2番線 三本足の呪いの人形

 どうにも放っておけない。そんな風に考えている自分に、メリーさんは驚いていた。

 時刻は深夜2時。とっくに寝ている時間だ。そんな時間に大鋸翡翠が電話をかけてきた。また『きさらぎ駅』に巻き込まれたらしい。できることなら助けに来てほしい、と言う。

 最初はパスしようと思った。『メリーさん』の瞬間移動は『きさらぎ駅』のような場所型の怪異では制限される。短距離移動ならともかく、中から外へ脱出するということができない。

 だけど、雁金も来ると聞いた時、なんだかむっとした。前に『きさらぎ駅』に迷い込んだ時には彼女に助けられたから、呼ばれるのは当然だ。それでもむっとした。だからメリーさんは、眠い目を擦って『きさらぎ駅』に出かけることにした。


「随分都会になったわね、きさらぎ駅」


 瞬間移動して最初の感想はそれだった。以前のきさらぎ駅は山の中の無人駅だった。今度のきさらぎ駅は地下鉄だ。自動販売機もある。看板には『きさらぎ西口駅』と書かれている。つまり、東口もあるのだろう。相当大きい駅だ。

 空間が様変わりしたのは、何か理由があるのか。それとも単に気合を入れ直しただけか。いずれにせよ、チェーンソーの錆にするだけだ。

 メリーさんはスマホを取り出すと、翡翠に電話をかけた。


《もしもし?》

「もしもし、私メリーさん。今、きさらぎ駅にいるの」

《来てくれたのか。ありがとう。きさらぎ駅のどの辺だ?》

「西口」

《西口か。わかった。なら雁金の方が近いな……こっちから迎えに行くから、そこで待っててくれ》

「早く来なさいよー」


 電話を終えたメリーさんは、ベンチに腰掛ける。自分から迎えに行こう、なんて露ほどにも考えていない。

 しばらく待っていると、機械が動く音が聞こえてきた。音の源を探して、メリーさんはキョロキョロする。やがて、ホームの端にあるエレベーターが動いていることに気付いた。

 エレベーターのドアが開く。乗っていたのはウェーブのかかったブロンドの髪の少女。黒のニットブラウスを着て、その上から薄手の灰色のジャケットを羽織っている。スカートは紫基調のチェック柄。そこまでは、新宿の地上にもいそうな普通の少女だ。

 異様なのは、右手に握った日本刀。鋭い輝きを放つ刀を、杖のように扱って歩いている。白杖のように行き先を確かめているのではなく、体重を預けて3本目の足として使っているようだった。

 尋常の存在ではない。『きさらぎ駅』の怪異が、場所に合わせた格好で襲ってきたか。メリーさんはチェーンソーのスターターを引いた。エンジンが唸りを上げ、刃が回転を始める。

 8m程度の間を空けて、相手は止まった。黒い瞳がメリーさんをじっと見つめる。


「私、ノリカちゃん」


 少女が口を開いた。


「呪われてるの」

「……そう。私はメリーさん」


 メリーさんが消えた。


「今、貴方の後ろにいるの」


 そしてノリカちゃんの背後に、チェーンソーを振りかぶった状態で現れた。

 白刃が煌めく。


「ッ!?」


 メリーさんは驚愕に目を見開いた。

 振り下ろされたチェーンソーを、ノリカちゃんは振り返りもせずに刀で受け止めていた。

 ノリカちゃんが刀を軽く押す。それだけでメリーさんの体は弾き飛ばされた。着地したメリーさんはチェーンソーを構え直すも、内心戦慄していた。瞬間移動を初見で見破った上、片手で押し返す。只者じゃない。

 メリーさんが再び踏み込む。ノリカちゃんの刃を横から打ち、空いた小手にチェーンソーを突き出す。ノリカちゃんは腕を引き、刃を避ける。更にメリーさんは斬撃を次々に繰り出す。深くは踏み込まず、相手からの反撃に備える。

 斬撃を避け続けていたノリカちゃんが、初めて前に出た。来る。首狙いの無造作な斬撃。屈んで避ける。同時にチェーンソーで足首を狙う!

 ノリカちゃんは飛び退ったが、刃は足首をかすめた。靴下が裂け、赤い肉が顕になる。痛みを感じている様子はないが、ダメージはダメージだ。重なれば無視できなくなる。


 不意に、ノリカちゃんが右手の刀を床に突き刺した。


「……降参かしら?」


 メリーさんは煽るが、そうではないだろうと勘付いていた。ノリカちゃんの姿勢が変わる。


 ――それはおよそ見たことも聞いたこともない、奇っ怪な構えであった。

 地面に突き刺した刀を両手で握り、両足は地面を踏みしめる。腰は大きくねじれ、頭と上体が地面と水平になるほどだ。

 三本足の怪物。相対したメリーさんは、そのような感想を抱いた。

 メリーさんは意を決して、じりじりと間合いを詰める。あの構えから何が繰り出されるかはわからない。わからないが、動かなければこちらの刃も届かない。

 先程の一撃で、斬撃速度の検討はついた。ノリカちゃんの刀は疾いが、集中すれば避けられないことはない。

 間合いまであと半歩。そこでメリーさんは一息に踏み込んだ。狙いは刀そのもの。地面と手の2点で固定された刀を、横から叩き折る!


 みしり、と筋肉の音が聞こえた気がした。


 メリーさんのチェーンソーが吹き飛んだ。それだけではない。チェーンソーを握ったままの左腕も、肘の先から斬り飛ばされた。


「なっ!?」


 痛みよりも先に驚愕があった。斬撃が見えなかった。手に伝わった衝撃は、振り下ろしたチェーンソーが弾き返され、その勢いのまま左腕を斬られたことを意味していた。

 一瞬前まで地面に突き刺さっていた刀は、切っ先を天に向けていた。ノリカちゃんは無表情のまま、刀を握り締めていた。


 メリーさんに認識すら許さなかった一閃。それは怪異の特殊能力ではない。魔剣、あるいは絶技とも呼ばれる戦闘術理である。

 何が起きたのか、説明せねばなるまい。


 ノリカちゃんは突き刺した刀に力を込め続けていた。杖のように上から押さえつける力ではない。振り抜くための横方向の力である。刃が床を切り裂いて飛び出す寸前まで刀を押していた。

 刀を3本目の足とする奇っ怪な構えは、その実、引き絞られた弓の如く力を蓄えた、恐るべき構えであった。

 そしてメリーさんが間合いに踏み込んだ瞬間、ノリカちゃんは刀に加える力をほんの少し強くした。

 平素であれば、紙を1枚押す程度の、些細な力である。しかし、限界まで押し込まれた刀にとっては、堤を崩す最後のひと押しであった。

 断絶力点を超えた床は切り裂かれ、刃は摩擦から解放される。その瞬間、込められていた力は全てが推進力へ変貌し、通常の数倍の速度と威力を伴った斬撃を生み出す。

 江戸時代、同様の技を使う盲目の剣士がいたという噂があるが、定かではない。だが事実であれば、恐ろしいまでの修練と執念を重ねた凄腕だったのであろう。


 場面は今、この瞬間に戻る。天に向けられた切っ先が翻り、メリーさんの頭上に振り下ろされた。


「くっ!」


 メリーさんは飛び退り、刃を躱す。ノリカちゃんは追撃、次々と斬撃を繰り出す。

 三本足の構えを解いても、ノリカちゃんの剣術は一流である。メリーさんを逃すまいと、冷静的確に剣を振るう。更にメリーさんは片腕ともに武器を失い、無手。甚だ不利!


「私、メリーさん……ッ!」


 横薙ぎの一閃。腹部が切り裂かれ、ドレスが裂けて血が溢れる。歯を食いしばり、叫ぶ。


「今、20歩後ろにいるの!」


 返す刀が首を斬り飛ばす直前、メリーさんは瞬間移動を決めた。大きく間合いを取り、足元に転がっていた自分のチェーンソーを右手で掴む。

 ノリカちゃんは、仕留めきれなかったことを悔やむように顔を歪めた。そしてすぐに無表情に戻り、刀を地面に突き刺した。再び3本足の奇っ怪な構えを取る。


 仕切り直しである。

 メリーさんは右腕一本でチェーンソーを持つ。重い。片腕で使えるほどの力はメリーさんには無い。

 左腕を再生する余裕も無い。意識を集中させる必要がある。その隙を見逃す相手ではない。左腕を治そうとすれば、たちまち斬りかかってくるだろう。

 絶体絶命。しかし、メリーさんの眼に絶望は宿らない。斬られた左腕から激痛が迸るが、反発心が痛みを凌駕している。負けたくない。殺されたくない。まだまだ遊び足りない。

 そう、遊びだ。本気の遊び。楽しい。チェーンソーを振るって戦うのは楽しい。原初の感情。"私"が"私"であると自覚した出発点。殺すことが目的じゃない。互いが持つものを出し尽くした結果が見たい。翡翠に気付かされた感情を、もっともっと大切にしていたい。


「もっともっと、遊びましょう? ノリカちゃん」


 右腕に力を込める。なんとかチェーンソーを構えた。だが、まともに振り回せるとは思えない。

 メリーさんは少しずつ間合いを詰める。にじり寄りながら考える。あの技は溜める技だ。どういう原理かはわからないが、構えている間は動けないのは確かだ。つまり、仕掛けるタイミングはこちらから決められる。力も技も腕の本数も劣るメリーさんにとって、唯一有利なのはそれだけだ。


 残り10歩。正面からは打ち込めない。瞬間移動で背後は取れる。だが。

 メリーさんは初撃を思い出す。ノリカちゃんは瞬間移動を見切っていた。メリーさんが消えた瞬間、背後に立ったものと考え、すかさず反撃してくるだろう。あの構えで後ろを切れるか。少し考え、できる、とメリーさんは結論づけた。膝を折り、上体を回転させつつ刀を振るう。頭上から後方までカバーできる。

 ならば側面。しかしメリーさんはすぐさま断念した。どちらに飛ぼうと、杖を起点に反対側に回って避けられる。そこから斬り合いに持ち込まれる。そうなれば勝てない。


 残り5歩。そこでメリーさんは足を止める。刀の間合いには遠いが、メリーさんの直感がこれ以上は進めないと警告していた。この距離から、斬るか。ノリカちゃんの力量であれば、可能だと思えた。

 数呼吸置いた後、メリーさんはチェーンソーを振りかぶった。


 片腕を失ったメリーさんは、ノリカちゃんを斬ることが出来るのか?

 力も技も劣る中、絶対防御圏を備える魔剣を掻い潜ることは出来るのか?

 出来る、出来るのだ。


「私の名前、覚えてる?」


 メリーさんの問いかけに、ノリカちゃんは反応しない。だが、空気が、ずうるり、と密度を増した。


「冥土の土産に教えてあげる」


 メリーさんは言った。


「私、メリーさん」


 同時にチェーンソーを投げた。エンジン音を唸らせ、チェーンソーが縦回転しながらノリカちゃんの顔面へ飛んでいく!

 

 流星が昇る。


 解放された刃が、投げつけられたチェーンソーを打ち上げた。刀の切っ先が天を向く。チェーンソーは軌道を変え、直上へ跳ね上がる。


 メリーさんが、ノリカちゃんの正面に踏み込んだ。

 瞬間移動ではない。自分で投げたチェーンソーの後を追って走ったのだ。解放された刀が止まるその瞬間、技の反動で動けない時を狙って!

 メリーさんは無手。しかしその右手は獰猛な獣の顎のように開かれている。


 みしり、と筋肉が軋む音が聞こえた。


 天を向いた刀が振り下ろされる。ノリカちゃんが筋肉で反動を捻じ伏せ、二の太刀を放ったのだ。メリーさんは構わず右手を突き出す。だが、刃のほうが疾い。


「今、貴方の真上にいるの」


 メリーさんが消えた。

 刃は地面を打った。

 ノリカちゃんの目が驚愕に見開かれ、そして首がぐるりと頭上を向いた。

 メリーさんが真上にいる。突き出された右手が、落下してきたチェーンソーのハンドルを握り締めた。そして落ちる。回転する必殺の刃と共に。


 唸るチェーンソーが、ノリカちゃんの体を肩口から真っ二つにした。

 1本足になった左半身が、バランスを崩して倒れた。右半身は首を残して、未だ2本足で立っている。

 メリーさんはチェーンソーを振るい、ノリカちゃんの首を薙いだ。頭を失った右半身が、どう、と倒れた。


 ノリカちゃんが動かなくなったのを確認すると、メリーさんはその場に座り込んだ。目を閉じて左腕と腹部の傷口に集中する。傷を忘れて、そこに腕があるものだと塗り替える。

 しばらくして、メリーさんは目を開けた。左腕も腹部も元通りになっている。拳を握り、開く。動きも問題ない。

 立ち上がったメリーさんは、目眩に襲われた。


「うっ……」


 ふらつき、ベンチに寄り掛かる。目眩が収まるのを待って、ベンチから起き上がる。

 メリーさんは人間ではない。だが、不死身でもない。自分の体を治すことはできるが、体を支える根本のエネルギーはすぐには回復しない。

 普段なら家に帰って英気を養うところだが、ここはきさらぎ駅だ。脱出するまでは休めないのだ。


 ベンチに座ったメリーさんは、スマホを取り出した。そろそろ翡翠が雁金と合流している頃だと思った。

 数度のコールの後、電話が繋がった。


「もしもし?」

《メリーさんか!? ちょっとヤバいぞここ、気をつけろ!》

「とっくに知ってるわよ。もう1匹仕留めたわ」

《マジか。すげえ。で、今どこだ? 西口に来たんだが》

「西口のホームよ。エレベーターの側のベンチ」


 少しの間の後、大鋸が言った。


《いないぞ?》

「え?」

《西口の改札にいるけど、どこにもいない》


 メリーさんは立ち上がり、改札を覗き込む。誰もいない。


「本当に西口? 私、改札にいるけど」

《間違いない……うん、どうした、雁金?》


 電話口の向こうで話し声がした後、大鋸の声が戻ってきた。


《メリーさん、ひょっとして小田急西口だったりしないか?》

「は? 小田急?」


 看板を見る。小田急などどこにもない。


「西口よ、普通の」

《いや、えーと……わかった、しょうがない。今からそっちに向かう。メリーさんはそこを動かないでくれ》


 電話が切れた。メリーさんは首を傾げながら『きさらぎ西口駅』と書かれた看板を見上げていた。

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