サメ(3)

 サメが迫る。大きく開いた口は地獄に繋がっている。

 チェーンソーを突き出す。ギザギザの刃と歯と衝突し、甲高い音を立てる。


「ぬああっ!」


 突っ込んでくるサメの質量を、横に逸らす。サメは回転しながら飛んでいく。


「……あー、クソッ!」


 砂浜。足腰が安定しない。

 サメ。デカすぎる。パワー負けしてる。

 牙。チェーンソーの刃を軽々と弾き返す。


 総合すると、勝ち目がない。カッコつけて殿しんがりを引き受けたことを、早速後悔したくなる。

 だけどやるしかない。メリーさんたちは店に入ったところだ。これからプロパンガスを取り外して、それから……。


「おっとおっ!?」


 飛んできたサメの顎を避ける。サメは手裏剣めいて回転しながら海の方へ飛んでいく。水上バイクに乗っていた男が不幸にも直撃を受けて血煙になった。うだうだ考えてる場合じゃない。集中しないとアイツと同じ肉塊になっちまう。


「よっしゃ来い!」


 腰を落としてチェーンソーを構え、サメが潜った海に向かって叫ぶ。

 ……来ない。


「こーい……」


 気合を入れた途端にこれか。流石野生動物、人間の思い通りには動いてくれないか。

 足の裏で揺れを感じた。嫌な予感がして振り返る。すぐ側の砂から、突然三角形の背ビレが突き出した。

 いつの間に後ろに!? まさか、海底から砂浜に潜り込んできたっていうのか! 頭いい!


「ッ!」


 とっさに足元の地面へとチェーンソーを振り下ろす。同時に、地面が吹き飛んで巨大なサメの顎が姿を現した。サメが跳ね上がった衝撃で体が浮く。砂浜が遠ざかる。逆にサメは迫ってくる。なんだこのバカみたいな構図。

 振り下ろしたチェーンソーが、サメの前歯を食い止める。押される。踏ん張れない。腕を突っ張る。更に高く持ち上げられる。

 いや、高い高い高い! これそのまま落ちたら死……。

 サメが俺を振り払った。


「うおあああああっ!?」


 高高度から斜め下へ直滑降。落下地点は防波堤上の道路、最悪なことに、黒塗りの高級車が走っている。

 覚悟を決めてチェーンソーを投げ捨て、両腕で頭を守る。対ショック姿勢。後は祈るしかないか、と考えた時に、全身に衝撃。意識が飛んだ。



――



 痛え!


「がはっ……!?」


 腕と背中全面が痛い。吐き気もする。

 顔を上げると、スーツの男たちが俺を取り囲んで見下ろしている。


「なっ、なんなんだお前は!?」

「どこから飛んできた!?」


 なんだか慌てふためいている。どうしたんだろう。あ、後ろにサメが飛んでる。 

 ……サメ?

 やっべえ!


「うわっ!?」


 とっさに地面にへばりついて、頭を下げる。直後、体の上を暴風が駆け抜け、バリバリと嫌な音がした。生暖かい液体が背中に降り注ぐ。

 風が収まった。顔を上げると、さっきまで俺を取り囲んでいた人たちは、膝から下を残して無くなっていた。アスファルトに水溜りならぬ血溜まりができている。振り返ると、空を飛ぶサメの口から、鮮血が滝のように滴っていた。

 空飛ぶサメは空中で方向転換、またしてもこっちに向かってくる。マズい。今度こそ俺を狙ってきている。


 痛む体を引き起こして、近くの車に潜り込む。ドアが大きく凹んでいた。ここにぶつかって、それでさっきの人たちが驚いて降りてきたのか。

 車が大きく揺れた。サメが横から衝突し、噛み付いてきていた。車体がメキメキと音を立てて、少しずつ歪み始める。


「うわああああっ!?」


 おい、車まで食べる気かこのサメは!?

 逃げないと、と思うけど体が上手く動かない。全身が痛い。特に背中が。いやそれ以前に、車のすぐ外に殺人フライングシャークがいるっていうのにどこに逃げろっていうんだ?

 ……あれ、詰んだか、俺?


「チェストォォォッ!」


 掛け声が轟いたかと思うと、サメが吹っ飛ばされた。

 横合いから突っ込んできてサメに日本刀を叩き込んだのは……スイカ割りで急に出てきたオッサン!?


「どうしてここに!?」

「困っとるモン助けるは女々めめか?」


 オッサンは、助けて当然、といった誇らしげな顔をしていた。やだ、誰だか知らないけどかっこいい……!


「待たせたわね、翡翠!」


 メリーさんの声が聞こえた。見ると、チェーンソーを携えたメリーさんとスピアガンを構えた雁金が、プロパンガスを担いだ店長を先導していた。


「できたのか!」

「ああ! ……なんで市長の車に君が乗ってるんだ?」


 店長に訊かれたので、俺は道路に転がっている足を指差した。それで店長は察してくれたようで、それ以上言及せずにサメを見上げた。


「後はこいつをどう食らわせるか……」


 サメは飛んでいる。地上で爆発させても意味がない。だからといってガスボンベを投げつけるわけにはいかない。頭に当たって落ちるか、尻尾で打ち返されてこっちが爆死する。確実に咥えさせるか、呑み込ませる必要がある。

 確実に、咥えさせる?


「……店長!」

「なんだ!?」

「後ろに積め! あと、ガソリンタンクの蓋を空けてくれ!」


 乗っている車の後部座席を指差す。俺の意図に気付いた店長は、頷くと後部座席にガスボンベを放り込み、ガス栓を開放した。反対側ではチェストおじさんがタンクの蓋をチェストした。


「来るわよ!」


 メリーさんが叫んだ。サメが高度を下げ、俺達の方に一直線に向かってくる。


「よおし……!」


 エンジンは掛かっている。初めて乗る車だが、操作は問題ない。高級車だけど、重機でもなんでもないただのMT車だ。難しく考える必要はない。アクセルを踏み込んで、ギアを上げつつ真っ直ぐ進めばいい。

 覚悟は決まった。


「行くぞおおおっ!」


 アクセルを踏み込む。車が加速する。サメとの距離が一気に縮まる。このまま突っ込めばボンネットが口に突っ込む。そうすると逃げられないし、ガスボンベがある後部座席も遠い。

 だから、ハンドルを切る!

 車体が大きく右を向く。その途中でサイドブレーキをかけ、タイヤをロック! 車体がほぼ真横になった状態で、サメに向かって真っ直ぐに突っ込んでいく!

 刮目しろ、フライング・シャーク! お前のクソCGみたいな動きとは違う、本物のドリフトだ!


 衝撃。助手席側の窓ガラスにひびが入る。サメは横向きになった車を咥えていた。よぉっし、狙い通り!

 シートベルトを外し、ドアを開けて車から飛び降りる。フロントガラスにヒビが入った。サメが車を噛み潰そうとしている。痛む体に鞭打って、必死に走って車から離れる。


「ありがとうございます、先輩!」


 雁金が叫んだ。あいつは膝立ちになってスピアガンを構えていた。穂先はサメをしっかり狙っている。

 そしてメリーさんが、セットされた銛に向かって、恐る恐るといった様子でチェーンソーを向けている。


「大丈夫なの!? 本当に大丈夫なの!?」

「はい! やっちゃってください!」


 やがて、意を決したメリーさんが、チェーンソーの刃を銛に当てた。すると、火花が飛び散って、装填された銛が炎に包まれた!


「うえっ!?」


 なんだ、銛に油を塗って火矢にしたのか!? なんて事しやがる!

 雁金は燃える矢にもビビらず、狙いを定める。穂先は、サメが咥える車、その後部座席を狙っている。


「くたばれバケモノ!」


 雁金が叫び、引き金を引いた。火矢が発射される。燃え盛る炎の一撃は、開いた窓から後部座席にに吸い込まれ、その中に充満するガスと、タンクに詰め込まれたガソリンと苛烈な燃焼反応を起こし――。


 爆発した。


「うおおおおおっ!?」


 轟音。衝撃。吹き飛んだサメの血肉が、暴風雨のごとく吹き付ける。雁金とメリーさんが吹き飛ばされ、スイカ割りのオッサンがひっくり返る。俺もあまりの勢いに顔を腕で覆った。

 爆風が止んだ。恐る恐る顔を上げる。巨大なサメは、アスファルトに血のシミを残して、跡形もなく消し飛んでいた。

 ……いや、跡形はあった。あっちこっちにサメの肉片が飛び散っているし、俺たちの体はサメの血塗れだ。臭い。そもそもちょっと遠くを見てみれば、爆発で吹き飛ばされたらしいサメの頭が砂浜に転がっている。

 裏を返せば、確かにサメが死んだということだ。爆風に紛れて逃げ出したわけでも、水落ちして後々のシーズンで出てくるわけでも、ましてや異世界に転生したわけでもない。

 凶暴なサメの怪異は滅ぼされたんだ。


「勝ったんだ……俺たちは、邪悪なサメに勝ったんだ!」

「ああ……だが、これで終わりとは思えない」


 店主が急に不吉なことを言いだした。やめてくれよ、これで完結でいいだろ!?


「第2、第3のサメが現れるかもしれない……」


 2への布石を張るんじゃあない!

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