須磨海岸にて(1)
千羽町に来てから2日目。練習は順調に進んでいる。
主役の鍋島はバッチリ覚えているし、俺も土谷さんが丁寧に教えてくれたお陰で、なんとか通しで踊れるぐらいにはなった。
海で遊べなくて不貞腐れてるメリーさんは一時練習をボイコットするという暴挙に出たが、山風さんがおいしい和菓子を持ってきてくれたので事なきを得た。メリーさんは、今ではすっかり山風さんに懐いている。
……見た目は中学生ぐらいなのに、遊びが絡むと5歳児レベルまで知能が低下するのはなんなんだ。妖怪だからか?
そんな風に、ちょっとの事件が起きつつも、人の命が関わるような大事は起きなかった2日目。夜になってもうひとつ、ちょっとした事件が起きた。
「無いなあ」
空の箱を逆さにして振ってみたけど、何も出てこない。諦めて、タバコの箱を握り潰してゴミ箱に投げ捨てた。
事件、というには大げさか。タバコが切れただけだ。多分、部屋にこもりっぱなしだから本数が増えたんだと思う。
コンビニに行こうと思ったけど、どこだかわからない。誰かに聞いてみようと思い、部屋を出た。
ちょうど、女将さんがお膳を持って階段を上がるところだった。
「あ、すいません……」
俺が声をかける前に、女将さんはいそいそと階段を上っていってしまった。聞こえなかったんだろうか? 参ったな。
女将さんを追って階段の前まで来る。急な階段で上の方が全然見えない。というか、暗い。電気点いてないのか? 人の気配も感じられない。でも、今女将さんが上っていったしなあ。
……そういえば、2階にも客がいると思っていたが、見たことがない。この2日間部屋にこもりっぱなしだけど、会ったのは雁金にメリーさん、鍋島とその筋の人たち、あと女将さんとミサキだけだ。
たまたま会っていないだけかも知れないが、2階の物音や足音も聞いたことがない。ってことは誰もいないのか。でも、そうだったら、どうして女将さんは2階に料理を持っていってるんだ?
「メシ食ってるのかな……」
気になって階段を上ってとする。
「大鋸さん?」
「うおっ!?」
背中から声をかけられビビった。振り返ると、ミサキがすぐそばにいた。黒い大きな目が、俺を不安げに見上げている。
「どうしたんですか?」
「あ、いや、女将さんに聞きたいことがあって……」
「なんですか?」
「タバコを……」
「タバコ?」
そうだよ、タバコを買いに行きたかったんだよ、俺は。
「ああ、そうだ。タバコが切れたから、コンビニに行こうと思ったんだ。でもどこだかわからなくて……」
「それで、お母さんに聞こうと思ったんですか?」
「そうそう。ちょうどここの階段上ってたから……」
「でしたら私が案内しますよ!」
俺の言葉を遮って、ミサキが提案してきた。
「いや、場所教えてくれたらいいんだけど」
「私も買い物したかったですし。一緒に行きましょう?」
「まあ、そういう事なら……」
うっかり迷ったら大変だろうし、ここはお言葉に甘えるとしよう。
「それじゃ頼む」
「わかりました。玄関で待っててください、すぐに準備しますから」
そう言うと、ミサキは1階の従業員用の部屋に入っていった。
先に玄関に行って待っていると、鍋島がやってきた。
「お出かけですか?」
「ああ、コンビニ。タバコが切れた」
「なら、一緒に行きましょう。何かあったら困りますから」
そういえば、鍋島たちがここにいるのは、俺たちの護衛だったか。
「そしたらちょっと待ってくれ。ミサキさんに案内してもらうんだ」
「お嬢さんに?」
「おまたせしましたー」
噂をすると、ちょうどミサキがやってきた。肩からポーチを提げている。
「鍋島さんもコンビニですか?」
「ええ」
「じゃあ、一緒に行きましょう」
そんな訳で、俺たち3人はコンビニに向かうことになった。
コンビニは海の方にあるらしく、海岸の方に降りる下り坂を進んでいく。少し時間がかかりそうだ。
「そういやさ」
「はい?」
俺は鍋島に話しかけた。
「ヒメさん、喉大丈夫?」
「……休めば大丈夫だと思います」
結局。
鍋島の嫁さんの奇行は、取り憑いた化け猫のせいなどではなく、こっそりVtuberを始めたからだった。
鍋島は隠したがっていたが、俺は配信を通して一部始終を見ていたので、こっそり伝えるとめちゃくちゃ恐縮された。あの叫びは伝説になるだろう。
「あー、身元はちゃんと隠してたしさ。あれぐらいの趣味は良いと思うぞ?」
こんなので推しのV活が終わるとちょっと悲しいのでフォローしておく。
「わかってます。ただ、妻に秘密を作らせていたのかと思うと、こう、不甲斐なく……」
「ラブラブなんですねー」
「煽るな煽るな」
割って入るミサキを止める。変にこじれると困るだろ。
自転車に乗って坂の途中でたむろしている中学生たちを通り過ぎ、更に歩く。
「ラブラブって言ったら」
ミサキが口を開いた。
「大鋸さんと雁金さんって結婚してるんですか?」
「いや、そうじゃない。高校の後輩だ」
「付き合ってるんですか?」
「……いや、そういうつもりじゃないんだけどな」
確かにまあ、ただの友達と言うには親密すぎるとは思うが、恋人かって言われるとそれも違う気がする。少なくとも俺はそう思ってるし、雁金からもそういうアプローチを受けたことはない。
仮に付き合ってるとしたら、デートは毎回新宿の居酒屋でクダを巻きながら怪談話に花を咲かせる、ということになる。悲しすぎる。
「ふーん。それじゃあ大鋸さん、他に付き合ってる人はいるんですか?」
「いない」
「へえ? 好きな芸能人のタイプってどんな人ですか?」
「あのなー……」
何でこう、恋バナを立て続けに仕掛けてくるんだろうか、コイツは。今はそんな気分じゃないのに。
鍋島もちょっと興味のある感じで見てくるんじゃない。嫁さんはどうした。
「……あんまり、そういうのは無いんだよ」
「本当に?」
「ああ」
嘘じゃない。恋バナとか、猥談とか、そういうのはどうしてもダメだった。恋とか愛とか、他人が言ってるそういう気持ちが湧いてこない。
男に言い寄られると嫌な気分になるけど、女に言い寄られても何とも思わないから、マジで興味が無いんだと思う。新宿の店に世話になったりはするから、枯れてるわけじゃないんだけど。
「じゃあ」
先を行くミサキが振り返る。長い黒髪が揺れた。
「初恋の人に、まだ心奪われっぱなしなんですね」
「なんじゃそりゃ」
「恋愛に興味がない人は、初恋の人をずっと好きになったまま、って言われてるんですよ。
その人がどんな人か思い出せなくても、無意識のうちにその人と比べちゃって、他の人を好きになれない。友達がそう言ってました」
そんな話聞いたことがない。鍋島の方を見ると、向こうも聞いたことがない、といった表情だった。
「そういうモンかなあ?」
適当に話を合わせておくことにした。
「あ、着きましたよ」
ミサキが声を上げた。横断歩道の向こうにコンビニが見えた。慣れ親しんだ看板と明かりだ。全国どこに行ってもこの光景はだいたい同じなので、見ると何だか安心する。
俺たちはコンビニに入ると、それぞれの目的の商品を買った。俺はタバコ、鍋島はタバコと制汗シート、ミサキはジュースとスイーツだった。
コンビニを出ると、俺たちは帰り道を歩き出した。
今度は緩い上り坂だ。ちょっと疲れそうだけど、山道に比べたら全然楽だ。
そんな風に考えながら横断歩道を渡ると、道の先から怒鳴り声が聞こえてきた。
「おいおい、待てや! お前、人のバイクに何しとんねん、黙っていくんかい!」
ガラの悪い怒鳴り声だ。俺と鍋島は顔を見合わせ、ミサキの前に出た。
「まあ、お前は逆に根性あるわ! 俺らなんか怖くないんやろ!?」
別の声が誰かに話しかけている。返事はボソボソとしていて聞こえない。声の調子からして、ガラの悪いのが数人、誰かに絡んでいるようだ。
「回り道するか?」
「そうですね」
俺の提案に鍋島が頷く。一旦引き返そうとした時だった。
荒っぽく吹き上がるバイクのエンジン音が響いた。一気に近付いてくる。
「勘弁してください! 僕関係ないやないですか!?」
そんな悲鳴が近付いてくる。坂の上から、自転車に乗った少年の腕を掴んだバイクが走ってきた。
少年は必死に自転車を漕いでいたが、スピードに追いつかなくなり自転車から転げ落ちて、目の前にガードレールに頭から突っ込んだ。
「痛いー! いたいー! 俺は関係ないのにぃー! 痛いー!」
少年は頭から血を流して呻いていた。どう見ても重症だ。ヤバいぞあれ。
「ミサキ、救急車呼べ!」
「えっ、あっ、はい!」
俺の呼びかけに応えて、ミサキはスマホを取り出して電話し始めた。
一方、少年を引きずり回したバイク乗りはゲラゲラと笑っていた。
「いやー、スカッとするのう!」
「バックトゥザフューチャーみたいやったわ!」
バイクには悪趣味でゴテゴテした飾りがついている。一昔前の暴走族みたいだ。乗ってるのもノーヘルで2人乗り、免許を持っているかも怪しい。バイク乗りの風上にも置けない連中だ。
更に坂の上から、同じような連中が10人ほど降りてくる。その中に、大人しそうな少年2人が混じっていた。彼らがこのチンピラ共に絡まれていたのだろう。
不意に、チンピラの1人が連れてきた少年を蹴り倒した。
「お前さっきから調子乗ってんちゃうかー!!」
蹴り倒したチンピラは、倒れた少年の頭をサッカーのように何度も蹴りつける。
「千羽ワールドカップ開催や!」
更にもうひとりの少年は、電柱に何度も頭を叩きつけられていた。
「いたいー! いたいー!」
「あがっ、ごえっ」
どちらにも全く容赦がない。痛めつけるとかじゃなくて、死んでもいいといった様子だ。そこらの不良よりも大分ヤバい。
「鍋島、これ、いいのか?」
鍋島に問いかける。その筋の人なら、ああいうチンピラがのさばっているのにいい顔はしないはずだ。
案の定、鍋島はチンピラたちに鋭い視線を投げかけていた。
「お嬢さんをお願いできますか」
黙って頷く。鍋島はYシャツの第一ボタンを外すと、暴力の現場に悠然と歩いていった。
「あのっ、救急車呼びました」
「静かにしてろ」
ミサキを制する。下手に騒いでチンピラたちに目をつけられたら面倒だ。
幸い、チンピラたちの視線は近付いてくる鍋島に釘付けだった。
「どーしたんですかーお兄さん?」
「ここ今工事中でーす」
手の空いているチンピラたちが鍋島に絡んでいく。それに対して、鍋島が答えた。
「その辺にしとけや、若いの」
……うん、正直、ビビった。それほど大きくない声だったのに、空気に電流が流れたかと思うような迫力だった。
さっきまでの会話は、気を遣って優しく喋ってくれてたんですね……すいません。
「何ですー? 何様のつもりですかー?」
ところがチンピラたちは、一向に暴行を止めない。それどころかますますヘラヘラしている。
あれを目の前にして平気とか、本当に素人か? 薬でもキメてるんじゃないのか?
「何様のつもりだって聞いてんだよオラァ!」
いきなり、チンピラがキレた。大きく振りかぶって鍋島の顔面に拳を突き出す。
当たった、と思った。何の前フリもない唐突な攻撃だったからだ。
だが、拳が当たる直前に鍋島の頭が消えた。一瞬遅れて、鍋島が身を屈めて拳を避けたと気付いた。
鍋島は、いつの間にか握りしめていた拳をチンピラの胴に叩き込んでいた。衝撃が肉を貫く音が響く。その一撃で、チンピラはその場にうずくまった。
「が……ぐっ、ゴボォッ!?」
チンピラの口から汚い悲鳴が漏れる。ゲロも吐いてるなあれ。
その頭を踏みつけて、鍋島は辺りのチンピラを睨みつけた。
「火熊のオヤジの世話になってる、鍋島っつー者だ。サンシタども、俺の
うわあ……本職だ……。
「アンミョウジィーッ!」
「ふざけんじゃねえぞ!」
「ぶっ殺してやる!」
「殺せェ!」
チンピラたちはいきり立って、一斉に鍋島に襲いかかる。鍋島は両手を眼前で握り締め、迎え撃つ姿勢をとった。
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