洗脳

 チェーンソーが眼前に迫る。俺もチェーンソーを掲げて受け止める。


「私、メリーさん。今、あなたの後ろにいるの」


 受け止めたチェーンソーが消える。すぐに振り返る。後ろに回ったメリーさんは俺の足元を狙っている。チェーンソーを振り下ろし、刃を受け止める。そして、蹴りを繰り出す。

 爪先がメリーさんの鼻を潰す直前で足を止めた。


「俺の勝ちだな」

「……蹴られるだけでしょう?」

「蹴り飛ばして、倒れた所にチェーンソーだ。避けられるか?」

「……はいはい。私の負け、私の負け」


 メリーさんはしぶしぶチェーンソーを収めた。俺もチェーンソーを降ろす。どっちのエンジンも最初から掛かっていなかった。

 『アケミちゃん』の襲撃から数日後、メリーさんは特訓がしたいと言い始めた。チェーンソー捌きで圧倒されたのが相当悔しかったらしい。だから、こうして山の中で特訓することになった。

 祠には多めにお供えしてあるので、ヤマノケが怒って出てくる心配はない、と思う。多分。出てきたらガソリン携行缶1本で勘弁してもらえるかな……。

 近くの岩に腰を下ろし、ペットボトルのお茶を飲む。メリーさんは俺のトラックの荷台に腰掛け、どこからか取り出した水筒からスポーツドリンクを飲んでいる。


「……4戦4敗、正直、自信が無くなるんだけど」


 メリーさんがポツリと呟く。準備運動の後、実戦形式で打ち合ってみたが、メリーさんは見事に全敗していた。


「まあ、初見殺しだからなあ、メリーさんの瞬間移動は。真後ろだけじゃなくて、横とか上に瞬間移動したらどうだ?」


 メリーさんの瞬間移動は確かに驚異的だ。だけど、喋った瞬間に消えるとわかっていれば対抗できる。消えた瞬間に振り向けばいいだけの話だ。

 ところがメリーさんは首を横に振った。


「そうじゃなくて。正面からの打ち合いになったら、毎回私が追い詰められるじゃない。どうなってるの?」


 初見殺しが効かないことより、地力で競り負けてることが気になっているらしい。


「原因は……そうだな、2つある」

「教えて」

「まずひとつは、体格差だな」


 俺は身長186cm、体重86kg。メリーさんは身長150cmくらいで、体重も見た目相応だろう。文字通り大人と子供の差がある。


「メリーさんは俺に打ち込むのにいろいろ工夫してるみたいだけど……俺はそいつを見切って、弾き返すのに専念してる。パワーで勝ってるから、受け止めそこねるってことはない。

 で、メリーさんは一度攻め始めたら止まらないだろ。そしたらそのうち、攻め疲れるて動きが鈍る。あるいは焦って隙ができる。そこを狙って切り返せばいいってわけだ」

「……何それ。体の大きさで勝負が決まるなら、私にはどうしようもないじゃない」


 メリーさんは口を尖らせた。だが、そこまで拗ねるほどのものじゃない。


「工夫の方向を変えろってことだ。連続して瞬間移動して撹乱するとか。後ろに来たと思ったらやっぱり前から来た、とかやったら最強だろ」

「……無理。一度使ったら少し時間をおかないと」


 クールタイムあるんだ……。


「そしたら打ち合いに持ち込まないで、何回か防がれたら間合いを取って、休憩するっていうのはどうだ? あれだ、ヒット・アンド・アウェイってヤツ。そっちの方がメリーさんには合ってると思う」

「そうね。それならできるかも」


 メリーさんの機嫌が少し良くなった。もうひとつアドバイスしてやる。


「それともうひとつの敗因は、武器だ」

「武器?」


 メリーさんは手元のチェーンソーに視線をやった。


「何、チェーンソーが悪いっていうの?」

「いや、チェーンソーは悪くない。それ以外だ」

「それ以外?」

「メリーさん、今日のトドメ4回、どんなだったか覚えてるか?」


 メリーさんはしばし空中に視線をさまよわせた後、呟き始める。


「最初が踏みつけられかけて寸止め。2回目が頭突きの寸止め。3回目がエンジンをお腹にぶつけられるところで寸止め。で、最後がさっきの蹴り……」


 そこまで言って、気付いたようだ。


「チェーンソー使ってないわね」

「ああ。チェーンソーに集中しすぎて、それ以外の武器に目が向いてない。搦手ってやつだな」


 これはスポーツじゃない。ルール無用の殺し合いだ。


「最後にチェーンソーを当てられるなら、殴って怯ませてもいいし、突き飛ばして倒してもいいし、車で轢いてもいい。ぶっちゃけ、雁金みたいに銃があれば最強なんだけど……手に入らないからなあ。

 とにかく、見えてる武器だけじゃなくて、相手全体に注意するんだ。持ってる武器だけじゃなくて、隠している武器があるかもしれないし、必殺技とかもあるかもしれない。そういうのに気をつけて立ち会えば、動きも変わってくるだろうよ」


 メリーさんはしばし考え込んだ後、俺に聞いてきた。


「ねえ、翡翠」

「なんだ?」

「あなた、本当に木こり?」

「……木こりだよ」


 ただの、とは言えないけど。


「いや、今のアドバイス、プロじゃないの?」

「なんのプロだよ?」

「えーと……チェーンソーのプロ」

「そのまんまじゃねえか」

「でも、でもでも! だったらどうして、チェーンソーで戦うのがそんなに上手いの?」

「そういうトラブルに遭いやすいんだよ。不法投棄の業者とか、ヒグマとか……」

「でもどうしてチェーンソーなの? さっき言ってた、他の武器だってあるじゃない。どうしてチェーンソーを使うの?」

「どうしてって……」


 言葉に詰まる。確かに、トラブルには遭いやすいし、手元にチェーンソーがあることも多いけど、チェーンソーに拘る理由はない。そもそも最初にこれを使ったのはいつだったか。思い出せない。


「……ひょっとして」


 メリーさんが口を開いた。


「誰かに洗脳されてるとか?」

「ええ……」


 なんか変なこと言い始めた……。

 困惑している俺をよそに、メリーさんは話し始める。


「そうよ。誰かにチェーンソーを使って木こりをやるように洗脳されてるのよ」

「なんの意味があるんだよその洗脳?」

「えーと……なんかの工作員にするとか」


 ふわっとしている。


「ないだろ、そんなの。大体、いつ洗脳したっていうんだ? そんな不自然なことがあったら、いくらなんでも覚えてるぞ?」

「覚えられないのよ。洗脳っていうのは自然にやるものなの。例えば、家の本棚の本、どんな順番で並んでるか覚えてる?」

「え? うーん……」


 思い出せない。毎日見てるはずなんだけど。


「もし、その背表紙の中に、なんらかのメッセージが混ざっているとしたら? 毎日毎日、気付かれないように、少しずつ、少しずつメッセージを刷り込んでいくの」


 メリーさんの説明に熱が入る。次々と質問してきた。


「時々、急に気分が悪くなったり、息が切れたりしたことはない?」

「いや」

「金縛りにあったことは?」

「たまに」

「お昼ごはんを食べ忘れるようになったりしない?

 ブレーキを踏んでも車が止まらない夢を見た経験は?」

「おーい?」

「津波、ホワイトアウト、蜃気楼、写真に撮るとしたらどれ?

 マンテル・チャイルズ・ウィッティドその次は?」

「メリーさん?」

「『アルミホイルで包まれた心臓は六角電波の影響を受けない』というフレーズ知ってる?

 螺旋アダムスキー脊髄受信体って言葉に聞き覚えはある?

 さっきからずっとあなたの後ろにいるのは誰?」


 ぞわ、と背筋が泡立った。振り返る前に、体を前方に投げ出した。背中を何かがかすめる感触があった。

 前転して立ち上がり、初めて振り返る。さっきまで俺が座っていた岩がチェーンソーで両断されていた。それを持っているのは、迷彩柄の野戦服とガスマスクで身を固めた男だった。

 しかもそれがもう2人、合計3人いる。チェーンソーのエンジンがうるさいぐらい鳴ってるのに、攻撃されるまで、いや、メリーさんに言われるまで気がつかなかった。


「マンテル! 何をやってる!?」

「は、外れるとは……」

「おちつけチャイルズ。奴め、避けおったか」


 3人は奇襲を避けられて動揺している。マンテルとチャイルズが名前なら、もう1人はウィッティドか? 全員同じ背格好だから区別がつかないが……。


「おい……おい、メリーさん、しっかり!」


 ボーッとしているメリーさんを揺すると、メリーさんはすぐに目を覚ました。


「はっ!? ほああっ!? なにごと!?」

「なんだかよくわからんがヤバい奴らだ! しっかりしろ!」


 チェーンソーのエンジンを掛けて前に出る。ガスマスクの三人組もそれぞれチェーンソーを構えた。


「やむを得ん。マンテル! チャイルズ! ウィッティド! 奴にジェットストリームアタックをかけるぞ!」

「おうっ!」

「おおっ!」

「いやお前は誰なんだよ!?」


 思わずツッコんでしまったが、その隙に3人組は縦一列に並んで俺に向かって突っ込んできた。まさか、本当にあのジェットストリームアタックか!?

 先頭のマンテルがチェーンソーを振り下ろした。俺は頭上にチェーンソーを掲げて刃を受け止める。マンテルはすぐに離れて、俺の横を走り抜ける。追撃したいが、そうはいかない。何しろジェットストリームアタックだ。

 次のチャイルズがチェーンソーを突き出してくる。体を捻って突きを避ける。良くない体勢だ。そこに3人目が来る!


「翡翠ッ!」


 メリーさんが横から飛び出してきた。突っ込んできたウィッティドにチェーンソーを振りかざす。ウィッティドは攻撃を中断して離れていった。


「すまん、助かった!」


 マイケルとチャイルズとウィッティドは、合流して再び縦一列になった。そいつらと睨み合いながら、俺とメリーさんは相談する。


「なんなのこいつら!?」

「メリーさんが呼んだんじゃないのか!?」

「知らないわよ! いつの間に出てきたの?」

「……覚えてないのか?」

「ええ! アドバイスを聞いて、考え込んでたらいつの間にか……」


 洗脳されてたのはメリーさんの方だったか。


「しょうがない。とにかく殺るぞ。俺が前に出る」

「大丈夫なの? さっきは翻弄されてたけど……」

「大丈夫だ。あれはジェットストリームアタックだから」

「……えっ、何?」

「俺が最初の一撃を受け止める。そうしたら2人目が来るから、踏み台にして奥の奴をやってくれ。そうすれば1対2だ、どうにでもなる」

「……わかった!」


 アニメと同じに対処すると、メリーさんがウィッティドに殺られる。だから俺がマイケルを食い止めて、メリーさんがチャイルズを踏み台にしてウィッティドを斬れば、犠牲無しで切り崩せる。

 俺たちはチェーンソーを構えた。マイケルとチャイルズとウィッティドが突っ込んでくる。やっぱりジェットストリームアタックだ。


「行くぞ、合わせろ!」

「ええ!」


 こっちも突っ込む。先頭のマイケルにチェーンソーを振り下ろす。マイケルは俺のチェーンソーを受け止め、横に逸れた。後ろからチャイルズがやってくる。


「行け、メリーさん!」


 チャイルズを踏み台にして、後ろのウィッティドを倒す。そして、踏み台にされて体勢が崩れたチャイルズを俺が倒す。そのつもりだった。

 背中に衝撃が走った。


「え」


 上を見た。メリーさんがチャイルズの頭上を飛び越えていった。思わず、叫んでしまった。


「俺を踏み台にしたぁ!?」


 なんで俺がこのセリフを叫んでるんだよ!?

 言ってる場合じゃない、チャイルズが突き出したチェーンソーを慌てて止める。

 そしてメリーさんは後ろのウィッティドに斬りかかっていた。必殺のジェットストリームアタックを崩されたウィッティドは、メリーさんのチェーンソーを避けた。


 その後ろから、くすんだ紫色の髪の女子高生が、チェーンソーでメリーさんへ斬りかかった。


「何ィ!?」


 さっきまでそんな奴はいなかった。マイケル、チャイルズ、ウィッティド……その次!?

 まずい。4人目なんて聞いてない。メリーさんが!


「私、メリーさん」


 メリーさんが、消えた。


「今、7歩後ろにいるの」


 そして、俺と鍔迫り合いをしていたチャイルズの真後ろに現れた。チェーンソーを振り下ろし、チャイルズの背中を斬り裂いた。


「ぐはっ……!?」

「「「チャイルズーッ!?」」」


 力が抜けたチャイルズの体を蹴飛ばす。倒れたチャイルズに、マイケルとウィッティドとその次が駆け寄った。


「くそっ、しっかりしろ!」

「まだ息はある!」

「退け、退くぞっ!」


 マイケルとウィッティドは、チャイルズを担いで森の中へ走っていく。後を追おうとしたが、その次が殿しんがりになる姿勢を見せたので諦めた。いきなり出てきた4人目、実力は未知数だ。


「なんだったんだよ、一体」

「そうね……なんの怪異だったのかしら」


 ジェットストリームアタックをかけてくる4人組の怪談なんて聞いたことがない。どうにか撃退できたが、次は3人組になっていてほしい。いや、次が来ないのが一番だけど。

 それはともかく、言っておかないといけないことがある。


「なあ、メリーさん」

「なあに?」

「なんで打ち合わせ通りに動かなかったんだ?」

「え?」


 メリーさんはきょとんとした顔で首を傾げた。


「踏み台にして、奥の奴を殺ってくれって言ったよな?」

「ええ。だからあなたを踏み台にして、奥にいた3人目を殺ったのよ」

「……あー、そうか、なるほど」


 俺の言い方が悪かった。考えてみたら、踏み台にしろって言われたら普通は敵より味方だよな。で、2人目を飛び越えて3人目を奇襲すると。確かに理に適ってる。


「ひょっとして、間違ってた?」

「いや、いい。結果オーライだ。4人目が出てきた時はヤバいって思ったけど」

「あれは私もビックリしたわ。どこから出てきたのかしら」

「隠れてたんだろ。よく反応できたな?」


 するとメリーさんは胸を張って笑った。


「さっき言われたからやってみたのよ。ヒット・アンド・アウェイって奴。離れたら真後ろにいたから、つい斬りかかっちゃったけど」

「お、おう。そうか……」


 ああいう意味じゃなかったんだけど……まあ、なんとかなったから良かったのか?

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