猿の手
あれは数年前、俺が現金輸送の仕事をやってたころの話だ。……アァ? その筋の人じゃねえよ。あんだろ、コンビニのATMの現金を運ぶ仕事。あれだ。
普段は金を運んでんだが、その日は貴重品を運んでた。担当が体調不良だから代わりに、って話だったなァ。そいで空港から依頼主の家まで、謎のジュラルミンケースを運ぶことになったんだよ。
ワクワクすんだろ、こういう話? 俺も運転しながら、相棒と話しててなァ。めっちゃ高い絵が入ってんじゃねえのか、それとも宝石か、純金の仏像が入ってんじゃァねえのかとか、いろいろ予想してたよ。
まァ、そいで車を走らせて、依頼主の家の近くまで来たところで、だ。
家までもう少しなんだが、その住宅街の道が狭くってなァ。Uターンもできないようなトコだった。
ぶつないように気をつけて運転してたんだがよ、先に三角コーンが置いてあってよ。工事中だったんよ。マジかー、って思いながらバックしようとしたら、バックミラーに人が映ってた。
灰色のコートを着た奴が、道路の真ん中を堂々と歩いてくる。邪魔だなァ、って思ってたら、持ってるものに気付いてぞっとした。
チェーンソーだ。
相棒に「ヤバい」って声をかけて、催涙スプレーと警杖を用意した。あと、警察にいつでも電話できるようにした。
チェーンソーを持った奴は真っ直ぐ車に近付いてきた。変な格好の奴でな、動物のマスク被ってんだよ。
どうした大鋸ァ? ゲームゥ? 動物マスクの銀行強盗? ……いや、確かに強盗だが、ゲームは関係ねえだろ、ゲームは。
なんの動物かって? わかんねェ。タヌキとネズミの間みたいなヤツだった。
とにかくその強盗は、チェーンソーを振り上げるとこっちの車に斬りかかってきた。ビビったのは、チェーンソーが車体を貫通したことだ。現金輸送車だから、普通の車より頑丈にできてるんだぞ?
ヤバいってなって、相棒が車を降りて、俺はすぐに警察に電話した。
そっからが大変だ。警察に事情を話してる間、相棒が強盗を止めに入った。だけど相手はチェーンソーを持っていて迂闊に近寄れない。だから相棒は催涙スプレーを撒いたんだが、強盗はすばしっこく避けやがる。
通報が終わったから、俺も加勢しようとした。その時、強盗が相棒に斬りかかった。相棒は警杖をかざして防ごうとしたけど、ダメだった。相棒は警杖ごと斬られちまった。
俺は叫んで、相棒の仇を取ろうと警杖で殴りかかった。背中に当たって、強盗は怯んだけど、反撃のチェーンソーで左の肘から先を斬られた。不思議と血はあんまり出なかったんだけど、メチャメチャ痛くてなァ。その場にうずくまっちまった。
気が付くと強盗はトランクのドアを切り裂いて、ジュラルミンケースを運び出そうとしていた。頼まれてた荷物だよ。
それを見て、痛いし悔しいし辛いので気持ちがメチャメチャになっちまってなァ。斬られて無くなってんのに、左手を強盗に向かって伸ばした。
そいつを返してくれ、って思いながら。
そしたら、ジュラルミンケースが勝手に開いてなァ。中から飛んできたものが俺の左腕にくっついたんだよ。
ほら見ろ、この腕だ。これだから手袋してんだ。
……わからん? こうして並べると、ほら、左の方がちょっと黒いだろ?
今は普通の腕に見えるけど、あの時はガリガリに干からびた黒い腕だったんだ。それが、俺の腕にくっついたんだ。
強盗はビックリしてたし、俺はもっとビックリだ。なんだこの腕、って思ったよ。しかもちゃんと動くんだよ。
それで、強盗が斬りかかってきたから、俺は起き上がって避けた。強盗は俺の左腕を狙ってたけど、俺はなんとか避け続けた。よくわからねえけど、焦ってる感じだったな。他の荷物には目もくれなかったから、この腕が欲しかったのかもしれねえ。
そしたらパトカーの音が聞こえてきたんだ。さっき電話した警察がやっと来たんだよ。強盗は悔しそうな顔をして逃げてった。
どうした? 動物マスクを被ってるのになんで悔しそうな顔ってわかったんだって?
……え、あ、やっべ! あのマスク動いてた! 動いてたんだよあのマスク! 本物みたいに! 本物だったかもだ!
……悪ィ。ビックリしすぎた。ごめんなメリーちゃん、新しいアイス買ってくるから、勘弁してな?
ほい、アイス。
で、えーと、どこまで話したんだっけか?
ああ、警察が来るところまでな。
強盗は逃げたけど、相棒が倒れたままなんだよ。すぐに駆け寄ったけど、体の前をバッサリ斬られて、血がドクドク溢れてた。
このままじゃ死んじまう、って思って、両手で必死に傷口を抑えて祈った。
頼むから止まってくれって。
しばらくすっと、警察と救急車が駆けつけてきた。救急隊員が来たから、相棒を助けてくれって頼んだ。
救急隊員は相棒の体を調べてから、怪訝な顔でこう言ったんだ。
「傷、塞がってませんか?」
……バッサリ斬られた傷が塞がってたんだよ。傷跡はあったし、血は残ってたし服も斬られてるから、勘違いだったってことはありえねェ。救急車が来るまでに塞がっちまったんだ。
ただ、血が足りないのは変わらなかったからなァ。そのまま救急車で病院に運ばれて、手術だよ手術。
何日かしたら相棒は目を覚ましてなァ……いやァ、良かった良かった。傷跡は残っちまったけど、生きてて良かった本当に。
ん? あァ。『猿の手』の話はどこに行ったんだって? 大丈夫だ。ちゃァんと、これから話すから。
相棒は手術だったけど、俺ももちろん怪我してるから入院してた。そしたら会社の他の部署の人間がやってきた。『四号四班』だった。
四号ってのは第四号警備業務のことだ。……あァ、悪ィ、余計にわからねェか。要するにボディーガードよ。警備業ってのは一から四まで分かれてるんだ。
一号が場所の警備。二号が交通整理とか。三号が俺がやってた現金輸送とかで、四号が人の警備なんだ。
で、四班ってのは四チーム目、って意味だな。こっちは言わなくてもわかるか。
で、まァその『四号四班』は、俺にいろんな質問をしてきた。だけどそいつら、俺の話を全部素直に信じやがるの。最初は気分良かったけど、左腕がくっついたって言ってもツッコミが入らなかったから、おいおいちょっと待てってなったよ。
そしたらそいつはさ、『猿の手』だからそれくらい起きてもおかしくない、って言ったんだ。
それから説明されたよ。俺が運んでたのは『猿の手』っていう魔法のアイテムで、どんな願いでも3つ叶えてくれるってこと。
そのうち2つは、俺が『腕を元に戻す』と『相棒を治す』に使っちまったってこと。
あと1つを使うまでは大丈夫だけと、それを使った『猿の手』がどうなるかはわからないってこと。
それに、強盗は『猿の手』を狙っていて、しかも今回の依頼主は『猿の手』を非合法な手段で手に入れてたらしい。犯罪の片棒を担がされて、ウチの会社も怒ってたそうだ。契約は打ち切り、盗品を運ばせたから訴えるって言ってたなァ。
それで、『猿の手』はどうするかって話になったんだけど、俺の腕にくっついて離れなくなっちまったから、そのままにしておこうって話になった。ただ、こんな腕だから普通の仕事をさせるわけにはいかなくてなァ……俺も『四号四班』に配置換えになったわけよ。
いやァ、初めて聞いた時はびっくりしたよ。妖怪とか幽霊とか、そういう相手専門の秘密部署だってよ。アニメじゃねえんだからさ。最初の仕事でチェーンソー持った口裂け女に襲われるまではなんかの冗談だと思ってたぜ?
だけどまあ、給料はいいし、出てくる幽霊とか妖怪を普通に叩きのめせばいいだけだったから、案外なんとかなった。
まー、そういうわけでな。この左腕にはこんな変な話がついてるってわけよ。
うん? 今、『猿の手』は大丈夫なのかって? 今の所はな。普通の手と同じように動くし、不自由はない。
っていうか意外と便利でなーこれ。金属以外はなんでも貫通できんだ。ライオンと素手で戦っても心臓ブッコ抜きでワンチャンあるぜ? 金属相手だと弁当のアルミホイルも千切れないけど……まあ、それは右手使えばいいだけだし。
……本当に『猿の手』なのかって? そんな生易しいもんじゃない? そうは言われてもよ、実際『猿の手』って呼ばれてるんだからしょうがねえだろ。っていうか知ってんのか、雁金サンよ?
……おう。出版社勤務の、民俗学・オカルト中心のライター……そうか、プロかァ……。
ん、どうした大鋸。質問か? トイレに行きたい? ……さっさと行ってこいや、遠慮すんな!
――
アイスがよくなかったんだと思う。陶の長話を聞いていたら腹が痛くなった。
道の駅のトイレを借りようとしたが空いてなかった。必死になって探したら、隣の敷地に公民館っぽい建物があって、開いてたからそこを借りることにした。
トイレはすぐに見つかった。誰もいない。全部のドアが開いてる。どうにか間に合った。適当な個室に入って用を済ませる。腹が落ち着いたから外に出ようとすると、ドアが開く音がした。他の人が入ってきたらしい。足音は隣の個室に入っていった。
その足音と入れ替わりに個室を出ると、ぎょっとした。個室のドアが全部閉まっている。全部の個室に入ってる? さっきそんなに団体の足音だったか?
変に思いながら手を洗い、トイレを出た。トイレットペーパーを回す、カラカラという音が聞こえていて、俺が建物を出るまで途切れなかった。
ちょっと動揺してる気がする。落ち着こう。ポケットからタバコを取り出して、火を付ける。煙を燻らせると、慣れた香りが広がって、心が少し安らいだ。
なんであんなに動揺してたんだ俺は。腹が痛かったからか? でももう終わったしなあ。
じゃあ、トイレのドアが閉まってたからか? 驚くには驚いたけど、今じゃなんともない。チェーンソー持って襲いかかって来るわけでもないし。
あとは……陶の話か。『猿の手』とかいうヤツ。ビビるほどのものじゃないけどな。むしろ強盗の方が怖い。チェーンソーで現金輸送車を斬るとか、相当の使い手だろ。
それなにの雁金は聞き入ってた。いつも俺がしてる話よりもつまらない気がするのに、ニコニコ楽しそうに笑ってて。俺より陶の方が気に入ってるのか?
……あー、そうか。動揺してるんじゃなくてイライラしてたのか、俺は。なるほど。
よし、殺すか。
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