鍋島化け猫騒動

 『千羽神楽』を舞うことになった俺たちは、千羽町にある小さな旅館にやってきた。この旅館の宴会場で練習する。

 別に一日中みっちり練習するつもりはない。午前と午後に2時間ずつ練習するだけで、あとは自由時間だ。民宿でのんびり過ごしてもいいし、外にでかけてもいい。そんなゆるくて大丈夫かと思ったが、神楽の内容は確かに簡単で、3日どころか1日で覚えられそうだった。

 だから最初は、余った時間に外に遊びに行こうと思っていた。千羽町は小さい町だが、三方を山に囲まれ、もう一方は海に面している、海山両方回れるスポットだ。食べ物も美味しいらしいし、温泉もある。


「海! 海よ! 泳ぐわよ!」


 特にメリーさんは海に行く気満々で、水着に浮き輪、ビーチボール、水鉄砲などを用意していた。雁金も新しい水着を買ってきたらしい。

 だが、遊びに行くのは諦めることになった。監視がつくからだ。


「鍋島です。3日後の『千羽神楽』で"火荒神"を演じさせていただきます」


 民宿にチェックインした時、俺たちは鍋島という男に出迎えられた。オールバックで切れ長の目の男だ。Yシャツにスラックスというサラリーマンの服装だが、身に纏う雰囲気が剣呑だ。只者じゃない。実際、その筋の人たちを3人引き連れていた。


「この3日間、皆さんの身辺警護もオヤジから任されていますので、よろしくお願いします」


 何でも、『千羽神楽』を再開しようとするといつも踊り手が酷い目に遭うので、護衛として鍋島とその部下がつく事になったらしい。外に出る場合も彼らがついてくるそうだ。

 そういう訳で、予定は全部ダメになった。ヤバい人たちに囲まれて町を出歩くのは、観光というより巡回だ。店に入ったらみかじめ料を渡されかねない。それに温泉もお断りされそうだ。


「い゛や゛あ゛あ゛あ゛! う゛み゛い゛い゛い゛!」

「勘弁してください。今年もひとり、海に車ごと落っこちて死んでるんですよ」


 メリーさんは泣きながらジタバタしていたが、鍋島に説得されてようやく諦めた。

 ……今年も、ってことは、しょっちゅう人が死んでるのか? 神楽とか関係なしに呪われてるんじゃないのか、あの海?


――


 初日。午前の練習を終えた俺たちは、食堂で昼飯を食べていた。米、味噌汁、魚、山菜とスタンダードな献立だが、実に美味い。きっと、地元のとれたての食材を使っているのだろう。でも、地元とか関係無さそうなご飯も美味しい。女将さんの料理の腕がいいのかもしれない。

 美味しさのあまりあっという間に食べ終わってしまったが、物足りなかったのでおかわりを取りに行くことにした。食堂の端にある大きな炊飯器に近付くと、女将さんが近付いてきた。


「あら、おかわりかしら?」

「はい。美味しくて」

「ありがとう。ちょっと待っててね」


 女将さんは俺の手からお茶碗を取ると、炊飯器から湯気の立つ米を盛りに盛ってくれた。


「はい、おまちどうさま」

「ありがとうございます」

「たくさん食べて頑張ってね」


 何というか、夏合宿みたいだ。そういうのに行った記憶は無いが、多分こんな感じなんだろう。実際、踊りの練習で泊まりに来ているから、合宿といえば合宿か。

 茶碗を受け取った時、ふと炊飯器の隣に1人分のお膳があるのに気付いた。


「それは?」


 誰かの分が余ってるのかと思い、聞いてみる。


「ああ、これ? これは後で部屋に持っていくのよ」

「そうですか……」


 お膳には結構な量がある。女将さんは意外と食べる人らしい。ただ、それを言うのも失礼なので黙っておいた。


 昼食を食べ終わると俺は自室に戻った。雁金とメリーさんとは部屋が分かれてるから1人部屋だ。Wi-Fiが入ってるから、暇潰しに困ることはない。

 スマホをいじっていた俺は、動画サイトから通知が来ていることに気付いた。Vtuberの『彦鶴ヒメ』が新しい動画を上げたらしい。彦鶴ヒメは1年前にデビューしたVtuberで、推しのひとりだ。

 早速見に行くと、人気ホラーゲーム実況が配信されていた。


《さぁ~て、マグナムの弾は買ったし、やっちゃいますかにゃ……あ゛っ、待って飛んでるの待って聞いてな、あ゛っ、に゛ゃ゛ーッ!!》


 エイムが苦手な彦鶴ヒメが、ゾンビハゲタカ相手に顔芸をぶちかましながら汚い悲鳴を上げている。その状態でも猫口調は忘れてないから、Vtuberって凄えと思う。

 動画を見ていると、ドアがノックされた。一旦動画を止めて、ドアを開ける。


「大鋸さん、ラムネ飲みます?」


 ラムネを顔の前に掲げて立っていたのは、女将さんの娘のミサキだった。夏休みだっていうのに家を手伝っている、偉い大学生だ。

 この旅館は女将さんとミサキも住んでいて、半分民宿みたいな感じだった。


「ラムネ? いいのか?」

「はい。お昼の後に皆さんに配ったんですけど、大鋸さんだけ先に部屋に戻っちゃったので」

「んじゃ貰うよ」


 差し出されたラムネを受け取る。


「ビンは食堂に置いておいてください。片付けておきますから」


 そう言ってミサキは去っていった。背中を見送っていると、女将さんがお膳を持って2階に上がっていくのが見えた。2階にも客がいるらしい。

 この民宿は2階建てで、1階の4つの部屋のうち1つが俺、1つが雁金とメリーさん、あと2つが鍋島とおっかない人たちの部屋になっている。2階の客は見たことはないが、1階に泊まってるメンバーがこんなんだから、顔を合わせないようにしているのかもしれない。本当に申し訳ない。

 ちなみに水上さんは自分の実家に戻っている。"萩"の役の高橋さんは法事やらで忙しく、3日目まで合流できないらしい。寺生まれって大変だ。

 部屋に戻るとスマートフォンにLINEが来ていた。雁金からだ。


《先輩、ちょっと部屋まで来てください》


 返事をする。


《どした?》

《ご相談があって》

《わかった》


 スマホを持って雁金の部屋に向かう。ノックすると雁金に出迎えられた。


「どうした?」

「鍋島さんのご相談に、アドバイスしてほしいんです」


 部屋の中を見ると鍋島がいた。マジかよ勘弁してくれ。でも今から引き返すわけにもいかない。しぶしぶ部屋の中に入った。

 部屋の中には鍋島とメリーさんしかいなかった。他のおっかない人たちはいない。メリーさんは窓際にある旅館特有のあのスペースに入り込んでだらだらしている。

 俺を見た鍋島が頭を下げた。


「すみません、わざわざ」

「いや、そんな別に……」


 とりあえず、テーブルを挟んだ向かいに座って、鍋島と向き合う。

 鍋島はおっかない人たちを指揮する立場だが、意外と若い。俺の1つ上らしい。実際、こうしてYシャツノーネクタイで寛いでいる姿を見ると、切れ者サラリーマンかと錯覚してしまう。

 ただ、纏っている雰囲気が只者じゃない。相対すると、「あっ、下手なこと言ったら殺されるな」って気分になる。今もそうなってる。勘弁してほしい。


「それで、相談っていうのは?」


 さっさとこの場を離れたいので、早々に本題を切り出した。鍋島は少しためらいつつ話し出した。


「その、信じて貰えるかはわからないのですが」

「それは大丈夫です。先輩、こういう話には色々出遭ってますから」


 雁金がフォローしてくる。一体何事だ、と思っていると鍋島が言った。


「妻が化け猫に取り憑かれているんです」

「何です?」

「妻が猫の幽霊に取り憑かれているんです……」

「……すみません、もう少し詳しく説明してくれませんか」


 マジで意味がわからない。というか、結婚してたのか、この人。


「それもそうですね。最初からお話します」


 そう切り出して、鍋島は化け猫騒動の話を始めた。


 発端は1年前、猫の死体が鍋島の家の前に落ちていたことだった。嫌がらせというわけでもなく、野良猫が不幸にも死んでいたのだろうということですぐに片付けた。

 その頃から、鍋島の奥さんの様子がおかしくなりはじめた。


 鍋島が出掛けている間、家から「ぎみゃあ、ぎみゃあ」と奇妙な声がすると、近所で噂になる。

 飼ってもいない猫の雑誌を買ってきて、熱心に読み込んでいる。

 たまに、「にゃんですか?」と言葉遣いが変になることがある。

 鏡を見て、鍋島には見せないような凄まじい表情を作る。

 なんか魚を焼くのが早くなった。


「まさかと思って高橋さんに相談してみたのですが、何の解決にもならなくて……。

 それで今回、『千羽神楽』について調べてもらった雁金さんに相談してみたら、大鋸さんが詳しいと聞いたんです」

「何で俺なんだよ!?」


 この話の流れで俺が頼られる理由がわからない。ところが雁金はこう言った。


「だって先輩、猫のチェーンソーに会ってるじゃないですか」

「ああ……」


 言われてみればそうだった。しかし2度会っただけで詳しいと言われるのは納得いかない。そもそも肉球パンチで2回とも負けてるし。

 だが鍋島はそんな事は露知らず、俺にすがるような視線を投げかけてくる。


「それで、大鋸さん。この場合どうしたらいいんですか?」

「どうしたらって言っても……」


 2戦2敗の俺が言えることなどひとつしかない。


「高いキャットフードをあげて、話し合いで解決するしかないと思う」


――


「おはようからおやすみまで、彦鶴ヒメです! 皆さんごきげんよう、元気にしてますかにゃー?」


 女性の声と動きに合わせて、画面の中のアバターが喋る。

 パソコンの前に座る女性の名前は鍋島紗織。Vtuber『彦鶴ヒメ』の中の人である。

 新婚生活3年目。夫との仲は円満であるが、夫が仕事で留守にしがちなので、家の中で退屈を持て余していた。

 そこで、かねてから気になっていたVtuberを初めてみたところ、なんだか物凄くウケた。1年経った今ではゲーム実況と料理を主力とする実力派中堅Vtuberとして名を馳せている。

 もちろん夫には内緒である。にゃあにゃあ話してゲーム実況で絶叫と顔芸をぶちかます面白芸人だと知られたら、恥ずかしくて生きていけない。

 だから、『彦鶴ヒメ』の配信は、夫が留守にしている時だけだ。今日は夫が外に泊まっているので、2日連続の配信にチャレンジしている。


「それじゃあそろそろ……あっ、スパチャありがとうございます。そろそろ実況、再開だよー」


 開幕の雑談を終えて、『彦鶴ヒメ』は昨日配信していたゲームの続きを始める。

 ゾンビハゲタカの群れを何とかショットガンで撃退したところだ。せっかくマグナム弾を揃えていったのに、ショットガンに頼ることになってしまった。悲しい。


「こっからは城の中だにゃあ。昨日みたいな鳥さんは出ないから安心だにゃあ」


 狭い室内なら狙いが苦手な『彦鶴ヒメ』でも安心して進めるだろう。

 そう思っていると、チェーンソーを持ったゾンビがドアを突き破って襲いかかってきた!


「に゛ゃ゛あ゛あ゛あ゛!?」


 沙緒里に連動して、『彦鶴ヒメ』が顔芸と絶叫をぶちまける。


《お ま た せ》

《wwwww》

《「ちわーっす、三河屋でーす!」》


 コメント欄に草が生える。投げ銭が積み重なる。

 嬉しいが、嬉しがっている場合ではない。チェーンソーゾンビの攻撃は即死だ。『彦鶴ヒメ』は逃げるが、狭い室内は逃げ場が少ない。

 慌てて角を曲がると、そこにいた雑魚ゾンビから不幸にも攻撃を受けてしまった。


「あ゛っ」


 怯んだキャラクターにチェーンソーゾンビが突っ込んだ。血を吹き出して倒れるキャラクター。画面に現れるYOU DIEDの文字。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!?」


 『彦鶴ヒメ』が悲鳴を上げる。


《wwwwwww》

《親の声より聞いた悲鳴》

《足攣るヒメイ》

《ちょwwwwwww》

《チ ェ ー ン ソ ー 被 害 者 の 会 新 規 会 員》

《もっと親の声聞け》


 コメント欄は大草原だ。誰だ『足攣るヒメイ』っつったの、上手いこと言いやがって。スパチャありがとうございます。


「何よも゛お゛お゛! に゛ゃ゛ん゛であ゛ん゛な゛所にゾンビが突っ立てるのよ゛お゛お゛! パンを咥えて曲がり角でぶつかる少女マンガじゃに゛ゃ゛い゛んだし、も゛お゛お゛!」


 顔芸を見せつけつつ上手いこと言ってやる。これが『彦鶴ヒメ』の芸風だ。旦那には絶対に見せられない。


「紗織!」

「へ?」


 振り返ると、部屋のドアが開いていた。そこに、旦那が立っていた。鍋島直志ただし。ちょっと、いや、だいぶワイルドで格好良くて、でもちょっとだけ優しいのを知っている、紗織の最愛の人だ。

 いやでもここにはいないはず。仕事で泊まりになるって言っていた。寂しいけれど我慢するって約束したもん。何で猫缶持ってるの? 『彦鶴ヒメ』を見られた。今の汚い悲鳴聞かれてた? やっばい、恥ずかしい……!

 あまりの事に思考が大渋滞を起こした紗織が固まっていると、直志はキャットフードを沙緒里の足元に置いた。


「これでどうか、話を聞いてほしい」

「はい!? にゃんですか! あっ、いえ、何、あなた!?」

「死体の扱いが雑だったのなら謝ろう。欲しいなら墓も建てよう。だから、紗織に取り憑くのはもうやめてくれ……!」


 何を言っているのかわからない。直志が本気だというのはわかるが、本気で何を言っているのかわからない。

 大混乱の紗織の耳に、電子音が届く。スパチャの音だ。

 振り返ると、コメント欄が大変なことになっていた。今の会話が丸聞こえだった。


「お゛あ゛あ゛あ゛あ゛!?」

「紗織ー!?」


 『彦鶴ヒメ』、渾身の絶叫だった。

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