コトリバコ(3)

 扉の向こうからチェーンソーの唸り声と剣戟の音が聞こえ始め、いよいよ翡翠は焦り出した。どうにかしてここを出なければいけない。

 蔵の中を見渡す。扉を破るのに使えそうな道具を探そうとして、翡翠は妙な事に気付いた。

 白木の大きな箱――チドリバコの一部、組まれた木片の1つが、淡く光っている。さっきまでは光っていなかったはずだ。扉が閉まって蔵の中が暗くなったので、初めて気付いたのかもしれない。

 蛍光塗料でも塗られているのか。光っている部分に翡翠はそっと手を触れる。

 カチリ、と音がして、光る部分が動いた。


「あっ!?」


 壊したかと思い、翡翠は慌てて手を放す。しかし木片は動いただけで、外れはしなかった。

 木片の光が止む。代わりにチドリバコの別の木片が光りだした。そちらを触ってみると、引っ張れるようになっていた。そうしてみると、木片の一部が出っ張って、取っ手になった。そしてまた別の部分が光り出す。


「おお……なんだこれ……」


 光に従って、翡翠はチドリバコを操作する。押す。引く。回す。ずらす。立方体だったチドリバコが、徐々に形を獲得していく。

 少し固いツマミを引くと、チドリバコの中から刃が飛び出した。


「うわっ!?」


 当たりはしなかったが、翡翠は驚いた。30cm四方の箱の中から、70cm近い刃物が現れたのだ。どういうからくりになっているのかわっぱりわからない。

 落ち着いて刃を見てみると、日本刀のような滑らかなものではなく、ギザギザになっていた。更にギザギザの刃と内側の金属は独立していて、刃の方は回りそうだ。

 改めて全体を見てみる。取っ手のついた箱から伸びる楕円形の刃。どう見ても、アレだ。


「チェーンソーだ……」


 戦国からくりチェーンソー・チドリバコ。真面目な学者が見れば卒倒するかブチ切れそうな代物だ。だけど、目の前にあるから仕方がない。

 そしてチドリバコの一部が光っている。大体何が起こるか見当がついた翡翠は、周りに気をつけながらチドリバコのスイッチを押した。

 恐ろしく静かに、微かな振動を伴って、刃が回転し始める。ガソリンエンジン式のチェーンソーとは違う手応え。電動チェーンソーのようだ。

 更に刃は加速する。甲高い音が響き始めた。鳥の鳴き声のようなささめく音。回転が早くなるにつれ、音は重なり、大きくなり、蔵の中が満たされる。

 千匹の鳥が啼いている。


「おお……!」


 チドリバコを持つ翡翠の感覚が研ぎ澄まされる。回転の力、電力、否、もっと大きく抽象的なものが流れ込んでいる。

 蔵の外が視える。慄く火熊さんたち。倒れたメリーさん。薙刀を振るう紫苑。そして、襲いかかる呪い。

 行かなきゃならない。翡翠はチドリバコを握り締め、扉へ刃を突き立てた。豆腐に包丁を入れるが如く、刃は分厚い扉を貫通した。

 刃を振り抜く。いともたやすく、扉が切れる。今までに使ったどんなチェーンソーよりも鋭い切れ味だった。


「おらっしゃああああ!」


 裂帛の気合と共に扉を蹴破り、翡翠は蔵を飛び出した。まさにその瞬間、コトリバコが紫苑の薙刀の柄を斬った。

 絶体絶命、その場面に翡翠は猛牛のごとく突進する。


「でえええらああああっ!!」


 紫苑に飛びかかったコトリバコに、チドリバコを構えたまま体当たり。凄まじい音が庭に響き渡る。小柄なコトリバコを、翡翠は力任せに思い切り突き飛ばした。


「大丈夫か!?」

「は、はい……」


 紫苑は息を切らしているものの、目に見えた手傷は負っていない。メリーさんは黒焦げだが、それだけだ。紫苑が守ってくれなかったら危なかっただろうが。


「よくやった! よーく保たせた! このチドリバコが来たからには、コトリバコには好き勝手させない!」

「えっ、それチドリバコなんですの!?」


 コトリバコが起き上がった。全身のチェーンソーを威嚇するように回転させている。掠っただけで翡翠の体は両断されるだろう。

 しかし翡翠は恐れない。手にしたチドリバコから無限の力が伝わってくる。それを身に宿している限り負けることはないと確信していた。


 翡翠の自信は、決して気のせいではない。この場にいる誰も知らないが、チドリバコには人智を超えた力が宿っている。

 では、チドリバコとは何か?

 端的に言えば、コトリバコの対となるものである。コトリバコが血と死体と怨念で作られたものならば、チドリバコは刃と霊威と神気で作られたものだ。

 そしてこれを造ったのは、戦国大名"忠勇鎮西一"立花たちばな宗茂むねしげであった。


 妻、立花たちばな誾千代ぎんちよの遺品から禍々しきコトリバコを見出した宗茂は、尋常の手段では倒せぬと考え、神社で祈祷を行った。すると3日目の夜、枕元に雷神が現れ、宗茂にチドリバコの作成方法を授けたのだ。

 お告げに従い、宗茂は材料を用意した。すなわち、義父から受け継いだ怪異殺しの太刀と雷神の遺体、そして祈祷を行った神社に生えていた1本の白木。それらを組み合わせて完成したのが、戦国からくりチェーンソー、チドリバコである。

 立花宗茂はチドリバコを用いてコトリバコを討った。それでもコトリバコの呪いは完全には消えなかったため、チドリバコと共に火熊家に預けた、というのが歴史の影に隠された真実である。


 翡翠はそのような過去を知る由も無い。しかし、チドリバコがコトリバコの天敵であることは直感で理解していた。だから彼は迷わず、ためらわず、刃を振るう。


「行くぞおおおおおっ!」


 チドリバコを手に、翡翠は駆ける。コトリバコも吼え、翡翠に飛びかかる。

 顔目掛けて振り下ろされたチェーンソーを、翡翠はチドリバコで受け止めた。凄まじい金属音が鳴り響き、火花が散る。翡翠は力任せに腕を振り抜き、コトリバコを地面へ叩きつける! そしてコトリバコへ刃を振り下ろす!


「おらあっ!」


 コトリバコは横へ大きく跳び、刃を避けた。地面に触れた回転刃が、土を高く巻き上げる。その土に紛れるように、コトリバコは奇怪なな足さばきで翡翠の背後に回り込み、襲いかかる!


「ぬっ!」


 翡翠は振り返り、チドリバコの刃を突き出して斬撃を受けた。すると、コトリバコの脚のチェーンソーが欠けた。チドリバコの回転刃が一方的に打ち勝ったのだ。

 怯んだコトリバコに対して、翡翠は一気に攻め立てる。コトリバコは斬撃を避けていくが、全て避けきれるものではなく、一枚、また一枚とチェーンソーの刃が欠けていく。

 押し切れる。誰もがそう思った時、コトリバコが高く飛び上がった。遥か頭上、10m以上の高さへ。翡翠は苦し紛れと見て、落下の瞬間を狩ろうとチドリバコを構えた。

 だが、コトリバコの体がバチバチとスパークし始めた。翡翠が不審に思った瞬間、コトリバコの体から黒い稲妻が発せられた。先程メリーさんを撃ったものよりもずっと強力な、本物の雷と見紛う程のものだった。


 雷。空気中の放電現象であり、人智の及ばぬ自然現象であり、神の領域から放たれる力である。

 電撃の保有エネルギーは核爆発にも匹敵し、放たれる電流は秒速10km、光の1/3の速さで地表に向かう。そこに神秘が加われば、文字通り一瞬で人を焼き尽くす神の矢が顕現する。

 それは厄災である。雷に対し、人は祈ることしかできなかった。平安時代、京の都は度々雷に襲われ、死者が出ること夥しかった。科学技術が発達し、雷のメカニズムが解明された今でも、避雷針によって雷を避けることしかできない。

 雷を防ぐ、ましてや破壊するという事は人類には不可能だ。


 


 その昔、ある男が木陰で昼寝をしていた。男は木の根を枕にして、幹に刀を立て掛けていた。

 しばらくするとにわかに雲行きが怪しくなり、夕立になった。激しい雨だけでなく、雷も鳴り始めた。男は起きるが、土砂降りの中に飛び出すわけにもいかず、木の下で雨宿りをしていた。

 木は雷を引きつける。現代においても、木に落ちた雷によって、雨宿りをしていた人間が死傷する事故は後を絶たない。

 その時も、男がいた木に稲妻が降り注いだ。稲光が辺りを焼き、一瞬で世界は白く染め上げられた。


 稲光の中で、白刃が煌めいた。


 どう、と音を立てて、死体が濡れた地面に落ちた。筋骨隆々、口は裂け、牙を備え、額には角が生えている。

 雲上に住み、雷を自在に操る雷神であった。額から首まで、真っ二つに断ち割られている。

 雨宿りをしていた男は、変わらず立っていた。その手には、わずかに焼け焦げた刀が握られていた。


 男は雷神を斬っていた。


 男はその後、数々の戦に出陣するが、いずれも無敗。廉直賢才の大将として、敵味方から讃えられることとなる。雷神を斬った刀も、その男と共にあった。

 男の名は立花たちばな道雪どうせつ。刀の銘は『千鳥』。

 "忠勇鎮西一"立花宗茂の養父と、チドリバコに使われた妖怪殺しの太刀であった。


 話は現代に戻る。

 翡翠の手の中でチドリバコがさざめく。流れ込む力に導かれ、翡翠はほとんど無意識にチドリバコを振り上げていた。

 迫る稲妻、数十万分の一秒の間隙へ、刃を振り下ろす。


 千鳥が再び雷切となった。


 稲妻を断たれたコトリバコは無防備に落下する。そこへ翡翠は、渾身の力でもってチェーンソーを振り下ろす!


「おおおらあああぁぁッ!」


 コトリバコは残るすべての足で防ごうとしたが、雷切は全てを断ち切った。

 刃がコトリバコの本体に食い込み、呪いが弾けた。


――


 マジでヤバかった。コトリバコが怨霊駆動八足殺人ロボットだってのもヤバかったし、チドリバコが雷神駆動戦国からくりチェーンソーだってのもヤバかった。テンション上がりすぎた。


「立花宗茂がチェーンソーを使ってたなんてなあ。ゲームみたいだ」

「ああ。確か、珍しく立花様が若いイケメンじゃなくて髭の武将になっているゲームだったか?」

「いや、犬じゃなかったっけ?」


 鍋島の言ってるゲームは違う気がする。が、問い詰めるほどじゃない。俺たちは2つの箱を地下に戻すと、さっさと階段を上がっていく。


 斬撃を受けたコトリバコは元の箱型に戻って暴れなくなった。チドリバコも勝手に刃が収納されて箱になった。

 メリーさんが言うには、コトリバコは大人しくなったが、呪いはまだ消えていないらしい。しかし、チドリバコがあれば抑えられると物理的に証明できたので、元通り地下室にしまっておくことになった。


 地下室を出た俺たちは、蔵の中を元通りに片付けた。最後に扉を閉めようとして、さっき勢いでぶった斬ったのを思い出した。


「えーと、ドア……」

「気にすんな。板で塞いでおいて、後で修理する」


 良かった。火熊さん怒ってない。


「大鋸様」


 振り返ると、紫苑が俺を真っ直ぐに見つめていた。


「お、おう」

「この度は助けていただき、誠にありがとうございました。火熊家として、そして私個人として、深く感謝いたしますわ」


 深々と頭を下げられる。何だか照れくさい。


「いやまあ、テンション上がりすぎただけだから……でもコトリバコにはもう近寄らないほうが良いぞ?」

「ええ。今回の件で十分身に沁みました」


 これで大人しくしてくれるだろう。そう思った矢先だった。


「そして、お聞きしたいのですが!」

「お、おう?」


 急に元気になったぞ?


「あの素晴らしきチェーンソー捌き、感服いたしました! さぞ名のある武術家とお見受けいたします! どうか私に稽古をつけていただけませんか!?」

「なんで!?」


 一から十まで誤解されてる!?


「武術じゃないから! ただチェーンソー振り回しただけだから!」

「ご謙遜なさらずとも、私にはわかります! 交通費でしたら私が負担いたします! せめて、せめて基礎だけでも!」


 こっちもコトリバコ並みに厄介だよ!

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