逆さの樵面(2)

 『千羽神楽』の夜がやってきた。

 街の中心にある千羽神社。その敷地に舞台が造られ、篝火が焚かれている。一般客はいない。神楽を見守るのは4つの名家の人たちと、火熊さんが連れてきたその筋の人たちだけだ。万が一"樵"が暴れた場合、被害をできるだけ少なくするためらしい。


 俺たち4人の準備は万端だ。


 "火荒神"の鍋島。

 "山神"のメリーさん。

 "萩"の高橋さん。

 "樵"の俺。


 全員、それぞれの衣装に着替えて舞台裏に集まっていた。


「よし、いよいよ本番だ」


 鍋島が緊張した面持ちで呟く。無理もない。100年前に死者を出した、いわくつきの呪いの神楽だ。

 練習したのは3日間だけ。内容は覚えたが、これで本当に呪いが鎮まるんだろうか。まだちょっと不安だ。


「いいか、練習の成果を思い出せ。あんなに頑張ったんだ、俺達にできないはずがない。いや、練習したのは3日間だけだが、密度っていう意味でだな……」

「落ち着け、落ち着け。そんなに固まってちゃ踊れないぞ?」

「おわっふ」


 高橋さんが鍋島の肩を揉みほぐす。何か面白い声が聞こえた。


「まあ、大丈夫でしょ。最後の合わせでも、皆ミス無くできたんだし。あの調子を思い出せば、上手くいくわよ」


 メリーさんが言う。確かに、さっき上手くいったなら、その通りにやればいいだけの話だ。何もぶっつけ本番って訳じゃない。そう考えると、少し気が楽になった。


「よ、よし、わかった。それじゃあ……」


 鍋島が手を前に出した。


「何だ?」

「円陣だよ、円陣。やるものだろう、こういうのは?」


 あれか。行くぞー、オー、って奴か。甲子園みたいだ。でもまあ、やる気を出すには丁度いいか。

 俺と高橋さん、そしてメリーさんは鍋島に手を重ねた。


「外に集まってるから、小さな声でな」

「わかった」

「行くぞッ!」

「「「応ッ!」」」


 手を解いて、俺たちは舞台袖に待機した。外から和楽器の音楽が聞こえてくる。いよいよ始まりだ。

 舞台袖で待っていた強面の人から"樵"の面を受け取る。練習の時に使った仮のものとは違う、本物の"樵"の面だ。白い面にいくつもの穴が空いた、のっぺりとした仮面。土谷さんの屋敷の柱に打ち付けられていたものに違いない。

 ……やっぱりホッケーマスクじゃないのか、これ? 触った質感が思いっきりプラスチックなんだけど。


 舞台から拍手が聞こえた。袖から覗くと、"火荒神"の仮面を被った鍋島が中央で舞っていた。主人公の勇ましさを紹介する場面だ。

 俺は"樵"の面を被った。大きすぎず、小さすぎず、ぴったりと顔に収まった。頭の後ろで紐を結んで固定する。

 ……うん、大丈夫だ。被った瞬間おかしくなるとか、そういう事はない。面を渡してくれた強面の人に向かって親指を立てると、ホッとした様子だった。多分、俺がおかしくなったらぶん殴って止めろとか、そういう話だったんだろう。


 舞台の上には2人目が上がっていた。"山姫"のメリーさんだ。十二単みたいな重い着物を纏って、ゆっくりと動いている。"火荒神"がそれに合わせて踊る。

 物語としては、"火荒神"と"山姫"の出会いを描いた場面になる。ここで2人は一旦仲良くなるんだけど、そこに割って入るのが俺だ。

 曲調が変わる。それを合図に、小道具の斧を振り回しながら舞台に上がる。"火荒神"と"山姫"の間に割って入り、思いっきり睨みつけてやる。この娘に近寄るな、って感じで。

 そして、"山姫"の手を引いて舞台袖に戻る。観客から見えない所まで来ると、俺とメリーさんは大きく息を吐いた。


「大丈夫?」

「大丈夫だ」


 正気だ。変な妖怪が見えたとかいうこともない。上手くいってる。

 舞台の上には"萩"の高橋さんが上がっていた。"山姫"を救い出すために、"火荒神"に作戦を伝えるシーンだ。

 実際には踊ってるだけだから、どんな作戦なのかはわからない。確かなのは、この後のクライマックスで"樵"が倒され、"火荒神"と"山姫"が共に舞う、ということだ。要するに、結婚したってことなんだろう。


 ……なんだろうな、モヤモヤする。お芝居とはいえメリーさんが他の男と結婚するのが気に食わない。俺のタイプは俺より背の高い人なんだけどな。

 何で気になってるんだろうか。やっぱり、俺が"樵"の役だからか? 話の展開的に、"山姫"に先に会ったのは"樵"のはずだ。好きになっててもおかしくはない。それを"火荒神"に横取りされて……。

 違う。それも何かしっくりこない。"樵"の舞を間違えて呪いが起こるなら、正しいストーリーは"樵"も納得する展開のはずだ。


「……そろそろよ」


 メリーさんに腕を突かれて我に返った。もうクライマックスか。面のズレを直し、斧を握って、メリーさんと、違う、"山姫"と並んで舞台に上がる。刀を持った"火荒神"と"萩"が待ち構えている。

 いよいよクライマックスだ。4人による大立ち回り。"樵"は"山姫"を守りつつ、斧を振り回す。

 盛り上がりつつも、同時に緊張がみなぎる。ここが問題のシーンだ。100年前の神楽の"樵"役は、このシーンで"萩"を斬り殺している。

 だが、今回の相手は鍋島と高橋さん、それにメリーさんだ。俺が本気で暴れても返り討ちにされるだろう。仮に3人を倒しても、火熊さんとその筋の人達による第2ラウンドが始まる。普通に死ぬ。


 幸い、平常心のまま神楽を踊れている。"火荒神"と"萩"に挟み撃ちにされるが、山に住む鬼である"樵"は一歩も引かない。めちゃめちゃ強い。だが、現実には"萩"の作戦が上手く行ったのだろう。ここで"樵"は2人に倒される。そういう筋書きだ。

 "火荒神"と"萩"が1歩踏み込んでくる。後は2人が"樵"を斬る真似をすれば、俺の出番はおしまいだ。良かった、無事に終わりそうだ。

 "萩"が更に1歩前に出た。……ちょっと待て、違う。その距離だと。

 "萩"が刀を振り上げた。間合いの中。違う。斬られたのは"萩"の方で――。


『――違う』


 狂っていたのは、"萩"だったのか!

 高橋さん、いや、"萩"が刀を振り下ろした。俺は真後ろに転がるように飛び退った。振り下ろされた刃が舞台の床板に叩きつけられる。観客席から悲鳴が上がった。


「高橋さん!?」


 "火荒神"、いや、鍋島が叫んで止めようとする。しかし"萩"が刀を横薙ぎに振るったので、鍋島は慌てて下がった。

 "萩"が鋭くこっちに踏み込んでくる。俺は更に後ろに下がるが、なおも追いかけてくる。あっという間に舞台の端だ。


「このっ!」


 俺は舞台にあった篝火を"萩"に向かって倒した。火の粉が飛び散り、"萩"が引き下がった。


「きゃあっ!?」


 女の悲鳴。見ると、"山姫"が囲まれていた。異様な仮面を被った人間たち……いや、人間か? 肌が墨を垂らしたように真っ黒で、おまけにうねうねと波打っている。山姫の周りだけじゃない。舞台の周りのあちこちから、そいつらが現れた。

 黒い奴らは"山姫"を担ぐと、物凄い勢いで逃げ出した。速すぎる。人を担いで出せる速さじゃない。他の奴らはもっと早い。更に、"萩"も後を追って駆け出す。


「おい!」

「待てコラァ!」


 俺と鍋島は黒い奴らを追って舞台を降りた。黒い奴らは林の中に駆け込み、あっという間に見えなくなってしまった。こっちは舞台の衣装で走りづらくて、追いかけられない。

 何とか林を抜けたけど、奴らはどこにもいなかった。どこに行った。"山姫"をどうするつもりだ!?


 突然、頭が痛くなった。顔をしかめて頭を押さえる。頭の中にどこかの景色が思い浮かんだ。海沿いの道路。山がすぐそこまで迫った場所。2つのトンネル。塞がれている方。

 鍋島も同じようで、頭に手をやっていた。聞いてみる。


「鍋島」

「ああ」

「見えたか?」


 鍋島が頷いた。


「先輩!」


 後ろの林から呼び声がする。振り返ると、ライフルを持った雁金が駆けつけてきたところだった。その後ろには火熊さんやその筋の人たちがついてきている。


「どうしたんですか!? あの人たち、誰なんですか!? メリーさんと、それにお坊さんはどこに行ったんですか!? 何が起こってるんですか!?」


 質問には全部答えられる。"樵"も"火荒神"も知っている。だが今動かすべきは口ではなく、足だ。


「移動しながら話す。火熊さん、ありったけの武器と車を用意してくれ!」

「お、おう! だけど、どこに行くんだ?」


 トンネル、と言おうとして、名前を知らないことに気付いた。鍋島を見ると、向こうは知っているようで、代わりに答えてくれた。


刃鳴はなきトンネルです!」

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