12番線 魔眼

 ミサイルの直撃で、きさらぎ駅西口ロータリーはすっかり様変わりしていた。車の残骸や瓦礫がそこら中に散らばり、それらに押し潰された死体が所狭しと並んでいる。

 『きさらぎ駅』の怪異の半分以上は死んでいた。残りはゾンビが30体程度だ。

 ガラガラと瓦礫が崩れ、『鵺』が姿を現す。こちらはさほど外傷を負っていない。

 サングラスの老人は車椅子から投げ出されたので、戻ろうとしている。

 一番遠くにいた『幽霊』は、そんな惨状を目の当たりにして叫んだ。


「だ……誰!? こんな無茶苦茶な事をしでかしたのは!」


 すると、天から声が降り注いだ。


「オヌシら怪異が生み出したものを、そのまま返しただけだ」


 声の主を探して怪異たちが辺りを見回す。そして、ゾンビの1人が上を見て叫んだ。


「あいつはっ!?」


 破損し、赤黒に明滅する信号機の上に、ひとつの影が立っていた。


「文句ならサンズ・リバーで女子高生に言うが良い」


 頭を覆う頭巾。口元を覆うマフラー。体全体を覆う忍者装束。右手にはチェーンソー。

 すなわち、忍者である。


「え……ニンジャ……?」

「ナンデ……?」


 忍者とは。室町時代から江戸時代にかけて活躍した諜報員である。

 江戸幕府による安定した統治が続くと、任務の無くなった彼らは市井に溶け込み、姿を消した。現代日本にはほぼ存在しないことは常識である。


 だが、それは日本国内の話だ。国外においては、ジャパニーズ・エンターテイメントとしてニンジャは広く周知され、日本に行ったことのない外国人の中ではニンジャの実在がまことしやかに囁かれている。

 曰く、『日本人がマスクに躊躇しないのはニンジャの末裔だから』。曰く、『日本から海外に出るサラリーマンはいずれもニンジャである』。曰く、『日本の裏の世界で悪さするとニンジャが来る』。曰く、『最近チェーンソーのニンジャに狙われてる』。

 そうした噂を核にして、『メリーさん』や『きさらぎ駅』のように、『ニンジャ』という怪異が生まれた。本来なら独り歩きするはずの怪異は、しかし奇跡的に条件が合致した一人の男に取り憑いた。


 敷戸賢治シキド・ケンジ。彼こそが、ニンジャマニアのサラリーマンにして『ニンジャ』の怪異を宿した男。怪異を殺す怪異、怪異殺戮者ロアスレイヤーである。

 もっとも彼にそんな自覚はなく、自分をただの旅行代理店の営業だと思っているが。


「貴様がミサイルを撃ったのか!?」

「否。ミサイルを撃ったのはこやつだ」


 敷戸は左手を掲げる。女子高生の生首がぶら下がっている。それを見た怪異たちが大いにどよめいた。


「あれは!」

「『ミサイルに跨る女子高生』!」

「そんな、どうやって!?」

「答える必要はない!」


 一喝! 大いに怯む怪異たちに、敷戸はチェーンソーを突きつける。


「この駅を形作っている怪異を出せ。さもなくば、全員惨たらしく殺す」

「……ふざけるな!」


 怪異たちが色めき立った。


「新参のローカル怪異を討った程度でいい気になるな! 人に取り憑かねば存在を保てぬ低級霊め! 八つ裂きにしてくれる!」

「違うな。八つ裂きになるのはオヌシらの方だ!」


 敷戸が鉄骨から飛び降りた。落下地点のゾンビが釘バットを構える。敷戸は左手の女子高生の生首をゾンビへ投げつけた。

 鈍い音が響き、ゾンビの顔面に生首がめり込む。続いて、着地した敷戸がゾンビを縦に両断した。


「シャアアアッ!」

「死ね! すぐ死ね! 脳ミソぶちまけろーっ!」


 雑多な武器を持ったゾンビたちが、敷戸に殺到する。敷戸はチェーンソーを両手で握ると、ゾンビの群れに飛び込んだ!


「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」


 サツバツ! なんたる常磐線ムジナ轢殺機関車めいたチェーンソーによる斬撃の嵐であろうか! ゾンビたちはたちまちネギトロとなる! 腐乱死体の群れは数に任せて敷戸を取り囲むが、敷戸は意にも介さずニンジャの身体能力で包囲網を強引に突破する!

 JRきさらぎ駅西口ロータリーは、今や阿鼻叫喚地獄アビ・インフェルノ・ジゴクと化した!


 更に、ロータリーに新たなチェーンソー音が響く。見ると、トイレから大柄な男と外国人の少女がチェーンソーを構えて飛び出してきた所だった。彼らが目指すのは、車椅子に乗った老人だ。


 老人を見た敷戸の目が見開かれた。

 老人がサングラスを外す。睨まれた男の動きが鈍る。白装束の幽霊が消える。続いて、メリーさんも消える。鵺がチェーンソーの男を弾き飛ばす。男は地面を転がるが、すぐに起き上がる。老人はなおも男を睨む。

 そのタイミングで、敷戸は老人を間合いに収めていた。


「ぬうっ!?」

「イヤーッ!」


 裂帛の気合と共に繰り出された斬撃は、しかし老人のこめかみを掠めるに留まった。老人が車椅子の車輪を回し、間合いを離したのだ。

 5,6歩の距離を取った老人は、敷戸を睨みつける。しかし何も起こらない。


「――なんと」


 老人は感嘆の声を上げた。敷戸は目を閉じていた。

 そのままの状態で、敷戸は両手を合わせて挨拶した。


「ドーモ、メカタ=サン。敷戸です」


 老人は目を見開き、そして敷戸と同様に両手を合わせて挨拶した。


「どうも、敷戸さん。目方です」


 老人は手を降ろし、車椅子の車輪に添える。いつでも動けるように。


「……まさかこんな所で出会うことになるとは。5年ぶり、だろうか?」

「いえ。ノルウェー出張は6年前。オリンピックの時でした」


 知り合いであった。かつて、敷戸が海外出張に赴いた時、同じホテルに泊まっていたのが目方だった。遠い異国の地で知り合った同郷ということで、年の差も超えて友人になったのだ。


「奥さんは元気かね」

「はい。子供が4歳になります」

「そうか、それは良かった」

「メカタ=サンは? 家を買うという話は、どうでしたか?」

「ああ。いい家が見つかってな。そこに引っ越したよ」

「そうですか……」


 敷戸はチェーンソーを握りしめる。


「なら……なら、何故このような場所にいるのですか!」


 目を閉じながらも、敷戸は目方をまっすぐに見つめていた。


「家を買うのには手続きが必要でな。戸籍を取ったり、住民票を手に入れたり、いろいろあった。その中で健康診断を受けたんだよ」


 溜息が聞こえた。


「ガンだった。それもあちこちに転移していてな。もってあと2年の命だ」

「そんな……」

「そうしたらな。急に日本に帰りたくなってしまったんだよ。だが、私は追われる身だ。普通に帰れば、故郷の地を踏むどころか、空港を出ることもできんだろう。

 だが、『きさらぎ駅』から連絡があった。異界を通して日本に帰らせるから、復讐の手伝いをしろと」

「それで、手伝ったというのですか」

「ああ」


 不意に、凄まじい罪悪感が敷戸に襲いかかった。ニンジャ、死すべし。そのような声が頭の中に鳴り響き、手にしたチェーンソーで首を掻き切りたくなってしまう。

 敷戸はこの現象を知っていた。目方の『邪視』だ。目を見なければ問題ないと思っていたが、彼はそれ以上の使い手だったらしい。


「三つ子の魂百まで、というわけではないが……結局私の魂は、この日本から離れられなかったらしい。

 恨んでくれよ、敷戸くん。私は最悪な人間だ。日本に帰るために、ここで死んでくれ」

「ヌ、ヌウーッ……!」


 歯を食いしばり、己の衝動に耐える。だが、このままでは自責の念に押し潰され、自らを殺めてしまうだろう。

 意を決して、敷戸は後ろを向いた。


「むっ……」


 目方が意外そうな声を上げた。目を閉じたまま背を向ける。真っ当なイクサであれば、己が首を差し出す行為と嘲笑されるだろう。

 だが、目方の『邪視』には有効であった。眼球を抉り出したくなる殺害衝動は未だ燻っているが、耐えられる程度には治まった。


「なるほど。だが」


 目を閉じた敷戸の周囲から、足音が迫る。


「ヒャッハァー! 戦闘中に目を瞑るとは、自殺志願者と見た!」

「その首刈り取ってきさらぎ駅のモニュメントにしてやるぜェーッ!」

「死ね! ニンジャ=サン! 死ねーっ!」


 敵は目方だけではない。廃材やナイフを振り回す『きさらぎ駅』のゾンビたちが敷戸に襲いかかる!


「敵は私だけではない、と言いたかったが、もう遅」

「イヤーッ!」


 鋭いシャウトと共に、鋼の刃が弧を描いた。


「「「アバーッ!?」」」


 敷戸に飛びかかった3匹のゾンビの首が、同時に宙を舞った。頭を失った体はもつれ合って倒れる。


「な……」


 目方の驚愕の呻き声が背後から聞こえてきた。


「君は……何だ、見えているのかね!?」

「何も見えぬ!」


 敷戸は未だ目を閉じたままだ。視界は闇の中にある。


「ならば、どうしてそんな的確に動ける!?」

「真のニンジャは闇の中で生き、戦うもの。目を閉じて戦う程度、訳もなし!」

「それは何か違うと思うぞ!?」


 敷戸は懐から手裏剣を取り出した。


「メカタ=サン! 貴方は異国の地で知り合った友ではあるが……人として、ニンジャとして、怪異に手を貸すのは見過ごせぬ!」

「ならばどうするかね!? 残り少ないこの命、脅しなど効かぬと思え! 死後の話をするならば、地獄行きはとうの昔に決まっている! 言葉を尽くしても止まらんぞ!」

「……ならば、私の手で止めてみせる! ここからが真のニンジャのイクサだ!」

「やってみたまえ!」

「イヤーッ!」


 敷戸は後ろ手に手裏剣を投げた。手裏剣は空を切り、床に落ちる音が聞こえた。避けられたか。


「シャアアアーッ!」

「死ねェーッ!」


 更に2体、両側から叫び声が迫ってくる。敷戸は左手に飛び込み、ゾンビの胴を薙ぐ。そのままチェーンソーを振り抜き、頭上に掲げる。右側から迫ってきた別のゾンビの鉄パイプを受け止め、弾き返す!


「イヤーッ!」

「アバーッ!?」


 ゾンビをけ袈裟懸けに切り捨てた敷戸は、辺りに耳を澄ます。エンジン音、足音、咆哮、悲鳴、それらの中から車椅子のタイヤの音を聞き分ける!


「そこかッ!」


 手裏剣投擲! 偏差射撃かつ胴体狙い、車椅子の上で身を捩った程度では避けられはしない!


「歩けないと思ったかね?」


 背後から声。次の瞬間、脇腹に焼け付くような痛みが突きこまれた。


「グワーッ!?」


 ナムサン! 一体何が起こったのか、振り向けない敷戸の代わりに説明せねばならない!

 手裏剣の狙いは間違っていなかった。だが、走っていた車椅子は無人であった。目方は空の車椅子を囮として転がし、自らは歩いて敷戸へ接近、懐に忍ばせていたナイフを突き刺したのだ!


「イヤーッ!」

「ぬうっ!」


 敷戸は痛みを堪え、背後に向かってチェーンソーを振るう。だが、目方は後方に倒れ込んで避けた。


「見たな?」

「ッ!」


 半身ではあるが、敷戸は目方の方を向いていた。それで十分だった。


「グワーッ!?」


 凄まじい嫌悪感が敷戸に襲いかかる。のたうつ敷戸は自らの心臓を抉り出そうとして、しかし強烈な意志で堪える。ストレスのあまり、マフラーで覆われた鼻から血が溢れ出す。敷戸はよろめき、その場に膝をついた。

 そこへ、目方がよろめきながらナイフを持って近付く。身動きの取れない敷戸にトドメを刺そうという魂胆だ。


「さらばだ敷戸さん! 家族には事故で死んだと伝えておこう!」


 ナイフが振り下ろされた。血に濡れた切っ先が、敷戸の喉へと迫る!


「Wasshoi!」


 刃が止まった。

 敷戸の両手がナイフを挟み込んで止めていた。真剣白刃取りであった。


「ユウコ……タキノリ……!」


 目方は全体重をかけてナイフを押し込もうとするが、ビクともしない。


「何だと!?」

「今週で単身赴任が終わる! 俺は、家族の元へ、帰らなければならん!」


 ナイフを抑え込む敷戸の両腕が盛り上がり、縄めいた筋肉が浮かび上がる。鋼鉄のナイフがミシミシと音を立て、そして、根本からへし折れた!


「バカなーっ!?」


 倒れ込んでくる目方に対し、敷戸は右手を突き出した。拳が鳩尾に触れる瞬間、両足を踏みしめ、曲げた足首、膝、肘の力を解放した。


「イヤーッ!」

「グワーッ!?」


 寸勁ワン・インチ・パンチ。拳の加速ではなく、筋肉の収縮で放たれた一撃は、目方の体の中心で爆発を起こした。吹き飛ばされた目方は放物線を描いて吹き飛ばされ、瓦礫に頭をぶつけて昏倒した。

 敷戸はゆっくりと立ち上がる。『邪視』は潰えた。残るは1匹、『鵺』のみ。チェーンソーを手に取り、歩き出す。

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