とーきのぼー

 埼玉県の山の中で、工事現場の木を伐採する仕事をしていた。重機が入れないところに入っていって、チェーンソーで木を切ってたんだ。

 そこそこ大掛かりな仕事で、1日2日じゃ終わらなかった。それで、現場にプレハブの管理事務所があったから、そこを借りて寝泊まりしてたんだ。夜中に重機や資材を盗もうとする奴らが来るかもしれないから、警備員代わりに泊まってくれって責任者に頼まれたんだよ。


 昼間は木を切って、夜は現場を見回りする。そんな仕事を続けて3日が経った。その日の夜は麓のコンビニで買ってきたメシを食べながら、スマホでyoutubeを見ていた。そうしたら、カンカンカン、って音がしたんだ。金属の上に小石が降ったような音だった。

 最初は動画の音かと思ったけど、外から聞こえてきたからすぐに違うってわかった。ひょっとして、誰かが重機置き場のところにいるかもしれないと思い、俺はライトとチェーンソーを手にして事務所の外に出た。

 音のする方に歩いていくと、重機と資材が積んである空き地があった。窃盗団が来たかと思ってたから、ライトを点けずに慎重に近付いた。物陰に隠れながら、資材置き場を一通り見てみたけど、誰もいなかった。山奥の夜だから見通しが悪いといっても、月明かりがあるから完全に真っ暗なわけじゃない。見落とすとは思えなかった。

 どういうことだ、と思ってると、後ろからガサガサッと、ヤブを掻き分けるような音がした。俺は振り返ってチェーンソーを構えた。


 人がいた。スーツっていうか背広をきたオッサンだ。結構背が高くて、180cmくらいは余裕でありそうだった。こんな山の中でスーツを着ていること以外は、特徴のないごく普通のオッサンだった。せいぜい、目がちょっと大きいくらいだったか。


「誰だ?」


 チェーンソーを油断なく構えながら聞いたが、オッサンは答えなかった。俺を無視してガサガサと草木を掻き分けて、山の方へ入っていく。よくわからないけど逃がすわけにはいかないから、俺はオッサンを追った。


「おい、こら、ちょっと待てよ」


 するとオッサンはヤブの中で立ち止まった。向こうを向いたままブツブツ喋ってる。何を言っているかは聞き取れない。ちょっとアレなオッサンなのか、と思った俺は、嫌になりながらも近付いた。オッサンは相変わらず呟いている。


「とーきのぼー。とーきのぼー」


 繰り返し、そう言っていた。聞いたことのない言葉だ。登記簿ならまだわかるんだけど……いや、ごめん。登記簿も詳しくない。自営業だから出したことはあるけど、法律とか詳しい話はわからない。


「なんだって?」


 とにかく『とーきのぼー』なんて言葉は知らないから聞き返した。

 そしたら、オッサンは物凄い勢いで山の中に入ってったんだ。追いかけるにも夜の山の中は危ないし、気味が悪かったから諦めて事務所に戻った。一応、重機と資材をライトで照らして確認したけど、盗まれたりイタズラされた様子はなかった。

 それから責任者に電話をかけて、そのオッサンの事を伝えた。何かあったら嫌だからな。そうしたら責任者さんはこう言った。


《うーん、窃盗団の下見だとか、そういうのじゃないのか?》

「違う感じがするんですよね。そんな事に手を出すほど若くは見えませんでしたし」

《変な人か、それ以外か……わかった。これからそっちに向かう。その間にもしも何かあったら、警察を呼ぶなりなんなり、頼んだよ》


 そういう訳で、責任者さんが現場に来ることになった。俺は事務所で責任者さんを待っていたんだけど、あのオッサンの『とーきのぼー』って言葉がやけに気持ち悪く耳に残っていて、怖かった。

 とーきのぼー。とーきのぼー。登記簿か。でも工事現場の権利関係なら俺じゃなくて責任者に聞いてほしい。そもそも工事するのに登記簿とか必要なのか。わからん。

 あるいはそれ以外か。冬季の帽。ニット帽。帽子を落っことして探してたとか? でもそれなら、もうちょい暖かそうな格好をしてるだろうしなあ。

 頭絹坊。絹がキノに聞こえたとしたら、これもいける。頭に絹を乗っけたお坊さん。……妖怪か何か?

 闘気の棒。オーラスティック。ゲームなら+3とか修正値がついてそう。なんだっけ、あの、MPを攻撃力に変換するゲームの武器……。


 いろいろ考えたけど、結論は出なかった。そのうちに、随分と時間が経っていることに気付いた。責任者さんは麓のビジネスホテルに泊まっているから、そこまで遠くにいるわけじゃない。とっくに着いていてもおかしくないはずだ。

 電話してみる。出ない。留守電だ。考えてみたら運転中か。出られるわけがない。しばらく待ってみるけど、折り返しも来ない。携帯をバッグに放り込んでて気付いてないとか? それとも、ひょっとしてここにくる途中で事故ったか? 


 どうにも落ち着かない。気を紛らわすためにタバコをふかしていたら、外から奇声とエンジン音が聞こえた。


「ぎゃーーーー!! わあああ!!」


 尋常じゃない大声だ。タバコを消して、チェーンソーを手に外に出る。すると、あの背広のオッサンが奇声をあげて、チェーンソーを振り回しながら走り回っていた。ついでに、いつの間にか濃い霧が出ていた。

 こりゃ警察に通報だと思い携帯を取り出すと、オッサンが喚きながらがチェーンソーを振り回して突っ込んできた。


「たーすーけーてえええ!!」


 助けてもらいたいのはこっちだよ!

 次の瞬間、突っ込んできたオッサンのチェーンソーと、俺のチェーンソーがぶつかりあった。オッサンはパニックになっているのに、相当なパワーだった。一歩押されて、足を踏みしめる。


「てめえッ!」


 オッサンのチェーンソーを押し返す。そして自分のチェーンソーのエンジンを掛けた。唸りを上げて刃が回転し始める。

 一方オッサンは、俺に気付いているのかいないのか、それとも眼中に無いだけなのか、闇雲にチェーンソーを振り回している。


「はやく! はやく!」


 言ってることはメチャクチャだ。頭のおかしいオッサンなんだろう。だけど、厄介なことに、太刀筋がプロのそれだ。迂闊に近付けない。これだけのチェーンソーのプロが狂うなんて何があったんだ?


「だああめえええ!」


 オッサンは大声でそう言って、道路の方へと走り出した。放っておくわけにもいかないから後を追う。これで通行人が斬られたりしたら大惨事だぞ。


「わあああ!! くるなああ!!」


 オッサンは虚空に向かってチェーンソーを振り回している。霧が濃いから、姿がぼやけて見える。

 どうにも、おかしい。何から逃げてるんだあのおっさんは? クスリでもやってるのかとも思ったが、それにしてはチェーンソー捌きが良すぎる。まるで見えない何かが纏わりついていて、それを振り払おうとしているような……。


「とーきのぼおおおおおおおお!!!」


 オッサンが一際大きな声で叫んだ。その瞬間、どしーん!! と地響きがして、オッサンの姿が消えた。道路に面した崖から大きな岩が降ってきて、オッサンを押し潰したんだ。


「……おい、おいおいおい!?」


 大事故だよ。俺は大慌てで岩に駆け寄った。岩は一抱えくらいあって、人間が下敷きになったら大怪我間違いなしの大きさだった。ところが潰されたはずのオッサンはどこにも見当たらなかった。服も、チェーンソーも、綺麗サッパリ消えていた。

 避けたのか、と思って辺りを探したけど、オッサンらしき姿はどこにもなかった。何しろ霧が濃くて周りが全然見えない。


 その時、なんだろうな。凄い嫌な予感がしたんだ。さっき、事務所で責任者さんを待ってる時に感じた予感を、100倍くらい濃くしたような感じだった。

 慌てて周りを見ると、霧の中に人影のようなものが見えた。だけどおかしいんだ。なんでだ、って思ったら、人影はゆっくり近付いてきた。

 それでわかったんだ。その人影は影じゃなくて、濃い霧が人の形に集まったものだって。しかもデカい。5mくらいあったと思う。

 明らかにヤバそうなそいつが、俺に向かって手を振り下ろしてきた。とっさに横に飛び退くと、地響きがして道路にヒビが入った。幻覚や見間違いなんかじゃない。霧の巨人が確かにそこにいた。

 さっきのオッサンが叫んでいた『とーきのぼー』って言葉を思い出した。あれはこいつの事だったか、って思ったよ。


 とーきのぼーは長い腕を横薙ぎに払った。俺は後ろに跳んで避けると、腕に向かってチェーンソーを振り下ろした。

 手応えはなかった。そりゃそうだ。相手は霧だもんな。物理が効かない。効いてるのかもしれないけど、とーきのぼーがデカすぎて効果が薄い。


「卑怯だぞチクショウが!」


 叫んでみるけど、とーきのぼーは聞こえてる素振りすら見せない。どうにかして逃げるしかない、と思っていると車のエンジン音が近付いてきた。続いて、辺りがライトに照らされる。

 暗闇の中から一台の車が急ブレーキをかけながらとーきのぼーに突っ込んだ。すると、とーきのぼーの形をした霧は弾け飛んだ。

 何が起こったかわからずにポカーンとしてると、車の中から人が降りてきた。責任者さんだ。


「あっぶねー……オイオイオイ、なんだよこれぇ」


 責任者さんは道路の真ん中に落ちた落石を見ている。それから、少し離れたところにいる俺に気付いた。


「あれっ、大鋸さん? ここにいたのか?」

「はい、あの……大丈夫ですか?」

「大丈夫って、何が? 大鋸さんの方こそ大丈夫か? なんだか顔色が悪いけど」


 どうやら責任者さんはとーきのぼーを轢いたことにすら気付いてないらしい。さっきの急ブレーキは落石を避けようとしてたのか。


「いや、俺は平気です」

「そうか? ところで、例の変質者は?」

「こっちの方に逃げてきたんですけど、見てませんか?」

「山を登ってくる時は見なかったなあ。霧が濃かったから、ひょっとしたら見逃したかもだ」


 そう言った責任者さんは、不思議そうにキョロキョロと辺りを見回した。


「あれっ、霧は?」


 言われてみれば、さっきまで辺りに漂っていた濃い霧は綺麗サッパリ晴れていた。霧はとーきのぼーが連れていたものだったらしい。

 ただ、俺はチラっと見た。人のような形をした霧が、ゆっくり歩くように闇の向こうに移動していくのを。

 いなくなったオッサンの事を思い出す。あのオッサンは見えない何かに怯えてチェーンソーを振り回しているように見えた。ひょっとしたら、とーきのぼーに襲われていたのかもしれない。チェーンソーが効かない怪物に襲われて、半狂乱になって逃げていたのかもしれない。岩の下敷きになったのに死体が見つからなかったのは……とーきのぼーに食われたからか?

 そして、俺もひょっとしたら、責任者さんの車が偶然突っ込まなかったら、同じ目に遭っていたのかもしれない。 


「とにかく早く事務所に行きましょう」


 すっかり怖くなった俺は、責任者さんを急かして事務所に戻り、眠れない夜を過ごした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る