかる。ただ、雁金の好意そのものにずっと違和感があった。


 俺が黙り込んだのを見て、吉田さんは問いかけるのをやめて黙々と歩くようになった。警杖がカツン、カツンと岩を叩く音が響く。

 10分くらい経つと、吉田さんはハーッと白い息を吐いた。


「それにしても寒いねえ」


 そりゃそうだ。何しろ2月の長野県、道には普通に雪が残っている。


「これじゃあ脱ぐのも辛いかなあ」

「は?」


 何言ってんだこの人。


「せっかくこういう人気のない山奥なんだし、非日常的なこともいいかなと」

「非日常どころか凍死一直線ですけど?」


 マジで何言ってんだこの人?

 そういや出かける前に陶からLINEが来て、『あの人マジでちょっとアレだからホント気をつけな』とか言ってたな。まさか、こういう意味か? 後悔してきた……。


「そうねえ。旅館に着くまでは我慢しましょうか」

「いや……今日は仕事に来ただけですからね?」

「えっ!?」


 心底驚く吉田さん。人をなんだと思ってるんだ?


「そしたらどーすんのよ、旅館についたらやること無いじゃない!」

「温泉入ってメシ食って酒呑んでテレビ見て寝れば十分じゃないですか?」

「相部屋なのに!?」

「ハァ!?」


 何考えてんだこの人は!?


「なんで別部屋で予約しなかったんですか!?」

「しょうがないじゃない! 私は悪くないんだから!」


 吉田さんは逆ギレして、警杖でバシバシその辺の木を叩いている。キレたいのはこっちだよ。こんなアレな人だとは思わなかった。


 そうこうしているうちに、巨大な木の前に出た。いつも伐っている、まっすぐな木とは全然違う。まるで何本もの木が寄り合わさってできたような巨木だ。木の側には看板がある。


「おー。樹齢1000年以上だって。凄いねえ」


 吉田さんは看板を覗き込み、感心した声をあげた。


 その時、不意に森の中に音が響いた。ブゥン、というエンジン音だ。チェーンソーか? 他に誰かこの森にいるんだろうか。そう思っていると、またブゥンという音が響いた。今度は巨木の反対側からだ。覗き込んでみたが、道はない。人が入れる場所じゃない。

 また音が聞こえた。前のふたつとは別の場所からだ。その音が止む前に、別の方向から同じ音が聞こえてくる。全く同じ音だ。響き方も、音量も同じ。そして音は、徐々に俺たちの方へ近付いてくる。


「大鋸クン」


 吉田さんに呼ばれた。あまりに凛々しい声で、それが吉田さんの声だと一瞬わからなかった。


「……はいっ!?」

「悪いねえ。早速お仕事だ。後ろを頼むよ」


 そう言うと吉田さんは警杖を握り直した。さっきまでの色ボケぶりは消え失せて、油断なく目線を周囲の木々に向けている。俺もチェーンソーのエンジンを掛けると、回転する刃を構えた。

 音は俺たちを囲んでいる。相手は8人。姿はまだ見えないが、少なくともチェーンソーを持っていることは間違いない。油断せず、周りの茂みに気を配る。


 がさり、と藪が動いた。ブゥン、とエンジン音がそこから聞こえてくる。現れたのは……登山服を着た人だ。野球帽のような帽子を被っている。一瞬、人間かと思ったが、手にチェーンソーを持っている。そして、こっちを向いているのに顔がわからない。化物だ。

 周りの茂みから同じような化物が現れる。大きなリュックを背負った奴。レインコートを着た奴。チェックのシャツを着た奴。どれも顔の部分がぐんにゃり歪んで判別できない。そしてチェーンソーを掻き鳴らしている。


「吉田さん! こっちに4人出た!」

「ああ! こっちにも4人いるよ!」


 合計8人、全員出てきたか。ヴォンヴォンと、エンジン音が俺たちを取り囲んでいる。どこから切り崩そうかと考えていると、吉田さんが話しかけてきた。


「大鋸クン、ちょっとしゃがんでなさい。そこだと当たる」

「はい?」

「いいから。膝立ちくらいでいいから」


 言われた通り、身を屈めて膝立ちになる。すると吉田さんは、腰のポーチから何かを取り出した。


「預かりたるは家宝の皿。お菊誤り一ツ割る。その咎により殺されり」


 取り出したのは金属のお皿……じゃなくて、丸鋸の刃だった。


「夜毎に迷うかの女、一より九まで数え上げ、十をいはで泣き叫ぶ」


 首をぐるりと回して、取り囲む連中を見定めた後、吉田さんはそのうちのひとりを睨みつけた。


「そして人は噂した。井戸に残るお菊の霊。即ち『番町皿屋敷』!」


 吉田さんは右手に持った丸鋸の刃を投げた。放たれた刃は手裏剣のように高速回転しながら飛び、顔のわからない怪物の頭に突き刺さった。頭をかち割られた怪物は、糸が切れたかのように仰向けに倒れた。


「一枚!」


 叫んだ吉田さんは、すぐに次の丸鋸刃を手にして投げつける。今度は両手。2枚の丸鋸刃が2体の怪物の首を刎ね飛ばす。


「二枚! 三枚!」


 怪物たちがこっちに走り出してきた。吉田さんは淀みのない手付きで丸鋸刃を取り出し、次々と投げつける。俺の頭のすぐ上を丸鋸刃が飛んでいき、登山服の奴の胸に突き刺さった。


「四枚! 五枚! 六枚!」


 そして最後の2枚。前後から同時にチェーンソーを振りかざして襲いかかってきた怪物たちに、それぞれ放たれる。寸分違わず怪物の頭を断ち割った。


「七枚! 八枚!」


 全滅。そう思った時だった。倒れた怪物のうちの1体が立ち上がった。胸に丸鋸刃を受けた登山服の奴だ。しかし、俺の耳のすぐ横を丸鋸刃が飛んでいき、登山服の奴の頭を断ち割った。


「九枚」


 振り返る。丸鋸刃を投げたままの体勢で、吉田さんが固まっていた。

 辺りを見回す。出てきた怪物は全員倒れている。


「全滅……?」

「――まだだッ! ッ!」


 吉田さんが叫んだ。意味を理解する前に、吉田さんの背後の空間がねじれた。景色が軋んで、ぐにゃぐにゃと歪み、それがチェーンソーを持った人型に変化する。

 9体目。そう思った時には、もう体が動いていた。相手もチェーンソー型の歪みを掲げる。ふたつのチェーンソーがぶつかり合い、耳障りな音を森に響かせた。チェーンソーを押し返す。お互い一歩引き、距離を取った。

 なんだこいつは。ぐにゃぐにゃした空間が人型になってる。さっきの怪物たちの顔がわからない部分が、体全体に広がったような感じだ。正体不明だけど、チェーンソーを持った人型なのは間違いない。それだけわかれば十分だ。

 物理で襲いかかってくるなら、物理で返り討ちにできる。


 踏み込む。相手が構えるチェーンソーを、横から思いっきりチェーンソーで殴りつける。相手の構えが乱れた。すぐにチェーンソーを振り上げ、多分頭がある所に刃を振り下ろす!

 相手は横に避けた。その勢いのまま体を回転させ、俺の腰めがけてチェーンソーを振ってくる。振り下ろしたチェーンソーを引き戻し、腰への薙ぎ払いを防御。遠心力の乗った一撃は重い。が、こっちは山仕事で鍛えてるんだ!


「ナメるなぁっ!」


 斬撃を力任せに弾き返した。相手が一歩後ろによろめく。すると体勢が大きく崩れた。地面から突き出た木の根に、かかとを引っ掛けたらしい。チャンスだ。逃さない。チェーンソーを袈裟懸けに振り下ろす!

 手応えがあった。よく見えないけど、感触はそのまま伝わる。鎖骨から入って、肋骨と背骨を砕き、切り抜けた。要するに真っ二つだ。

 構えは解かず、周りに視線を配る。全員倒れてる。新手が来る気配もない。終わりか。大きく息を吐いて、チェーンソーのエンジンを切った。


「おおー……予想以上のワイルダネス……!」


 吉田さんは目をキラキラさせて拍手している。よくわからないけど、どうも。


「今のが退治する化物ですか? それとも、この周りの奴ら?」

「どっちもだね。正確には、こいつら纏めて『九死霊門』って怪談なんだけど。

 とりあえず、車に戻らない? 寒くてたまんないよ」


 吉田さんの言う通り、日没と霧のせいでどんどん寒くなってきている。仕事が終わったなら戻ったほうが良さそうだ。俺はチェーンソーを担ぐと、吉田さんと一緒に森の外へ向かって歩き出した。



――



「『九死霊門』って言うのは、山の中で謎の音に囲まれて、最後にはあの世に連れて行かれるって怪談よ」


 車に乗って宿までの道を進む途中、吉田さんが解説を始めた。


「今みたいな夕暮れに山を歩いていると、周りから音が聞こえてくる。それは8体の死霊が立てる音なのよ。モタモタしてると死霊に囲まれて逃げられなくなる。

 すると9体目の死霊が現れて、犠牲者をあの世に連れて行ってしまう。この時、死霊がやってきた『あの世とこの世をつなぐ門』が『九死霊門』って言われるの」

「8匹で囲んで、9匹目が不意打ちですか。それで1人を殺すって、効率悪くないですか?」


 確実に追い込んで殺したいのはわかるが、あの世からワープできる9匹目がいれば大体の人間は殺せそうな気がする。

 ところが吉田さんは首を横に振った。


「ところがどっこい、厄介なのはその後でね。死霊たちがいなくなっても『九死霊門』は開きっぱなしになるのよ」

「ええ……?」


 幽霊には戸締まりの概念がないのか?


「一度開いた『九死霊門』は、生き物の魂をブラックホールみたいに吸い込むんだって。そうなったら大変よ。山の生き物は近寄らなくなるし、死人や行方不明者もたくさん出る。しかもいつ閉じるかもわからない。立入禁止にするしかなくなるそうよ」

「迷惑ですね、それは……」


 そんな即死トラップがこんな道路の側にできるなんて、クソゲーにも程がある。社長一家がこの山に入り込んだら終わってた。なるほど、吉田さんがわざわざ俺を雇ってまで退治しに来るわけだ。


 しばらく車を走らせていると、温泉旅館と駐車場が見えた。


「あそこですか?」

「そう、あそこ」


 吉田さんが予約したっていう旅館だ。建物がきれいだ。いい旅館なんだろう。空いたスペースに車を停めると、俺たちは荷物を持って中に入った。


「いらっしゃいませ」


 お辞儀をしたフロントに、吉田さんが話しかける。


「すみません、予約した吉田ですけれども」

「はい。萩の間、2名様ですね?」

「それなんですが」


 フロントと吉田さんの間に割って入る。


「お金は払いますから、別の部屋を用意してもらえませんか?」

「ちょっと!?」


 いや驚くなよ。そうするだろ普通。


「えっ……ですが、お客様……」

「無理言ってるのはわかってます。食事とかが出せないならそれでもいいです。迷惑料も払います。なんとか、別の部屋になりませんか?」

「いやあ、それが……」


 吉田さんが何か言おうとする前に、フロントが頭を下げた。


「申し訳ございません、お客様。お部屋はご用意できません」

「そこをなんとか!」

「いえ。部屋が無いのです」

「えっ」

「本日、既に満室になっておりまして……」


 ゆっくりと吉田さんの方を見る。吉田さんは頭を掻きながら、ごまかすように舌を出した。


「ちゃんと数えたのよ? 数えちゃったのよ。8部屋、9部屋……あれ、って」

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