シーズン2

サメ(1)

 青い空。白い砂浜。どこまでも広がる海。絵に描いたようなビーチが広がっている。


「うみー!」


 隣でメリーさんがはしゃいでいる。


「海ですねえ」


 更にその隣では、雁金がのんびりと笑っている。


「そうだな」


 俺たちは神奈川県のビーチに来ていた。この前の千波町で、メリーさんが海で遊べなかったことへの埋め合わせだ。雁金がいるのは、俺とメリーさんだけだと確実に捕まるからだ。俺が。


「翡翠! 早く! パラソル! 海! ビーチ!」

「わかったから落ち着け。場所は……あの辺でいいか」


 ビーチはそこそこ混んでいるが、満員という程ではない。レジャーシートを敷いて場所を取る。


「それじゃあ私たちは着替えてきますね」

「早く行くわよ!」

「おう」


 メリーさんと雁金は近くの更衣室へ着替えに行った。その間、俺はパラソルを立て、クーラーボックスを降ろした。そして、メリーさんの浮き輪を手押しポンプで膨らませつつ荷物番をする。


「お待たせしましたー」


 しばらくすると2人が帰ってきた。

 メリーさんが着てきたのは花柄のワンピース型の水着だ。腰の辺りにはフリルがついていて、スカートのようにも見える。頭はいつもの白いつば広帽子を取って、長い金髪を後ろで纏めている。それに、水泳ゴーグルをつけていた

 雁金は青いビキニの水着だった。上のビキニの生地はへその上辺りまで伸びている。下は半ズボンみたいなデザインだ。上に白いパーカーも羽織っているから、パッと見普通の服っぽい。


「どう? 似合ってるでしょ?」

「あー、うん。似合ってる似合ってる」


 メリーさんが聞いてきたの、おだてておく。するとメリーさんはご機嫌そうに笑った。喜んでくれるならそれでいい。今日はメリーさんの接待のために来たんだし。

 しかしまあ、ふんわりしたドレスを脱いで、大きな帽子を取って、長い髪を纏めたら、メリーさんは本当に小さく見える。いや、今までが大きく見えてただけか。あんな小さいのにチェーンソーを振り回すんだから、妖怪っていうのは本当に不思議だ。


「先輩、浮き輪は準備できましたか?」

「おう、大丈夫だ」


 雁金に浮き輪を掲げてみせる。するとメリーさんは目を輝かせて、俺の手から浮き輪を受け取った。


「泳ぐ!」

「気をつけろよ」


 メリーさんは砂浜を駆けて海に飛び込んでいった。バシャバシャと水を跳ね上げて、楽しそうに遊んでいる。後は満足するまで見守っていればいいだろう。


「じゃあ、先輩。いってらっしゃい」


 雁金が話しかけてきた。


「え?」

「え、着替えないんですか?」

「いや、俺は……」


 水着は一応持ってきているが、海に入ろうとは思ってなかった。メリーさんが遊ぶだけなんだから、別にいいだろ?


「多分、一緒に遊ばないとメリーさんは満足しないと思いますよ?」

「むう……」

「翡翠ー! あなたもこっちで遊びなさいよー!」


 うわ、本当に呼んできた。こりゃ一緒に遊んでやらないといけないか。


「着替えてくるからちょっと待ってろ! ……そういう訳で、雁金、荷物頼む」

「はい!」


 俺はパラソルの下から出て、海の家の裏にある更衣室に入った。バッグから水着を取り出す。九州に行く前に一応買っておいた、黄緑と青のグラデーションの、ハーフパンツ型水着だ。

 ……泳げるだろうか。そんな不安が胸をよぎる。ずっと山で生活していたし、プールにも行っていない。多分無理だ。なんとかメリーさんには浅瀬で満足してもらうしかない。あるいは雁金に遊ばせるか。

 水着に着替え、服をロッカーに放り込む。着替えていると、どこからか話し声が聞こえてきた。


「ですから市長、そろそろ対策を……」

「わかってる、わかってる。だから哨戒ボートを出しているんだろう?」


 上の窓の隙間から聞こえてくる。海の家の裏で誰かが話してるみたいだ。


「あんなのじゃダメだ。もっと大きなボートが必要だ。それにサメが見つかるまでは、遊泳禁止にした方が……」

「それはいかんぞ、君。客が来なくなるではないか! 今が稼ぎ時なのだぞ!」


 サメ。サメって、あの人を食う魚のサメか? え、いるの、ここに?


「大体、沖合にネットを設置しているんだ。サメが入ってこれる訳がなかろう」

「しかし……」

「話は終わりだ。私はこれからフェスの挨拶をせねばならん。忙しいのだ、帰りたまえ」


 窓の外の会話はそれっきりで終わってしまった。大丈夫なのかよ……メリーさんが満足したら早めに逃げたほうがいいかもしれない。


 着替え終わると俺はパラソルに戻った。海に目をやると、メリーさんと雁金が浅いところで泳いで遊んでいた。金髪がよく目立って探しやすい。


「おーい」


 声をかけ、 2人に近付く。腰の辺りが水に浸かる。俺に気付いた2人は顔を見合わせて、それからこっちに向かって水をかけてきた。


「「それーっ!」」

「うおっ!?」


 水が!? しょっぱあい!


「やったなこの野郎!」


 反撃だ! 腕を海に沈めて、思いっきり振り上げる。爆発みたいな水飛沫がメリーさんと雁金に降り掛かった。


「きゃーっ!」

「ぷわぁっ!? やったわね!」


 雁金は顔を覆い、メリーさんは果敢に反撃してくる。俺たち3人は水の掛け合いになった。

 しかし、最初はびっくりしたけど、落ち着いてみたら水の量はそれほどでもない。メリーさん相手に手加減するくらいの余裕はできた。


「雁金! 手貸して!」

「はいっ!」


 メリーさんもそれを感じ取ったのか、雁金の手を掴むと背中を向けて、バタ足で水を掛けてきた!


「うおおっ!?」


 これは流石にキツい!


「っていうか反則だろ!」

「ハンデよハンデ!」


 メリーさん、悪びれない。雁金も楽しそうに笑ってやがる。その顔に水を掬って、思いっきり叩きつけてやった。


「わぴゃあっ!?」

「あっ、もがっ!?」


 雁金の手元が狂って、メリーさんが頭から海に突っ込んだ。ざまあみろだ。


――


「スイカ割り!」


 メリーさんのやってみたかったシリーズ、第1弾。

 目隠しをしてその場で回って、掛け声を頼りに砂浜に置かれたスイカを叩き割る。そういう遊びだ。


「やるわよ! 一発で叩き割ってあげるんだから!」


 その辺の木の棒を額につけて、メリーさんはその場をグルグルと回る。張り切っている。

 そしてメリーさんは棒から額を放して回るのを止めた。すると、物凄い勢いでフラフラとすっ飛んでいき、近くの家族連れのパラソルに突っ込んでいった。


「あーッ!?」


 目が回ってるじゃねえかよ! ごめんなさい!


――


「回り過ぎだからな。俺が手本を見せるから、次はちゃんとそうやるんだぞ」

「はーい……」


 隣の家族に謝った後、今度は俺がスイカ割りの手本を見せることになった。

 いや、実は俺もやったことはないんだけど。まあ、常識的な範囲で回ればいいだろ。

 目隠しをして、3,4回回って、棒を構える。よし、これなら大丈夫だろ。ジリジリと前に進んでいく。


「もっと前よ翡翠!」

「左! 左です先輩!」


 メリーさんと雁金が声をかけてくる。それに従って歩を進める。


「曲がるなー! そのまままっすぐ!」

「違う違う右だ! 右に行けー!」


 おい関係ないオッサンが混じってないか。


「先輩、通り過ぎてます!」

「志村後ろー!」

「バカヤロウお前俺は勝つぞこの野郎!」

「ちくわ大明神」

「誰だ今の」


 ギャラリーが……ギャラリーが多い……!


「そこだ行けー!」


 その声に、思わず木の棒を振り下ろしてしまった。手応えはなく、棒は砂浜をぺちんと叩いた。


「あーあ」

「ガッカリだわホンマ」


 うるせえよそもそも誰だお前ら!?


――


「よーし、俺が手本を見せちゃる」


 そう言って木の棒を手に取ったのは……誰!?


「いけー!」

「左だ左ー!」


 知らない人たちがスイカ割りに参戦している。皆そんなに暇なのか? 貴重な海水浴だぞよく考えろ。


「もうちょい右、もうちょい右!」

「そこよ、やっちゃいなさい!」

「チェストォォォッ!!」


 オッサンは裂帛の気合と共に木の棒を振り下ろした。棒は寸分違わずスイカを捉え――。


「折れたぁ!?」


 折れた。

 ……砂浜に落ちてた棒だったからなー。中身が腐ってたか。


――


 結局スイカは海の家に持ち込んで、包丁を借りることになった。店主の外国人は快くキッチンを貸してくれた。なんかすみません本当に。

 そして切ったスイカは、俺とメリーさんと雁金と、集まったギャラリー10人ほどに分けることになった。なんでこんなに集まってるの?


「面白そうだったんじゃない?」


 そう言いながらメリーさんはスイカにかぶり付いている。メリーさんが食べるには丁度いいサイズのスイカだ。……3人で1玉は多すぎるから、ギャラリーが集まったのは不幸中の幸いだったのかもしれない。

 海をぼんやり眺めながらスイカをかじっていると、少し離れたところに人だかりができているのが見えた。ビーチに設置されたステージに人が集まっているらしい。ざわめきに混じって音楽が聞こえてくる。


「ライブでもやってんのか?」

「みたいですねえ」


 俺の声で、雁金もステージに気付いたようだ。


「あ、そういえばホームページにありました。なんかライブをやるって」

「ふーん。バンドか?」

「はい。市長さんも来るみたいですけど」

「ってことはそこそこ有名な……」


 バンドか、と言いかけて、不意にビーチが騒がしくなったのに気付いた。その辺りで泳いでいた人たちが、急に海から上がって砂浜へと駆け上がっていく。なんだか大きな声を上げて――いや、悲鳴?


「おい、まさか……」


 海の家の店長が意味深に呟いた。どうしたんだ、と聞こうとしたが、その質問は女の叫び声に掻き消された。


「サメよーッ!」


 思わず海を見た。波間に、あの黒い三角形の背ビレが突き立っているのが、ハッキリと見えた。

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