サメ(2)

 サメ。映画で見たことがある。ギザギザの歯と三角形の背ビレを持った、巨大人食い魚だ。

 それが今、目の前の海にいる。映画じゃない。現実だ。なんで? ここ日本だぞ? アメリカじゃないんだぞ?

 呆然としている俺の前で、サメが海面から飛び出して、空高くジャンプした。そして、落下地点で泳いでいた水着の美女をパクリと食べた。

 思わず、叫んだ。


「サメだああああっ!?」


 海岸は瞬く間にパニックになった。何しろ人食いサメだ。次に誰が狙われるかわからない。みんな慌てて海から離れていく。


「私たちも逃げないと!」

「そ、そうだな!」


 俺たちもボーッとしてる場合じゃない。さっさと逃げないと。


「いや、ちょっと待ちなさいよ」


 しかしメリーさんが呼び止めた。


「サメだったら、ここにいれば大丈夫でしょう? 魚でしょ?」

「あ」


 言われてみればその通りだ。海の魚なんだから、陸上にいれば襲ってこれない。当たり前だ。


 そのはず、だったんだが。


「ぎゃああーっ!?」


 砂浜の一角で悲鳴と血飛沫が上がった。サーファーの上半身がくるくると宙を待っている。


「サメよーっ!」


 また悲鳴があがった。だが、場所がおかしい。そこはフェス会場。波打ち際から大分離れた場所だ。そんな所にサメが上がっていけるはずがない、と思ったが、とんでもないものを見た。

 フェス会場の人混みの中から、砂と血飛沫と人間のパーツを巻き上げながら、巨大なサメが飛び上がった。サメは空中で誰かを咀嚼し、落下して再び砂と肉片を巻き上げた。


「サメが砂に潜ってます!」

「違う、砂浜を泳いでるんだ!」


 雁金の言葉を海の家の店主が訂正した。いや、それは確かにそうなんだけど……何事!?


「ひょっとして……あれ、怪異なの!?」

「ハァ!?」


 メリーさんがとんでもないことを言い出した。


「待て、怪異って妖怪とか幽霊とか怖い話とか、そういうのじゃないのか!?」

「そういうのよ!」

「じゃあ怪異じゃないだろ!」

「でも、そうでもしないとありえないじゃない! 飛んでるし!」

「飛んで……えっ?」


 振り向く。サメが砂浜の上を飛んでる。


「飛んでるぅ!?」


 というか、浮きながら滑っている。出来の悪いCG合成みたいだ。でも襲われた金髪の美女はVFXじゃなくて本当に死んでるからたまったもんじゃない。

 しかも、動きにスピード感が無さすぎて気付かなかったが、飛ぶサメはこの海の家へ向かってきている。ヤバい。


「逃げろぉ!」


 たちまち辺りは大パニックになった。客たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。

 俺たちもさっさと店を出た。とにかく砂浜から離れないと。海と反対側、防波堤の方へ走る。防波堤の上に続く階段は、俺達と同じように逃げている海水浴客たちでごった返していた。

 大渋滞じゃねえか! これじゃあ登れない!

 振り返る。案の定、サメはこっちに向かってきている。速い。このままだと全員まとめて餌食にされるだろう。


「しょうがねえ……!」


 近くにあったパラソルを手に取り、槍のように構える。向かってくるサメに対して穂先を突き出す。


「来いやぁぁぁっ!」


 腰を深く落とし、雄叫びを上げる。衝撃に備える。上手く行けば串刺しだ。

 だが、サメはぶつかる直前で華麗にカーブ。ドリフトして別方向に飛んでいった。進路上にいた不幸なカップルがまとめて食われた。

 ひとまず助かったか。呆然としながら、俺はパラソルを下ろして呟いた。


「なんだよあれ……」

「『サメ』だ」


 返事をしたのは、オールを担いだ外国人。さっきの海の家の店長だ。


「いや、サメって空飛ぶんですか?」

「普通は飛ばない」

「でしょう?」

「そもそも人だって滅多に襲わないし、あんな簡単に人を殺せない。この10年でサメに襲われたのは全世界で800人程度だが、死んだのは50人程度、7%くらいだ。事故で溺れ死んだ人間のほうがよっぽど多い」


 説明しながら、店長は海の家へ歩いていく。防波堤の階段はまだパニック状態だ。建物に隠れた方が安全かもしれないと思い、俺は店長についていくことにした。


「じゃああれは、普通のサメじゃないんですか?」

「ああ。砂浜を泳ぎ、空を飛び、吼え、人を簡単に食い千切る、根も葉もない噂が力を持ち、サメの姿をとった存在。俺はアイツを『ジョーズロア』と呼んでいる」

「『ジョーズロア』」


 急にクソ映画の臭いがしてきたぞ。


「いや……なんでサメにそんなトンチキな噂が流れてるんですか?」


 俺の問いに、店長は怒ったような声で答えた。


「何故かって? 全部君たちの責任だよ!」

「ええ……」


 身に覚えがない。


「とにかく俺は、ヤツを退治するためにこの場所に来たんだ。現れた以上、必ず仕留める」

「どうやって?」


 すると店長は、海の家の裏手にあった車のトランクを開けた。そしてその中にあったものを引っ張り出した。


「こいつを使う」


 トランクの中から現れたのはチェーンソーだった。

 ……いつも通りじゃねえか!


「君たちは安全な場所に避難しろ!」


 そう言うと、店長はチェーンソーのエンジンを掛け、サメへ向かって走っていった。


「先輩!」


 店長と入れ替わりに雁金とメリーさんが駆け寄ってきた。


「お前ら、無事だったか」

「あなたこそ! っていうか何こんな所でボケーっとしてるのよ、バカ!」

「すまん。あの人に助けられてな……」


 遠くの方では店長とサメが戦い始めた。チェーンソー1本で空を水平移動するサメと戦っている。だが、押され気味だ。サメがデカすぎる。


「……助けに行きませんか、先輩?」


 雁金が声をかけてきた。店長が心配なんだろう。気持ちはわかる。わかるんだが。


「武器が無いとなあ……」


 今は海水浴中だ。チェーンソーもショットガンも無い。その辺の木材程度で倒せるとも思えない。

 すると、メリーさんが言った。


「あるじゃない」

「え?」

「ほら、この中」


 メリーさんが店長の車のトランクの中に頭を突っ込む。何やらゴソゴソと探った後、頭を出すと、その手にはチェーンソーが握られていた。


「うおっ」

「ほら。他にもいろいろあるわよ?」


 メリーさんに続いて、トランクの中を覗き込んでみる。

 すげえ。チェーンソーに銛、斧、バールのようなもの、スピアガン、日本刀、角材と、現代日本でギリギリ合法レベルの武器が一通り揃っている。


「こいつはすげえ……! お前ら、借りてくぞ!」

「はい、先輩!」

「私は自分のチェーンソーがあるから」


 そういう訳で、俺はチェーンソーを、雁金はスピアガンを、そしてメリーさんは自分のチェーンソーを手に取った。


「よっしゃあ! 行くぞォ!」


 武器さえあれば怖いものなんて無い。俺たちは意気揚々と砂浜に繰り出した。

 店長は未だにサメに有効打を与えられていない。一流のチェーンソー捌きだが、サメ肌に刃が弾き返されている。どんだけ硬いんだよ!?


「加勢するぞ、店長!」

「なっ……危険だ、下がれ!」


 そこにサメが飛びかかってくる。俺と店長はチェーンソーを掲げて、サメの牙を受け止める。デカい。重い。だけど、耐えられない程じゃない。


「おらっしゃあっ!」


 力任せにサメを押し返した。サメが砂浜をツチノコめいてゴロゴロ転がっていく。そこへ雁金がスピアガンを発射。太い銛が腹に当たった。突き刺さりはしなかったが、衝撃にサメが少し怯んだ。


「どうだ店長、頼ってくれても構わないぜ?」

「ああ……なら頼む!」


 俺たちはそれぞれの武器を構える。サメは起き上がると、俺たちを睨みつけて怒りの咆哮をあげた。


「来るぞッ!」


 サメが空中を突進してくる。それに対して雁金が先制のスピアガンを撃つ。しかし、サメは砂浜に飛び込んで銛を避けた。

 黒い三角形の背ビレが砂浜を切り裂きながら迫ってくる! 向かう先は、メリーさん!


「メリーさん避けろ!」


 メリーさんは真横へ走って、突進する背ビレと軸をずらした。直後、砂の下からサメが飛び上がり、さっきまでメリーさんがいた空間を食いちぎった。

 がら空きになったサメの横腹にチェーンソーを突き出す。しかし回転刃はサメ肌に弾かれた。キックバックで跳ね返ろうとする刃を、筋力で押さえつける。あっぶねえ、弾かれるとは思わなかった!

 サメは砂浜をドリフト、180度回転して俺に噛み付いてきた。後ろに跳んで顎を避ける。目の前でサメの牙が、ガチン、と音を立てた。捕まったら真っ二つ間違いなしだ。


「このぉっ!」


 メリーさんがサメの鼻面に斬りかかる。だがサメはギザギザの歯でチェーンソーの刃を受け止めた。更に首を振るって、メリーさんを弾き飛ばす。


「きゃっ!?」

「ちいっ!」


 追撃。それを、横合いからチェーンソーを差し込んで牽制する。そこに店長と雁金が攻撃するが、やっぱり歯が立たない。火力不足だ!


「店長! 他に武器は無いんですか!? 銃とか、爆弾とか!」

「そんなもの……いや、ある!」

「あんの!?」

「店のプロパンガスだ! あれを爆発させる!」


 なるほど、爆発オチか! そりゃ効くだろうけど……。店まで少し距離がある。ここから戻るまでの間にサメに襲われるだろう。

 ……しょうがない。


「よーし、わかった! 雁金! メリーさん! 店長を手伝ってくれ! 俺が殿しんがりになる!」

「大丈夫なの!?」


 メリーさんに向けて力強く頷く。


「ああ! 防ぐだけならなんとかなる! 瞬間移動したり、ビームを撃ってくるわけじゃないからな!」

「サメってビーム撃つの!?」

「……まあ、モノによっては!」


 コイツは撃たないだろ、多分。

 店長は少し逡巡していたが、意を決したように頷いた。


「わかった、頼む! すぐに戻る!」

「気を付けてくださいね、先輩!」


 店長と雁金が海の家に向かって駆け出す。メリーさんはまだ何か言いたげだったが、ふたりの後を追って走っていった。


「……さあて」


 チェーンソーを構えて、サメに向き直る。巨大なサメが俺を正面から睨み、咆哮する。サメが吼えるとか意味わからんけど、この迫力は本物だ。

 だけどビビッてはいられない。腰を落としてしっかり足を踏みしめて、サメに向かって吼え返した。


「遊ぼうぜ、サメ野郎!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る