筋の斧

 先週、山で仕事してた時の話、覚えてるか? 棒? 違う。『金の斧』の方だ。

 あの話になあ……続きができちまった……。

 今回ばかりは心から反省してる。完全装備でチェーンソー持ってれば大体なんとかなるだろうと思ってヤバい境界ラインを踏み越えてたことに気付けなかった。妖怪っていってもいろいろあって、ヤバい奴はとことんヤバいって事を思い知らされた。

 わかった、これから話すから。そんな顔を輝かせるな。死にかけたんだぞこっちは。


 女神様を池に捨ててから数日後の話だ。お前に話した日の、次の次の日だったかな。また雨が降っただろ? その次の日、雨が止んだから木を切りに行ったんだ。

 ちょっと休憩しようと思ってチェーンソーを置いたら地面がぬかるんでてな。斜面だったからそこからズルズル下に滑って行っちまったんだ。後を追いかけたんだけど、凄い嫌な予感がしたんだ。

 滑っていったチェーンソーは、小さな崖から落っこちて見えなくなった。すぐ後に、じゃぽんって水の音がして、あっやっべって思ったよ。

 崖の下を覗き込んでみると、デカい水たまりがあった。前の日の雨のせいか、この前よりも広くなってるように見えた。水面に波紋が広がってて、チェーンソーがそこに落っこちたってのは一目でわかった。

 おいまたかよ前のチェーンソーもまだ引き上げてないんだぞ、って思いながら俺は池の前で呆然としてた。そうしたら、急に池が輝き出した。おいちょっと待て、まさかこの前みたいに誰か出てくるのか、ひょっとて女神が……って思ってたら案の定、池の中から人がせり上がってきた。


 マッチョだった。キリッとした顔の白人だった。髪は茶色のパーマだったな。服は着てなくて、革のフンドシ一丁だった。

 いやそれよりも本当にマッチョでな。俺だって山仕事で鍛えてるから、ガタイの良さにはそれなりに自信があるけど、あれはそういう問題じゃなかった。どれくらいマッチョだったかって? うーん、難しいな。

 シュワちゃんくらい? いや違うんだよ。ボディビルダーみたいに、テカテカの分厚い筋肉がムッキムキ、って感じじゃないんだよ。鏡みたいに磨き上げた最高級の筋肉がまんべんなくついてる、そういう感じのマッチョだった。神様が理想の筋肉ってのを思い浮かべたらあんな感じだろうな、マッチョゴッド、って感じのマッチョだった。

 まあ、今思い返してるからこんな事言えるんだけどさ。その時は本当にびっくりしてたよ。だって女神かと思ったらマッチョゴッドだったからな。しかも金のチェーンソーも、銀のチェーンソーも、鉄のチェーンソーも持ってないし。何が出てきたんだよ、って気持ちだった。


 そしたらマッチョゴッドが……何、どうした。何笑ってんだ。マッチョゴッド? いやだって、マッチョゴッド以外なんて言えばいいんだよ!? 神? それだと物足りないだろ、なんか! ……わかった、それじゃあ『筋肉の神』でいいか? いいな? 俺は真面目に話してるんだからな本当に……。


 えーと、筋肉の神が出てきて、だ。右腕を上に向けて曲げた。こう。力こぶを作るポーズ。それで右足を引いて、前傾姿勢を取ったんだ。でも顔は前を向いて、俺を睨みつけてた。


 あっ、ヤバい。って思って、俺はとっさに地面に伏せた。


 次の瞬間、筋肉の神が泉の上を走り出してな。あっという間に俺の横を通り過ぎて、後ろの木に激突した。そしたらどうなったと思う? 木が倒れたんだよ。言っとくけど、腐りかけの死んだ木じゃないぞ。直径20cmもある、しっかりしたアカマツの木だ。そいつを、力を込めたラリアットで殴り倒し……いや、伐り倒したんだ。まるで筋肉を斧の代わりにした一撃だ。その時悟った。


 筋の斧アックスボンバー……!?


 筋肉の神がこっちを向いた。超ヤバい。何しろこっちはチェーンソーを落っことして丸腰だ。防刃作業服は着てるけど、木を伐り倒すような打撃相手じゃ心もとない。どうしようどうしよう、って思ってると、筋肉の神がこっちに向かって走ってきた。

 俺はまた地面に伏せた。だけど今度はちょっと位置とタイミングが悪かった。走ってる筋肉の神の足に体当りする感じになっちまったんだな。俺は思いっきり足に引っかかって、そのまま、ふたりとも地面にもつれて倒れ込んだ。

 俺はすぐに立ち上がったんだけど、筋肉の神は頭から地面に突っ込んでて、まだ倒れてたんだ。それで思った。確かに、筋肉の神の筋肉は凄い。打撃戦じゃ勝てないだろう。なら、このまま寝技に持ち込めばいいんじゃないのか?


 筋肉の神が起き上がる前に、俺は神の背中に覆い被さった。うつ伏せの人間に羽交い締めする感じだったな。流石の筋肉の神も、背中には手が届かないみたいで、俺を引き剥がせなかった。ただ、そのままじゃ抱きついてるだけだから埒が明かない。

 それで、両腕を使って、筋肉の神の首を締めたんだ。チョークスリーパーってやつだ。頸動脈を絞め落とせば気絶するし、気道を塞ぎ続ければ窒息する。神様は人間じゃないけど、まあ人間と同じ格好してるからその辺も同じだと思ったんだ。

 ところが筋肉の神は、首も筋肉の塊だった。グッと力を込めるとな、まるで首が岩になったみたいで、腕がそれ以上食い込まなくなった。


「嘘だろオイ!?」


 締めながら悲鳴を上げてた。そうしてるうちに、筋肉の神は両手で俺の腕を強引に外してしまった。それどころか、俺を背負ったまま立ち上がったんだ。俺は背中から抑え込む体勢から、筋肉の神に両腕を掴まれておぶさる体勢になっちまった。で、そっから筋肉の神に背負投げされた。

 背中から叩きつけられて、一瞬意識が飛んだ。目を覚ますと、筋肉の神が踏みつけようとしてきたから、俺は地面を転がって避けた。踏みつけのパワーがヤバくて、軽い地震が起きたかと思った。

 俺はすぐに立ち上がると、筋肉の神の膝辺りに飛びついた。タックルだ。大晦日の格闘技でやってるアレ。アレを食らったら、人間だったら大体は転ぶかバランスを崩す。

 だけどなあ……ビビったよ。人体なのに、なんだろうなあれは。大木に体当りしたか、バカでかい岩を押したような感じだった。ビクともしないの。筋肉の神、ヤベえ。レスリングとかやったら人類最強なんじゃねえの。いや、人類じゃなくて神様か。

 で、俺がタックルを止める前に、逆に筋肉の神に腰を抱え込まれた。そしたらフワッと俺の体が浮きやがるの。凄いぞ。俺の体がまるで段ボールを運ぶみたいに持ち上げられたからな。

 で、そのままボールみたいに上に投げられた。俺の体は思いっきり浮き上がって、ちょっとだけ下がって地面に落ちた。池の向こう側にある崖の上まで投げ飛ばされたんだよ。どんな筋力だ、って思ったね。流石は筋肉の神だ。

 流石にこう、なんていうか、どうすればいいかわからなかった。チェーンソーは持ってないし、格闘も効かない。圧倒的筋肉オーバーウェルム・マッスルの前には手も足も出なかった。

 筋肉の神は、池の上を歩いて俺に近付いてきた。多分、水面からジャンプしてこっちの崖に飛び移ろうって考えだったんだろう。こうなったら逃げるしかねえと思って立ち上がったんだけど、地面が崩れて足を取られた。


 その時に気付いたんだよ。崩れたのは俺の足元だけじゃない。俺が立ってる斜面そのものが崩れ始めてるってことに。土砂崩れだったんだ。

 前の晩の雨で地盤が緩んでて、そこで筋肉の神が大暴れしたから、臨界点を突破したんだろうなあ。あの踏みつけで地震も起きてたし。


「うううおあああっ!?」


 脇目もふらずに、俺は山の上に向かって走り出した。だけど踏み込んだ地面が下に崩れていってるから、全然前に進まない。ランニングマシーンってあるだろ? あれに乗ってるみたいだった。崩れる地面がベルトコンベアだ。転んだり、ついていけなかったりしたら崖下まで真っ逆さまの、死のランニングマシーンだけど。

 いやもう必死に、脇目もふらずに走った。横に逃げればよかったって? 確かにそうなんだけど、その時は思いつかなかったんだよ! 必死だったから!

 とにかく走って走って、そしたら、急に体が前に進んだんだ。土砂崩れが収まってた。斜面がまるごと崩れたわけじゃなくて、ぬかるんでいた表面の土だけが崩れたらしい。

 でも、結構崩れてたのは確かだよ。恐る恐る振り返ると、俺のすぐ後ろが崖になってた。もうちょっと足が遅かったら真っ逆さまだったな。


 それで気付いたんだ。さっきまで崖の下にあった池が埋まってるんじゃないかって。当然、その上にいた筋肉の神も……。

 だけど、振り返って確かめる気にはなれなかった。ちっとも安心できない。あれだけの筋肉の神だ。土に埋まったぐらいで止まるとは思えない。土を掘り進んで、普通に出てくるんじゃないかと思うとゾッとした。

 だから俺は振り返らずに、すぐに山を駆け登り始めた。チェーンソー2本は惜しいけど、命には代えられない。あの筋肉の神には敵わない。何しろ、筋の斧アックスボンバーで木を伐り倒しちまう神様だ。チェーンソーを持っていたとしても弾き返される。そして、そんな筋肉で本気で殴られれば、生きてはいられないだろう。


 あの時の俺にできることはただ……逃げるザ・ランしかなかった。

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