ヒギョウさま(2)

 トラブルはあったものの、『おきつねさま』は無事に倒された。吉川の周りで起きていた怪事件もピタリと止んだ。

 おきつねさまの取材や由来を調べるだけでなく、怨霊騒ぎを止めてくれたということで、雁金たちは非常に感謝された。謝礼も弾んだらしい。

 事件が解決したということで、雁金たちは帰っていった。家から人がいなくなり、吉川の日常が戻ってきた。鶏の世話をして、育った鶏を出荷し、卵を拾って売りに出す。養鶏家の日常だ。


 深夜。吉川は小屋にいた。鶏小屋から拾ってきた卵を一つずつ確かめ、なものを取り上げ、割る。中のものの首をへし折り、ゴミ箱へと放り捨てる。


「残酷なものだ」


 若い男の声。吉川は驚愕して振り返る。闇の中に、長い髪を首の後ろで括った男が立っていた。


「あんたは……九曜院さんかい」


 吉川は男を知っていた。九曜院明。雁金たちが連れてきた男だ。山の中で殺生石を調べていたらしい。


「なんだよ、こんな夜中に。非常識な人だな」

「失礼。忘れ物があった」

「だったら明日にしてくれよ。もう真夜中だぞ?」

「いや。今じゃないといけない。『ヒギョウさま』を見つけるためにはな」


 吉川の手が止まった。


「……ヒギョウさま?」

「ああ。貴方の手の中にあるものだ」

「なんだ、それは?」

「インターネットの匿名掲示板に投稿された怪談だ。

 語り部が養鶏家の祖父の家へ遊びに行く。そこで正午と深夜に卵から孵る『ヒギョウさま』という怪物の存在を知る。

 ヒギョウさまと目が合った人間は魂を抜かれ、二度と元には戻らない。語り部の弟もヒギョウさまと魂を抜かれてしまった。

 それから数年後、語り部が友人にその事を話すと、今ではセンサーとタイマーでヒギョウさまを自動で排除すると教えてくれる。

 そういう怪談だ。一睨みで人の魂を奪い取るバケモノが、鶏の卵という身近なものの中から現れる、というのが怖さのキモだな」

「……作り話だろう?」

「ああ。ただの作り話だ……使おうとする人間がいなければ」


 九曜院は妖しく目を細める。


「怪異とは、形而上の未定義エネルギーが周囲の認識によって指向性を持ち、唯物空間に作用したものだ。

 なんらかの形で『ヒギョウさま』という怪談を知った貴方によって、未定義エネルギーは『ヒギョウさま』という指向を得た。つまり怪談通りの怪物となってあなたの周りに顕現した。

 そしてあなたはそれを利用した」


 九曜院は吉川の足元にあるゴミ箱を指差した。金属のゴミ箱には、何枚もの紙が貼られている。それらには墨で文字が書かれている。呪符だ。


「『ヒギョウさま』の本来の話では、中身を潰してゴミ箱の中に叩きつけていた。しかしあなたはそうせずに、瀕死のまま閉じ込めている。

 『蠱毒』。古典的な呪術だ。古典的だからこそ誰もが知っていて、未定義エネルギーに指向性を持たせやすい。現代怪談を古典呪術で操るとは、いいアイデアだ。

 そうして強力な呪いを手に入れたあなたは、現代の呪術師になった。自分のためだけでなく、他人の仕事も引き受けたようだな。養鶏家の年収では到底手に入らない、いい家に住んでいる」


 黙って九曜院の話を聞いていた吉川だったが、九曜院が口を止めたのを機に言い返した。


「アンタ、なんなんだい。呪いだの怪談だの、訳のわからないことばっかり言いやがって。俺の仕事にイチャモンつけたいのか?

 仮に呪いが本当だとしても、アンタが俺に構う理由がどこにあるんだ。昨日が初対面だろう? まさか、正義感だとか言うつもりじゃないだろうな。

 だったら警察を呼んでこいよ。田舎の謙虚な農家と、訳のわからん事を言って真夜中に人の家に上がり込む奴、どっちが悪いかハッキリ決めてもらおうじゃねえか」

「なるほど。警察に決めてもらうと。流石、警察にお世話になった方は言うことが違う」


 吉川の動きが止まった。


「……何が言いたい?」

「私は千葉県に住んでいるんだが、最近、近所に若い夫婦が引っ越してきた。広島県生まれだそうだ。

 奥様は父親のせいで苦労していて、結婚を機に家を出た。ところが父親は性懲りもなく金をせびるわ、子どもにもつきまとうわ……終いには警察沙汰になったとか。

 地元でも有名なようだな。売店の店主が話してくれたよ。

 たまらず夫婦は引っ越して関東まで逃げてきた。そうしたら、今度はヒヨコの妖怪に襲われるようになったらしい。

 まさかと思って夫婦のお宅にお邪魔したのだが……初日にいきなりチキンステーキを作る羽目になった」

「……おいおい」

「私も怪異討伐を仕事にしてるわけじゃあない。生物の認識が形而上エネルギーにどこまで作用を及ぼすのかを研究したいだけだ。

 だが、ここまでハッキリ襲われたら放っておけん。そこでこの村に調査に来た。

 最初は殺生石が怪しいと思っていたが……昨日、山で襲ってきたヒヨコの妖怪の群れ。戦っていた彼らは気付かなかっただろうが、後ろで貴方が操っていたのを確認した」


 一息に言い終えてから、九曜院は吉川を睨みつけた。


「何か、ご質問は?」


 吉川は深々と溜息をついた。


「ねえよ。じゃっどん、言うておくこたぁ、ある」

「どうぞ」

「『ヒギョウさま』は昼に生まれた雛のことじゃ」


 そう言って、吉川は足元のゴミ箱を蹴飛ばした。


「夜に生まれたんは、もっともっと恐ろしいもんになるぞ」


 ゴミ箱の蓋が音を立てて転がった。中の闇から、黒い手が這い出してくる。腕、肩、頭、体、足。小さなゴミ箱には到底収まりきらないものが姿を現す。


「ギ、ギギ……」


 人間と鶏を混ぜ込んだかのような醜悪な怪物だった。頭はひよこのそれだが、虚ろな目だけはハッキリと人間のものだった。

 その怪物は九曜院の姿を認めると、爪を振り上げて襲いかかった。九曜院は後ろへ飛び、爪を避ける。

 怪物は小屋の中から這い出し、九曜院に迫る。九曜院は脇差を抜き放ち、これに立ち向かう。だが、体格が違う。巨大な怪物の力に翻弄され、九曜院は攻撃を凌ぐのに精一杯だ。


「ブチ回したるわ」


 次の式神を準備しながら、吉川は言葉を投げかける。だが九曜院は微塵も恐れず、吉川に話しかける。


「なあ、吉川さん! 信じるのは勝手だが、『ヒギョウさま』なんて怪談を使って恥ずかしいと思わないのか!?」

「……なんじゃあ?」


 言葉の意味がわからず、吉川は眉根を寄せた。


「養鶏家のあなたならご存知だろうが、ヒギョウさまとは要するに転卵のことだろう?

 元の怪談にもあったはずだ。今ではヒギョウさまを潰すのに、センサーとタイマーを使っていると。あれは、孵化器についている自動転卵タイマーのことじゃないか。怪異でもなんでもない」


 怪物が九曜院に噛み付く。九曜院は刀を突き出して怪物を牽制する。


「それに鶏の卵は天然自然のものだ。うまく生まれなかったり、奇形で孵る雛だってある。それは当然、間引くわけだ。

 ところが養鶏を知らない人から見れば、夜中に卵を弄って、潰しているように見える。怪談の作者もそうだったんだろうな」


 振り下ろされた爪を避け、九曜院は刀を振り下ろす。怪物の手首が切り落とされた。禍々しい咆哮が響き渡る。


「大体なあ、正午と深夜にそんな怪物が生まれるんだったら、一日に何万匹の『ヒギョウさま』が生まれる計算になる? 全ての卵を人間が管理できるわけがない。本当だったらとっくに人類は絶滅しているだろうな。

 こんな杜撰な怪談を聞いて、自分の職業がバカにされているとは思わなかったのか?」

「ほざけよ。この仕事は儲からん。こうしてバケモノを作って金を脅し取ってた方が余程儲かるわい。

 だってのにあのガキ、ワシに手向かいよって! また躾直しゃならん!」

「……そうか」


 怪物はなおも九曜院に襲いかかるが、動きが鈍っていた。喋り続ける九曜院に、やすやすと攻撃を避けられてしまう。


罷業ヒギョウさまとは失礼千万。生き物を扱う仕事を勝手な思い込みで貶めて、あまつさえ人に仇なす怪物を作り出すなど。

 怪力乱神、語るに及ばず。『ヒギョウさま』とは、語り部の偏見に過ぎなかったわけだ」


 鈍り続けていた怪物の動きが止まった。動かない怪物へ向けて、九曜院は刀を振った。


「解体完了」


 刃が触れていないにも関わらず、怪物の巨体が切り刻まれたかのように崩れ落ちた。黒く変色したひよこの死体が辺りに散らばる。


「なん……なんぞしよった!?」


 吉川が目を剥いた。九曜院はさも当然、といったように溜息をつく。


「怪異を解体した。種明かし、とも言うべきかな。由来を解説され、矛盾を指摘された怪談はもはや怪力乱神ではない、ただのお話だ。

 種が割れた手品と同じだよ。常識の枠組みに囚われた怪異は、指向性を失い未確定エネルギーへと戻る。それだけのことだ」

「いなげな事言いよって!」


 吉川は人差し指と中指を立て、空を切る仕草をした。すると、辺りの地面が盛り上がり、鳥と人を混ぜ込んだ怪物が何体も姿を現した。


「こいつらはさっきのできそこないとは違う! 術を最後まで終わらせた完成品やけん! みやすく殺せると思うなよ!」


 唾を飛ばして怒鳴り散らす吉川に対して、九曜院は冷ややかな視線を送り、嘆息した。


「……まあ、下ごしらえは十分か」


 そして、腰に挿していた刀の鞘を手に取った。


「出てこい、野狐ヤコ


 九曜院は鞘の口を吉川に向ける。


「食事の時間だ」


 するり、と白い手が鞘の中から伸びた。筒より太い手だ。物理的にありえないにも関わらず、小さな筒の中から人型の何かが姿を現す。

 中から出てきたものは、とん、と軽い音を立てて地面に降り立った。


 裸足だった。丈の短い着物は、両足をほとんど隠せていない。イチョウ色の着物は、腰に巻かれた緋色の帯で留められている。細い首の上には子供の顔。笑う口元には八重歯が覗く。

 そして、頭の上には狐の耳が。着物の裾からは3本の狐の尻尾が生えていた。


 鞘の中から這い出してきた『管狐』ヤコは、周りを囲む怪物を見渡した。


「わあ、天然モノ?」


 ヤコは目を細め、牙を剥き出しにして嗤った。


「おいしそう」


 怪物たちが一斉にヤコへ飛び掛かった。四方から迫る爪がヤコをバラバラに引き裂く寸前、ヤコは跳んだ。

 夜空に浮かぶ満月を背景に、狐の娘はくるりと一回転。怪物の頭に降り立つ。すると、怪物の上半身が抉り取られた。

 まるで、見えない巨大な獣に頭から丸かじりされたかのようであった。


「しっかり下ごしらえされてるねえ。柔らかくてジューシー」


 次の怪物がヤコに迫る。振り下ろされた腕に対し、ヤコは細い腕を掲げた。腕が触れた瞬間、怪物の腕が消失する。

 続いてヤコの蹴りが怪物の胸に突き刺さる。すると、怪物の上半身が千切れて消えた。


「な……」


 呆気にとられる吉川の前で、ヤコは3体目と4体目の怪物を同時に屠る。『ヒギョウさま』の『蠱毒』が、3分保たずに全滅した。


「じゃあ、そろそろメインディッシュを」


 ニヤニヤ笑うヤコが吉川に迫る。


「ひっ、ひいいっ!」


 吉川は背を向けて逃げ出す。


「いただきまぁす」


 ヤコの口がありえないほど大きく開き、吉川を丸呑みにした。


「うーん、熟成させた鶏肉に、逆恨みと虚勢のソースを添えて……」


 ぐちゃぐちゃ、ぐちゃぐちゃ。


「自分の娘さんが手元を離れたのが許せなかったわけか。愚かさがいいアクセントだねえ」


 ぐちゃぐちゃ、ぐちゃぐちゃ。


「付け合わせには金銭欲と偏見かな。なるほど、ご先祖様も呆れて怨霊から守らなくなるわけだ」


 咀嚼を終えたヤコは、ほう、と息を吐く。


「ごちそうさまでした」


 両手を合わせる。その先には、仰向けに倒れる吉川がいた。傷一つついていない。ただ、目の焦点が合っていない。口から泡を吹いて、呆然として夜空を見上げている。


「おいしかったよ、明。ありがとうね」


 ヤコが食べたのは吉川の精神だ。形而上エネルギーを怪異たらしめた知識と欲望、怪異との縁、そして吉川自身が宿していた形而上エネルギーを、ヤコは残らず食べ尽くした。

 もはや吉川に『ヒギョウさま』を操ることも、『蠱毒』を作ることもできない。自分が怪異を操っていたという事実を思い出すこともできないだろう。このまま死ぬまでこの家で鶏を育て続けるだけだ。


「満足したら何よりだ。さ、早く帰るぞ」


 おぞましい食事を目の当たりにしても明は平然としている。当然だ。彼はヤコのために怪異を解体し、食べやすく調理したのだから。


 ヤコは欲深な『管狐』の怪異である。人間の欲と、それに引き寄せられた怪異を好んで食らう。だが、怪異を頭から丸かじりするのは疲れるし味付けも単調だ。

 明は常人より形而上エネルギーへ強く干渉できる。そのため、幅広い知識と理論を駆使し怪異の正体を言い当てることで、一時的に無力化することができる。だが、怪異にトドメを刺すには単純に力が足りない。

 ある事件をきっかけに偶然出会った二人は、各地の怪異を解体・調理する怪異解体者ゴーストスローターとしてコンビを組んだ。


「ねえ、明……デザートも食べたいんだけど?」

「……旅館まで我慢しなさい」


 二人は車に乗り込むと、その場を去っていった。

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