リゾートバイト(2)
夜。虫の音がしんしんと鳴り響く。季節は真夏。蝉の声がほとんどだ。
俺は暗闇の中で目を覚ました。まだ夜が明けた様子はない。もう少し待たないといけないな、と思った。
高橋さんによる呪いの解除方法。それは、呪いに俺を見失わせるというものだった。呪いというのは不安定なもので、相手を一晩見失うと、大概は術者の所に帰ってしまうらしい。
そこで俺は、寺にある小さなお堂に一晩隠れることになった。ここに強力な結界を敷いて、呪いを撒く。
明かりは使えないし、食べたり飲んだりすることもできない。声を発してはいけないし、スマートフォンも使えない。現世や外界との繋がりをできるだけ断たないと、呪いに辿られてしまうそうだ。
寝るのは大丈夫だから、お堂に入るなりさっさと布団を敷いて寝た。そのまま夜明けまで寝られれば良かったんだけど、やっぱ12時間睡眠は無理だったか。
布団の中で寝返りを打つ。もう一度寝られるだろうか。そもそも何時間ぐらい寝ていただろうか。あと何時間待てばいいのか。退屈で仕方ない。
そうこうしているうちに目が冴えてきた。その上腹が減ってきた。困った。マジであと何時間待てばいいんだこれ。
ふと、民宿を出る前にミサキから貰ったおにぎりを思い出した。高橋さんに話したら、どう考えてもヤバいやつだということで捨ててしまったのだが、こんな時に思い出すとは。ちくしょう、食べちゃいけないのはわかるけど、なんとなくもったいなく思えてくる。
「大鋸さん」
声が聞こえた。
「これ、お母さんと一緒におにぎり作ったんです」
ミサキの声だ。
可能性はあると、高橋さんが言っていた。呪いがこのお堂まで来るかもしれない、と。
だから、朝まで何があってもお堂を出ちゃいけないし、外に誰が来ても声を出しちゃいけないって言ってた。
ミサキに化けて俺に扉を開けさせようって考えなんだろう。そうはいかない。
俺は黙って扉を睨みつけながら、枕元からお守りを手繰り寄せた。高橋さんから貰ったものだ。万が一があったら必ず持っておけと言われていた。
「ねえ、開けてくださいよ」
ミサキの声はまだ外から呼びかけてくる。入ってこれないとわかっていれば、怖がる必要はない。
「……しょうがないなあ」
カチ、カチと音がする。硬いもの同士がぶつかる音だ。続いて、重い物が床に落ちる。微かに聞こえたのはジッパーが開く音か? バッグから何かを取り出そうとしている?
ドルン、とエンジン音が響いた。続いて、刃が高速回転する音が聞こえ始める。
おいちょっと待て。
「下がっててくださいね?」
板が破砕される音と共に、お堂の扉から回転する2本のチェーンソーの刃が突き出した。刃は扉をX字に切り裂く。そして扉はあっさりと蹴破られてしまった。
「おはようございます、大鋸さん。よく眠れましたか?」
顔に笑みを貼り付けて、ミサキが立っていた。長い黒髪が月明かりを受けて煌めいている。その両手には、不釣り合いなボロボロのチェーンソー。
ミサキはチェーンソーを携えたまま、こっちに近付いてくる。
「なんで……ここに……!?」
もう、黙っているのは無意味だとわかった。何しろ扉を物理的に突破されている。
わからないのはミサキが来たことだ。呪いとはミサキのことだったのか? 女将さんの呪いじゃないのか? それにどうしてここがわかった? 高橋さんの結界で隠れていたのに!?
「ひとつずつ答えるとね」
ミサキは俺の心の中を読んだかのように、言った。
「お母さんの呪いは私とは関係ないんです。私は大鋸さんを守りに来たんですから。あの呪いが大鋸さんに近付かないように、見えない所でずっと頑張ってたんですよ、私?
それに……大鋸さんの腕に"私"がいるから、どこにいてもわかりますよー」
そう言うと、ミサキは手を伸ばして、俺の手首に巻き付いているミサンガを引っ張った。
その仕草。その笑い。その喋り方。
それらが記憶を呼び起こし、全身が粟立った。
「お前、まさか」
「やっと思い出してくれたんですね」
彼女はにんまり笑った。切れ目の入った首から、カチリ、と音がした。
「アケミ……!」
以前襲いかかってきたストーカーの妖怪。それがアケミだ。どこに逃げても追いかけてくるし、こっちの心を読んでくる。おまけに頭を切られても死なない化物だ。
俺の腕のミサンガは、その時アケミに巻かれたもので、解けないしハサミでも切れない呪いのアイテムだった。それを"私"と言うってことは、アケミ以外ありえない。
前はメリーさんと協力してバラバラにした上で燃やし尽くしたのに、まだ生きていたのか。ヤバい。あそこまでやっても無傷で戻ってくるってなんなんだよ。
そこまで考えて気付く。
「いや……本当にアケミか?」
アケミとミサキは顔がぜんぜん違う。確かにどっちも清楚系だが、顔のパーツも位置も別物だ。
考えてみたら、ミサキがアケミだったら最初に会った時点で俺は逃げ出してるし、メリーさんがキレているだろう。
「うーん、そう思うのもわかります。でも、私はアケミです。ミサキでもあるんですけど」
俺の質問にアケミが答える。
「前の体がメチャクチャにされてから、私は新しい体を探してました。そうしたら、お母さんが作った『ミサキ』があったんで、中身を追い出して私が代わりに入ったんです。だから私は『ミサキ』で、『アケミ』。
安心してください。見た目も喋り方も変わっちゃったけど、大鋸さんが好きなのは、ずーっと同じですよ?」
言ってる言葉の意味はわからないけど、何も安心できないのはわかる。
逃げようとしたが、アケミに両腕であっさりと抱え上げられた。
「離せっ!」
「危ないですよ。チェーンソーに当たっちゃう」
アケミの手元ではまだチェーンソーが回転している。……あれ、俺、今、抱え上げられてるよな? アケミの両手は塞がってるよな?
アケミの肩口に目を向けると、腕が4本生えていた。2本の腕で俺を抱えて、もう2本にそれぞれチェーンソーを持っている。
「お前、腕が……!?」
「こうしないと手が足りないから、増やしちゃいました」
どうなってんだよ化物じゃねえか。いや、化物だけど……。
「じゃあ逃げますから、しっかり掴まって……」
アケミが喋り終わる前に、頭上から新たなエンジン音が聞こえた。
上。お堂の梁の上に、"いた"。シルエットははっきりしない。四つん這いの子供のようにも、巨大な蜘蛛のようにも見える。顔らしきところには、白目しかない細長い目がある。それ以外は全て真っ黒だ。
異様に長い2本の腕はだらりと垂れ下がり、そこにはエンジンのかかったチェーンソーが握られていた。
「ア゛ーっア゛ー」
そいつが音を出した。声、なのだろうか。呻いただけかもしれない。
ひゅうっ、と風を切り、チェーンソーが振り下ろされる。俺に向かって。アケミがチェーンソーを掲げて、刃を防いだ。
「きゃっ!?」
アケミは俺ごと吹き飛ばされた。人間2人分の体重をやすやすと覆すなんて、どういう腕力だ。ヤバい。
「見つかっちゃいましたね……!」
アケミは天井の黒い奴を睨みつけている。まさか、あれが高橋さんの言っていた、女将さんの呪いなのか?
黒い奴は梁の上を這い進んで俺たちに近付いてくる。アケミもチェーンソーを構え直す。妖怪大決戦だ。危ない。巻き込まれる。逃げたいけどアケミが放してくれない。
「降ろしてくれ!」
「ダメです! 大鋸さんは私が守ります!」
「挟まれたらミンチになるんだよ!」
暴れるけれどびくともしない。もうダメだ、勘弁してくれ!
「そこまでだ」
男の声だった。見ると、お堂の入り口にひとりの男が立っていた。
Tシャツにジーンズ、角刈りでやや筋肉質な、工事現場が似合いそうな、しかし実際には僧侶の男。
「高橋さん!」
「やれやれ。怪異2体と三角関係とは、とんだ色男だったんだな、アンタ」
この寺の跡取り息子、高橋さんがそこにいた。
「あなたが大鋸さんを隠したお坊さんですか? 大鋸さんは私が守りますから。帰ってください」
アケミが敵意を剥き出しに話しかける。上の黒い奴は、どちらを相手にすればいいか迷っているようで、動かない。
「そう言ってるけど、どうするよ、アンタ?」
高橋さんが問いかけてくる。迷わず言った
「助けてください!」
「おう。それじゃあ……お守りは持ってるか?」
「え? ええ、ここに……」
拳を開くと、握りしめていたお守りが顕わになった。そう言えば持ってたのに、何の役にも立ってねえなこれ。
と思いきや、お守りが白く光り始めた。
「目、閉じてろよ」
高橋さんが俺のお守りに向かって手のひらを突き出す。お守りがますます輝く。慌てて目を瞑る。
「破ァ!」
瞼を焼くほどの閃光が迸った。一瞬の浮遊感。そして、硬いものが腰に叩きつけられる。
「っでえ!?」
痛みに床をのたうち回る。……床?
目を開けると俺は床の上に倒れていた。俺を捕まえていたアケミはどうなったのかと、顔を上げる。
半身を吹き飛ばされたアケミが、そこにいた。半分になった顔が、信じられない、といった表情で固まっている。
ぐらり、とアケミの体が傾いて、お堂の床に倒れた。ピクリとも動かない。まるで壊れた人形のようだった。
「あっちゃあ……」
高橋さんが頭を掻く。
「半身が残っちまった。やれやれ、威力は親父の作ったやつの半分か……」
気付くと、手の中のお守りが無くなっていた。まさかあれがアケミを吹き飛ばしたのか。スゲェ。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」
絶叫が響き、空気がビリビリと震えた。梁の上の奴が高橋さんに向かって吼えている。
「さて、こっちはちゃんと相手してやらないとな」
高橋さんは涼しい顔のまま、手に持っていたものを構えた。それは、お寺でたまに見かける車輪のような装飾だった。確か、法輪という名前だ。
高橋さんの持っている法輪は金属製で、一抱えほどの大きさがあった。更に法輪はエンジンに繋がっていて、高橋さんがスターターを引っ張ると高速回転し始めた。
「ア゛ッー!!」
黒い奴がチェーンソーを振り下ろす。だが、高橋さんが振り上げた法輪がチェーンソーを弾き返した。
それを見て気付いた。高速回転するギザギザの円盤。あの法輪は製材用の丸ノコと同じだ。だったらチェーンソーとも戦える!
再びチェーンソーが振り下ろされる。高橋さんは法輪でしっかりと受け止める。刃を弾き返すと同時に、左手から鎖のようなものを投げつけた。チェーンのように長い数珠だ。それが黒い奴に絡みつく。
「そらっ!」
高橋さんが腕を引くと、黒い奴が梁から引きずり降ろされた。黒い奴は数珠が絡まり動きが鈍っている。それでもチェーンソーを振り回して、高橋さんを寄せ付けない。
「幼くして没した霊は、仮初の生に縋り付く……親父の言ってた通りだな」
高橋さんは法輪を構える。高速回転する法輪が白く輝き始めた。
「だからこそ、だ。これから俺が、お前を祓ってやる」
高橋さんが踏み込んだ。黒い奴のチェーンソーが、高橋さんの首へ飛ぶ。高橋さんは法輪を掲げて防ぐ。
黒い奴から新しく2本の腕が伸びた。高橋さんの左腕と右足が掴まれた。高橋さんが動けなくなる。そこにチェーンソーが振り下ろされる!
だが、高橋さんはチェーンソーの刃を横から法輪で殴りつけた。軌道の逸れたチェーンソーは、高橋さんを掴む黒いの自身の腕を切り裂いてしまった。
「ギャア゛ア゛ア゛ア゛!?」
更に高橋さんは法輪を振り下ろし、足を掴む手を切り落とした。
自由になった高橋さんは一気に突進、黒い奴を間合いに収めた。法輪を振りかぶる。
だが、黒い奴が口を開いたかと思うと、そこから5本目の腕が伸びた。今度は腕の先が槍のように尖っている。危ない!
「刃ァ!」
気合一閃、避けることもなく法輪が振り下ろされた。眉間を狙っていた槍は、先端から根本まで……すなわち、奴の顔まできれいに両断されていた。
黒い奴は悲鳴を上げることもなく崩れ落ち、そして溶けた。液体になった奴の体は、沸騰し、蒸発し、黒い煙となって消えてしまった。
「子を想う親の気持ちも、過ぎれば毒になる、か。世の中ままならないもんだな」
そう呟いて、片手でタバコに火をつける高橋さん。
寺生まれってスゲェ……その時初めてそう思った。
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