8番線 ハバロフスク

 50年ぶりの日本だった。高層ビルが立ち並び、地面はアスファルトに覆われていて、そもそも異界ではあるが、それでも空気は変わらない。懐かしき故郷の風だ。


 きさらぎ駅ビルのバルコニーで、夜の街を眺める老人がいた。長い白髪をオールバックにしている。肌は浅黒く、年月を経た証の皺が刻まれている。サングラスをかけていて、目の色はわからない。着ているのはカジュアルなジャケットとスラックス。寒いのか、膝にはブランケットを掛けている。

 老人は座っている。ベンチではない。車椅子だ。それでも不便な様子はない。新宿駅をモデルとして構成されたクソデカきさらぎ駅は、バリアフリーが行き届いている。


「そろそろ戻ったら、どお?」


 老人が振り返ると、白装束の女が立っていた。黒く艷やかな長い髪の女だ。しかし、膝のあたりから下が、霞に溶けるように消えてしまっている。古典的な幽霊であった。


「もう少し夜風に当たらせてくれんかね」


 老人は女の幽霊に驚くことなく、穏やかに言葉を返した。


「だけど、そろそろ出番か来るかもしれないねえ」

「……ほう?」


 女の幽霊の言葉に、老人は意外そうな声を上げる。


「私の出番など無いかと思っていたが。他の怪異はやられたのかね?」

「『ノリカちゃん』、『首なしライダー』、『油すまし』がやられたのよ。『カシマさん』とも連絡がつかない。それと『鵺』が別の怪異と戦っているわ」

「別の? 奴らではないのか?」

「ええ。『きさらぎ駅』が手当たり次第に怪異を呼び集めてきたものだから、野良犬が紛れ込んだみたい。白虎隊とか、気持ちの悪い虫とか」


 老人がこの場にいるのは、弱体化した『きさらぎ駅』に請われてのことでであった。『ヴァルプルギスナハト』や『チェンジリング』に類する異界型の怪異が倒されたなど信じられなかったが、この様子だと真実のようだ。


「人間2人と怪異1匹が相手と聞いていたが……なるほど、手こずりそうだな」

「でしょう?」


 老人は車椅子を転がし、ビルの中へと戻る。女の幽霊もまた、それに続いてビルへ入っていった。



――



 新宿にハバロフスクがあるとは思わなかった。いや、ここはきさらぎ駅だけど。

 京王百貨店きさらぎ店8階にあるおしゃれなカフェ『ハバロフスク』。リアル新宿、すなわち京王百貨店新宿店にあるかどうかは知らない。何を血迷ったのか、それとも単に迷っただけなのか、とにかくメリーさんはこんな所にいた。

 倒れた雁金を連れて8階まで上るのはキツいかと思ったけど、普通にエレベーターで来れたので拍子抜けした。本当に、メリーさんは何をどう迷ったんだろうか。


 カフェでメリーさんと合流した俺たちは、周りに敵がいないのを確認して、一旦休むことにした。クソデカきさらぎ駅に入ってから連戦で、流石にちょっと疲れた。

 雁金をソファ席に寝かせる。店のキッチンを覗くと氷とタオル、それに救急箱があった。噛まれた部分をサクッと手当てする。


「どうだ?」

「はい、少し楽になってきました……」


 雁金の顔色はさっきより良い。巨大ヒヨケムシの毒は命を奪うほどじゃなかったみたいだ。よかった。


 それからキッチンの食べ物を拝借した。コーヒー、オレンジジュース、パン、ドーナツ、ケーキ、サンドイッチ。一応『きさらぎ駅』の中だっていうのに、商品がしっかり揃っていた。どうせこんな所に客は一生来ないだろうし、遠慮なく貰っておこう。


「メリーさんは? 疲れてないか?」

「雁金よりは大丈夫。何か来ても戦えるわ」


 そう言って、メリーさんはオレンジジュースをすする。俺たちが来た時は迷子になって半泣きだったのに、今ではすっかりいつも通りの図々しさを発揮している。

 だがまあ、合流できたのは幸いだ。後は雁金の車に戻って脱出すればいい。車はきさらぎアルタ前に停めてあるそうだ。


「しかし『きさらぎ駅』はともかく、他の妖怪がいるのは厄介だな」


 『猿夢』『NNN臨時放送』『三本足の呪いの人形』『首なしライダー』『カシマさん』、そして『巨大ヒヨケムシ』に『地下の井戸』の白い奴ら。世界中の幽霊・妖怪たちが大集合。クソデカきさらぎ駅で僕と握手!

 ……とか、そんなCMが思い浮かぶぐらい、ハチャメチャな状況になっている。この調子だと、他にもいろんな妖怪が待ち受けているだろう。


「妖怪同士が協力するなんてこと、あるのか? メリーさん」

「妖怪じゃなくて怪異ね。まあ、なくはないけど……ちょっとこう、やりすぎよね、これは」


 メリーさんはあまりいい顔をしていない。やっぱり、妖怪、じゃなかった怪異の視点でもナシか。


「だよなあ。お化け屋敷みたいになってるもんな」

「しかも自分の異界を制御しきれてない。暴走してるわ」

「そうなのか?」

「だってさっき、『きさらぎ駅』のゾンビたちが迷ってたもの」

「バカだろ」


 自分のホームグラウンドで迷うな。


「実際、危険な賭けなんでしょうね。『きさらぎ駅』の存在そのものが危ないわよ、これじゃあ」

「なんでそんな事したんだか……」

「多分、あなたと雁金への復讐だと思う」

「……ほう」


 復讐。なるほど。以前『きさらぎ駅』に迷い込んだ時は、片っ端からブッ殺した上に五体満足で脱出して完全勝利を決めている。それが悔しくて、今度は仲間を呼んできたって訳か。


「妖怪のくせに、人間らしいことを考えるもんだな」

「そうでもないわ。あなたたちが生きてたら……いえ、『きさらぎ駅』からの生還者がいたら、『きさらぎ駅』の話そのものが成立しなくなる。

 なんとしてもあなたたちを仕留めないと、『きさらぎ駅』の怪異は変質してしまう。だからこんなことをしてまで、あなたたちを殺そうとしているの」

「死ぬわけじゃないから、そこまで無茶しなくても……」


 ところがメリーさんは真剣な顔で言った。


「するわよ。だって、『自分』が変わってしまうのよ?」

「え?」


 メリーさんの目が揺れ動く。


「私たち怪異は物語を核にしてるの。その物語が変わってしまえば、当然私たちも変わってしまう。それも、自分が気が付かないうちにね。

 嫌でしょう? 昨日まで自分が考えていたこと、好きだったものを忘れてしまって、全然違う自分になっていて、しかもそれに気付かないなんて。

 それは死ぬのと同じ……いいえ、死ぬより辛いことじゃない?」


 そうか? とは流石に言葉にできなかった。メリーさんはそれだけ真剣だったし、それに……怖がってた。

 それに、雁金の様子もチラッと見たけど、メリーさんの言葉に同意してるようだった。だから黙ってた。

 だけど、その、なんだ。俺には心当たりがある。というか、昨日までの自分とまるで別人になってしまう、ということを体験している。正確には記憶が丸ごと吹っ飛んだんだけど、自分の感覚的には別人になったようなものだ。

 しかしそれでも、案外どうにか生きてきたから、メリーさんや雁金のように怖がることはできなかった。


「……まあ、『きさらぎ駅』が本気で殺しに来てるのはわかった」


 思ってることは口に出さず、別の言葉を発する。


「だけど黙って殺されるつもりもないからな。雁金、バッテリーはどれだけ保つ?」

「あと2時間、です」


 雁金の配信機材のバッテリーが切れたら俺たちは終わりだ。これが無いと『きさらぎ駅』から脱出できない。残り2時間で車に辿り着いて、『クソデカきさらぎ駅』から逃げ切る必要がある。


「あと10分休憩したら出発しよう。雁金が入ってきた丸ノ内線きさらぎ駅まで、できるだけ最短距離で突っ切る。敵がいたら、無視できるようなら無視。無理なら回り道はしないで突っ切る。それでいいな?」


 雁金もメリーさんも頷いた。何が出てくるかわからないけど、3人いればなんとかなる、と思いたい。

 俺は気合を入れるために、カップに残っていたコーヒーを飲み干した。

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