渦人形(2)

 俺たちは別荘のカーテンを締め切って、最後の夜を籠城することにした。2階の部屋に全員集まって、怖さを吹き飛ばそうと馬鹿騒ぎしてた。

 しばらくしたら俺は喉が渇いて、1階の冷蔵庫に飲み物を取りに行った。スポドリにしようかコーラにしようか迷いながら冷蔵庫を覗いていると、声が聞こえた。


「ホホホ……ホホホ……」


 空き家で聞こえたあの声だ。驚いて振り返るけど、誰もいない。声は外から聞こえてきてるようだった。

 おいおい冗談じゃねえよ封印したんじゃなかったのか、って思いながらビビりながらカーテンをめくった。

 窓から10mぐらい離れた地面の上に、和服を着た子供が正座して座ってるのが見えた。間違いなく、空き家で遭ったあの子供だった。


「やっべっ!」


 俺は大慌てで階段を駆け登って、皆の所に戻った。駆け込んできた俺のただならぬ気配を察したのか、皆が声をかけてきた。


「どうした!?」

「何なんだよそんな顔して」

「出た! 『ひょうせ』だ!」

「んだとォ!?」

「あのクソジジイ、封じ込めたんじゃなかったのかよ!?」


 怒るやら怖がるやら、みんな口々に喚き始めた。


「どこにいる!?」

「1階の、リビングの窓の外」

「すぐ近くじゃねえか!?」

「上等だァこの野郎、ブッ殺してやる!」

「おい、俺にも見せてくれ!」


 陶と村田が部屋を出ていった。神宮寺ともうひとりもそれについていく。俺もひとりで部屋に取り残されたくなかったから、後ろについていった。

 1階のリビングに降りると、陶は暖炉の火かき棒を握っていた。それで『ひょうせ』をぶん殴るつもりだったんだろう。


「どこだァ。野郎ォ、どこにいやがるッ!」

「そっちだ、その窓の外!」


 俺が窓を指差すのと同時だった。窓ガラスを叩く、コン、コンという音が響いてきた。

 一気に静まり返ったよ。木の枝が風でぶつかってるとか、そういう感じとはとても思えなかった。

 俺たちは顔を見合わせた。カーテンを開けて確かめるべきか、それとも部屋に逃げ帰るべきか。誰も何も話さなかったけど、最終的に言い出しっぺの陶がカーテンに手を掛け、思いっきり引き開けた。


 そいつはそこにいた。ただ、さっきと違って、顔が窓のすぐそこまで迫ってきていた。大きさは普通の子供と同じくらいだったけど、人間じゃなかった。

 おかっぱ頭で笑顔の人形だった。日本人形って奴だ。たけど目には真っ黒な穴が空いていて、目玉が入っていなかった。口にも唇や歯はなくて、三日月状の黒い穴があるだけだ。記号的な笑顔なのが、とにかく不気味だった。

 そして顔から下には細い棒のような首が伸びていた。それが5mぐらい伸びて、正座してる体と繋がってた。

 流石に俺たちはビビっちまってな。誰も声を出せなかったよ。人形は相変わらず、窓ガラスに、コン、コン、と頭をぶつけていた。


「……うわあああぁっ!?」


 悲鳴が上がった。神宮寺が恐怖に耐えきれなくなって、腰を抜かしたんだ。

 すると、人形の首がサッと縮まって、窓から見えなくなった。


「おいどこ行った!?」

「いないぞ!?」


 俺たちは窓に駆け寄ったけど、外に座っていたはずの人形は影も形もなくなっていた。でも、外に出る気にはなれなかった。

 神宮寺はなんとか立ち上がると、スマホでどこかに電話し始めた。どうやら、昼間に儀式をしてくれたお坊さんに連絡しているらしい。


「なあ……あれが『ひょうせ』なのか?」


 友達が言ったから、俺が答えた。


「多分そうだろ。あの家の中にいたやつと同じだし」

「え?」


 俺の返事を聞いた友達が疑問の声を上げた。


「……あんなやつ、いたか?」

「いただろ? 階段の上。あれ、お前ら見てないのか……?」


 みんなは顔を見合わせた。どうやら、誰もアイツを見ていないらしい。村田も困り顔だが、お前はそもそもおかしくなってただろうが。

 ますます訳がわからないが、とにかく俺たちはリビングに集まって籠城することにした。

 しばらくすると、数台の車がやってきて、お坊さんと医者、それに町の人たちがやってきた。


「『ひょうせ』が姿を現したとは、本当ですか!?」

「本当だよこの野郎ゥ!」

「何なんだよ! 儀式、全然意味が無かったじゃねえか!」

「詐欺か!?」

「っていうかあれが『ひょうせ』なのか? イメージ違うんだけど」


 陶が食って掛かったのを皮切りに、俺たちは盛大に文句をぶちまけた。せっかくの旅行を台無しにされた上に、儀式も効果がなかったんだ。それぐらい言わないとやってられなかった。


「とにかく詳しい話を聞かせてください」

「話も何もねえよ! ついさっき、そこの窓から『ひょうせ』が覗いてたんだ!」

「ガラスにガンガン頭ぶつけてたんだよ!」

「何か人形みたいな奴がさあ、笑ってんの!」

「めっちゃ簡単な顔だった。俺でも描ける」

「あと何か首が棒だった」

「ちょっと待ってください、人形? 首が長い?」

「人形だよ! あれが『ひょうせ』なんだろ!?」

「……いや、それは『ひょうせ』じゃありませんよ?」


 全員、「は?」ってなった。被害者の俺たちだけじゃなくて、町の人たちも戸惑っていた。


「どうなってるんですか、これ?」

「おかしいと思ったんだ。いろいろ辻褄が合わない」


 お坊さんと医者が顔を見合わせ、話し合い始めた。


「『ひょうせ』が悪さするのは町の子供だけだろ? この子たちは外から来た子だ」

「ええ。それに、最後に出たのは5年前です。早すぎる」

「君たち。その人形の見た目を、もっと詳しく説明してくれないか?」


 医者が質問してきたので、俺たちはさっき見たものをありのままに、できるだけ詳しく説明した。

 一通り話し終わると、お坊さんが言った。


「……まことに残念ですが。貴方たちの前に現れたのは、『ひょうせ』ではない、別の何かだと思われます」


 今更それはねーだろ……と思った。みんな同じ気持ちだったと思う。そんな俺たちに医者が話しかける。


「その子が病院に連れてこられた時の様子は、『ひょうせ』に取り憑かれた時と同じだったんだ。だから『ひょうせ』の仕業と思ったんだが、見た目が違う。

 『ひょうせ』は髪もないし服も着てない。毛むくじゃらの猿みたいな奴だ。人形なんかじゃないんだよ」

「全然違うじゃん!?」

「じゃあさっきの奴は何!?」

「わかりません……」


 お坊さんもお手上げ、といった様子だった。だけど、なんだかよくわからないけどヤバい奴がいるのは間違いない。

 寺でお祓いをしよう、という話になったが、今は真夜中だ。移動中に奴が襲ってくる可能性が高い。そこで夜明けまでこの別荘に立てこもって、朝イチで寺に移動しようという話になった。

 すると、医者の携帯電話が鳴った。


「もしもし? ……何!? うん、ああ、人数は!? 大人2人に子供が3人……わかった、すぐに戻る! 昨日と同じように対処するんだ!」


 医者は電話を切ると、憔悴した表情でお坊さんに言った。


「奴が町にも出たらしい。もう5人、被害に遭っている。私は病院に戻るから、この場は頼む!」


 そう言って、医者は別荘を出ていった。一緒に来た町の人たちも一緒に戻ってしまった。残ったのはお坊さんと、その付き添いの2人だけだ。

 ガランとした別荘を見て、俺は呟いた。


「……なんだよ。俺たちはどうでもいいっていのか?」


 この辺から、本気でイライラしてた。せっかくの旅行は台無し。地元の妖怪に襲われて怖い思いをしている。しかもそれが勘違いで、全然関係ない妖怪と来た。町の奴らは怖がらせるだけ怖がらせておいて、大事になったら全員逃げやがった。

 誰が悪いって訳じゃないけど、全員ぶん殴りたい気分だった。


「申し訳ありません。ですが、町に例の妖怪が出たとなれば、被害は更に広がります。皆様のことは我々がなんとかしてお守りしますから、どうか……」


 お坊さんが心底申し訳無さそうに謝ったので、しぶしぶ言うことを聞くことにしたけど、イライラは収まらなかった。

 それからお坊さんは簡単な祭壇を作り、お経を読み上げ始めた。そうしたら、また笑い声が聞こえ始めたんだよ。


「ホホホ……ホホホ……」


 そして、窓からまた、コツ、コツ、って音が聞こえてきた。みんな引きつった表情を浮かべてた。カーテンに隠れて見えないけど、窓の外にあの人形がいるってわかったよ。

 お経に篭もる熱が強まった。すると、笑い声とガラスを叩く音が止んだ。まさか、逃げた? と思ったら、今度は反対側から笑い声が聞こえてきた。だけど、ガラスを叩く音はしなかった。それに笑い声もちょっと遠くなっていた。

 お経が聞いてる。なんかそんな感じがした。ホッとした雰囲気になったよ。

 そしたら少し気が緩んで、みんなぼちぼちトイレに行き始めた。結構時間が経ってたからな。俺も釣られてトイレに行った。


 それで、トイレから出たらな、ギョッとしたよ。あの人形が別荘の中にいたんだ。

 お坊さんと付き添いの人たちが祭壇に向かって座ってて、友達のみんなはその背中を見てるんだけど、その更に後ろで人形が笑いながら座ってたんだ。人形がいる事に誰も気付いてなかった。

 お経は相変わらず続いてるんだけど、人形はまるで気にしてなかった。そして、トイレから戻ってきた俺を見て、嘲笑うように頭をゆらゆら揺らしてた。


 ……その時、俺は恐怖心と寝不足とストレスで、ちょっとおかしくなってたんだと思う。

 お坊さんのお経も効果がないってわかると、何だか物凄いバカにされてる感じがした。町の人達は別の妖怪と勘違いするし、俺たちのことを放っておいてどっか行くし。挙げ句、この人形は俺たちが手出しできないと思ってゆらゆら笑ってやがる。

 そう思ったら、我慢できなくなった。


「ふっ……ざけんじゃねえぞこのクソヤロウがぁぁぁっ!」


 そう叫ぶと人形に駆け寄って、勢いのままに飛び蹴りを放った。蹴りっていうか、斜め上から踏みつける感じだったか。とにかくそれで、人形は床を転がって吹っ飛んでった。

 それだけで気が済むはずがなく、俺はズカズカと駆け寄って何度も人形を蹴り上げた。


「おいコラァ! どうしたぁ! 俺ら呪い殺すつもりじゃなかったのか!? 何とか言ってみろや、エエ!?」


 他の皆は、俺が急にキレ始めて驚いていた。何がなんだかわからなかったんだろう。最初に陶が、俺が例の人形を蹴ってるって気付いた。


「あ……おい、あんにゃろう! どけェ! ぶちのめしてやんよ俺がァ!」


 陶は暖炉から火かき棒を取り出すと、俺の横に来て人形の顔に振り下ろした。


「オラッ! 死ね! クソ人形が! 死ねよクソが!」


 多分、人間にはやっちゃいけないレベルの暴行だったと思う。でも人形は中々頑丈で、まだ笑ってやがった。蹴りや棒じゃ壊れないって思った俺の頭に、薪割りに使ってたチェーンソーが思い浮かんだ。


「おい、そいつ逃がすんじゃねーぞ、オイ!」

「アァ!?」

「ズッタズタのバッラバラにしてやるからな! 見てろよこの野郎……!」


 俺は玄関の側に置いてあったチェーンソーを手に取ると、スターターを引っ張った。エンジンは一発で掛かった。


「どけぇーっ! 危ねえぞ!」

「っしゃあ! やったれ!」


 陶が人形を俺の方に蹴り飛ばした。足元に転がってきた人形に、俺はチェーンソーを振り下ろした。

 耳障りな音と共に、チェーンソーが人形を削り切り始めた。人形はバタバタともがいたけど、本気で押さえつけてやったから逃げられなかった。

 そしたら今度は陶が、薪割り用の斧を手にした。


「おらっしゃあ!」


 思いっきり、人形の顔面に振り下ろす。笑い声がちょっと乱れた気がした。


「よっしゃあ! 効いてるぞ! そのまま殺れぇ!」

「オッケェェェ!」


 俺と陶は2人がかりで人形を壊し始めた。

 後から神宮寺に聞いた話だけど、俺と陶はゲラゲラ笑いながら、無表情でボロボロと涙を流していたらしい。つまり、あの時の村田と同じ状態になっていた。

 だけど完全にブチキレてたから、変な方向に呪いが掛かっちまったんだろうなあ。笑いながら人形をぶっ壊す最凶タッグが誕生しちまった。


 陶が何度も斧を振り下ろしていると、メリッ! と一際大きな音がした。

 その途端、俺たちは我に返って手を止めた。何かこう、シラけたというか、あれ、なにやってんだ俺ら、って気分になった。

 人形は原型が残らないほどぶっ壊れてた。顔はズタズタ、胴体はバラバラ、腕も足もナマスになってた。

 急に体の疲れを感じて、俺たちはその場にへたり込んだ。ぜえぜえ荒い息をしてた。


「……大丈夫ですか?」


 お坊さんが心配そうに声をかけてきた。いつの間にかお経は止めていたらしい。効果なかったもんな。


 この後は何事もなく朝を迎えた。病院に担ぎ込まれた人たちも、俺らが人形をぶっ壊した辺りで正気を取り戻したらしい。

 壊れた人形は寺で供養することになったんだけど、結局この人形が何なのか、その辺りは謎のままだった。

 ただ、残った人形の破片にかすれた文字で「寛保二年」と、「渦人形」という単語が書いてあったらしい。それに頭と胴を繋ぐ棒の部分に、何か呪術的な模 様がびっしりと書かれていたそうだ。とにかく正体は不明だが、何らかの呪物である事は間違いないらしい。


 その後、今に至るまで、俺も含め当時のメンバーには、知ってる限り何も起こっていない。

 お寺のお坊さんは、人形の正体がわかったら連絡をくれるという話だったけど。未だにその連絡も来ない。

 ……いや、1つあったか。神宮寺の親父さんが、その別荘を手放した。神宮寺から話を聞いたんだろうな。


「もう、知らない土地の家を買ったりしないよ」


 だってさ。

 だからもし、別荘が格安で売りに出されてて、その隣に空き家があったら……気をつけろよ?

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