10番線 下水道のワニ

 ハバロフスクを出発した俺たちは、きさらぎ駅西口ロータリーに出た。この先に『丸ノ内線きさらぎ駅』のホームがある。

 だが、ロータリーには沢山の人影がある。『きさらぎ駅』の犠牲者だったゾンビたちだ。斧や鉄パイプ、棒きれといった雑多な武器で武装している。あれが一斉に襲いかかってきたらひとたまりもない。


「……無理だな。回り込もう」

「そうね」


 ところが物凄い雄叫びが聞こえてきた。何かと思って見ていると、『丸ノ内線きさらぎ駅』に繋がる通路から、巨大な白いワニが出てきた。熊よりも大きい。どっから入ってきたんだよ。

 更にワニを追って同じぐらい巨大な化け物が出てきた。虎のような形だけど、頭が猿で尻尾が蛇になっている。いろんな動物をくっつけたような怪物だ。ゲームで見たことある。


「キメラだ!」

「いえ、『鵺』です!」


 雁金から訂正が入った。

 キメラ、じゃなくて鵺は白いワニに飛びかかり、頭を殴りつける。ワニは怯んで、尻尾で鵺を殴る。どっちもバカでかいので迫力がすごい。巨獣大乱闘だ。

 更に、ゾンビたちが白いワニにわらわらと群がっていく。どうやら『きさらぎ駅』と『鵺』は仲間のようだ。じゃあ白いワニはなんなんだよ。天然物か?


「翡翠!」


 メリーさんが俺の袖を引っ張った。


「走るわよ!」


 そうだ。今がチャンスだ。


「雁金、担ぐぞ!」

「はいっ!」


 雁金の体をファイヤーマンズキャリーで担ぎ、俺とメリーさんはホールの端を駆け抜ける。ゾンビのほとんどは白いワニにかかりきりだ。何人かは気付いたが、メリーさんが一撃で斬り伏せていく。

 そしてロータリーを抜け、『丸ノ内線きさらぎ駅』に続く階段を降りる。もうロータリー側からの視線は途切れた。後は地下通路を駆け抜けて、雁金が降りてきた、アルタ前に繋がる階段から外に出るだけだ。


 ところが、降りた先の通路が白い人影でびっしりと埋め尽くされていた。

 真っ白で、ガリガリに痩せ細った人型の何か。目はなく、小さい穴のようなものが空いているだけだ。代わりに口はバカでかく裂けている。そして手にはチェーンソーを持っている。

 見たことがある。昔バイトでヒトを投げ捨てた『地下の井戸』の白い奴らだ。そいつらが……とにかく無茶苦茶たくさんいる。

 奴らは俺たちの方を見ると、耳障りな叫び声をあげた。音だか声だかわからないものが、地下に反響する。


「「「「ア゛ーーーア゛ーーーア゛ーーー」」」」


 そしてチェーンソーを振りかぶって、一斉に襲いかかってきた。


「おわあああああ!?」


 俺もメリーさんも、絶叫しながら回れ右して全力で逃げた。いや無理、見た目が怖すぎるし数が多すぎて勝てそうにない。

 さっきのホールに戻る。大騒ぎしながら逃げてきたから、ゾンビが俺たちに気付いて襲いかかってきた。こっちも数が多すぎる。とっさに左に曲がった。

 白い奴らが丸ノ内線の入り口から溢れ出してきた。奴らはより目立つ方、数の多いきさらぎ駅ゾンビ軍団に突っ込んでいく。ただ、前の方にいた一部は俺たちの方に向かってくる。


 たちまち大乱闘になった。ゾンビと白い奴らがぶつかり合い、怒号が響き渡る。鵺は白い奴らを前脚で弾き飛ばすが、白い奴らは数に任せて群がっていく。更に、まだ生きていたワニが暴れ出した。ゾンビOLが2,3体まとめて食いちぎられた。

 俺たちだって観客になってはいられない。メリーさんがチェーンソーを振るうたびに、血や肉片が辺りに飛び散る。メリーさんのチェーンソー捌きは大したものだが、この数じゃ分が悪い。


「ここで待ってろ!」


 俺は雁金を降ろして壁に寄りかからせると、自分のチェーンソーのエンジンを掛けて前線に突っ込んだ。手始めに、メリーさんに横から斬りかかろうとした白い奴を肩から真っ二つにする。


「無事か、メリーさん!」

「当たり前でしょ! ナメんじゃないわよ!」


 白い奴を斬り殺した片足の爺さんを、背中から斬り伏せる。続いてやってきた白い奴のチェーンソーを受け止める。そこに、横合いからゾンビOLが突っ込んでくる。


「オラァッ!」


 力任せに、鍔迫り合いしていた白い奴をゾンビOLの足元に叩きつける。ゾンビOLがもつれて転んだ。そこにチェーンソーを振り下ろし、2匹纏めて切断する。

 銃声が響く。ゾンビOLが吹っ飛ぶ。雁金だ。麻痺毒で手元がおぼつかないが、それでも頑張っている。

 後輩が頑張ってんだ、俺も頑張らないとな。テンションを上げるために、腹の底から叫んだ。


「きさらぎ無双だあああっ!」

「静かにしなさいっ!」


 怒られた。でもテンションは高まった。

 雄叫びを上げて、片っ端から斬りまくる。ゾンビと白いのが敵、それだけわかればいい。後はとにかくぶった斬る。幸いどっちも格下だ。一撃で斬り伏せて、不意打ちにさえ気をつければ、ダメージを受ける道理はない。

 無我夢中でチェーンソーを振り回していると、不意に敵の波が途切れた。チェーンソーを向ける先が無くなった。


「アァ!? どしたコラァ!」


 どいつもこいつも倒れてやがる。メリーさんと雁金だけだ。こっちに来た奴らは全員仕留めちまったか。

 後は、ちょっと離れたところで乱闘している妖怪の群れか。よし、次はそっちだ。


「ちょっと!」


 死体を踏み越えようとすると、メリーさんに裾を掴まれた。


「何だ!?」

「落ち着きなさい! ほっといて、逃げるわよ!」


 ……そういやそうだ。そもそも逃げるって話だった。敵が弱すぎて頭から吹っ飛んでた。

 幸い、丸ノ内線からはもう白い奴らは湧き出していないようだ。メリーさんの言う通り、放っておいて逃げるのがベストだろう。


「すまん」


 一言謝り、雁金を担ごうと駆け寄る。

 その時だった。

 いきなり、空気が重くなった。空間が歪むような嫌悪感がした。驚いてそちらを見る。ロータリーの一角に車椅子に乗った老人がいた。

 その目を見た瞬間、凄まじい罪悪感に襲われた。何でだ。何で俺は生きてるんだ。死にたい、今すぐにチェーンソーを首に押し当てたい。チクショウ、こんな気分に覚えがある。

 いや、これ、あれだ! 『邪視』だ!

 首を掻っ切る直前で、かつて別荘地で出会った妖怪の事を思い出して、わずかに理性が戻った。チェーンソーを投げ捨てる。危ない、死ぬ。

 振り返ると、雁金が自分の顔に銃口を向けようとしていた。ヤバい!


「よせっ!」


 雁金の手からショットガンを奪い取り、投げ捨てる。危ねえ、痺れてなかったら間に合わなかった!

 さらに隣を見ると、メリーさんが自分の胸にチェーンソーを突き立てようとしていた。腕を伸ばして止める。


「バカ、バカ、やめろ!」

「嫌ぁ! 嫌なの!」


 泣き叫ぶメリーさん。『邪視』にやられている。止めないと。

 対抗手段。思い出す。一瞬ためらう。いや、恥ずかしがってる場合じゃない!


「ウウウオアアァァァ!!」


 俺は叫んで、ベルトを外し、ズボンとパンツを降ろした。それでもって、車椅子の老人を真正面から睨み返した。車椅子の老人は、顔を不快感に歪めて目を背けた。

 途端に気分が軽くなる。前に『邪視』に襲われた時、不浄なものを嫌うと聞いた。まさか自分でやることになるとは思わなかったが、助かった!


「大丈夫か!?」


 メリーさんは、きょとんとした顔で俺を見上げていた。


「……イヤーッ!?」


 そして、絶叫とともに俺のスネを蹴り飛ばした。


「あ゛っ……」

「ナニ晒してるのよこの変態っ!」


 メリーさんが俺の足を何度も蹴りつけてくる。ヒールで。痛い。


「こ、これには訳が……」

「変態! 変態! 変態! 露出狂! 犯罪者! 女の敵!」

「違うんだ! これは違うんだ!」


 相手の弱点がこれなんだよ! しょうがねーだろ!

 後ろの方では雁金が困った顔をしている。……うん、まあ、こんな状況じゃそういう顔になるよな!


 10発近い蹴りの後、ようやくメリーさんは落ち着いた。というより、落ち着かざるを得なかったのだろう。気がつくと周りをきさらぎ駅のゾンビたちに囲まれていた。


「ようやく追い詰めたぞ……」


 忌々しげに吐き捨てるOLゾンビ。奥の方では白い奴らが一様に首をチェーンソーで掻ききって死んでいた。『邪視』にやられたか。


「貴様らのせいで『きさらぎ駅』の評判はメチャクチャだ。ここで無残に殺して、『きさらぎ駅』の新たなエピソードにしてやる!」

「……ほーう?」


 殺気立った怪異たちに対して、俺は仁王立ちをした。怪異たちがどよめく。


「随分自信満々じゃねえか。一体どんな怪談になるんだ?」

「いや、その……」


 困惑してたり、顔を背けたり、視線を集中したり。反応は様々だ。


「どうしたぁ! 怪談だったら話を作らないといけないだろ! 今の状況、事細かに実況中継してみろや!」

「やめなさいっ!」


 ヌバーン! メリーさんが俺の尻をひっぱたく音が、ロータリーに鳴り響いた。


「ぬ゛あ゛っ!?」

「やめなさい! ほんと……やめて、もうっ!」


 メリーさんは涙目で顔を赤らめている。……うん、俺も恥ずかしいけど、メリーさんの方が耐えられないか。


「ちょっと待っててくれ」

「あ、ああ」


 ズボンとパンツを履き、ベルトを締める。流石に、邪魔して斬りかかってくるやつはいない。攻め手の出鼻は挫けた。さっき囲まれていた時に一斉に襲いかかられたら、1分と保たずに殺されていただろう。だけど奴らは半裸の俺に驚いて、殺意が薄れてしまっている。状況を把握する余裕ができた。

 周りにはゾンビが40体くらい。『きさらぎ駅』の車が1台。『鵺』1匹。『邪視』持ちの車椅子の老人が1人。その車椅子を押す、白い着物の幽霊が1匹。……幽霊には今気づいた。

 切り抜けるには『邪視』がマズい。あの爺さん、さっきは怯んだけど、俺がズボンを履いている時は視線を逸らさなかった。サングラス越し、っていうのはあるけど、前に遭った奴よりもメンタルが強靭なんだろう。同じ手は多分通じない。


「メリーさん」


 小声でメリーさんに話しかける。


「何?」

「サングラスの爺さん。あれを瞬間移動で殺って、雁金を連れて逃げてくれ」

「何言ってるの? どうするつもり?」

「メチャクチャに叫んで暴れたら、あいつら全員、俺を殺そうとするだろ?」


 メリーさんが息を呑む気配が伝わった。わかってくれたな、よし。

 俺は床のチェーンソーを拾い上げ、派手にエンジンを掛けた。きさらぎ駅の連中は驚くが、すぐに気を取り直して各々の得物を構えた。そうだ、俺を殺る気になってくれ。


「おい、『きさらぎ駅』!」

「……なんだ!?」


 車の運転手が返事をした。


「"鬼"って漢字があるよな! あれ、"きさらぎ"って読むこともあるそーだ!」

「だからどうした!」

「いやあ、せっかく『きさらぎ駅』の怪談に追加するんだったらよ、俺のことは鬼って紹介しといてくれ!

 チェーンソーをぶん回して、迷い込んだ人間を全員ぶっ殺しちまう、鬼って感じでよ! ゾンビの群れより、そっちの方がよっぽどおっかねえだろ! ハハッ!」

「……ふざけやがって!」


 周りの怪異たちが殺気立つ。いいぞ、挑発に乗ってくれた。

 さて仕掛けるか、と思ったんだが、そこに割り込みが入った。物理的なものじゃない。音だ。

 飛行機みたいな音が上から聞こえてきた。何かと思って上を見る。ロータリーのはるか上方、夜空に炎が飛んでいた。それが螺旋を描きながらこっちに向かって落ちてくる。

 落下点には『きさらぎ駅』の車。ぶつかる。閃光。爆発。その一瞬前に見た。落ちてきたのは、羽を生やした鉛筆のような形のもの。ゲームで見たことがある。


 クソデカきさらぎ駅にミサイルが落ちてきた。

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