リゾートバイト(3)

「駄目だ、外れねえ」


 呪いとアケミの襲撃から一夜明けた。

 俺は左手のミサンガを高橋さんに見てもらっていたのだが、高橋さんは音を上げてしまった。


「そんなに強い呪いなんですか?」

「いや、単純に紐が硬い。強化繊維でも使ってるんじゃないのか?」

「強化繊維」


 物理かあ。


「まあ、封印しておくよ。このミサンガごと封じておけば大丈夫だ」


 高橋さんはミサンガの上に白い紐を巻き付けてくれた。これでもうアケミに遭わなくて済む、と思いたい。高橋さんは凄いから、多分大丈夫だろう。


「ところで、女将さんの呪いの方は大丈夫なんですか?」

「……ああ。朝イチで見に行ったけど、もう女将さんには何もできねえよ」


 そう言う高橋さんの顔には、苦々しげな表情が浮かんでいた。何が起こったのかは、だいたい想像がつく。


「……どうにかならなかったんですかね」

「こういう儀式の結末は、残酷なものにしかならない。始まった時点で終わってたんだよ。

 女将さんだってそれはわかってたんだろうさ。それでも、母親ってのは、その禁断の領域に足を踏み入れちまう。

 俺は結婚してないからさ、子供を亡くすってのがどういうものなのかわからないけど……心に穴の開いた母親がそれを拠り所にしちまうのは、いつの時代にもあり得ることななんだろうな」


 女将さんの呪いは、10年前に亡くした息子をこの世に呼び戻す儀式だった。息子の霊を俺に取り憑かせようとしてたらしい。

 そこまでして、人ひとりを殺してでも、自分の息子を取り戻したいなんて思うことがあるのだろうか。俺にだってわからない。だけど、そういう事もあるんだろうな、とは思う。


「でも女将さん、何でそんな儀式を知ってたんですかね」

「……教えた奴がいる」


 そう呟いた高橋さんの顔には、緊張感が宿っていた。


「あんな儀式、素人が偶然にできるようなものじゃない。教えた奴がいるはずだ」

「アケミ……いや、ミサキですか?」

「いや、違う。あの子は実験……いや、実例だ。ミサキを蘇らせて、女将さんに儀式を信じさせた奴がいる」


 黒幕がいるってことか。そんな奴が野放しにされていたら、新しい犠牲者が出てしまうだろう。


「ま、これは俺の方で片付けるさ。あんたは今日のことに集中してくれ」


 そう言われて、今日が『千羽神楽』の当日だということを思い出した。

 一応、3日間のうち、初日と2日目は民宿で、3日目はこのお寺でしっかり練習している。だから神楽の動きは覚えているけど、何しろ昨日、一昨日と続けて夜中にバタバタしていたので、ちゃんとできるかどうか不安だ。


「大丈夫かな……」

「大丈夫だって。俺だって寺の行事の合間に覚えられるぐらいなんだ。ちゃんと練習したアンタなら余裕だよ」


 高橋さんはそう言ってくれたけど、やっぱり不安なものは不安だ。

 それに、不安なことはもうひとつある。


「あの、高橋さん」

「なんだ?」

「ちょっと相談したいことがあるんですけど、いいですか?」

「ああ。なんだ?」


 高橋さんはあっさりと聞く姿勢を見せてくれた。そう、誠実に対応されると、逆に困る。


「……笑わないでくださいよ?」


 他人にこの話をしたことはない。メリーさんにも、雁金にも。話したところで信じてもらえるかどうか、不安だったからだ。


「おう。どーんと来い」

「それじゃあ、お言葉に甘えて」


 深呼吸して、告白する。


「俺、記憶喪失なんですけど、これも妖怪とか幽霊とか呪いの仕業なんですか?」


 高橋さんは俺の言葉を聞いて、目を瞬かせた。


「記憶喪失ってあの……記憶がないってヤツか?」

「はい。大学より前に、自分が何をしていたのか全く思い出せないんです」


 ――高校、中学、小学校、それより前。生まれてから18年目までの記憶が全く無い。


「じゃあ、ご家族が誰かも……?」

「いえ、それはわかります。朝起きたら、自分が誰だかわからなくなってて、それで最初に会ったのが親だったんで」


 高校を卒業して、大学に通うまでの春休み。朝、目を覚ましたら記憶が無くなっていた。何がなんだかわからないまま側にいた人に話を聞いてみたら、その人たちが俺の両親だった。

 かなり混乱したけど、俺が『大鋸おおが翡翠ひすい』という人間で、春から大学生になるということだけはわかった。卒業アルバムも全部揃ってるし、大学の合格通知書もあった。


「病院とかには行ったのか?」

「はい。検査してもらいましたけど、何もおかしいところは無かったって言われました」


 すぐに医者に診てもらったけど、記憶喪失の原因はわからなかった。外傷も無ければ後遺症もない。脳のCTスキャンも撮ってもらったけど、異常なし。つまり、ごく普通の健康な人間だったのに、いきなり記憶が無くなっちまったってわけだ。


「だから何がなんだかわからなかったんですけど……最近、色々と妖怪に絡まれて、思ったんです。俺の記憶が無くなったのは、妖怪のせいなんじゃないかって」


 あいつらが出てくると、現実にはありえないことが起こりまくる。最初は気のせいとかトリックとか思ってたけど、メリーさんと出会ってからはそんな事は言ってられなくなった。

 それで思った。妖怪が俺の記憶を持っていったんじゃないかって。


「なるほどなあ……」


 俺の話を聞いて、高橋さんは深く頷いた。

 良かった、笑ったり疑ったりされてない。


「どうですか、高橋さん? 何かこう、俺を見て、変に思ったことはありませんか? 何か、手がかりとか……」

「うーん。いくつか質問してもいいか?」

「はい」

「まず……家族が本物なのは間違いないんだよな?」

「ええ。家族写真とか、免許証とか色々ありましたから。それは間違いないです」


 一度不安になって役所にもこっそり問い合わせてみたけど、正真正銘、間違いなく俺の両親だった。


「なるほど。じゃあ次に……記憶を失ってから、アンタはどんな生活を送ってたんだ?」

「……大学に行きましたね」

「行ったのかよ。え、記憶が無くても行けるのか? 勉強とか大丈夫だったか?」

「意外となんとかなるんですよね……。いや、そりゃもちろん人より勉強しないとついていけない事はありましたけど。4年間ちゃんと通えました。

 それに、記憶は無くなったけど常識とか倫理観までは無くしてないから、日常生活は困りませんでしたし」

「えっ?」

「えっ?」

「……まあ、それはいいや」


 なんだ今の。


「それで、大学卒業した後に、木こりに?」

「ええ。親戚の紹介で、東京の山を預かることになりました。他にやりたいこととか無かったんで……」


 勉強とか常識はなんとかなったけど、将来の夢とかやりたい仕事を考えるには4年の歳月じゃ短すぎた。


「……うーん」


 高橋さんは腕を組んで悩んでいる。


「どうなんですか? やっぱり俺の記憶は、妖怪か何かに持ってかれちまったんですか?」

「そういうことも無くはないが……なあ、アンタ。今は不便してないみたいだけど、記憶を取り戻したいのか?」

「戻ってくるなら、まあ」

「仮に、それで金を出せとか……あるいは、身近な人間を殺してこいとか言われたら、どうする?」


 少し考えてから返事をする。


「金は……まあ額次第ですかね。身内を殺すのはちょっとなあ……」


 記憶がごっそり抜けてるせいで、知り合いが少ない。それを減らしたくない。


「つまり、何がなんでも記憶喪失から回復したいってわけじゃないんだな?」

「そうです」


 すると、高橋さんは安心したように息を吐いた。


「なら、悪いことは言わない。変なことを言うが……戻さないほうがいい」

「戻さないほうがいい? そりゃ、どういうことですか?」

「これは俺の見立てなんだが、アンタの記憶喪失は怪異のせいだ。それは間違いない。

 だが、怪異がアンタの記憶を奪ったんじゃない。アンタを怪異から守るために、誰かが記憶を奪ったんだ」

「……なんですって?」


 困惑する俺に対して、高橋さんは話し始める。


「昨日、女将さんの呪いからアンタを守るために、お堂に隠れさせただろう?

 わかりやすく『呪いから隠れる』って説明したけど、本質的には、あれは『怪異との縁を切る』って儀式なんだ」

「縁を切る……」

「怪異ってのは誰でも襲えるものじゃない。条件や環境、波長が合った人間、言い換えれば縁がある人間にしか襲いかかれない。だから、怪異と被害者をつなぐ縁を切ってやれば、怪異はどうしようもなくなるんだよ」

「うーん……?」


 なんだか難しい話だ。考え込む俺を見かねて、高橋さんが説明してくれる。


「例えば、『海坊主』って怪異がいる。海に出る化物だ。こいつが山に出てきたら、どう思う?」

「そりゃおかしいでしょ。海坊主が山に出たら、山坊主になっちゃうじゃないですか」

「だろ? だからこいつは海にしか現れない。で、アンタが海に行って海坊主に遭ったとする。これを言い換えると、アンタと海坊主が海っていう縁で繋がった、って言えるんだ。

 その後、アンタが海から出て山に行ったとする。そうなると、海坊主は海にしかいられないからアンタを追いかけられない。これが、『縁が切れる』ってことさ」

「……なるほど、わかる!」


 縁が切れるってのは決着がつくってことか。今の説明でわかった。


「あれ、これと俺の記憶になんの関係が?」

「記憶も縁なんだ。それも、一番強力な。

 俺の予想だが……アンタはとんでもない怪異に出会った。そして、そいつとの縁を切るために、誰かが、あるいは何かがアンタとそいつが出会ったっていう記憶を奪った」

「何かって?」

「別の怪異だよ」

「ええ……人外が助けてくれるもんなんですか?」

「あんまり無いんだけどな……でもアンタ、メリーさんとは上手くやれてんだろ?」

「……ええ、はい、まあ確かに」


 ただ、メリーさんも最初は襲いかかってきた。上手くやってるのは、決着がつかなくてダラダラしてるうちにお互いやる気が無くなったからだ。そんな都合のいい話が、人生でそう何度も起こるとは思えない。


「とにかくそれが記憶喪失の原因だとしたら、記憶を取り戻すのはオススメしないな。記憶と一緒に怪異との縁も戻っちまって、アンタが襲われることになる」

「わかりましたけど……ムカつくな。被害者な上にやられっぱなしかよ」

「まあまあ落ち着け。向こうにしてみれば、取り逃した相手がそこそこ上手く生きてるんだ。相当悔しいと思うぜ?

 だとしたら、アンタが生きれば生きるほど相手に仕返ししてることになる。ムカつく必要は無いさ」

「そうですか?」

「ああ。そういうモンだよ」


 そういうことなら、まあ少しはスッキリするが……。

 最後に、高橋さんに一応聞いてみた。


「ちなみに、高橋さんが『破ァ!』ってやったら、記憶が戻ったりしません?」

系統ジャンルが違うから無理だ」


 無理かー。

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