九州死闘篇

逆さの樵面

 九州の北の方に、千羽町という場所がある。三方を山に囲まれ、残りの一方が海に面した小さな街だ。旅館はいくつかあるけれど、観光名所は特にない。強いて言えば、平家の落人が逃げ込んだっていう伝説があるくらいだ。

 俺は雁金とメリーさんのふたりと一緒に、そんな街へ来ていた。観光じゃない。仕事だ。とはいっても木こりの仕事じゃない。いや、木こりといえば木こりなんだけど、木を切りに来た訳じゃない。

 今回の仕事は雁金からの依頼だった。正確には、雁金が職場の上司から頼まれた仕事を手伝いに来た。

 その上司は今、俺の前で車を運転している。水上さんという、額が著しく後退した気弱そうな中年男性。雁金が勤めている小さな出版社の社長だ。


「そろそろ着くよ」


 水上さんが呼びかけた。道の先に大きな屋敷が見えた。地方の名家、って感じだ。

 大きな門に広い庭。岩とか松とか池があって、その奥に、いかにもって感じの日本家屋がある。

 車に乗ったまま門をくぐる。そのレベルのデカい屋敷だ。都心や神奈川の屋敷に剪定の仕事で入ったことはあるけど、こんなに広い家は見たことがなかった。これが、地方の名家……!


 感心しながら車を降りると、玄関から杖をついた白髪の老人が出てきた。付き添いらしい女の人が、体を支えている。


「お久しぶりです、土谷さん」

「久しぶりじゃのう、水上くん」


 水上さんに挨拶した老人は、土谷さんという名前らしい。


「そちらの方は?」


 土谷さんが俺たちの方に目を向ける。まず、雁金が一歩前に進み出た。


「水上出版で働かせていただいております、雁金かりがね朱音あかねと申します。よろしくお願いいたします」

「ああ、なるほど君が……後ろの2人は?」

「大鋸です」

「メリーです」

「……旦那さんと、娘さん?」

「違います。『きこり』と『山姫やまひめ』です」

「なるほど」


 それで納得できるのか。いや、そういう話だからそうなんだろうけど。


「それじゃあ上がりなさい。皆、待っておるからの」


 土谷さんに案内されて、俺たちは屋敷に入った。中も外に負けないくらい広かった。時代劇の武家屋敷みたいだ。中庭まである。廊下を進んで、畳敷きの大広間に通されると、ふたりの人が待っていた。

 ひとりは着物を身に着けた初老の女性だ。ふわっとした髪には白髪が混じっている。化粧は薄く、上品な雰囲気があって、いかにもマダムって感じだ。

 もうひとりはスーツを着た大柄な男性だった。ガッチガチの筋肉の塊をスーツに押し込んでる、って感じがする。物凄い強面で、額には傷がある。その筋の人かもしれない。怖い。


「どーもどーも」

「あら、みっちゃん。元気そうね」

「久しぶりだな、水上サン」

「どうも、山風さん、火熊さん。こちらは部下の雁金と、今回協力してくれる事になった大鋸さんとメリーさんです」

「はじめまして。雁金です」

「大鋸です」

「メリーです」

「あら、あなたたちが……そう。私は山風です。遠い所までわざわざ、ごめんなさいね?」

「俺は火熊だ。よろしく頼む」


 マダムもその筋の人も気さくに挨拶してくれた。良かった、そんなに怖くなかった。

 それから俺たちは用意された座布団に座って、出されたお茶を飲みながら、水上さん、土谷さん、山風さん、火熊さん4人の親戚同士の話に付き合うことになった。

 この4人はこの街の偉い人たちだ。昔は庄屋だった4つの家が現在まで続いているらしい。それぞれ会社を経営していて、町議会や警察にも顔が利くんだとか。確かに、4人の世間話に耳を傾けていると、どこぞの議員に口利きしただとか、道路工事の入札に一役買っただとか、ヤバそうな内容がちらほら聞こえる。

 これ、俺らがいていいやつ? 後で消されたりしない?


 戦々恐々としていたが、特にそういうことはなかった。世間話は無事に終わり、4人のうち最年長の土谷さんが本題を切り出した。


「さて、水上くん。そろそろ『千羽神楽』についての話を聞きたいのだが」

「わかりました。雁金くん、資料を」

「はい!」


 水上さんに促されて、雁金がカバンから資料を取り出し、説明を始めた。

 内容は、この地に伝わる『千羽神楽』についてだ。


 この千羽町には鎌倉時代から続く伝統的な夏祭り『千羽祭』がある。とはいっても、堅苦しいものではなく、屋台を出して花火を打ち上げるごく普通の夏祭りだ。

 ただ、最初からそんな呑気な祭りだったのではない。昔は『千羽神楽』という伝統舞踊を舞って、祖先の霊を鎮める荘厳な儀式を行っていたらしい。

 だが、ある時から『千羽神楽』は封印された。そうせざるを得ない事情があった。

 『千羽神楽』が呪われてしまったのだ。


 発端は今から100年前の明治時代。祭りのクライマックスで行われる『千羽神楽』の踊り手が、直前になって急死した。その時は騒ぎになったが、そういう事もあるだろう程度の話で済んだ。

 だが次の年、『千羽神楽』の踊り手が舞台上で発狂し、別の踊り手に襲いかかって相討ちになるという事件が起きた。更にそれから毎年、『千羽神楽』の踊り手に不幸が起きたため、『千羽神楽』は呪われた踊りとして忌避されるようになった。

 中心であった『千羽神楽』を失った『千羽祭』は形骸化し、全国どこにでもある神社の夏祭りまで零落した。


 だが今年、土谷さんたちは『千羽神楽』を復活させようとしていた。理由はわからない。町おこしがしたいのかもしれないし、先祖の霊をちゃんと供養したいのもあるかもしれない。ひょっとしたら、呪いなんてバカバカしいものを破りたいだけかもしれない。

 理由はともかく、100年前に断絶したものを復活させるのは簡単じゃない。そこで白羽の矢が立ったのが、雁金だった。どこからか怪談や故事を引っ張り出してきて、丁寧な調査を行い、面白い文章に仕立て上げて雑誌を賑わす仕事っぷりが、社長の水上さんに評価されたらしい。

 水上さんに頼まれた雁金は、街に伝わる『千羽神楽』を調べた。町史や古い写真、更には江戸時代の庄屋の日記や絵など、歴史学さながらの調査を繰り広げたらしい。


 丹念な調査の結果、雁金は『千羽神楽』が呪われた原因を突き止めた。それは"樵"の舞が誤って伝えられているというものだった。

 『千羽神楽』には4人の登場人物がいる。主人公の"火荒神"、ヒロインの"山姫"、僧侶の"萩"、そして敵役の"樵"だ。踊り手は庄屋の四家からひとりずつ選ばれ、毎年ローテーションで役を変えていたらしい。

 だが、明治に"樵"の踊り手が急死してしまった。そこで伝承が狂ってしまったのだろう。4年後の"樵"の踊り手は不完全で、それが呪いを引き起こし、"萩"の踊り手を斬り殺してしまった。


「以上のことから、"樵"の舞を正し、本物に近い配役で挑めば、『千羽神楽』は成功すると考えられます」


 一通りの説明を終えた雁金が結論を述べた。呪いの原因である"樵"の舞を直してしまえば『千羽神楽』は復活できる。それが雁金の仮説だった。

 でも呪いなんて信じてもらえんのかな。ただの事故って言われたらそれまでだぞ。


「そういう事か……」

「間違っているなら、ご先祖様に怒られても仕方がないかもねえ」


 土谷さんと山風さんは雁金の説明に納得しているようだ。呪いも信じてくれているらしい。


「呪いねえ……あんまり信じられねえな。生きた人間が邪魔してるんじゃねえのか?」


 一方、火熊さんは疑っている。気持ちはわかる。俺も、隣にメリーさんという実例がなかったら信じてなかっただろう。

 更に火熊さんは当然の疑問を口にした。


「大体、舞うのが代役なのは良いのか?」


 雁金の話だと、できるだけ原典に近い形で再現したほうがいいって事になってる。ところが今回の『千羽神楽』の舞手は全員代役だ。昔みたいに庄屋の四家から出さなくていいのか? っていうのは俺も最初に話を聞いた時に思った。


「はい。むしろ代役を立てる方が伝統です」


 雁金の答えはこうだった。


「一番古い日記……室町時代の、山風さんの家の日記には、"山姫"の代役が下手すぎて困る、という記述がありました。

 恐らく『千羽神楽』の成立当初は、庄屋の血筋の方が踊るのではなく、役にふさわしい方を選んでいたのだと思います。

 それに則るならば、代役を立てるのが"正しい"でしょう」

「……まあ、理由があるならいいけどよ」


 火熊さんはとりあえず認めてくれたようだ。ここで反対されたら、俺たちが来た意味が完全になくなる所だった。俺とメリーさんがここに来たのは、まさにその代役のためだからだ。


 雁金に『千羽神楽』を舞ってほしいと頼まれたのは、2週間前の話だった。俺とメリーさんの力がどうしても必要だということだった。ダンスなんてやったことなかったけど、型通りに舞えばいいと言われたし、お金も払うと言われたので引き受けることにした。

 俺は"きこり"の役だ。確かに林業やってるから木こりといえばそうだが、仕事道具が斧ではなくチェーンソーなのはいいのだろうかと思う。

 そしてメリーさんは"山姫やまひめ"の役だ。山という異界から"火荒神"に助け出されるヒロインで、外国人の血を異界に見立てているそうだ。

 もちろん実際は、俺とメリーさんがこういう妖怪案件に慣れているのが選ばれた理由なんだけど。雁金もそれっぽい理由をよく思いつくなあ。


「火熊さんの所の"火荒神"は、成松さんかい?」

「いや、鍋島だ。水上サンの"萩"は……高橋か?」

「ああ、息子さんがやるって」


 他の代役も決まっているらしい。"萩"は僧侶、"火荒神"は……火熊さんが連れてくるということは、その筋の人だろう。せめて人当たりの良い人であってほしい。

 それから祭りについて細かい話を打ち合わせたが、その辺は水上さんたちが進めていった。名家の皆さんはこういう事に慣れているそうで、スイスイと決まっていった。


「では、神楽は3日後。それまで各々、準備と練習を進めておいてくれ」


 最後に土谷さんが締め、全員が頷き、話し合いは終わりになった。

 水上さんと一緒に帰ろうとすると、土谷さんに呼び止められた。


「あー、ええと、"樵"の人」

「はい」

「すまない、名前は何だったかな」

「大鋸です」

「失礼したね、大鋸君。ちょっと来てくれないか? 君にちょっと見せておきたいものがある」

「わかりました。……すいません、ちょっと待っててください」


 水上さんたちに声をかけると、俺は土谷さんの後について、家の奥へと進んでいった。

 年老いた土谷さんに合わせてゆっくり歩いていると、土谷さんが話しかけてきた。


「君、"樵"の面は見たことあるかのう?」

「『千羽神楽』のお面ですか? いえ、見たことはないです」


 雁金から話は聞いたことがある。『千羽神楽』には昔から伝わる踊り手のお面があり、それを被って踊るのだと。ただ、写真とか絵とかは見たことがない。


「そうだろうな。……だから、今のうちに一度、見せておく。室町時代から伝わり、明治に"萩"を斬り殺した"樵"もつけていた面だ」


 不意に、周りが暗くなった。ただの家の廊下だが、ここだけ外からの明かりが直接差し込んで来なかった。そのせいだろうか。肌寒い。


「ワシの大叔父は"樵"を演じて気が狂い、5年後に亡くなった。その後、祖父が神主に相談して、この部屋に面を封じた」


 目の前には障子戸がある。隙間から冷気が漂ってきている気がする。


「ただの面じゃ。この部屋で祟りが起きたとか、幽霊が出たとか、そういう話はない。だが、3日後になってから何かあっても困るからな。今のうちに見せておく。よいな?」


 黙って頷く。土谷さんは震える手で障子戸を引き開けた。

 腐りかけた畳の匂いが、冷気とともに鼻を打った。ずっと締め切られていた部屋は空気が淀んで荒れ果てていた。

 部屋の一番奥、柱に白いものが貼り付いているのが見えた。お面だ。あれが、"樵"の面なのだろう。

 返り血のかかった恐ろしいものを想像していたのだが、意外とシンプルなデザインだった。目の所に丸い穴が2つ空いていて、鼻や口にも、小さめの通気孔が均等に並んでいる。頬や額にも穴があるのは、蒸れないようにするためだろう。また、頬と額には紅い線が引かれている。

 能面のように、シワが刻んであったり、髭がついていたりはしない。シンプルすぎて、室町時代から伝わる呪いの仮面には見えない。

 というか、どう見てもホッケーマスクだった。有名なホラー映画の殺人鬼が被っている、アレだ。


「あの、土谷さん」

「何じゃ」

「ホラー映画とか、お好きですか?」


 すると土谷さんはしばし黙り込み、それから口を開いた。


「……気持ちはわかるが、あれが"樵"の面なんじゃ」

「そう言うって事はやっぱりホッケーマスクじゃないんですかあれ!?」

「だから先に見せたんじゃよ。ワシもおかしいとは思うんじゃな、父にもあの形だって言われておるし……」


 家に伝わる呪いの仮面が、ホラー映画の殺人鬼のマスクそっくりだと知った土谷さんの心境、察するに余りある。

 いや、まあでもチェーンソーが似合うマスクだし……"樵"の面って考えるなら、ある意味合ってる、のか? どうだろう。

 そんな事を考えていると、ふと気付いた。


「……俺、あれ被って踊るんですか?」

「うむ」

「大丈夫なんですか?」

「まあ……実はワシ、子どもの頃にこっそり被ったけど、何ともなかったし」


 やっぱりただのホッケーマスクじゃないの?

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