渦人形(1)

 大学1年の夏休み、俺は同じサークルの4人の友達に誘われて、山奥の別荘に泊まりに行くことになった。

 友達のひとりの神宮寺じんぐうじって奴の親父が別荘を持ってて、夏休みにそれを借りて泊まることになったんだよ。

 近くにホテル街があって、コンビニやスーパー、ゲーセンなんかも揃ってた。何か物凄いワクワクしてたのを覚えてる。


 別荘に着いて掃除をして、それからは遊びまくったなあ。今じゃ山なんて当たり前だけど、その頃は普段見ない景色にはしゃいでたよ。

 夕食のバーベキューもワクワクだった。チェーンソーや斧で薪を割って、頑張って火をつけて、買ってきた肉や野菜を豪快に焼く。ちょっと焦げたりもしたけど、それもまあいい思い出だった。

 バーベキューが終わって夜になると、飲み物が足りないって話になって、みんなでコンビニまで行くことになったんだ。

 俺たち5人はワイワイ騒ぎながら歩き始めた。そしたら、昼間は気付かなかったんだけど、別荘を囲む林の向こうに、家っぽい建物を見つけたんだ。

 その建物には明かりがついていなかった。


「神宮寺ィ、あっちもお前の別荘かァ?」


 友達のひとり、すえが聞いたけど、神宮寺は首を横に振った。


「いや、知らない。空き家じゃね?」

「ほーん。したらよォ、あとで探検いかねェ?」

「アホ。さっさとコンビニ行くぞ」


 そんな話をしながらコンビニに着いた。その頃にはみんなすっかり空き家の事は忘れて、駐車場でサイダー飲んだり立ち読みしたりしてた。

 それで一通り時間を潰して、別荘に帰ったんだけど、村田むらたって奴が変なことを言い出した。


「あの、途中にあった家よ。人住んでたぞ?」

「あァ? んなわけねーだろォ、電気ついてなかったし」

「でも玄関がちょっと空いてて、そこから小さい子がこっちを見てたんだよ」

「うっそだあ!」

「嘘じゃねえって」


 そいつが真顔でそんな事を言うもんだから、ちょっと気になって俺たちは一緒に別荘の2階の窓から空き家を見てみた。

 暗いし木が邪魔だったけど、例の空き家は辛うじて見えた。やっぱり電気はついてない。


「見えるか?」

「ああ。でも誰もいねえぞ?」


 もうひとりの友達がそう言った時、家のドアが僅かに開いた。

 そこから、黒くて丸いものが姿を現した。暗くてよくわからないけど、子供の頭のように見えた。

 俺も友達も絶句した。まさか、本当にいるなんて思わなかったからだ。


「おい、あれって……」


 最初に口を開いたのは神宮寺だった。声が震えていた。


「あいつ、こっち見てないか……?」


 俺もびっくりしてて、そう返すのが精一杯だった。

 窓を見てた俺たちの様子がおかしくなったのに気付いて、陶と村田もなんだなんだと集まってきた。そして、例の家の子供に気付いた。


「あいつだ、あいつ!」

「マジでいるじゃん」

「幽霊?」

「どけ、携帯で撮るから!」


 俺たちが大騒ぎしていると、顔が引っ込んでドアが閉じた。


「なんだったんだよ今の」

「わかんねェ」

「撮れたか?」

「駄目だ、暗くて見えない」


 今見たものが何だったのか、俺たちはああだこうだと話し合って大騒ぎになった。でも、いくら話し合っても結論は出ない。そこで、全員で確かめに行くことになったんだ。

 今思うと、旅行でワクワクしてたのと深夜のテンション、それに遊び疲れで、少しハイになってたのかもしれない。


 俺たちは懐中電灯を持って外に出た。林を抜けて、例の家の前に着くと、流石に不気味だった。

 遠目からだとわからなかったんだけど、壁には苔が生えているし、蔦も絡まっている。しかも、窓は全て板が打ち付けられていて、だいぶ長い事放置されたようだった。

 これじゃドアも開かないんじゃないか、って思ったけど、陶がノブを捻るとすんなり空いてしまった。あっさり、しかしこわごわ中に入ったよ。


 家は2階建てになっていた。締め切られていたから空気が籠もってたな。

 パット見、何もない家だった。家具も何もないから妙に広く感じたよ。もちろん、人もいない。

 そしたら村田が言った。


「2階から笑い声しねえ?」


 俺は隣の友達に聞いた。


「聞こえるか?」

「いや……」


 うわー、勘弁してくれ、って思ったよ。1人にしか聞こえない笑い声とか、もろにホラーじゃねえかって。

 それで、神宮寺と村田、それにもうひとりが2階に上がることになった。俺と陶はそのまま1階を探してたよ。正直、上に上がりたくなかったからな。


 1階を隅々まで探索して、何もないって事がわかった時、事件は起こった。


「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」


 場違いに明るい笑い声が聞こえてきた。


「おい、どうしたァ!?」

「なんだよオイ!」


 それに混乱した声もだ。かなりヤバい感じがした。

 大慌てで2階に上がると、3人は一番奥の部屋にいた。


「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」


 村田が窓の方を向いて大声で笑っている。そして神宮寺ともうひとりが隣でそいつを揺さぶったり、頬を引っ叩いたりしていた。だけど、村田は反応すらしない。

 慌てて村田の顔を覗き込んだ時、俺たちはようやく、とんでもない事に首を突っ込んだことに気付いた。

 村田の笑い声は、本当におかしそうだった。だけど顔は無表情で、目からは大粒の涙がこぼれている。それにズボンが湿って生温かった。ツン、とした臭いがして、漏らしてるってわかったよ。なのに笑い声は途切れない。息継ぎすらしてなかったんだ。


「やべえぞこりゃ……おい! しっかりしろ!」

「起きろコラァ! ブッ殺すぞ!」


 陶が村田を蹴り飛ばすと、村田はあっさりと床に転がった。だけど笑い声は止まらない。

 仰向けの無表情で笑い続ける村田に、俺たちはゾッとした。


「……駄目だ。とにかくこの家から出よう! それから病院だ!」


 神宮寺が言った。あいつが一番冷静だったと思う。

 俺たちはすぐに言う通りにして、村田の無駄にデカい体を長テーブルみたいに持って1階に降りた。

 だけど、入る時はあっさり開いたドアが、今度はびくともしなかった。


「はあ!? なんだよコレ、開かねーんだけど!?」

「どけ、ぶっ壊す!」


 俺はドアに体当りしたけど、コンクリの壁みたいでびくともしない。他の皆も殴ったり蹴ったりしたけど、同じだった。

 パニくりながら顔を見合わせていると、村田とは別の笑い声が聞こえてきた。


「ホホホ……ホホホ……ホホホ……」


 上から聞こえてきてたから、今降りてきた階段の上を見た。そして、絶句した。

 階段の踊り場の少し上から、子供の顔が俺たちを見下ろしていた。おかっぱで、人形みたいな無表情の子供のようだった。

 そいつがさっき別荘で見た、ドアの隙間から俺たちを覗き込んでいた子供らしかった。


「ホホホ……ホホホ……ホホホ……」


 そいつは笑ってた。笑ってはいたけど、ちっとも面白くなさそうだった。他人の笑い方を真似して声を出してる、みたいな感じだった。

 俺がポカンと見上げていると、いきなり腕を引っ張られた。陶だった。


「バカヤロォ、何やってんだ出るぞ!」


 引っ張られてリビングに行ってみると、窓に打ち付けられていた板が壊されていた。


「え、ここ、開いてたのか!?」

「今ぶっ壊したんだよォ! ボーッとしやがって……大丈夫かァ、オイ!?」


 そんな音も声も聞こえなかったからびっくりしたけど、逃げられるってわかったら体が勝手に動いた。

 他の友達はみんな外に出ていて、俺が最後になった。

 外へ出ても相変わらず、無機質な笑い声は家の中から聞こえていた。


 俺たちは空き家から脱出すると、すぐに救急車を呼んだ。村田は相変わらず笑いっぱなしで、そのまま救急車で病院に運ばれていった。

 神宮寺は真っ青で、村田がおかしくなってどうしようとか、あの家に勝手に入ったから、とか泣きそうになっていた。正直、本当に申し訳ないと思う。


 ところが、夜が明けるとすぐに村田は帰ってきた。ケガもなくピンピンしていて、昨日の夜のことは家に入った後は何も覚えていないようだった。

 そして村田と一緒に、地元のおじさんや消防団の人たち、それにお坊さんがやってきた。その人たちは別荘のリビングに俺たちを集めると、ことのあらましを説明し始めた。


 俺たちが昨日、空き家で出会ったのは、『ひょうせ』というあの土地特有の妖怪らしい。

 滅多に姿を見せないが、稀に妊婦や不妊の夫婦がいる家の屋根に現れて、笑い声を上げるらしい。そうすると、妊婦は安産になり、不妊の夫婦は子宝に恵まれるという、縁起の良い存在だそうだ。

 じゃあそんなに怖がる必要は無かったんだな、と思ったら、おじさんが言った。


「でもなあ。たまに子供に取り憑いて殺してしまう事があるんだよ」

「ハァ?」

「何それ怖い」

「クソ妖怪じゃん退治しろよ」


 俺たちは口々に文句を言った。おじさんは数十年に一度ぐらいの話だって言い訳してたけど、1回でも殺ってる以上、利益があるからって野放しにするのは良くないと思う。第一、襲われる身にもなってみろってんだ。

 殴り掛かりそうな剣幕の俺たちに対して、お坊さんが助かる方法があると説明してくれた。

 最初に『ひょうせ』が現れた場所、すなわち、あの空き家に祠を作って奉れば、殺されるのを防ぐことができるらしい。

 ならさっさとやってくださいよ、って事で、早速空き家で儀式を行うことになった。空き家をしめ縄で囲んで、お坊さんが呪文を読み上げたり、祭壇を作ってお供え物をしたり、いろいろやってた。


 終わった頃には、俺たちはすっかりくたびれちまってた。お坊さんが、これで儀式が終わったって言うと、気が楽になったよ。もう怖い思いをしなくて済むんだって。

 儀式が終わると、明日の朝イチで帰ることになった。本当はすぐにでも帰りたかったんだけど、儀式が遅くなったて帰りの電車が無くなってたからな。それに、儀式は終わったからもう『ひょうせ』は出ない、大丈夫だって、油断してた。


 ああ、油断だ。何も終わっちゃいなかったんだよ。

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