11番線 円山応挙『幽霊図』
ホールに爆風が吹き荒れる。爆心地の近くのゾンビOLが、粉微塵になって吹き飛ぶ。着弾地点の車は完全にスクラップと化した。
大鋸がメリーさんと雁金を床に伏せさせ、その上に覆いかぶさった。爆風と衝撃が3人を襲う。
やがて爆風が収まると、まずメリーさんが、次に大鋸が、最後に雁金が目を開けた。
ロータリーはすっかり様変わりしていた。コンクリート片やひしゃげた金属がそこら中に散らばり、それらに押し潰された死体が散乱している。ガラガラと瓦礫が崩れ、鵺が姿を現す。車椅子から転げ落ちた老人が、膝立ちで体勢を立て直している。
「……動けるか!?」
大鋸がメリーさんに声をかけた。
「え、ええ」
「来い!」
大鋸は雁金を担いで走る。メリーさんはその後を追う。走る大鋸が向かったのは、小田急百貨店きさらぎ店。化粧品売り場を駆け抜け、奥まった所へあるトイレに入る。
大鋸は一番奥の個室に雁金を座らせると、チェーンソーをしっかりと握った。
「どうするつもり、翡翠?」
メリーさんの問いかけに対し、大鋸はトイレの外へ目を向ける。
「邪視の爺さんをぶっ殺す。他はともかく、あいつは危険だ。見られるだけで死にたくなる」
「……知ってるの?」
「前にも似たようなのに会った。雁金は知ってるだろ?」
「だったら私も……!」
立ち上がろうとする雁金を、大鋸は手で抑える。
「お前はここで待ってろ」
「ですが!」
「さっき、自分の頭を撃ちそうになってただろ! 銃とあいつは相性が悪い! それに体の痺れてるお前じゃ、あの敵の数は無理だ!」
「ぐうう……!」
雁金を抑えていた手が、そっと肩に添えられる。
「それにお前は帰りの車の運転があるだろ。先輩に運転させる気か?」
雁金は申し訳無さそうに大鋸を見上げていたが、やがて諦めて目を伏せた。
「わかりました。ちゃちゃっと行って、ちゃちゃっとやっつけちゃってください」
「おう、任せろ」
大鋸はチェーンソーを担いで、トイレを出た。メリーさんも後を追う。
化粧品売り場の中ほど、出口のドアが見える場所で立ち止まる。メリーさんはぽつりと呟いた。
「……あなた、結構ずるいわね」
「何がだ?」
「……なんでも」
2人はチェーンソーのエンジンをかける。建物の外からは怒号と金属がぶつかり合う音、それに異様な叫び声が聞こえてきていた。
「誰か戦ってるのか? 丁度いい。一気に仕掛けるぞ」
「あのお爺さんを殺せばいいのね?」
「ああ。俺が先に出て、視線を引きつける。メリーさんは後から瞬間移動で殺ってくれ」
「わかった。……死なないでね」
「応」
2度の深呼吸の後、大鋸が外へ飛び出した。続いて、メリーさんも駆け出す。
ロータリーの状況を見て、メリーさんは困惑した。まず、そこら中に死体や瓦礫が散らばっている。それはいい。ミサイルが着弾したからそうなるのは自然だ。
問題は、怪異の群れと戦っている者がいることだ。頭を覆う頭巾。口元を覆うマフラー。全身を覆う忍者装束。
ニンジャである。
チェーンソーを手にした忍者が、ゾンビの群れを相手に、八面六臂の大暴れを見せている。
意味がわからない。きさらぎ駅が忍者村に侵食されてしまったのだろうか。
大鋸も一瞬混乱していたようだが、気を取り直して突撃を開始した。狙いは変わらない。少し離れた所で車椅子に座っている、『邪視』の老人だ。
怪異たちが大鋸に気付いた。片足の老人たちが行く手を阻む。
「どけえええっ!」
そして大鋸に弾き飛ばされた。まるで暴走機関車だ。そのまま老人まで辿り着くかと思われたが、老人がサングラスを外して睨みつけると、大鋸の動きが鈍った。更に『鵺』が動いた。
「私、メリーさん」
老人を睨み据え、メリーさんは呟く。
「今、あなたの後ろにいるの」
瞬間移動。だが、跳んだ瞬間、いつもとは違う、何かに引っ張られる感覚があった。
「えっ!?」
メリーさんは我が目を疑った。『きさらぎ駅』ではない、全く別の場所にいた。霧が深い。先程までの喧騒とは打って変わって、静かな場所だ。
瞬間移動が失敗した? それとも妨害された?
霧に目が慣れると、そこが水路のほとりだというのがわかった。周りに立ち並ぶのは、時代劇に出てくるような古めかしい屋敷。それに柳や桜、松といった日本の木々が生えている。
『きさらぎ駅』とは別の、異空間系の怪異か。メリーさんは舌打ちする。一刻も早く戻らなければ。
「うらめしや……」
背後から声が聞こえた。振り返ると、柳の下に女性がいた。白い着物の、髪の長い女性だ。しかし、足がない。膝から下が空間に溶け込むように消えてしまっている。人間ではない。幽霊、つまり怪異だ。
「あなたがこの空間の主かしら? さっさと外に出しなさい」
メリーさんはチェーンソーを構える。すると、女性の幽霊はもう一度言った。
「うらめしや……」
「恨めしい? 何が恨めしいっていうのよ」
「そのチェーンソー……チェーンソーを振り回す怪談が恨めしい……」
「は?」
思わず、メリーさんはチェーンソーを見た。その瞬間、チェーンソーのチェーンが千切れ、弾け飛んだ。鋭い刃を伴ったチェーンソーが、鞭のようにメリーさんの顔へ迫る。
「ッ!?」
メリーさんはとっさに首を傾け、チェーンを避けた。弾けたチェーンが肩に食い込む。ぞり、と鎖骨の辺りの肉がこそげ落ちる。
「何をしたのッ!?」
「そなたには趣がない」
どんよりとした目つきの幽霊が口を動かす。
「怪談とは人を恐怖させるもの。超常の力でもって人を傷つけるもの。呪いや天罰、幽霊に狐狸、怪力乱神、ヒトには理解の及ばぬ世界のもの。例えば、このように」
ざわ、と風が吹いた。すると、メリーさんの横にあった木が揺れ、倒れてきた。
「くっ!?」
メリーさんは身を翻して木を避ける。倒れる幹からは逃れたが、折れた枝が飛んできて腕に刺さった。痛みに顔をしかめる。その痛みが変質する。傷口が溶けてしまうかのような痛みだ。見ると、傷口が緑色に変色して泡立っていた。
「偶然倒れた木が、偶然足に刺さって、偶然毒を持っていた」
幽霊が呟く。
「さて、そなたは偶然と納得できるか?」
「何かしたの……!?」
「当然。それが怪談、それが呪いよ。不慮の事故、異常な死、自殺、神隠し、祟り。語りの果てに現れた、人智の及ばぬもの。そういうものを人は恐れる」
そして女性はメリーさんを睨みつける。
「そなたらのように、刃物だの、暴力だのを使わなければ害を与えられぬ、辻斬り紛いの者共とは違う。これこそが真の怪談の有り様よ」
「なあに? ってことは、チェーンソーで遊ぶ悪い子供を叱りに来たってわけ?」
メリーさんはチェーンソーを携えて走る。チェーンは外れてしまったが、未だに鈍器としては有効だ。だが、振り上げた瞬間、チェーンソーは火を噴いた。熱さにチェーンソーを投げ捨てる。両手を軽く火傷した。
「……これも幽霊の呪いかしら!?」
「左様」
幽霊は何もせずに佇んでいる。
「『きさらぎ駅』も気に食わぬが、異界に惑わせ人を喰う、という点はよくできていた。だが、安っぽい暴力を振るうそなたらのせいで台無しになった。
この機会に思い知らせてやる。そなたらの遊びは、怪異の箔を傷つけ、品位を汚すものだということを」
不意に、強い風が吹いた。メリーさんは一歩よろける。足をついた先がたまたまぬかるんでいて、転んでしまった。手をつこうとしたが、腕に回った毒がそれを阻んだ。頭から地面に落ちる。そこに、不幸にも石があった。
「うぐっ……!」
鋭い痛み。尖った石だった。頭が痛い。メリーさんが手をやると、ぬめった赤い血がべっとりと手を濡らした。
「……これも、怪談の呪い?」
「そうだ。因果を解き明かす前に応報によって潰える。それがそなたの運命よ」
幽霊に見下され、ようやくメリーさんは理解した。指一本動かさずに、ただ相手に不幸な事故が起きて自滅していく。これは、そういう能力だ。
確かに、そういう怪談は多い。恐ろしいものを見て、後日不慮の死を遂げる。なんで死んだかわからない。あの恐ろしいものが、恐ろしい呪いをかけたとしか思えない。そういう想像力が発揮されて恐ろしさが増すのだろう。
「――バカバカしい」
メリーさんは拳を握りしめる。そして、よろよろと立ち上がる。
「……まだ立ち上がるか」
幽霊は忌々しげに目を細める。その顔を見ただけで、メリーさんは少し元気が出た。
「立ち上がるに決まってるでしょ。何が呪いよ、偉そうに。ちょっと転んで頭をぶつけただけじゃない」
「だからそれが呪いだと」
「転んだだけよ! それとも何、これから私に起こる悪いことが全部、あなたのせいだって言いたいの?」
「当然だ。何度も説明しているだろう。私の呪いは――」
言い終わる前に、メリーさんは尖った石を腕に突き刺した。メリーさんの顔が苦痛に歪む。そして、幽霊の顔に驚きが浮かぶ。
「何を――」
「これも?」
「何?」
「これも、呪いかしら?」
幽霊は肯定も否定もしなかった。ただ、言葉に詰まった。
それだけで十分だった。
「ほーら見なさい! やっぱりいちゃもんつけてるだけじゃない! 楽でいいわねえ、あなたの怪談は! それっぽい死に方をした人のところに出てきて、『私の呪いです』って言い張ればいいだけなんだから!」
「違う、今のは……!」
「言い訳するんじゃないわよバーカ! 本当に呪いだったら、呪いのせいで気が狂ったとかいえばいいじゃない! 発狂して自殺とか定番でしょ? 自分の呪いに自信がない証拠よ!
そんなんで、私たちの遊びにケチつけるんじゃないわよ!」
「――遊びだと?」
幽霊は本当に困惑した表情を浮かべるが、頭に血が昇ったメリーさんは気付かない。
「遊びよ、遊び! 楽しいこと! 楽しくないといけないの! そんな辛気臭い顔じゃあ、楽しい遊びにならないわよ!
ねえ、ほら、始めましょう――」
メリーさんは、頭上の虚空に手を伸ばす。
『Nachahmung des Schlachtens』
メリーさんの手の中に、巨大な屠殺用チェーンソーが現れた。
「ッ!?」
幽霊が反応する前に、メリーさんが走り出した。大振りのチェーンソーを構え、一直線に幽霊へと迫る。
駆けるメリーさんの体が不意に傾いだ。足を挫いている。呪いだ。普通に走っていればありえない怪我。
だが、メリーさんは笑う。
「楽しい!」
足を挫いたまま、痛みを堪えて走る。更に幽霊へ近付く。
今度は木が倒れてきた。メリーさんよりずっと大きな木だ。押し潰されれば死は免れない。メリーさんはチェーンソーを振るい、木をバラバラに切り刻む。
刻まれた木片のひとつが、メリーさんの左目に突き刺さった。左目の視力が奪われる。
それでも、メリーさんは笑う。
「楽しい! 楽しい! 楽しい!」
「な――」
幽霊は唖然とする。理解できない。すべてを遊びとして捉え、どんな困難も、苦痛も、遊びの範疇で考えるメリーさんに恐れを抱いた。
それが決定打だった。
「私、メリーさん!」
メリーさんの姿が消える。本来なら、最初の瞬間移動のように、呪いによって異なる空間に弾き飛ばされるはずだ。だが、それよりも強固な認識がメリーさんにはある。
今の幽霊は、メリーさんの『遊び相手』だ。
「今、あなたの後ろにいるの! 遊びましょ?」
刃が、喉を、貫く。
刃を捻ると、肉が抉れる。刃を横向きにして振り抜くと、首が千切れた。幽霊だからか、血は流れない。
返す刃で、メリーさんは幽霊の体を次々と切断する。関節を迅速かつ正確に切り離す。ほんの30秒足らずで、幽霊は解体され、バラバラのパーツだけが残った。
メリーさんはチェーンソーを振るう手を止めると、近くに生えていた木の下へに立った。背の低いリンゴの樹だ。実の一つをもぎ取り、口にする。
あまずっぱい。
「あー、楽しかった」
メリーさんは満足げな微笑みを浮かべた。
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