邪視 前編

 前にさ、チェーンソーの忍者の話、しただろ? またあいつに会ったよ。

 つっても、襲われたわけじゃない。いや、襲われるには襲われたんだが、そいつに襲われたんじゃない。もっと別のものに襲われたんだ。


 仕事で群馬の別荘地に行った。そろそろシーズンだからいろいろと掃除をしてほしいって話だった。

 1日じゃ終わらないから、仕事が終わるまでは開いてるロッジを1つ借りて、そこで寝泊まりしてていって話になった。いいロッジだったな。2階建てで、窓から湖が見えた。ちょうど、日が沈む方向と湖の方向が同じでな。湖に沈む夕日って感じで、凄く絵になった。

 で、2日目の仕事が終わって別荘でくつろいでると、サラリーマンがやってきた。たまたま管理人さんと一緒にいたから挨拶したんだよ。


「どうもご苦労さんで……あっ」

「ドーモ、敷戸で……ヌウーッ」


 そいつが、あのチェーンソーの忍者だった。敷戸っていうらしい。人間だったんだな。

 あいつ、普段は旅行代理店で働いてるらしい。それでこの別荘地も紹介できないかってことで見学に来たんだ。俺が借りてたコテージを写真に撮って、旅行カタログに載せたかったそうだ。

 まあ知らない仲じゃないし、写真を取るのは手伝ったよ。テーブル動かしたり、家具の位置を変えたり。猫の話なんかもしたりした。

 そんな事をしてるうちに夕暮れになった。それで、窓から夕日が見えて綺麗だってことを思い出したんだ。


「そうだ。2階から外の写真を撮ったらいいんじゃないか? 夕日が綺麗だぞ」

「……よかろう」


 敷戸と一緒に2階に上がると、窓から夕日が差し込んでいた。敷戸は仏頂面な奴だけど、あの夕日の景色には感嘆してるように見えたよ。で、写真を何枚も撮ってた。

 しばらくシャッター音が続いてたけど、やがて止まった。そろそろ終わりか、って思ったんだけど、敷戸はカメラから目を離さない。どうした、って声をかけようとしたら、ポツリと呟いたんだ。


「ユウコ……タキノリ……」


 後から聞いたんだけど、それは単身赴任で田舎に残してきてる奥さんと息子さんの名前だったらしい。

 敷戸は2人の名前を呟くと、カメラを降ろして夕日を見たまま動かなくなっちまった。


「おーい、どうした? おーい?」


 敷戸の顔の前で手を振っても反応なし。どうしちまったんだ、って思ってたら、敷戸が夕日じゃなくてその下、湖畔を見つめているのに気付いた。視線を追うと、湖畔に誰かが立っているのを見つけた。

 誰なのか、あるいはなんなのか気になって、敷戸の手からカメラをひったくって、望遠モードで覗き込んだ。

 人のように見えた。こっちに背中を向けている。頭には1本も髪が生えてない。しきりに全身を揺らしている。手にはチェーンソーを持っている。

 地元の人? 踊り? 何かの祭りか、と思ったけど、そいつ1人しかいない。それに全裸だ。変態か? って混乱してると、そいつが踊りながらゆっくりと振り向いた。

 顔は一応あった。鼻と口は人間だった。ただ、目が普通じゃない。眉毛がなく、眉間の所に縦に1つだけついていた。

 そいつとカメラ越しに目が合った。口を歪ませて笑っていた。


「うおおおおおっ!?」


 目が合った瞬間、叫んでいた。涙が止まらない。とにかく死にたい。ごめんなさい。俺が悪かった。言葉にできない感情が襲いかかってくる。

 無理に例えるなら人生どん底で、親が纏めて死んで、無実の罪で刑務所に入って、二日酔いになってるような感じだ。いや、それでも全然足りないけど。

 泣いてんだか吼えてんだか叫んでんだか、とにかく半狂乱になっていると、いきなり気合の声が響いた。


「イヤーッ!」

「グワーッ!?」


 頬を思いっきり殴られた。悲鳴を上げた俺は、吹っ飛ばされて地面に叩きつけられた。

 顔を上げると、敷戸が泣きながら拳を握り締めていた。俺を殴ったらしい。


「何すんだよっ!」

「備えろ。ジツだ」

「じ……術?」


 言われて気付いた。さっきまで感じていた絶望的な感情が消え去っている。術ってことは、全裸のあいつが俺になにかしてたって事か?

 敷戸は窓の外を睨みつけている。俺も立ち上がって外を見た。湖畔にさっきのあいつがいる。また、さっきの不安が襲いかかってきたが、遠いお陰で発狂するほどじゃない。


「……目をつけられたか」


 隣で敷戸が呟く。奴はくねくね踊りながら……近付いてきている。


「おい、何だあいつは」

「ジャシ・ジツだ」

「じゃし……?」

「目が合った者を呪い殺す禍々しきジツだ」

「マジかよ……逃げるか?」


 表には車がある。だが敷戸は首を横に振った。


「無駄だ。視線を感じる。直接見えずとも、どこまでも追ってくるつもりだろう」

「ならどうする!?」

「先に殺す」

「……いつも通りって事だな!」


 敷戸がスーツの上着に手をかけた。次の瞬間、スーツを一瞬で脱ぎ捨て、あの忍者装束を纏った敷戸が立っていた。

 どうやって脱いだ。そして、いつも下に着てるのか。


「オーガ=サン。武器はあるか?」

「1階にチェーンソーがある」


 俺と敷戸はチェーンソーを持ってロッジの外に出た。湖からロッジまでは道が続いている。奴はそこを通ってくるだろうということで、罠を張って待ち伏せすることにした。

 仕掛けるのはマキビシだ。うん、忍者の。敷戸が持っていた。なんつーもん持ち歩いてんだ、って思ったけど、その時ははありがたかった。


「しかしカメラ越しでアレじゃ、直接見たらどうなっちまうんだ?」


 道にマキビシを仕掛けながら敷戸に聞くと、簡潔な答えが帰ってきた。


「死ぬ」

「やっぱりか」

「そういうジツだ。故に見るな。目を閉じて、音と気配で場所を捉えろ。力は人間と変わらぬ」

「……コツとかある?」

「為せば成る」


 ゴリ押しかよ。更に敷戸が続ける。


「それと、追い詰められたら下を脱げ」

「はい?」


 下? ズボンとパンツ? やっぱ頭おかしいんじゃないのか、こいつ?


「ジャシは不浄を見ることを嫌う。オヌシの不浄を見せつければ、奴も怯むだろう」


 ああ、なるほど。そういう意味ね、って思ったよ。

 ……すまん、こんな話で。でもこれ言っとかないといけないんだよ。え、大丈夫? それなら続けるけど……それはそれで心配だぞ。


 マキビシを撒き終えた俺たちは、道を挟んだ別々の茂みに道を隠した。奴がマキビシにかかったら挟み撃ちにするという作戦だ。

 言い様のない恐怖と不安の中、俺は茂みにジッと身を潜めていた。


 森の中は静かで、本当に静かで、虫の声も鳥の声もしなかった。風もない。無音の静寂ってやつだ。それで、その、なんだ。静かすぎてちょーっと寝かけた。

 なんで、って言われても困るんだよ。めちゃめちゃ怖かったのに、座ってたら何か意識が曖昧になっちまって……。ひょっとしたら白い奴に何かされてたのかもしれない。

 でもその時は寝てるなんて思わなくて、ぼーっとしてた。そしたら離れた茂みの奥の方に妙なものが見えた。

 白い人影だった。背丈は子供で、近くの低木と同じぐらいだった。草の間から見えたのは、つばの広い白い帽子と、真っ白なワンピース。あと、腰の辺りまで伸びた長い黒髪と、手に持ったチェーンソー。

 そいつがチェーンソーのスターターを引くとエンジン音が……いや、"音"が鳴り響いた。


「ぽぽぽぽぽ……」


 あれがエンジン音だったのか、それとも別のなにかだったのか、それはわからない。

 とにかくその音に驚いて俺は目を覚ました。

 音も人影も幻のように消えた。代わりに歌声が聞こえる。だんだんこっちに近づいて来る。民謡の様な歌い回し、意味はわからないが不気味で高い声。

 間違いない、と思ったよ。あの白い奴がすぐ近くまで来ていたんだ。

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