学校の七不思議

 鬼沢高校。埼玉県にあるごく普通の高校だ。

 今日はここに剪定の仕事で来ていた。1本1本はそれほど大きくないけど、数が多い。朝から始めて休憩を挟んで、終わる頃には夕方になっていた。

 時計を見る。4時40分過ぎ。夕暮れ時だ。冬至を過ぎて少しずつ日が長くなっているはずなんだけど、まるで実感できない。うかうかしてると真っ暗になってしまう。

 さっさと帰ろうと思い、体育倉庫の前で切った枝を纏める。すると、バタバタと慌ただしい足音が聞こえてきた。何事かと思って顔を上げると、校舎の影から女子高生が走り出てきた。


「た、助けてください!」


 女子高生は俺を見るなり助けを求めてきた。……マジか。


「どうした?」


 女子高生が校舎の影を指差す。そこから現れたのは人体模型だった。理科室に飾られている、内臓と筋繊維が丸出しの人体模型が、ひとりでに歩いている。そして手にはチェーンソーを持っている。

 妖怪の類か。学校だから七不思議の一つかもしれない。

 チェーンソーを構えようとして、作業していた木の下に置いてあることを思い出した。仕方がないから、纏めていた枝の中から、一番太くて長いものを手に取った。枝と言うよりちょっとした丸太だ。


「下がってろ」


 丸太を構えて、女子高生の前に出た。

 人体模型がチェーンソーを構えて迫ってきた。丸太を構える。間合いに入る直前、こちらから動いた。


「オラァッ!」


 先手を取って一歩踏み出し、丸太を振り下ろす。狙いは手首。渾身の一撃に、人体模型はチェーンソーを取り落とした。

 続いて丸太を横薙ぎに振るい、人体模型の頭を殴り飛ばす。頭にヒビが入り、破片が飛び散った。更にもう一発。人体模型が錐揉み回転で吹っ飛ぶ。

 丸太を投げ捨て、人体模型が落としたチェーンソーを拾う。そして、起き上がろうとした人体模型の頭に振り下ろした。人体模型は脳天から真っ二つになって倒れた。


「これでスッキリしただろ」


 人体模型の残骸は、肌がある右半分と筋肉剥き出しの左半分で綺麗に分かれていた。我ながらいい仕事だ。


「……さて」


 振り返る。女子高生がぽかんとした顔で俺を見上げている。


「何があったか説明してくれないか?」

「え? あ、はい……い、今のは『鬼沢高校七不思議』です」

「やっぱり七不思議か」

「知ってたんですか!?」

「いや、動く人体模型って七不思議の定番だろ?」

「ああ、そういう……そうですね。確かにそうです」


 驚いていた女子高生だったが、納得したかのように頷いた。


「放課後、理科室の人体模型がチェーンソーを持って暴れ出す。そういう怪談なんです」

「そうか。まあ、真っ二つにしたから、もう安心していいぞ」

「え、ええ……」


 俺は片付け途中だった枝を纏めて、ゴミ捨て場に置いた。これで仕事は終わりだ。

 道具を取りに木の下へ戻る。そこで気付いた。校庭に誰もいない。さっきまで部活動で賑わっていたのに。


「あのー」


 さっきの女子高生が呼びかけてきた。


「七不思議、まだ終わってないんじゃないですかね……? ほら、みんないなくなってるし」

「……あー、そういうやつか」


 『きさらぎ駅』を思い出す。あれも、1匹倒しただけじゃ終わらない怪談だった。多分、『学校の七不思議』でセットになっているんだろう。

 だが、学校の七不思議だったら、簡単に終わらせる方法がある。


「帰る」

「はい?」

「帰る。学校の七不思議なんだから、学校の中にしか出ないんだろう? だったら、学校を出れば終わりだ」


 『きさらぎ駅』とは違い、ここがどこかははっきりしている。正門があるんだから、そこから逃げればいい。


 鬼沢高校はそれほど大きな学校ではない。すぐに正門に辿り着いた。だが、そこで足を止めざるを得なかった。

 正門の前に誰かがいる。いや、『何か』だ。市松模様の羽織を纏った、色褪せた青緑色の人型。

 飾られていた二宮にのみや金治郎きんじろうの像が、チェーンソーを持って正門前に立ちはだかっている。敵意がある。仕方なく、こっちもチェーンソーを構える。

 すると、二宮金治郎はチェーンソーをいきなり投げつけてきた。


「うわっと!?」


 回転刃をチェーンソーで打ち払う。チェーンソーを投げナイフみたいにぶん投げるって、どういう筋力だ!?

 驚いていると、二宮金治郎が叫んだ。


「逃げるな卑怯者ぉぉぉっ!」


 は!?


「戻れぇぇぇっ! 戻って戦えぇぇぇっ!」


 二宮金治郎は次々とチェーンソーを虚空から引き抜き、投げつけてくる。普通に危ない!


「七不思議は負けてない! 負けるはずがない! うぉぉぉっ!」


 流石にやってられないので、一度正門から離れることにした。


「何だあれ」

「七不思議の『動く二宮金治郎像』です」

「あれじゃキンじゃなくてタンだよ」


 まあ、正門が駄目ならフェンスを乗り越えればいいだけの話だ。手近なフェンスに手を掛けて這い上がる。

 フェンスから顔を出すと、向こうの道路から二宮金治郎像が爆走してくるのが見えた。


「逃げるな卑怯者ぉぉぉっ!」

「わかった、わかったから!」


 塀から降りる。頭上をチェーンソーが飛んでいった。どうやら二宮金治郎は意地でも学校から逃さないつもりらしい。

 となると、戦うしかない。あのチェーンソーの投擲を防ぎつつ、間合いを詰めて接近戦に持ち込む。一対一ならできなくはない。

 だけど相手は二宮金治郎ではなく、『七不思議』だ。金治郎と戦ってる間に乱入されたらキツい。だから、先に他の連中を大人しくさせようと思った。


「おい、『七不思議』は他に何がある?」


 女子高生に聞くと、彼女は答えた。


「ええと……まず、本校舎3階の『トイレの花子さん』ですね」


――


 本校舎3階のトイレ。その3番目の個室を3階ノックして呼びかける。


「はーなっこさん、あっそびーましょ」


 少し待つと、返事があった。


「何して遊ぶ?」

「野球」

「いいよー」


 そしてドアが開いた。中にいたのはチェーンソーを持ったおかっぱの少女、花子さんだ。

 怪談通り、哀れな犠牲者をチェーンソーでズタズタにしようとした花子さんは、しかし、驚愕の表情を浮かべた。


「じゃあ、お前ボールな!」


 間髪入れずに、俺は手にした金属バットを振り下ろした。花子さんの頭にクリーンヒット。頭蓋骨が砕け、頭が凹む。

 更に5,6回バットを振り下ろす。花子さんの顔面はすっかりベコベコになって、原型を留めなくなっていた。


「よし」


 動かなくなったことを確認すると、俺はトイレを出た。入り口では、一部始終を見ていた女子高生が真っ青になっていた。


「ひ、ひとごろし……」

「人じゃないだろ?」


 妖怪が相手なら殺人罪は成立しない。それに向こうが殺す気なのに、こっちは殺しちゃいけないなんて道理に合わない。


「それで、次は?」

「は、はい……次は、体育館の『トイレの花子さん』です」

「えっ?」


 思わず、今出てきたトイレを振り返った。


――


 体育館のトイレ。その3番目の個室を3階ノックして呼びかける。


「はーなっこさん、あっそびーましょ」


 返事はない。ドアを思いっきり蹴り飛ばすと、息を呑む気配がした。さっきのにビビって出てこれなくなってるのか。

 しょうがないのでチェーンソーを持ち出す。回転刃を押し付けると、プラスチックのドアはあっさりと破壊された。


「ひいいいいっ!」


 中にいた花子さんが、俺の脇をすり抜けてトイレから逃げ出していった。個室にチェーンソーを置いたままだった。

 追いかけて殺そうと思ったが、止めた。金治郎と戦う時に邪魔さえしなければそれでいい。あと足が早くて追いつけそうにない。


「次は?」


 女子高生に尋ねると、相手は何故か申し訳無さそうに答えた。


「……次は、第2校舎1階の『トイレの花子さん』です」

「あのなあ……」


――


「あー、もしもし、花子さん? いるか? いるんだろ? わかってるよ、そういう怪談なんだから。

 あのなあ、『七不思議』って言ってるのに3つが『トイレの花子さん』ってどういう事だ? そんなにネタが無いのか、この学校は?

 まあ、その、なんていうか。邪魔だけはしてくれるなよ? いいな?」


 多分中でガタガタ震えているであろう花子さんにひと声掛けてトイレを出た。女子高生は目を合わせようともしない。


「次は?」


 言いながら、また花子さんだったらどうしようと思った。もう脅しのネタがない。

 幸いなことに、次は花子さんではなかった。


「ノコギリで『エリーゼのために』を演奏するベートーヴェンの肖像画です」

「急に情報量が増えたな!?」


――


 音楽室に行くと、人の声とフルートの中間みたいな音で『エリーゼのために』が聞こえてきた。

 そっと部屋に入ってみると、確かにベートーヴェンの肖像画がいた。肖像画がアニメみたいに動いている。

 ベートーヴェンの肖像画は左手と太ももでノコギリを挟み、それをバイオリンの弓で引いていた。すると、不思議なことにきれいな音が響いた。

 俺たちを気にかけず熱心に引いているものだから、こちらも思わず聞き入ってしまった。フル演奏、たっぷり3分強、しかもベートーヴェン本人の生演奏だ。いや、動く肖像画を本人と言っていいのかどうかは、難しいところだが。

 ともかく、曲が終わると手が痛くなるほど拍手した。ベートーヴェンは肖像画通りの気難しい顔をしていたが、ちょっとだけ笑うと肖像画の中に戻っていった。

 ……あっ、特に危害は加えないんだ。ならいいや。


――


 『動く人体模型』、『トイレの花子さん』、『トイレの花子さん』、『トイレの花子さん』、『ノコギリで『エリーゼのために』を演奏するベートーヴェンの肖像画』。

 七不思議のうち5つ……3つ? いやまあ、とりあえず5つは制した。残りは2つ。あと1つを倒して、絶対に邪魔が入らなくなったところで、二宮金治郎を倒す。作戦に変わりはない。

 改めて、教室の窓から正門を窺う。二宮金治郎の姿は見えない。だけど正門に行けばまだ出てくるんだろう。

 今度はこっちから仕掛けるから、できるだけ有利に近付きたい。門の隣には車が何台か止まっている。あれを盾にするのがいいか。一番近い車から正門までは10mくらい。2個……いや、3個くらいはチェーンソーが飛んできそうだ。


「作業員さん!」


 後ろで叫び声があがった。振り向くと、二宮金治郎がチェーンソーを振りかぶっていた。


「今からお前のくびを斬る!」


 いつの間に!? 内心悲鳴をあげながら、チェーンソーを掲げて刃を止める。だが、渾身の一撃は支えきれず、吹き飛ばされて床を転がった。

 ギリギリだった。後ろから黙って不意打ちされたら確実に死んでいた。なのにわざわざ声をかけてくるとは。


「律儀な奴だなあ、オイ……正々堂々しやがって」


 立ち上がり、チェーンソーのエンジンを掛ける。ガソリンが燃える音が闘志に火を付ける。


「後悔すんなよ」

「わかった!」


 互いに、同時に踏み込んだ。振り下ろされたチェーンソー同士がぶつかり、耳障りな音を立てる。弾いて、二の太刀。金治郎は防ぎ、返しの刃を振るう。

 金治郎の太刀筋は、水のような流麗さと、火のような苛烈さを併せ持った、独特なものだった。端的にいって、カッコイイ。傍から見る分にはアクションゲームみたいなモーションなんだろう。エフェクトもあるかもしれない。

 だけど、いざ相手にするとめちゃめちゃしんどい。攻撃しても手応えがないし、防御しても重い痺れが手に残る。このままチェーンソーで打ち合ってたら、泥仕合になるだろう。


 だけどこれは剣道の試合じゃない。やれることはいくらでもある。

 掬い上げるような斬撃を避けた俺は、床に転がっていた椅子を掴み、金治郎に投げつけた。金治郎はチェーンソーで椅子を真っ二つにする。そこへ、時間差で投げつけたチェーンソーが飛来した。

 お株を奪うチェーンソー投擲に、金治郎は何とか反応して弾き飛ばした。だけど、それはギリギリだ。

 三撃目。机を振りかぶった俺には対応できない。薙ぎ払われた机が、金治郎の頭を殴りつける――ことはなく、その直前で止まった。


 机を手放す。驚く金治郎に背を向け、弾き飛ばされたチェーンソーを拾い上げる。


「……これで俺も正々堂々だ」


 向こうは必殺を一度止めた。俺も必殺を一度止めた。

 命のやり取りの最中で馬鹿な話だが――命のやり取りだからこそ、後腐れ無く戦いたい。

 振り返る。チェーンソーのエンジンを掛け直す。


「後は恨みっこなしでやろうじゃねえか!」

「……貴方の考えは理解できる。だけど、俺は貴方を許さない!」


 二度目の一合目は、やはり同じタイミングだった。振り下ろされたチェーンソー同士がぶつかり、耳障りな音を立てる。

 俺には金治郎のような流麗さはない。苛烈さ一点張りだ。だから、その強みを押し付ける。避ければいい刃をあえて受け止め、力を込めて弾き返すことで金治郎の態勢を崩していく。

 そのうちに、金治郎の太刀筋に乱れができた。見逃しはしない。両腕に力を込め、僅かな隙、振り切った剣を戻す瞬間に、チェーンソーを袈裟懸けに振り下ろす!


 金治郎の市松模様の羽織が、破れ千切れて宙を舞った。



――



「……まあ、そんなところだ。正門をくぐったら、ごく普通の学校に戻って。それで終わりだ」


 いつもの居酒屋。雁金への語りを終えた俺は、ジョッキに残ったビールを飲み干した。今日はちょっと語りに熱が入ったので、喉が渇いていた。


「なるほど、なるほど……」


 雁金は感心した様子で、メモを取っている。この話も、そのうちアレンジされて雑誌の原稿にになるか、ネットに書き込まれるか、お蔵入りするんだろう。


「あれ、七不思議の最後の1つは?」

「……出てこなかったよ」

「探さなかったんですか?」

「だって……アレだろ。七つ全部知ったら死ぬんだろ。わざわざ探す必要はないじゃないか。それに、正門が空いてたからすぐに帰れたし」

「もったいないなあ……。いやあ、しかし驚きましたよ。私たちの母校に、そんな噂が立ってたなんて」


 当然のように語る雁金に、俺は心底肝が冷えた。それをごまかすために、ジョッキのビールを一気に煽った。


「鬼沢高校、懐かしいですよね。先輩」

「……そう、だな」


 気付かれていない。知るはずがない。俺が黙っている限り、雁金が気付くはずがない。

 なのにあいつは、うつむく俺の顔を覗き込んできた。


「どうしました、先輩?」

「あ、いや……」


 答える前に、雁金がにへらと笑った。


「……飲み過ぎですね?」

「んぐ」

「珍しいですね、先輩が私より先に潰れるなんて。すいませーん、お勘定お願いします」


 ……まあ、そうだな。これ以上話すのは、な。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る